ガラスの小瓶に詰めたのは、 ヒュエネ

 ごぷ、とその身体が形成されていく様を見ていた。殺しちまうぞ、と凄まれてやっと、自分のトリオン体が破壊されていることを思い出す。
「またテメーの敗けだ」
「次は勝つ」
「それ聞き飽きたわ」
乱暴な言葉の一つひとつがこちらへと飛んでくるのに、それらは一つとしてヒュースに突き刺さりはしない。
 ごぷ、と最後の欠片が身体へと戻っていった。確認するようにぐっぱぐっぱと開閉された掌が首へと押し付けられる。
「…何を」
「殺してやろうかと思って」
見つめる瞳はいつものあべこべの色で、其処に言葉の真意を求めることはしない。
「殺して、そのあとはどうするんだ」
「どうしようか考えているところだ」
「答えが出る前に行動に出るなんて猿以下だな」
ぎゅっと細められた目は、それでも明確な言葉を齎さない。
「やっぱいーわ。めんどくせー」
「腰抜けが」
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
立ち去る背中を見つめる。
 喉を掴む。ごぽごぽ、空耳かと思うほど、記憶がリフレイン。
「…は、」
先ほどまで掌の触れていたその場所は、僅かに温かかった。



(それが貴方だったならどれほどしあわせだったろう)

白黒アイロニ
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さよなら展望台 米出

 ぼろぼろになった身体はもうない。だからこんなところまでやってこれた。それをまだ隣の人間はぶうぶうと煩い。
「おまえはさぁ、いっつも一人で突っ走るけどさぁ。おれはそういうのみてらんないって思うって、これ何回目だっけ」
「三…いや四かな? でもお前、言うわりにはどーして欲しいとかねーじゃん」
「ねーけど」
「ならいーじゃん。おまえがそうぐだぐだ言うの、俺は割とすき」
そう嘯いて見せれば暗い中でもその表情が崩れていくのがわかった。
「…そーいうの性格悪ィって言うんだぜ」
「でも嫌いじゃねーんだろ?」
「ドヤ顔ムカつくわ。嫌いじゃねーどころかすきだよ」
「…う、わ」
「なんだよ」
思わず顔を覆う。
「なにそれめっちゃはずいしなんかかっこいいし米屋のくせに」
だろ? なんてケタケタと笑っている隣の人間が、少し腹立たしかったので蹴り飛ばしておいた。



ネオン目に映してわらいこの夜の弱さのことを語り合いたい / 山崎聡子

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とこしえの私を愛してください 忍林

 おまえがすきだよ。
 いつだってその言葉が与えられるのはその一瞬だけだった。斬って斬られて、その紛い物の身体が壊れる、その一瞬。
 にぃっと歪む唇。硝子一枚、隔てた向こう。これ以上ないほどに歓喜を湛える、その瞳を。
 最初はただマゾっ気のある人間なのかと思っていた。たまにいるのだと言う。戦場に幼い頃から放り込まれて、それでそういったものがすべて快感に変換されてしまう人間が。しかしながらそうだと言い切るには彼のその反応は忍田の前でだけであって、他の人間には知られていない一面なのだと言う。
「何のつもりなんだお前は」
酒の入ったその日、口からそんな言葉が滑り出た。
「何のつもりって、」
「模擬戦の、最後のあれだ。いつもいつも」
「何ってそのままの意味だけど」
「お前は自分を斬った人間すべてに愛を囁くのか」
「ンな訳ねぇじゃん」
 へらへらと笑う顔はいつもどおりで、あの一瞬を思い起こさせるものは何もない。
「お前だけだよ」
「じゃあ今言って見ろ」
「やーだよ」
空になったグラスがことん、と置かれる。
「あん時、だけなんだから」
 その笑みがひどく残酷なものだなんて、誰も言ってはくれない。



その人は穏やかに言う。「あなたの奥に潜んでいる清冽な火を愛しています」/ 早坂類「黄金の虎」

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キミアジ 三輪米

  こくり、と動いた喉をじっと注視していると、なに、と気だるげな声が飛んできた。
 夏の始まる前の日のこと、いつもと変わらない縁側。真っ白な課題を広げた、そんな馬鹿馬鹿しさにはもう慣れてしまっていた。
「いや、お前は本当に何かしら飲むのが好きだな、と思って」
「ん、まぁね」
こくり、また喉が動く。前までは尖ってなどいなかったはずの骨が、その上下運動を更に明確なものへと変えていた。
 変わっていく。そう思う。それが悲しいことだなんて言わないけれど。
 外では雨が降っていた。吹き込んでこないそのしとしととした雨に、縁側の二人は暇を持て余していた。課題を手伝うなんていうのは口実だ、そうして縛り付けて―――と言うのは言い過ぎだが、目の届くところへといて欲しかっただけ。
「飲み物なら何でも良いのか」
「何でもって訳じゃねーけど。不味いのは嫌」
「ドクペは」
「ドクペは許容範囲内」
エナドリだと思えば、と付け足される。
「なぁ秀次」
「なんだ」
「俺さぁ、小さい頃は飲み物になりたかったんだよ」
 はぁ? と声を上げることはしなかった。ほら、子供のときって好きなものになりたがるじゃん、と言われてそういうものか、と返す。
「お前はなかったの?」
「なかったな。普通に花屋になりたかった」
「秀次がお花屋さんて」
「煩い、笑うな」
手をつかれた課題がくしゃり、と歪んだ。あーあ、とどうでも良さそうな声。実際、どうでも良いのだろう、きっとそこに書いてある半分も理解していないのだから。
「でさーもしも俺が飲み物になったらさ。秀次はどうすんのかなって」
「どうって」
「そのままの意味だよ。瓶に集める? 飲んじゃう? 冷蔵庫に入れとく? それとも捨てちゃう? ほっとく?」
「お前はくだらないことを聞くな。人間は飲み物にはならない」
「そうだけどさーノッてくれたって良いじゃん?」
ぶう、と口を尖らせる、そんな子供じみた仕草が良く似合う。あ、と気の抜けた声があがった。
「雨、あがったな」
にし、と笑う顔にそうだな、と言う。
 雲が退いてその隙間から青空が見えた。何処までも続いていきそうな、とうめいな青空だった。



雨あがりの とうめいな青空を からっぽのガラスびんに流しこんで、それを こくこくと、飲みほす想像をする。胸のなかに、青いひかりがさしてくるように。 / おーなり由子「365日のスプーン」

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かなしいよかん エネ+オリ

 烏と言うのよ、とその人は言った。雨の降る日のことだった、未だ馴染まぬ受容体が、頭をじくじくと痛みで支配して、世界が静謐なものにでもなったかと錯覚していた日。
 ずぶ濡れの翼を指差して、嘲笑うように濡羽色と言うの、と続ける。貴方の髪と同じね。言われてなるほど、と頷こうとした。頷こうとしてから、雨が黒の間で反射しててらりてらりと艶めく様に目を奪われた。美しいとは、このことを言うのだろうか。自分もその人の目にはそう映ったのだろうか。そんな慢心を問おうとした瞬間、小さな掌が押しつぶされると思うくらいに強く、繋がれた手に力がこもった。
 白衣の似合うその人のそれが別れの挨拶だったなんて、今も信じられずにいるのだ。

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役立たず 迅

 見ものだったなぁ。
 一人非常階段に避難して来て、見上げた空は青かった。皆さんももう知っていると思いますが、そんなふうにして担任が切り出した言葉がまさか自分に関係するものだとは思わなかった。この間の災害のことを覚えていますね。
 災害。その言葉に笑いが漏れそうになってしまったのは秘密だ。皆さんももう知っていると思いますが、ボーダーという組織がそれを撃退してくれました。担任の言葉は続く。そして、もう知っていると思いますが。
 そこで担任と目があって、ようやく未来が見えた。遅い、舌打ちをしなかったことだけ褒めて欲しい。このクラスにも、ボーダーの子がいます。一斉に視線がこちらへ集まる。
 きっと、担任なりに浮いている生徒を馴染ませようとする努力をしたのだろう。その心意気は評価する、なんて上から目線で思った。迅くん、前に出て来てもらえるかな、呼ばれてふらふらと立ち上がる。一番後ろの席から教壇までの距離がやけに長く感じて、ぐさぐさと刺さる視線が痛くて。どうして読めなかったんだろう。読めていたら逃げ出したのに。けれども逃げ出すことも出来なくて、足は前方へと踏み出される。
 とん、と上がった壇上は、絶景というより他になかった。いろいろな感情の入り混じった目線が下から見上げて来ている。迅くんはボーダーに所属していて、この間の災害でも大活躍してくれました。担任の声が遠くなって行った。胃が、きりきりと痛む。感謝を込めて、
「せんせ、」
迅くんに拍手をしましょう。担任の言葉を遮って口元を抑える。
「すみません、おれ、」
限界だった。そのまま教壇を突き飛ばすように教室を飛び出る。
 何も考えずに走った先が非常階段だった、その頃には吐き気は収まっていた。
「こんなはずじゃあ、なかったのになぁ」
溶けて消える言葉に続くのは自嘲くらいだ。
 明日からもう此処へは来れないことは、何よりも自分の身体が分かっていた。



教壇に立ちて見る我がクラスには絶景という言葉が似合う / 早川晃央

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貴方は止まる、僕は進む。 迅三輪

 傘の似合う男だと思っていた。
「…秀次も半袖とか着るんだ」
「お前はオレのことを何だと思っているんだ」
いつもどおりの棘を隠そうともしない視線に苦笑する。
「なんかマフラーのイメージ強くて」
言ってからこれは地雷かな、とも思った。彼のマフラーには確か、お姉さんの記憶が詰まっているはずだから。
 けれども予想に反してその顔が曇ることはしなかった。眉をつり上げられることもなかった。
「そうか」
それだけが零される。
 その横顔が妙に晴れ晴れとしていて、ああ、としか思えなかった。



あをき血を透かせる雨後の葉のごとく鮮(あた)らしく見る半袖のきみ / 横山未来子

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枠組みを彷徨う羊 三輪米

*嘔吐注意

 饐えた匂いなどもう慣れた。目の前で震える背中をぽんぽん、と一定のリズムで叩いてやることだって簡単だ。もらいゲロなんてきっともう出来ない。そんなことを考えながら、米屋陽介は友人の三輪秀次がトイレの便座を抱える様を眺めていた。
 こうしたことが、良くある。三輪隊のメンバーは勿論のこと、恐らく他にも知っている人間はいるはずだった。例えば出水だとか、例えば迅だとか。そこまで隠すことでもないし、あれだけ生きづらそうな様を見ていればそう意外なことでも何でもないようにも思えた。気を使われているのか、それとも傍にいるのが米屋だったからなのか、この状態を知った人々は一様に何も言わずにいる。
 それが、米屋には有難かった。どんな感情がそう思わせているのか、いまいち分かりはしなかったが。
 さすっていた背中の振動はいつの間にか止まっていた。そろそろだな、と思う。そうして米屋の予想通り、くるり、と三輪は振り返った。
 青い頬。いつもよりもどろっとした瞳。そういうものを眺めている米屋を、三輪の手は引き寄せる。
「………ん」
 そうして、触れるだけの接吻け。
 数秒も待たずに三輪は離れていった。
「秀次、くさいしまずい」
「嫌なら避けたら良いだろう」
「そういう話じゃないじゃん」
「そうだろうか」
今回も前には進まない。どちらも答えを求めていないのだから、当然かもしれない。
 もう一度、と囁く途中の唇が押し付けられる。それ以上はしてこない。それでも饐えた匂いが口から鼻から、米屋を侵食していく。ほんと、とそれらの感覚を受け取りつつ、米屋は思った。本当、どうして抵抗しないのだろう。
 けれどもそれよりも不思議なのは。
―――なんで、秀次は俺にキスなんかすんのかな。



友人が嘔吐している 友人はわたしの前で嘔吐ができる / 山階基

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脚を切り落としてチェネレントラ 風迅

 風が強い。ばさっと視界を邪魔する前髪を押しのけて、はく、と息を吐く。目の前のひとはじっと、こちらを見ていた。屋上。珍しく玉狛にやってきたそのひとは遠い目をして、屋上の端からじっと街を見つめていた。
 風間さん、とその呼び声は風に掻き消されたと思った。それでも届いたらしい。何だ、と言いたげな視線が真っ向から射抜いてくる。変わらない、と思った。
 変わらない瞳だ。真っ直ぐで、あまりにも真っ直ぐで、すぐに折れてしまいそうな。
「おれのことは風間さんが救ってくれるとしてさ、風間さんのことは誰が救ってくれるの」
それは悲鳴のようだった。
「このままずっと誰かのヒーローでいるつもりなの」
そんなのは天性のものを授かったあの友人だけで充分だ、そんなことを思う自分は残酷だろうか。
 特別なことをしてくれた訳じゃない。口を開けば辛辣な言葉ばかりで。けれどもそれに確かに救われた、自分がいるから。
「そんなの、おれはかなしいよ」
だから。だから、だから、だから。
「だから!」
 これは、浅ましい願いだろうか。身の程知らずの望みだろうか。
「おれを、風間さんの場所に、してよ」
 それでもいじましい自分は、これを喚かないでいることなど出来ないのだ。




私と彼がここに一緒にいたことは、あの風が記憶してどこまでもどこまでも運んでいってくれます。風に終わりはあるのでしょうか。風の墓場はどこなのでしょう。 / 雪舟えま「タラチネ・ドリーム・マイン」

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愛してなんかいない、と言って 林←迅

 その人の前ではどんな言葉も意味がなくなるような気がしていた。
「ボス」
声が震える。こわいことだ、笑えてくるほどに。それでも喉が震えるのは、どうしてなのだろう。
 昔から、昔からだ。言葉にする意味なんてないのに、いつだって口にしたいと思ってしまう。叶わないと分かっているはずなのに、何度だって聞いてほしいと願う。
「ボス、おれはあんたを愛してるよ」
「そーか」
「ね、真面目にきいてるの」
「きーてるよ」
いつもと同じように笑う唇が。
 ―――拒絶の言葉を吐く時を、今か今かと待っている。



国境の南
http://nanos.jp/flyway/page/23/

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20140809
20140920