鎖された楽園 ヒュ+林 *原作でヒュースくんが再登場する前にあれこれしとこうぜコーナー *まだ出てないからって好き勝手捏造中 息苦しい。まるで身体を縄か何かで縛られているようだ。 目を開ける。当然ながらヒュースの身体を拘束しているものは何もなく、ベッドやら机やら、普通に生活する分には困らない程度の部屋でごろり、床に転がっていた。どうやら寝ている間にベッドから落ちたらしい。腹の上には一緒に落ちたらしい掛け布団がくしゃっとなって鎮座していた。寒さをあまり感じなかったのは、この布団のおかげだったようだ。起き上がる。 普通の、部屋だった。二階だと教えられたその部屋には小さいながら窓がついていて、鉄格子が冷たくその景色を狭いものにしている以外は。別に監禁しようってんじゃないんだけどね、とヒュースを連れてきた男は言った。此処には小さい子供がいるから、ただの落下防止なんだよ、と。机は椅子のついたものだった。あれ、と男は指を指して、あれがあれば子供でもあの高さに届くから。 子供くらい、誰かが見ていれば良いと、そう言った気がする。死んだら死んだで、それはその子供の責任だろう、と。男は少し不思議そうな顔をして、そっちはそうだったのか、と聞いた。まるでそれが探られているようで、睨みつけるだけに留めた。 それから、男はヒュースの部屋には来なかった。エリートを自称していたのに偽りはないらしく、純粋に忙しいようだった。それでも、逃げようと思わなかったのは、角に付けられた小さな機械の所為だった。それは、お前のトリガーの起動を阻害するものだ。丁寧に、ヒュースの角にそれを括りつけた男は言った。大きな男だった。ランバネインには敵わないけれど。 そんなものを付けられなくとも、此処を脱走する気はなかった。 ―――置いて、いかれた。 まだきっと、祖国は手の届く範囲にあるのだろうけれど。帰ったところで、自分の内に湧いた絶望に唇を噛み締める。それに、そうなれば遠征艇を手に入れなければならない。この世界のトリガー使いたちが、それをよしをする訳が、ない。 一度。 此処へ連れて来られてすぐの時。此処で一番偉い人間なのだという男を脅して、帰る手段をどうにか調達しようとした。ヒュースの祖国ではトリガー使いでもない人間が上に立ち、その指揮をしているということも別段珍しい話ではなかったから、この世界もそうかもしれない、と思ったのだ。今思えば焦りで判断力が鈍っていたのだと思う。 トリガーが使えなくとも。対人戦というのは軍属になって最初に習うものだ。それに、と浮かんできたのは首を掻き切った感触。政治的対立の激しいアフトクラトルでは、政敵を暗殺するというものも少なくない。それに、もしトリガー使いだったとしても、トリガーが起動される前にトリガーを破壊してしまえば。トリガーに頼る人間は、総じてトリガーを使わない戦闘に弱い。幸運なことにヒュースの手には、筆記用具と思しきものがある。これさえあれば、傷を付けることは容易い。だから、脅せば。うまくいくと、そう思っていた。 視界がぐるり、と回るまでは。 遅れて右半身から痛みが巡ってきて、それで投げ飛ばされたのだと知る。受け身のための手が出たのは身体に染み付いていたからかもしれない。ばらばら、と何かが散らばる音がする。 「悪いな」 くわえた煙草を落とすことなく、その男は笑ってみせた。 「オジサン、トリガーなくても強いんだよ」 首に手をかけられている訳でもないのに、息が止まりそうで。 「それに、城戸さんたちは俺が人質になっても余裕で斬る人だから。意味、ないと思うよ」 「…キドサン?」 「ああ、この世界のトリガー使いの一番偉い人ね」 分かったらほら、子供はおとなしく勉強でもしてな。足元に散らばったものを男が拾い上げる。渡されたのは薄くて大きめの数冊の本だった。何だこれは、と聞けば絵本、と返される。 「お前まだこっちの言葉分かんないだろ」 その言葉には俯くしかなかった。会話には翻訳用トリガーで対応出来るが、文字になってしまえば分からない。一番上の本を開けば、押すとその文字の読み方が読み上げられる形式らしかった。便利だ。ヒュースが使い方を把握したのを確認したのか、男はそれで覚えとけ、と頭をひと撫でして、男は部屋を出て行く。 かちり、と鍵の回る音がした。 数日前の記憶を振り払って、ヒュースは起き上がる。机の上には絵本が積まれていた。毎日こっそりと増やされるそれに、ブックスタンドが欲しいと言ったのは昨日のことだ。幼児向けであろう、文字の本を開いててきとうなボタンを押せば、まぬけには≠フ音が響く。 息苦しさは、今も尚続いていた。 * 20141127 *** 佐鳥賢、十六歳。好きなものは女の子です。 佐←太刀 切欠はなんだったのか分からない、と佐鳥賢は語る。 別に知らない人ではなかった。総合一位なんて言われたら、スナイパーである自分が関わることなどなくても名前くらいは耳に入ってくるし、仲の良い先輩はその人の隊の所属であるし。お互い名前だけは知っている、でも一対一で話したことはない、そんな程度の認識だと思っていた。 のだが。 そんな佐鳥の可愛らしい予想はボーダー本部の自動販売機前で、その人とふたりきりで顔を合わせたことにより崩壊する。 「佐鳥ってさ………」 ひどく真面目が顔で名前を呼ばれたものだから、一体何を言われるのかと背筋を正した記憶がある。 「かわいい顔、してるよな」 は? と。 ぴしり、自分が固まった音が聞こえるようだった。 「え、えっと…太刀川さん…?」 「なんつーか、おれ好み」 爆弾追撃。二の句の告げない佐鳥に、太刀川は舌なめずりをして。 「なぁ、佐鳥。おれと寝てみない?」 その日はその場からダッシュで逃げ出した。 と、いうのがファーストコンタクト。 「いーじゃんケツ掘らせろって言ってる分けじゃねえんだしさ。おれにちょーっと佐鳥の貸してくれるだけで良いんだって。後は自力でなんとかするし」 今日も今日とて、佐鳥はA級一位に付きまとわれていた。 「出水先輩何この人怖いですううう」 あまりにあまりなので一緒にいた先輩に助けを求めても正直あんまり効果はない。 効果はないが、 「佐鳥」 その日はやたらと真剣な声色で呼んでくれたので、少しだけ期待をした。 「オレは後輩は可愛いがそれ以上に自分の身が可愛い。そして太刀川さんのことが怖い。ってことで諦めろ!」 「ヒドイ!!」 期待をした佐鳥が馬鹿でしたー! 悲鳴は太刀川に腕をがっと掴まれて、消えていく。 何が怖いって、この人のこの行動は彼の隊では黙認されていることである。ついでに言えば風間隊も黙認しているのだとか。自分に火の粉がかからないとなったら呑気なものである。冬島隊も黙認だとか、東も知っているだとか、いろいろと知らなくて良かったようなことまで吹きこまれた。味方がいない。やばい。自隊の面々に相談するのも考えたが、彼らをこういう生々しい世界に巻き込みたくなかった。 唯一の救いは、太刀川の希望が突っ込まれる方なことだろうか。そして無理強いはしないというスタンスでいてくれることだろうか。本当に唯一感が拭えない。これがもし自分の巻き込まれないものだったら、いろいろ聞きたいこともあっただろうが、自分が完全に巻き込まれる形になっていてはそんな余裕も生まれない。 「でもほら、佐鳥って年上が好みなんだろ?」 「佐鳥の好みは年上のお姉さんです!」 そう、間違ってもお兄さんではない。髭面のお兄さんではもっとない。そりゃあ佐鳥にだって、年上のお姉さんにやさーしくリードしてもらうなんて夢を見ていたい年頃だったのだ。お兄さんではない。どうせこの情報源は横にいる先輩なのだろう。なんて先輩だ、後輩を売るなんて。 「年上なあ」 「お姉さんですよ」 「年上…」 「お姉さんですって」 「どうせ穴に挿れるのは一緒なんだからどっちでも」 生々しさに悲鳴を上げる。なんだよ、と言われたけれど貴方の言動が原因ですが!? とは流石に言えないので口を噤む。どっちでも良くない、良くないのだ。 「つーか佐鳥夢見すぎだろ」 後輩を売った先輩には黙っていただきたい。 その言葉を言いことに、そーだそーだと声が上がる。良い後輩を持った、なんて此処でいい感じの雰囲気を出さないで欲しい、そういうのはよそでやって欲しい、もっと、こう、広報部辺りがネタを探している時とかに。そんな考え事をしていた佐鳥に、何を思ったのかははん、と出水が笑った。 「未使用だから夢見んのか」 ほんとうに、いやらしい笑みである。 「未使用じゃないですううう」 「えっ未使用じゃないの!? 誰だよおれの佐鳥の貴重なハジメテ奪っていったやつ。おれが弧月で斬ってくるから今すぐ吐け」 「嫌ですよ!?!?」 というか太刀川さんのじゃないです! と反論してみれば、そのうちおれのになるって、と口説かれた。なりません! と返したらいやいやなるよ、と横から出水が口を出してきた。人の未来をそんなてきとうな口調で決めないでもらいたい。 「でもま、佐鳥」 名前を呼んでから、 「おれは本気だから、な?」 その笑顔に、ちょっとくらっとしただなんて、絶対に、ぜったいに気のせいなのだ。 * 20141219 *** 嗚呼あさましいエンプーサ 諏訪堤 おれは、このひとに、心底惚れているのだなあ。 そんなことを思ってしまって、堤大地は頭を掻き毟った。数秒前のそんな思考にたどり着いてしまった自分の頭をかち割ってそのピンク色をしたぶにぶにの脳みそを取り出して、なんてことを言うんだ! と怒鳴りつけてやりたい気分である。なんて、おぞましいことを。更におぞましいことは、堤の中でその思考が、まるでパズルのピースか何かのように、ぱちりときれいに嵌ってしまったことだった。 ことの発端は、先週のことである。 いつも通りに任務を終えて、報告書をまとめるその人を待っていて。あの日は確か、借りたい本が合って、それをそのまま諏訪の家へと取りに行くつもりだった。だから待っていた。いつもなら待っていない。一応弁解しておく。 意外と報告書には時間がかかるので、その間堤は本を取り出して時間を潰していた。大体いつも文庫本を持ち歩いている。いつもなので、持ち歩く用にブックカバーも持っている。与えられた部屋で、パイプ椅子に腰掛けて。多少ぎしぎし言うのは気にしなかった。堤の立てた音でなくても。諏訪だって身動ぎくらいするだろう。そう、思って。 ぎし、り。と。 一際大きな音が立って、顔をあげた時。目の前には諏訪がいて、それはさっきからそうだったが、もっと近くて、くちびる、に。 「…なん、です。今の」 すぐに開いてしまった距離を取り戻すかのように、声が出た。言葉を発してからしまった、と思った。 「何、って言われても、」 「言われても、じゃないですよ。なんです」 「何って、キスだろ」 「そうでしょうね、そういうことが聞きたいんじゃないですけどね」 苛々と本を閉じる。スピンを挟むのを忘れたがどうでも良いと思った。 「なんでキスしたんです」 「何で…?」 「聞いてるのオレですけど」 「あ、うん。そーだな」 報告書に戻ろうとする諏訪に、思わず舌を打つ。仮にも隊長だぞーと言いながら、顔も上げやしない。何、何なんだ、一体。ぐり、と本を持つ手に力が篭もる、革製のブックカバーの表面で、指がぎゅっと嫌な音を立てる。 「まぁ、なんだ」 最後の署名を終えて、諏訪は立ち上がった。 「犬に噛まれたとでも思って忘れろよ」 じゃあな、とそのまま行ってしまうのを、堤は追いかけることは愚か、立ち上がることすら出来ずに眺めていた。 そんなことがあってから、堤はことあるごとに諏訪について考えてしまうのである。ちなみに借りたかった本はその次の日、諏訪が持ってきてくれた。その時も特にそのことには触れられず、堤が一人で悶々としていただけだった。 今だって。 今だって、そうだ。 先週と同じ、報告書を書く諏訪の目の前で、堤は座っている。その行動の一つひとつを見落としてたまるかと言うように、彼を凝視している。ぐるぐる回る思考、それがたどり着いたのが冒頭のものだった。なんてことだ、喉がぐうと鳴る。 「どーしたんだよ、堤。悪夢でも見たような顔してんぞ」 「…見たんですよ、悪夢」 「そーなのか。どれ、オニーサンに話してみ」 何も、なかったような顔をして。諏訪は笑う。それがいやに腹立たしくて、立ち上がるとその頬を掴んだ。 触れるだけ。 「…な、に」 「何でしょうね」 「先週の仕返し?」 「そうなら、良かったんですけどね」 この人は。 この一週間、見ていたから分かる。この人は、堤のことを何か思ってあんな行動をした訳ではない。ただの、気まぐれ。犬に噛まれたとは良い表現だ、あれは事故だった。高速道路に乗って百キロ以上出ている車の運転席で、今此処で突然ブレーキを踏んだらどうしようと思うような。高速なんて乗ったこと、教習所でしかなかったけれど。諏訪はそれをうっかり実行してしまった。その結果、後ろの車に追突された。本人は、まだそれに気付いていない。 「ねえ、諏訪さん」 頬を捉えたままで、堤は吐き出す。 「すきです」 さあ、悪夢の続きをみよう。 * 20141219 *** 薔薇色の朝 三輪米
いつかこの罪の分だけ一緒に泡になって、ひとつのものへと溶け合うまで。 三輪秀次は沈んでいた。気泡も上がらない、真っ暗な海。夜なのかもしれない、月灯りらしきものがぼんやりと、遠くに見えた。でも、もう、見えなくなる。全身に絶え間なく奔っている痛みだけが、なんだか妙に三輪が生きていることを証明していた。 しかしこんな息も出来ないような場所で生きているなんて。閉じかけた目を開いて自分の身体を見遣れば、ああなるほど、と頷かざるを得なかった。 三輪の下半身は、びっしりと鱗に覆われていた。覆われていた、というよりこれは鰭だった。思いつきのようにぱたり、と力を入れてみると三輪の思った通りにそれは動いた。手と同じだった、三輪は最初からその使い方を知っていた。 眠ろう、眠ろう、周りの水たちが纏わり付いてくる。少し長くなっていた髪が揺られて、ぺたぺたと頬を叩いた。起きろとでも言うように。どっちだ、そう思いながら目を閉じる。 闇の中は、心地が好かった。何も、考えなくて良い―――そこまで思って、何も思い出せないことに気付いた。どうして此処にいるのか、どうしいてこんな鰭を持っているのか、どうして、どうして。それもまた、そのまま底へと沈んでいく。溶けるように、消えていく。眠りたかった、このどうしようもない寂しさに身を委ねながら。 誰かが起こしに来る、その時まで。 どれほど眠っただろう。ごぽり、ごぽり。頬に当たる気泡の感触で、三輪は瞼を押し上げた。くろぐろとした、平坦な眸。それが三輪を映している。知っている、自分はこれを知っている、だが、なんだったか、そうぼんやりと、今にも鼻と鼻が触れ合いそうなほどに近くなった顔を、三輪は見つめる。 「秀次」 男だった。男に呼ばれて、ああそういえばそういう名前だったな、と思った。そんなことまで忘れていた。 「秀次、なんでだよ」 ごぽり、男が何か言葉を発する度に、その口からは気泡が上がっていった。にんげんだ。そう思った。この男は、人間だ―――米屋陽介だ。 ばちん、と気泡が弾けたような感覚がした。恐らくそれは三輪の頭の中でだった。ゆるりと覚醒に向かい始める頭の中で、三輪は米屋を見つめる。米屋には脚があった。鱗には覆われていなかった。 「どうして」 米屋は繰り返す。本当に何故なのか分からないという表情で、米屋は首を傾げる。 「秀次、どうして? なんで? 秀次の姉さんを取り戻す、絶好のチャンスだったじゃん。なんで、お前、取り戻さなかったの?」 なんの、はなしだ。 そう言おうとした唇は、音を成さなかった。ぱくぱくとそれを数度繰り返して、そうして漸く三輪は自分の声が失われていることに気付く。鰭があって、声が失くて、童話でさえもどちらかだったのに。 「なんで、だよ。どうして…お前は、お前の姉さんを取り戻さなきゃいけなかったのに。俺を犠牲にしてでも、それは成されなくちゃいけないことだったのに」 ようすけを、ぎせいに。 ごぽごぽと泡を吐き出す米屋とは裏腹に、三輪はやはり声も、泡も出すことは出来なかった。 「でも、大丈夫だから、俺、此処まで来たから」 頬に添えられる手。 近かった、鼻と鼻が触れ合うほどに。だから、それだってすぐだ。そう思ったら、無意識のうちにその唇を掌で抑えていた。 「しゅーじ…?」 そんな、捨てられた子犬のような顔をしてみせるな、と思った。お前には、そういう顔は似合わない。馬鹿みたいにへらへら笑って、獲物を見つけたらぎらぎらとその目を光らせて。それが、お前らしいのだから、そんな。 そこまで思って、あれ、と止まる。 「秀次、俺とキスすんの嫌?」 首を振った。初めてじゃない、嫌悪感もない、さてそもそも、どうしてこんな闇の中にいるのだったか、果たして鰭は最初から鰭だったか―――塞いだままの口から、ごぽごぽと気泡が溢れていく。掌がくすぐったい。 ああ、そうだ。 「秀次、じゃあさ」 掌の向こうで、米屋は代替案とばかりに眉を下げた。 「もう、起きてよ」 ひとりはさみしいよ。 いつもならばそんなこと、言うくらいなら舌を噛みちぎってやるという顔をするくせに。 三輪は笑って頷いた。米屋は嬉しそうに笑った。 眩しさで目を開ける。 目の前には、先ほどと同じ顔があった。違うこと言えば、その眸が閉じられていることだろうか。 「ようすけ」 声は、出た。当たり前だ、と思う。あれは夢だったのだ、ただの夢だったのだ。現実に、声がでなくなるなんてこと、風邪でも引かない限りないだろう。それに、そこまでひどい風邪を引くほど、自己管理のなっていない人間ではない自覚もあった。 もぞり、と動く。脚もあった。其処は鰭ではない、鱗もない。三輪が一人で立つための、脚が確かに其処にあった。 「陽介」 もう一度、今度ははっきりと呼び掛ける。気泡は上がらない。ううん、とその唇の合わせ目から呻きともとれる声があがって、うっすらと、その眸が開かれた。 「…しゅーじ?」 「そうだ」 「おは…よう…」 「おはよう」 まだ寝ぼけているらしい米屋の口端は、やたらと幼く聞こえる。 「なに、夢でも…みたの」 「ああ、悪夢だった」 「にしては、たのしそーだね」 「お前が、」 息は薄いのだな、と思った。起き抜けというのもあるのかもしれないが、此処まで希薄なものだと、意識して見ることは今までなかったように思える。 「お前が、起こしに来たからな」 「そ、っかぁ」 「ああ」 「おてがら?」 「ああ」 ふふん、と自慢げに笑って、また米屋の瞼は降りていく。三輪はそれを止めなかった。もうきっとあんな夢など見ない、そういう確信があった。過去には戻れない、分かっているはずだった。何かを、替えることも出来ない。それも分かっているはずだった。 三輪の認識が、無意識の領域まで届いていなかった、それだけ。 「かなしい、ゆめ、だった、なー」 すべてを知っているような言葉を浮かべながら、また米屋は眠りへと沈んでいく。それを追うように寄り添って、三輪もまた、目を閉じた。 * image song「人魚姫の夢」松任谷由実 20141219 *** 降水確率95パーセント 太刀+迅 あれだけ降ると言われていた雨が、今日はまったく降らなかった。 ほら言ったじゃん、と隣の男はにへらと笑ってみせる。おれがその顔が嫌いだと直接言ってから、余計にするようになった。言わなければ良かった、とは思わないけれど。ああ本当にこいつは面倒だなあと思う。 「お前なんかよりおれはお天気姉さんを信じたい」 「まこちゃん?」 「そうそうまこちゃん…ってお前もおはにち派?」 「いや、ウチはのーざっぷ派」 動物枠あるでしょ、との言葉になんとなく浮かんできたのは子供だった。名前は思い出せない。なんだっけ、あの子供とかが見るの、と問えばちがうよ、と返って来る。 「ボスがわりと好きなんだよ」 「へえ。あ、だからカピバラとかいんの」 「そうかもね。拾ってきたのボスだし」 「カピバラって拾ってこれるモンなのかよ… っていうかじゃあなんでおれの見てる朝番組が分かったんだよ」 「まこちゃん好みかなって」 「好みだけど」 何、把握されてんの、こわい、と言えばそりゃあともだちの好みくらいは、と返された。 言葉に、詰まる。 「ともだち」 「え、ともだちじゃないの」 「ともだち…か?」 「聞かないで、かなしくなる」 ともだち、ともだち。繰り返しながら歩を進めればやめてよはずかしい、と頭を叩かれた。仮にも先輩の頭を叩くとは、なってない後輩である。 「なんか、違うじゃん、お前とは」 「かなしい」 「ちげーって。そうじゃなくてさ、ともだちだったら流石に天気予報くらいはアテにするし」 「まこちゃんより?」 「まこちゃんより」 うーん、と唸りながらも足は止めない。もうすぐ、扉が近付いて来る。 「ああ、そうだ」 思わず、立ち止まった。なに、と生意気で今にも死にそうな後輩が怪訝な顔をしてみせる。 「おまえは、ともだちじゃない」 「だから悲しくなるんだけど」 「でも、ほら、ライバルだから」 この四文字を出すのに苦労するおれの頭は実は結構やばいのかもしれない。 そんなふうに珍しく自分の馬鹿を心配したことなんか、目の前の驚愕に見開かれた瞳に、すべて吹き飛ばされた。 「読み逃したか?」 「うん」 「はは、めっちゃ気分良い」 「せいかくわるう」 また歩き出す。少し遅れて追ってくる足音。 今は振り返らないことにした。 さっき見えた耳が若干赤くなっているのが分かったから、振り返らないでいてやることにした。 * 書き出し.me 20141219 *** 最低の朝 太刀+迅 おまえのそういうところがムカつくんだよ、と太刀川は言った。太刀川がそんなことを言うとは思っていなかったので、迅は目をぱちくりとさせてから、口を開いた。 「そういうとこって、何」 「その、何でも分かってるような顔するとことか」 「今現在進行形で太刀川さんの言うことが分かんないんだけど」 「現在進行形ってなんだっけハブだっけ」 「haveじゃないよ、イング。アイエヌジー。ってか太刀川さんが言うとアレだね、動物の方のハブに聞こえる」 「ん…? ああ、マングースの」 「そうそうマングースの」 「蛇だっけ」 「たぶん」 「で、さっきのムカつくって話だけど」 「ああ、戻るんだ」 呆れたような顔をしたのだと思う。それは太刀川にも見えていたのだと思う。それでも太刀川は続ける。 「お前さ、何でもかんでも分かったような顔するじゃん」 「する?」 「する。それが、めっちゃムカつく」 「してるつもりはないんだけど」 「じゃあお前、重症だよ」 ぶつぶつと、まだまだ言葉は続いてく。この底抜けに何も考えないような人にも呪詛は吐けるのだなと、迅はぼうっとそれを見つめている。 「何でもかんでもさ、自分しか抱え込んでないような顔して」 こんな、ふうに。 「自分しか知らないって、そんな顔してさ」 だれかに。 「悲しいのが自分だけみたいな、全部の責任は自分にある、みたいな」 息を、吐く。 「それは、そうじゃん」 「どれが」 「おれの責任は、おれのじゃん。太刀川さんもおれのサイドエフェクトのことは知ってるでしょ、それでおれがどんな判断をしてるのかも」 「知ってるよ」 「じゃあ、」 「でもそれをお前一人で抱えて死にそうになることはないだろ」 ぐっと詰まると、それだよ、それ、と指をさされる。 「その顔。わかんないくせに、って言いたそうな、顔」 「………事実、分かんないでしょ」 「失ったこともないのに、ってか?」 瞼の裏にちらついたのは、きっと一人だっただろう。そして、迅が誰を思い浮かべたのかも、瞬間的に太刀川には伝わっただろう。 「…そこまで、思ってないよ」 「どうだか」 ようやっと作ったはずの笑みは、鼻で笑われた。 「お前の、そういう大人びた顔するとこがむかつくんだよ」 「ふ、大人びたとか思われてたんだ。意外」 今度は普通に笑いが零れた。 それが太刀川にも分かったのだろう、いつでもそーやってりゃあいいのに、とデコピンを食らった。 * 20141219 *** 届かない夢を見てる 林+木 新月の夜だった。深夜の巡回任務の途中、自動販売機の場所で立ち止まった林藤の前にバイクが止まった。バイクの種類には詳しくなかったけれど、なんだかオモチャみたいな安っぽそうなものだった。 「こんばんは」 挨拶をしてみたらこんばんは、と返って来た。身体は大きいようだったがまだその声は幼く聞こえた。こんな夜には不似合いなほど、ちぐはぐなこどもだと思った。それでも特に何も言わずに自動販売機に向き直る。何にしようか迷っていた。 「何をしているんですか」 「ん? 俺? お仕事中…の、ちょっと休憩中」 「何の仕事ですか」 「世界を守るお仕事」 これかな、と思って押そうと思ったものの、間違って隣を押してしまった。 「お前、コーヒー飲める? ブラック」 「飲めますけど」 「じゃあ飲んで」 俺苦いの無理なの、とその缶を押し付けて、今度こそこれだと決めたものを押す。今度は押せた。甘ったるそうなココア。プルタブを引けばその香りが広がる。同じようにして開けたらしいこどもは、一口飲んでから口を開いた。 「世界を、守る仕事って、」 「え、何。興味ある?」 「…はい」 「あ、小さい頃ヒーローに憧れた感じ? そうなら結構おすすめだよ、うちの仕事。まぁ適正ってあるから絶対にヒーローみたいに戦えるかっていうと、そうじゃないけど」 「ヒーローに適正があるんですか」 「あるよ。でもま、ヒーローだけが世界を守れる訳じゃあないから」 ず、と啜ったココアはもう冷め始めていた。こどもの表情はいまいち良く見えなかった。自動販売機の灯りが強く見えるからか、それで真っ白に消されてしまっている。 「………貴方は、」 「ん?」 「貴方は、どちらなんですか」 「俺? ヒーローの方」 小さな缶はあっという間に空になった。備え付けのくずかごにゴミを投げ入れる。 「でも俺だけじゃ、ヒーロー出来ないの、良く分かってるから」 「そう、ですか」 「うん、そうだよ」 さて、と伸びをする。 「俺は休憩終わり。ヒーロー志望はどうする?」 「レイジです」 「真夜中だから?」 「真夜中だから」 「そうだよな、真夜中だもんな」 笑った、と思った。この時初めて、こどもの表情が見えた気がした。 「俺は今、生まれました。そういうことにしてください」 「おおー分かった。今生まれたな、レイジ。 おめでとうハッピーバースデー。今日がお前の一回目の誕生日だ、喜べ」 「今の一回で十五歳になりました」 「十五か」 「はい」 「だからバイクなんて盗んじゃった訳?」 「はい」 「結構単純なんだな、レイジ」 「そりゃあ真夜中に生まれたからレイジって名前がつくくらいですから」 「なるほど納得だわ」 うん、と頷く。 「なれると良いな、ヒーロー」 手を伸ばすことはしなかった。勝手について来いとばかりに背を向ける。がしゃん、と何かの倒れる音がした。 こどもにはバイクはもう必要ないのだろう。 * image song「15の夜」尾崎豊 20141219 *** 電子レンジ 堤モブ(女) ピッと音がする。真夜中のコンビニは異様に静かで、それが警戒区域近くであるのならば尚更だった。ボーダーなんてものに入っているのにそんなところでバイトなんかしているのは、ボーダーに入る前は此処で働いていたこと、店長からどうしても開いてしまう水曜日の深夜だけ、と頼まれたからだった。そういう訳なので水曜深夜には任務かぶらないようにしてください、なんて隊長に言ったらめちゃくちゃ笑われた。元々高校生が半分の隊だ。しかもB級だ。あまり深夜帯の任務は多くないので、それは楽に通る頼み事だった。 そういう訳で水曜の深夜だけ、堤大地はコンビニのレジに立っているのである。警戒区域近くであるということで、あまり人が住んでない故に真夜中となっては客足も少ない。それでも誰かいないと、というのは二十四時間営業であるコンビニの宿命だろう。 その、真夜中のコンビニに。 毎週、来る女がいる。 すらっとした、黒髪の女だった。知り合いの中で例えるなら、月見と少し似ている。しかし月見よりは笑わない、毎週トイレを借りに来るだけの女。そのぶすっとした表情を見ながら、 「トイレをお借りしたいのですが」 「此処の突き当りです」 なんて決まりきった会話をする。 正直なところ、美人だと思った。笑わないことが更にそれに拍車をかけているように思えた。ついでに言うと結構好みだった。けれども、そんな女がトイレを借りたいと言ってくる。堤以外に誰もいないコンビニで、堤しかいない水曜日に、堤にトイレを借りたいと言ってくる。もしも、あの。 トイレの扉を蹴破って入って行ったら、彼女はどんな表情をするだろうか。あのすました顔の女は一体、どんな顔をして排泄をしているのだろう。そんなことを考えていたらぞくそくとした。寒かったはずなのに身体が奥底から温まってくるような気がした。誰もいなくて良かったと思った。 暫くすると、彼女は決まって第三水曜日には生理用品を買っていくようになった。あの、すました顔の女にも生理は来るのだと思うと、これまたぞくぞくとした。誰も知らない、知っていても、目の当たりにしない。その厳かな秘密に触れた気分がしていた。 ピッとレジの音がする。可愛らしいパッケージのふわふわとしたそれを、外から見えないように紙袋に詰めてやる。本当はシールをつけるだけで澄ませてやりたかった。けれど、それをして、彼女が来なくなってしまったら勿体ないから。 今週も堤はコンビニのアルバイトに入る。一人の店で、一人の女を待つ。まだ第二水曜日だった。今日はきっと、トイレを貸すだけ。 だった、はずなのに。 「あの、お名前、堤さんて言うんですね」 名札を見ながら、そんなことを言われたものだから。 「ああ、はい、そうです」 「下の名前を伺っても?」 「大地です。………よろしければ、貴方のお名前を聞いても良いですか」 そういう訳で、これ以上は年齢確認が必要になります。 * https://shindanmaker.com/489294 image song「コンビニララバイ」クリープハイプ 20141225 *** カーテンコールは馬の骨 麟児 ひどい話だと、一体何人の人が言うだろう。そのすべてのひとの、一人ひとりの目を覗き込みながら、雨取麟児はそ、れ、は、ぎ、ぜ、ん、だ、と一言ひとこと強く区切って言えるくらいの自信を、その胸の中に抱えていた。ひどい話だというのならば、もっと良い方法を示してくれなければ始まらない。これは、麟児がどうにか出来る範囲でどうにかした、ただそれだけの話なのだ。 その、可愛い妹について。 別段麟児はシスターコンプレックスを患っているだとかそういうことはない。この妙にねじれた世界の中で、基本弱者という立ち位置に置かれざるを得ない妹の将来を心配することは、そう特別なことでも可笑しいことでもないだろう。 とは言え、麟児が妹のためにしたことはそう多い訳ではない。まず最初に箱庭を作った。妹の心の内に巣食う不安のことを聞き出して、それを秘密にすると約束をする。そうして実際に秘密を守る、それだけで良かった。そもそもそう強固なものを作る必要もなかった。いつか、壊される。形があるからとか、そういう訳ではなく、いつまでも箱庭にこもらせておく訳にもいかないと、そういうふうに考えていたからだった。 けれども、だからと言ってそうやすやすと壊されてはたまらない。なので、門兵をつけることにした。この上なく真面目で、それでいて箱庭を壊す力を持たない門兵を。ちょうど家庭教師で担当していた生徒が、この上なくお誂え向きの人間だったのでそのまま巻き込んだ。麟児の作り上げたその仮初の箱庭に、いつか壊されることが予め決まっている箱庭に、入る人間を厳選する役目。彼の目ならばそれが出来ると、彼の正義感ならその役目を言わずとも負ってくれると、麟児は知っている。自分の庇護欲を示して、それに追随するように仕向けた。 ひどい話だと、一体何人の人が言うだろう。麟児自身も正直、そう思う部分がない訳ではない。しかし最初に言った通り、これよりも良い方法がなかった、それだけだ。 麟児はその破壊者を、見つけてはやれない。それはもう分かっていた。其処までは面倒見れないと、そうも思っていた。其処まで面倒を見てしまったら、可愛い妹は最早妹ではなく、麟児の可愛いお人形になってしまう。麟児はそれを望まない。あくまでも妹だから、この守りたいだとかいう庇護欲も湧いてくるのだ。人形では、きっと何も起きない。 いつか、もしも世界が、可愛い妹の世界が平和になった時、麟児は妹からその破壊者を紹介されるのだろうか。目を閉じたら、まだ見ぬ破壊者がぺこりと、お辞儀をしたような気がした。 * 20150218 *** 空っぽの箱にあるもの 迅遊 夢を見た。 夢だと分かったのは自分が妙な箱を手に持っていたからだった。トリオンキューブに似ているけれど、違う。かと言って豆腐のように柔らかくもなかった。力を入れても崩れない。妙な夢だなあ、と顔を上げて、凍りついた。 よく知る子供が、その色味を保ったまま、其処に立っていたから。 「―――」 言葉が出ない。自分は、これを見たことがないはずなのに。話を少し聞いただけで、ならばこれは空想なのだろうか。夢なのだからそうなのだろう、でも。 子供はひどく、現実味を帯びていた。風でも吹いているのか、その黒髪がさわさわと揺れていた。ちがう、と思う。こんなに―――こんなに、あの子供は。 「どうしたの」 はっとした。喋るのか、と思った。所詮、自分の妄想なのに。 「なんでもないよ」 夢でも自分は大人ぶってみせるのかと思った。大人ぶっているというよりは、動揺を隠したかったのかもしれないけれど。 「ねえ、」 ふと、彼の手の中が目についた。自分の持っているものと同じような、箱だった。かたくもなく、やわらかくもなさそうな、妙な箱。ふと気付いたが重さもない。ないけれども、自分のものは確かに中に何かが入ってそうな、そんな気がした。 「君のそれ、何が入ってるの」 だからきっと子供のものもそうだろうと、思った。 のに。 子供は笑った。うすく、うすく。きっと色素を失ってからはしないだろう、そんなふうに思う笑みで。 なんにも、と。子供は箱を開けてみせた、確かに何も入ってなかった。箱を持つ手が震えていた。アンタのそれは何が入ってるの、そう聞かれるのが怖かった。この、うすい笑みを。自分のそれと似ているなんて、どうしておもったのだろう。 「そうなんだ」 声が震えていないか、それすら分からない。似ている、だ、なんて。それは、ああ。 ひどい傲慢だ。 目を開けたら朝日が舞い込んできた。ただひたすらに悲しかった。 * 喉元にカッター http://nodokiri.xria.biz/?guid=on 20150312 *** 20200222 |