ふるきよきバビロンによせて 嵐←時前提唐時

 暗がりで向き合うなんてたったそれだけのことなのに、この人が相手となるとどうにも危うい空気を感じるものだな、なんて思った。
「大丈夫ですか?」
別に壁に押し付けられている訳でもない、逃げようと思えば逃げられる。そう思うのに、どうしてか時枝の足は根が生えたように動かなかった。
「どうして、ですか?」
とぼけた顔は作れただろうか。ポーカーフェイスには自信がある方だったけれども、やはり経験の差か、この人の前では丸裸にされているような気さえする。
 いえ、とその人は笑ってみせた。薄い唇がそっと歪んで、ああ綺麗だな、なんて思う。
「君が無理をしているのではないかと、時折そう思うのですから」
無理。口の中で転がったその言葉に、今まで消すことのなかった笑みが揺らぐのを感じた。慌てて口を開く。
「無理など、していませんよ」
その笑みがどれほど薄いものになったのか、時枝は知らないふりをする。
 目の前の人は何も答えず、じっと時枝を見下ろしていた。
「あの…?」
それが数分も続けば流石に不安になってくる。
「唐沢、さん?」
名前を呼べば、はっとしたようにすみません、と謝られた。別に謝ることではないのになぁ、と見上げる。頬を掻く仕草まで様になるのは、少しずるいと思った。
「…君はこういう問答をする時、良くそういう顔をしますね?」
「どういう顔ですか?」
「私に言わせるつもりですか?」
 伸びて来た手が頬に添えられる。
「どうしようもなく欲情させる、そういう顔ですよ」
それは、他の人の前ではしないでくださいね。そんなことを囁いて来た大人の男に、時枝は目を白黒とさせるしか出来なかった。



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20141024

***

「きちんと神様にあいさつしないと」 唐時

 その視線が自分の方を向いていないばかりか、同性の男に注がれていることを分からない唐沢ではなかった。それでも、と思う。それでも、欲しいと思ってしまったのだ、仕方ない。そんなふうに自分に言い訳をして、その細い肩を引き寄せた。
「お付き合いをさせてもらっています」
はっと、こちらの名前を呼ぼうとでもしたのだろう。窘める意味も込めて。けれどもそれ以上の強さでもって、唐沢は視線だけでそれを封じ込める。
「勿論、清いお付き合いです」
時枝も、そしてその正面に立つ嵐山も言葉に詰まったのが分かった。
 彼らはまだ子供だ。そんな彼らに、唐沢が口先で負ける訳がない。その後もつらつらと並べた言葉に、そう、ですか、と彼の隊長が若干のショックを受けてふらふらと出て行く背中を、引き止めたいと願う視線を無視して、そのまま腕の中へと閉じ込める。からさわさん、と泣きそうな声が縋り付く。
「なん、で。あんなこと」
震えていた。こんな声も、今は見えないが、しているだろう表情も、唐沢にはさせることは出来ない。
 この、小さな身体の奥に潜んでいる、激情を。唐沢では引っ張りだすことは出来ない。
 それを悔しく思いつつも、腕の中の子供の顎に手を掛ける。
「時枝くんは良い子ですからね」
どんな意地の悪い表情をしているのだろう。じっと見つめた先、困ったように眉根が下りていった。
「………貴方は、悪い人です」
その返答に、思わず笑ってしまう。
 くつくつと笑う唐沢を、耐えるように見つめてくる時枝の、薄い唇に指を押し当てるだけ。今はただ、それだけに留めた。



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20141219

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ひめごと 風+当

 アンタはなんだか親みたいだな、と三つしか違わない後輩に言われた時は流石に、風間の中にも困惑と動揺が生まれた。親、というのは。この外見のおかげで年相応に見られることは少なかったが、それは先ほどの発言とは逆ベクトルめ、だ。外見でないよならば、中身、だろうか。それならば風間よりももっと適任がいるような気がした。そう、木崎だ。同級生の姿が、それもエプロン姿がかざの頭の中を回り出す。しかし風間は彼ほどしっかり(体格の話ではない)している訳ではないし、ついでに言うならば料理も出来ない。いや出来ない訳ではないが、彼と比べてしまうといろいろあれだ。ならば、一体。口煩かっただろうか。けれども先ほどの当真の口調はとても穏やかなものだった。彼は口煩さをきっと嫌うだろう。ならばやはり、口煩さではないのか。
「風間さんて、さぁ」
そんな水面下の戸惑いなどてんで気付かないとでも言うように、後輩は静かに笑ってみせる。
「なんつーか…道標、みたいで、さ」
照れ臭いから他の人にはないしょな。そうはにかむ不良然とした少年に、風間はぱちぱち、と二回しっかり瞬いたあと、そうだな、と呟いた。
「二人だけの、秘密だ」



『風間さんと当真さん』by めがこさん
20141127

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うわきとうきわ 風迅

*上の続き

 風間蒼也というのは年下に甘い。そのうちの一人である自覚のある迅悠一はそう思っていた。勿論、あれやこれや人に言えないようなことまでやる関係性にたどり着いたことは、年齢によるものだという訳でないと分かっていたが。それでも、先ほど視えた未来に迅は頬を膨らませざるを得ない。
「うわきだ」
何事だと風間がこちらを見遣ったのがわかった。朝日の白いカーテンの中にいる、その人が年下に甘いことは良く知っているのだ。風間は甘やかすのが得意だ。それで何度迅を甘やかしただろう。本人に自覚が、甘やかしているという自覚が足りないのがまた問題だ。だからそそ、人はその無自覚に寄ってくる。
なのでやはり。
「うわきだ」
「…なんなんだ、いきなり」
眉間に皺を寄せて。何か視た時の仕草を風間は知っている、迅の気付かなかったものまで把握している。それでもこういう聞き方をする。ずるい、と思う。
「とーまと喋ってるのがみえた」
「話すことくらいあるだろう」
「なんか二人してすごい照れてた。まるでお互いに告白したみたいな」
また始まった、という顔。迅のサイドエフェクトは声までは捉えない。だから、その場の空気を判断するのはちらりと見える表情や仕草で。
「俺は当真に告白などしない」
「でもそれっぽかった」
「それっぽかっただけだろう」
「でも、」
「うわきだ」
「は?」
面倒くさい、と言ったように投げられた言葉に迅は身体を持ち上げる。朝日が目に飛び込んでくる。眩しい。
「お前の目の前にずっと俺はいるのに、お前はサイドエフェクトなんかにご執心だ。これはうわきだろう」
「…うきわかもしれないよ」
思わず出たのはそんな子供じみた言葉遊び。光の中で、風間の眦がやさしく細まる。
「うきわなら良い」
「良いの」
「プール行きたいな」
「…そうだね」
起き上がろう、と迅より小さな手が頭をくしゃりと撫でていく。この時期やってるプールなんてあるのか、そんな野暮なツッコミはしないことにした。



20141127

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幸せに溢れた世界を予言しましょう 風迅

 神様気取りか、と言っていたのは太刀川だっただろうか。可哀想に、友人に置いてけぼりにされた少年。でかい図体に似合わぬその寂しがり屋は好敵手がいなくなったことが相当堪えたようだった。
 風間の方もそうだったかと言うと、別にそういうこともない。それを言うと迅はええ、風間さん冷たいなあ、といつものへらへらした顔で言った。事実なんだからしょうがない、と付け足せば、そうだね、風間さんはそういうひとだもね、と笑われた。
 そう、それは強がりでもなんでもなく事実だった。ただ目の前から一人いなくなっただけで、悲しむように風間は出来ていない。上の席が空いた、それはためになるものをもっと掴むチャンスだった。そう考える風間は迅がランク戦から離脱したことを悲しんだりしない。
 けれど。
 こちらを見下したような、その面だけはひどく腹立たしかった。サイドエフェクトは万能じゃあないと言うくせに、それに頼り切る迅が。まるで我が儘を言う幼い子供のようで。
 だから、と思う。
 だから、この手は今、迅の首に添えられているのだろう。
「…かざま、さん」
くるしいよ、と言った声に余裕はなかった。サイドエフェクトでこの先が見えないのか、それとも確定していない未来だとでも言うのか。
 狼狽える様が美しかった。こんなにもただの子供然としてみせる迅は、とても尊いと思った。
「…迅」
声が掠れる。
「お前は、神様だよ」
片手だけ外して頬を撫ぜてやる。苦しいのだろう、頬は赤く、そしてこれから黒っぽくなっていく。それを風間は望んでいる。
「神様だよ」
「かざ、…ま、さんッ?」
「でも神がいても、平和は来ないんだ」
迅が。迅悠一という人間が、神である限り。
 何を言っている、とでも言いたいのか目が細められた。いつも雨の日の青空のような瞳が、今はただ歪められていた。
「だから、オレはおまえをころそう」
「ッ、ん」
「大丈夫だ、なにも怖くはない」
そうして、外していた片手を戻すと、ぐっと力を込めた。

 迅の首にくっきりついた人間の手の痕に笑う。疲れたように上下する胸が、今だけはなりふり構わず自分のためだけに動いているであろう胸が、ただただ愛おしかった。



しろくま
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20141106

***

 奈良米

*米屋と三輪が幼馴染設定

 ぎし、とベッドのスプリングが軋む音がした。某お値段以上の店で買った一番安いパイプベッドは、一人用として使う分にはなかなか静かではあるが、流石に二人を乗せるとなると呻かずにはいられないらしい。
「…静か、だな」
そんな音にかぶせるようにして、奈良坂は呟いた。無論、独り言ではない。
 今現在自分の下にいる、米屋へと向けた言葉だ。
「お前が静かだと本当に米屋陽介を抱いているのか不安になる」
言われた米屋は耐えるように逸らされていた目線をゆるゆると奈良坂に戻して、にへら、と笑ってみせた。
「オレだって、しおらしく、なる時くらい、あるっつーの」
肩が揺れるようなその声に、無理をさせているのだと突きつけられた気がした。
 これは、まともではない。
 誰に言われた訳でもなく、奈良坂も米屋もそれは理解していた。何がだめだとか、何が悪いだとかそういうことではなくて、身体のつくりだとか種の存続だとか、そういう意味で。
 それでもそう思う反面、こんなにたくさんいる人間の中で、ほんの一握り、奈良坂と米屋も含めたほんの一握りが少しばかり可笑しなことをしたって、きっとだいじょうぶなんだとそんなふうにも思うのだ。
「普段と同じくらい、こういう時も煩くしていれば良いのに」
腐れ切った思考を振り払って、奈良坂は言う。米屋はあまり光の量の多くない瞳を、驚いたように見開いた。
「なんでよ、透、そういう趣味あったの」
意外なんだけど、と続ける唇はうすっぺらい。
 透、と。いつもが奈良坂なのはそういう時とそうでない時の区別を明確に付けるべきか、詳しくは聞いたことはなかったけれど。このばかは何かしらスイッチになるものがなければいけないのかもしれない、そう思うのは容易い。
「ばか」
 ついていた片手を口元に持っていく。見たままの唇はささくれ立っていてうすくて、とても触れていて気持ちの良いものだとは言えなかったが、それでも押せば沈む程度にはやわらかかった。
「お前を認識している大部分が声というだけの話だ。お前の姿が見えなくても、お前の声が聞こえるだけで俺はお前が存在していると認識出来る」
だから、と続くはずだった言葉たちはでも、という言葉に遮られた。
 すっと、表情が陰った気がした。
「人は声をいちばんに忘れるって言うだろ」
そのくらくなった瞳の奥に、誰がいるのか薄々勘付いている。米屋と三輪は幼馴染だったらしい。ならば例の人について米屋が知っていても、可笑しくはない。
「事実、オレは、」
「陽介」
今度言葉を遮ったのは奈良坂だった。
 唇に触れていた親指が、ぐっとその強さを増す。電気も消してしまった部屋ではよく見えはしないが、恐らく白くなっていることだろう。
「別の人間に感情を向けているお前なんか、せめてこんな時は見たくない」
「へいへい、りょうかーい」
従順な返事に指を口腔内へと滑りこませると、下唇の内側が妙にでこぼことしていた。
 ずっとそうと分からないように噛み締めていた証拠に、ただただ悲しくなった。



20141106

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おいで、奈落の底よりも優しく甘美な呪いを掛けてあげる。 林木

*木崎さんが元本部遠征部隊所属
*嘔吐表現あり

 恩人、という言葉はひどく甘ったるく思えて、木崎レイジは林藤匠のことをそう称すことは出来なかった。経緯はどうであれ行く宛のなかった木崎を拾ってくれたのは林藤であり、今こうしてなかなかに楽しく生活しているのも、この人のおかげと言ったらそうなのではあるが。
 恩人。
 そういうのはもっと、聖人君子じみた人間に似合う言葉なのだと、木崎は思っていた。間違っても、この底意地の悪い大人には使ってはいけない言葉だ。決して。
「おまえは良い子だな」
甘ったるい声で唱えられるそれは、木崎を夢の世界へと連れ出した。声のままに誘われるままに、歩んできた自分の選択が間違っていたとは思わない。目の前にあるわかりやすい近界民という敵を殺すことも、その先にいる同じ形をしたもののことも、それを場合によっては殺すことも。何も、間違っているとは思わない。
―――初めて。
思い出す。
 初めて、遠征に行ったのはまだ木崎が本部に所属していた頃だった。同じ形をしたものを、交渉と言ってこちらを殺そうとしてきたものたちを、逆に殺した時のこと。トリガーを取り上げて、こちらの武力を見せつけて。
 略奪だ。
 そう思った。
 仕掛けてきたのはあちらだ。こちらはそれに正当防衛をしただけ。武力を見せつけてそれ以上攻撃してこないように、取り上げたトリガーを回収しようなどと思わないように。必要以上のことはしなかった、それなのに。
 帰って来たその日、木崎は吐いた。
 本部の幾つかあるトイレの中でも、ひときわひと気のないトイレで一人、腹の中が空になって胃液さえ出なくなっても暫く、空っぽの胃がぶるぶると震えていた。もう、何もないのに。何が吐きたいのか。白い便座がぼんやりと視界に映っていた。生理的な涙が現実感さえ曖昧にさせる。
 あの瞬間。
 疑問を抱くこともしないで力を振るった自分か、時間差でその恐ろしさに気付いた愚鈍さか、そもそもこんなところに来てしまった過去か。嘔吐で削られた体力が、思考をも曖昧にさせていく。饐えた匂いが感覚を鈍らせていく。ああ、もう。
 このまま。
 コンコン、と真後ろの扉がノックされた。他にも個室はあるのに、誰かが入ってきた気配もしなかったのに。個室を使いたいなら空いているところに入れば良い、そこまで思って違うのだろうな、と思った。
 震える手が鍵を開ける。
「ああ、やっぱりいた」
扉の向こうには、木崎を拾い上げた張本人がいた。
 一歩、踏み出される足から逃げることもしない。それだけの体力も気力も残ってはいなかった。
「お前はこうなるかなって思ってた」
じゃあ、どうして。そう思ったのが分かったのか、その人は笑う。
「でもお前、強くなったろう」
お前みたいな戦力が、此処には必要だった。
 ひどい大人だ、と思った。やっぱり聖人君子なんかではなかった。妙にざりざりする口の中を舌で一掃して、それから便器の中へとつばを吐く。もう流してしまおう。ふらふらと立ち上がる木崎に、大人は何も言わない。
 その手がレバーを引く。冷たい。
「おまえは死ねないよ」
茹だるような声だった。それを直接耳へと注ぎ込まれた、その衝撃は。
 思わず肩が揺れる。底意地の悪い大人はそれをみてくつくつと笑った。
「死にたいんだろ?」
「………はい」
「でもおまえには出来ないよ」
「どう、して」
楽になりたかった、もうあんなことはしたくなった。でも此処にいれば同じことを繰り返すし、きっと何も思わなくなってしまう。だからと言って此処から逃げるなんて選択肢はない。木崎に、此処以外の居場所はないのだから。
 なのに、大人は笑う。
「おまえは良い子だからな」
最初に出会った時と同じような、甘ったるい声だった。
 ああ、と思う。伸ばされた手を、何も考えずに取っていた。
「しんどいなら、ウチに来い。本質は変わんねえかもしんないけど、ああいう殺戮みたいなことはウチはしないから」
未来への礎に、そんなものを簡単に、子供へと押し付けてしまうこの大人の。
 呪いは最初から始まっていた。だからもう、遅いのだ。



20141113

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何度だって思い出す 最林

 たくみ。
 その呼び方はいつだってはつらつと明るくて、呼ばれる度に元気を分けられているような気がしていた。その人が名前を呼ぶのは自分だけで、それが更に胸を騒がせた。
 師弟のような関係。そうだからと言ってしまえばそれだけだったけれども。きっと他の理由もあると、幼い心でそう思っていた。
 幸福だった、何よりもその瞬間のことが好きだった。
 たくみ。
 まるで祈りのようなその呼び方に、愛されていると思っていた。

 あの日、までは。
 どうして、とそれは言葉にはならなかった。崩れ落ちる彼の弟子を支えるのに、自分がそんな顔をしている場合ではないと思った。どうして、どうして。頭が白くなりそうになる、思考が消えていく、どうして。
 たくみ。
 蘇ったのはやはりと言うか、その人の呼ぶ自分の名前だった。
「………ああ」
そうして、気付く。腕の中の子供の慟哭で、その呟きは掻き消されたようだった。
 幸福だった、この上なく幸福だった。彼の唯一であることも、隣に立つことを赦されたことも。その幸福に身を委ねて、それで何も分かろうとしなかった。子供だったから、そんな言い訳も効かない年齢で、消えない傷だけが残っていく。
 宗一先輩、宗一先輩、そういち先輩、そういちせんぱい。
 口に出すことさえ出来ないその呼び名を、ただひたすらに心の中でだけ繰り返す。
「…なんで、」
喉が震えた。
「なんで、………」
それ以上、言葉にならない。
 子供の涙を、こんなにも羨んだことはなかった。一度、しっかり目を閉じる。時は戻らない、起こってしまったことは変わらない。そう思うのに。
 そういちせんぱい。
 呼ぶ。忘れないように。まるで、焼き付けるように。

 もう、泣くことなんて、出来ないから。



image song「美しい名前」
秋桜 http://nanos.jp/yukinohana7/
20141113

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大人になりたい 諏訪林

*煙草は二十歳になってから

 まだ本部に喫煙所なんてものが出来ていなかった時のことだ。特定の喫煙場所というものはなくて、なんとなく、換気の良さそうな場所で、そしてあまり人目にはつかないところで吸う、というのが喫煙者の暗黙の了解だった。そのうち作るのでそれまではご協力くださいと、屍寸前の設計者に言われてしまっては頷くしかない。
 そういう訳で林藤は本部のひと気のない非常階段の小窓を開けて、一人煙草を吸っていた。建物内にある非常階段は、寒かったり建物の奥にあったりで、なかなか人が来ることはない。それに、階段ならばどの階にも繋がっているので、喫煙者には好まれる場所だった。
 ぷはあ、と煙を吐く。窓の向こうに行ききらなかったものがふわふわと上へと流れていく。静かだ、そう思った次の瞬間に、ギィ、と何処かで扉が開く音がした。かつん、かつん。降りて来る、音。
「あ」
見知った顔が、こんちは、と頭を下げた。
 静かな階段ではその音がわん、と響いて聞こえる。まるで、いつもと違う世界に迷い込んだような。こんなトリオン文化に触れている中でそんな感覚は今更かもしれなかったが。
「煙草、一本くださいよ」
その少年も、そういった一人なのかもしれなかった。
「諏訪。お前未成年だろ」
「未成年ですけど。未成年の時に吸うから煙草って良いんじゃないっすか」
「………お前、それ、忍田とかの前では言うなよ」
「言いませんよ」
オレだって相手選びますし。そう笑う少年は、確かに世渡りの上手そうな顔をしていた。しかたねえな、と一本渡す。
「あざっす」
ライターも受け取って、それからの手慣れた様子を見ながら、ああこれは常習犯だな、と思った。
 だけれども特に子供の教育に力を入れている訳ではない林藤が、真面目な学生時代を過ごしたとは言いがたい林藤が、少年に何を言うこともない。
「まずいっすね」
「まずいって思ってんのに吸うのかよ」
「そういう支部長だって吸ってんじゃないですか」
「バーカ、これはもう習慣だよ。中毒って名前のな」
ふうん、と少年は頷いた。そういうもんですか、と首を傾げる様がまだ子供だな、と思わせた。
「アンタの、」
「ん?」
子供の、発想というのは。
 時に、大人の予想を軽々と越えて行く。
「アンタのくちも、こんな味すんですかね」
「………は?」
危うく、煙草を落とすところだった。床も壁もトリオンで出来ているので、それが原因で火事になるなんてことはないだろうが。
「だから、アンタのくち」
「なんで俺の口の話になんの」
「オレがアンタとキスしてみたいって思ってるから?」
 ぱち、り。
 三秒。それだけかけてゆっくり一回まばたきをする。目の前の好奇心旺盛な少年は消えない。疲れすぎて見ている幻とか、そういうものではないらしい。
「やめとけやめとけ。灰皿とキスするよーなモンだって聞くぞ」
「うわ、そりゃ最悪だ」
「だろ。今ちょっと自分で言っててヘコんだわ」
どう返したら良いのか分からなくて、そんなことを口走った。あはは、と笑う少年に安心して煙草をくわえなおす。もう味も香りも分からない。思いの外動揺している。
「でも、それでもしてみたい―――って言ったら?」
ぐい、と顔が近付いた。嗅ぎ慣れた愛用の銘柄なはずなのに、まったく違うものみたいに。
「なあ、支部長」
 火がついたままの煙草がぽてり、と落ちる。
「悪いアソビ、教えてくれよ」



20141113

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ここにいるよ 太刀林

*原作軸より前
*林藤・風間は師弟関係

 太刀川慶はその日、むっすりとしていた。玉狛支部のリビングで、そこのソファーの真ん中にどすんと居座りながら。何かを察した宇佐美は陽太郎と雷神丸を連れて外へ出掛けたし、木崎は黙って買い出しに出掛けて、烏丸は心配そうにしながらもバイトに行った。迅はあらら、と呟いて引っ込んだと思ったら、技術者を連れて出て行った。小南は今日は用事があるとかで来ていないらしい。
 そういう訳で今、玉狛支部には太刀川と、この支部の主である林藤しかいない。
 定例会議を終えた林藤にくっついて玉狛支部までやって来た太刀川だったが、特に何か用事があるという訳でもなかった。派閥のことなど日常では殆ど気にしたことのない太刀川が、玉狛にいることがそう可笑しい訳でもなかったが、本部と玉狛は離れているため、こうして太刀川が玉狛に来ることは少ない。少ないというか殆どない。本部から人が書類等届けに来ることがない訳ではないが、戦闘以外には不真面目と言って良い太刀川がそんな仕事を引き受ける訳もなく。
 つらつらと並べたが、そういう訳で本当に太刀川は用事もなしに玉狛にいるのだった。
「あーあ、結局みんな追い出しちまって」
台所から林藤が顔を出す。その手に持たれたお盆には飲み物とお菓子が乗っていた。
「紅茶しかなかった」
あとお菓子は木崎の作りおきな。付け足された言葉に、またむっと眉が上がる。それを見た林藤はぱちり、と目を瞬(しばたた)かせてから、ああ、と頷いた。
 テーブルの上に全部きれいに並べてからぼすり、と太刀川の隣に座る。そして。
「あーもーおまえってほんとかわいーなー」
頭がぐりぐりと撫ぜられた。
「ちょっとりんどーさん。子供扱いやめてってば。おれもう二十だよ」
「わーってるよ」
「そのわりには撫でたりすんじゃん」
「おまえの頭触り心地いいし」
まるいしふわふわだし。
 その声がやさしくて、頭を抱え込まれたまま太刀川は言葉を失った。暫くされるがままでいる。
「りんどーさん」
「なに」
「これ、風間さんにもすんの」
「しねーよ」
蒼也はこういうの嫌がるだろ、と続けられる言葉にそうじゃない、と叫びそうになったのを堪えた。分かっていてこう言っている。この人はそういう人だ。
「忍田さんには」
「同期の男の頭撫でてもなぁ」
「沢村さん」
「セクハラになんだろ」
「じゃあ城戸さん」
「お前、それやろうって思う?」
「木崎さん」
「アイツ俺よりでかいしなー…手が届かない」
「とりまる」
「イケメンの髪型を崩すのはなー」
「こなみ」
「女の子の髪ぐしゃぐしゃにすんのもな…」
「宇佐美」
「同じくだ」
「陽太郎」
「オイ、子供くらいは良いだろ」
 最もな返しに息を吐く。
「…分かってる」
「分かってて今のかよ」
「分かってるのと納得してるのじゃ違うの」
分かってよ、と頬を膨らませれば、悪い悪い、と返された。全く悪いと思っていないような声で。実際何も悪くはないのだが。
「陽太郎にも、雷神丸にも、」
雷神丸にもか、とその頬が少し引きつったのが見えた。見えなかったふりで続ける。
「嫉妬する、って言ったら、笑う?」
どういう答えが返って来るのか、知っていた。
 それでも聞かずにはおれなかった、そんな自分は子供だろうか。



image song「Never ending journey」cocco
(おまえの、となりに)
20141113

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20200222