ばかみたいに生きるの 林迅

 抱き締めて、と縋ってくるその行動をそのままに受け入れたのは、特別驚いたような反応をしなくて済んだのは、日頃から迅悠一というのは子供であると自分に言い聞かせていたからかもしれない、と思う。それが分かっていたから迅も自分を選んだのかもしれない。
 誰に着いていくでも良かったはずだ。迅は、その才能をちゃんと使いこなすことが出来ていたのだから。出来ていなくともこの惨状の責任を迅一人に問うような大人は此処にはきっといなかっただろうが。
「ねえ、りんどうさん」
静かな声が言う。
 冬の朝の、凍った湖、みたいな。
「大丈夫だよ、希望はあるよ」
ぎゅっと縋り付いてくる子供は熱かった。生きている温度だった。
「林藤さんも、信じているでしょう」
「ああ」
 此処で終わるような組織ではなかった。それはきっと林藤の方が知っていた。幼子にせっつかれたからではない。林藤匠が立ち上がることを、迅は知っていたから甘えたのだ。
「これから忙しくなるぞ」
「うん」
「だからちゃんとメシ食って、ちゃんと寝ないとな」
「とか言ってすぐ徹夜するくせに」
「まあ大人の特権だし。出来るうちにしとかねえと。年食うと出来なくなるぜ」
「ええー」
笑みに熱が戻ってくる。
 氷は溶ける。
 春は来る。

 迅も林藤も、そのことをよく知っている。



ひかりってことばをきみがつかうからぜつぼうなんかしなくてすむね / 矢頭由衣

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 好きだ、と言ったあの時のぽかん、とした顔を今でも思い出せる。
「ええ、それって、えっと、ラブ?」
「そうだ、ラブだ」
「ええ、マジで」
「マジだ」
「オレ、馬鹿だけど」
「知ってる」
「多分、鈍かったりするけど」
「知ってる」
「―――お前以外の奴の話、」
 そこだけやけにまっすぐで、
「普通に、するけど」
「ああ。分かっている」
それだけは逆立ちしても忘れられそうにない。

お腹いっぱいの愛に飽きちゃって 奈良米

 宣言通り、恋人となった米屋陽介は奈良坂の前で他の人間の話を何の遠慮もなくした。覚悟はしていたし分かっていたのだから別にどうってことなかったはずだけれども、特にその中でも三輪の話をされる度に自分とは一体何なのだろうと思ってしまうのだ。三輪になりたい訳じゃあなかった、奈良坂は米屋と恋人になたかった。三輪はそうはなれないし、米屋だって三輪と恋人になりたい訳じゃあないだろう。ただ少し、友達の枠を越えいているかな、というだけであって。
 奈良坂は知っている。賢いので知っている。知っているから何も言わないし、時折まあその口を塞いだりはするけれども基本的には好きなように喋らせている。喋っている米屋はいつだって生き生きしているように見えたし(あくまで奈良坂の主観である)(惚れた弱みとも言う)、三輪を含めて奈良坂の知っている米屋は形成されているとも思っていたので、何も言うことはない。
 ない、はずなのに。
「コーラ買ってある」
「冷蔵庫入ってる?」
「入れるの忘れた」
「ええー。…ま、買ってもらっといて文句言わないけど」
キスもハグも出来る、セックスだって出来る。恋人として終わっていない。今だって胸がときめくし、惚れ直す瞬間が何度だってある。
 だから。
「大丈夫だ」
奈良坂は笑う。
「ぬるいコーラだってきっとうまい」



image song「アップルパイ」back number

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きれいな花束のための布石 菊時

 贅沢だなあ、と思う。思うので口に出す。すると時枝は何の話? とでも言うように首を傾げる。特に用事もない日の午後。商店街をぶらぶらと歩いている。
「おまえと一緒にいられること」
「そうなの」
「そうだよ」
「菊地原がそんなこと言うなんて意外」
「知ってる」
「自覚あるんだ」
「あるよ。意外だから記念日にする?」
「何記念日?」
「菊地原記念日?」
「それじゃあ誕生日みたい」
「まだ先だよ」
「知ってる」
 じゃあ、と手を引いてそのまま先に見えていた花屋へと向かう。これください、と言えば花屋のお姉さんは時枝のことを知っていたらしくちょっとテンションがあがっていた。時枝の頼みだから写真に一緒に写ってやって、そうして花屋をあとにする。
「はいこれ」
「オレにくれるの」
「あげるよ」
「オレのため?」
「自分のためだよ」
「菊地原のため?」
「うん」
多分店頭で一番きれいに見えたものを選べたと思う。ゆらゆら揺れる赤い花。嵐山隊の隊服の色みたいな。
「ま、ちょっとした先行投資みたいなものだけど」
「先行投資」
「外堀」
「それオレに言っていいの」
「知らない」
「てきとうだなあ」
「てきとうだよ」
 きれいな花は時枝の手の中で揺れていた。そういえば花の名前を聞くのを忘れたので、結局記念日の上に冠する名前は得られなかった。



花屋に行って「そのとき」のきれいな花を選ぶというのは、自分の美意識を刺激される行為だと実感します。パーティのためでも、誰かへのプレゼントでもない。週に二回くらいの頻度で花屋に行く暮らしは、たいそうな贅沢。

松浦弥太郎「雨の日は花を買う」

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あいしてくれたうそのざんがい 風間兄

 とても出来た兄だった、風間蒼也は自身の兄のことをそう表現する。それは過度に美化された思い出でも何でもなく、ただの事実だった、風間進はとても出来た兄であり、蒼也にとっても自慢の兄だった。文句のつけようのない、大好きで、尊敬の出来る兄。
「お前は風間の存在に囚われてるだけだよ」
言葉は暴力的ではなかった。じわじわと染み込んでくるような、怒りを伴うべきだったのに、ただそこに諦観のあるような。
「蒼也、お前は蒼也だ。だから、」
 兄の師匠である人が何を言いたかったのか分からない訳ではなかった、はずだった。だから蒼也は立ち上がった、立ち上がってボーダーに入り、自分で遠征部隊へとのし上がって世界を見た。それは羽化だった、今までの宗教を否定するような行いだった。上から塗りつぶして、それで終わり。そんなことをさせたくなかったのだろう、と今なら思う。
「ああ、でも、兄さん」
 聞いたことのない唄が聞こえる。
「それでも俺は貴方の弟で良かった」



舗装路(マカダム)のうへなるイコン踏みならす歌声とほく耳にしてをり / 中澤系

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さよならを繰り返して 迅三輪

 一瞬だよ、と迅は言った。だから何なんだ、と返したのだと思う。どれだけ秀次が覚えていようとも結局一瞬しかなくて、その一瞬ってもう過ぎ去ってしまったものなんだよね。だから何なんだときっと二度目を返して目が覚めた。ひどい悪夢だった。



絶望に音色はなくてなにもかも朝のレモンのように静かだ / 加藤治郎

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貴方を殺すは貴方しかいない 木林

 死んでみるものいいかもなあ。甘えたような声でいい年をした大人が言うものだから木崎レイジは笑うしか出来なかった。
「何で笑うの」
「貴方が馬鹿なことを言うからです」
死ぬつもりもないくせに、誰よりも最後まで残って全員の心を持っていく気のくせに。
「じゃあ殺してみる?」
 殺せないだろ、と言うその人の首に手を掛けて。



今日の日はさようならまたあう日まで午前零時のトリガーをひく / 北原未明

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かわいそうなりんご 三輪米

 三輪秀次が姉のことにこだわっているという事実を米屋陽介は知っている。事実だけを知っている。そこに理解はないし、今後一切そういうものはないだろう。けれども米屋は三輪のともだちのままだったし、隊員であったし、何かが起こらないと恐らくこの形は変わらない。
「お前は」
「ん?」
三輪が紙パックのジュースを折りたたみながら言う。
「俺が姉さんのことを忘れないことを、どう思う」
「どうって」
「どう思う」
「どうって…」
どうと言われても。何も、別に。
 でもきっと今求められているのはそういう言葉じゃない。米屋陽介は、ともだちである三輪秀次に、何か、答えを、提示して―――
「オレは…まあ、でも、秀次に付き合うよ」
曖昧に言うしか出来なかった。
「秀次の気が済むまで、気が済まないなら一生。秀次のいるとこにいるよ」
一緒に悲しめやしないけど、一緒に泣けやしないけど。そんなことを言ったら米屋のくせに、と言われた。
 紙パックのジュースは過剰に折りたたまれて、最早原型を残していなかった。



明日消えてゆく詩のように抱き合った非常階段から夏になる /千葉聡

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ララバイ日常 林迅

 明日は雨が降るよ、と言う子供の言葉を信じていない訳ではない。彼が雨が降ると言ったら雨が降るのだろうし、彼は視えたものを言っているだけなので別に彼の意志で雨が降ったり降らなかったりということはないのだ。
 林藤匠は迅悠一のことを信じている。それが彼という子供にとって残酷な選択だったのだとしても、それでも信じている。そう、信じているのだ。信じていないなんてことはない、けれどもそんなに日常で気に留めている訳でもない。受け身はやめろと言った彼の師匠が厳しすぎたのかどうか林藤には判別出来ないけれど、林藤は雨の予報を出されても手ぶらで出て行く。
「林藤さん、またコンビニ傘買ってきたの」
「良いだろ。透明だし。ウチ、結構人の出入り増えたし」
「まあ良いけどね」
その笑顔が年相応であれば良いと、きっと林藤は願っている。



コンビニで傘を買ふこのやすつぽい傘でふせげるものを愛して / 荻原裕幸

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守りたい 三輪米

 守ろう、なんてそんな高尚なことを思った訳ではなかった。米屋にとって三輪という同級生はとても強いものだったし自分なんかに守れるものではないと思っていた。三輪は自分を残すべきだと判断したら米屋に盾になれと命令が出来る隊長だったし、米屋もそれを聞き入れることが出来る隊員だった。だからその判断は三輪のもので、米屋には関与するものではない、けれど。
「ちょっとくらい休憩したっていいよなあ」
 音のない雨の中で、バス停のベンチで。米屋の肩を勝手に借りた三輪に、思うのは。



霧雨は世界にやさしい膜をはる 君のすがたは僕と似ている /嵯峨直樹

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過去は変えられない 三輪米

 ぜんぶうそだったらきっとよかったんだろうなあ、と米屋陽介は思うことがある。けれども流石の米屋にだってそれを言わないだけの良識は備わっている。三門に近界民が来なかったら、ボーダーが出来なかったら、米屋は何をしていたのだろう。決して交わらない運命を強制的に交わらせた、それくらいの大事件だったと思うけれど。
「何処かでどうせ会ってたような気もするんだよな」
「…課題は進んだのか」
「ごめんって秀次、すぐ進めるから」



「蹲る優しいピアノ発見せり」上がる嬌声と共にマネキン / ロボもうふ1ごう

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20180312