ライオン 林藤親子

 その日陽太郎が新しい服を着ていたのでレイジはにっこりと笑った。自分たちのボスが夜な夜な何かしているのを知っていたし、数週間前に裁縫の仕方を聞かれたのも覚えている。
「ライオンか。かっこいいな」
「かっこいいだろ!」
満足気な陽太郎の後ろから、のっそりと林藤が顔を出す。
「レイジ」
何やら深刻な顔だ。
「それ、やっぱりライオンに見えるか」
「ええ、立派なライオンじゃないですか」
「………猫なんだ」
「………猫なんですか」
どう見てもライオンである。それは陽太郎も同じらしく、レイジの言ったライオンを否定することはなかった。ライオンが嬉しいのだろう。恐らく林藤のことだからすぐに陽太郎にもライオンではないと言ったのだろうが、きっと陽太郎には聞こえていなかったに違いない。
 レイジに自慢してもまだ足りないらしい陽太郎は今度は談話室に向かった。林藤とレイジはそれについていく。今ならそこに烏丸がいることを覚えていたのだろう。
「とりまる!」
目的の人物を見つけてじゃーん、と服を見せた陽太郎に、烏丸も言いたいことを察したらしい。
「ライオンか。かっこいいな」
「京介、それは猫らしい」
「レイジさん、おれはこなみ先輩じゃないっすよ」
「いや、本当に猫らしい」
烏丸が目を瞬かせた。
「これが?」
声を潜める。
「ボスは猫のつもりらしい」
「はあ…」
 しかしながら勿論声を潜めたところですぐ近くにいる林藤には聞こえてしまっているので、その顔の深刻さが増しただけだった。

 その後玉狛第二の後輩たちも口を揃えてライオンと言い、一緒にやって来た宇佐美もライオンと言う中で、最後に帰って来た小南が猫でしょ? と言うまで林藤の調子が戻ることはなかった。

***

平凡で平和なぼくのせかい 三輪

 すきなことをしていいよ。
 かたちのわからない、けれども多分しろいものはそう言った。すきなこと、と三輪秀次は繰り返す。
「何かあるだろう? 勉強でも良い、恋愛でも良い、ああ、君は近界民を滅したいのだったかな? なんでも良いんだよ、何でも。だって此処は君の世界だ。何でも叶う。―――君の、姉さんを蘇らせることだって、出来る」
流石にそんなことは出来やしないだろう、と三輪秀次は首を振った。世界はそんな出来がよくないことを三輪秀次はもう知っている。誰か一人の力ではどうにもならないものが世界なのだと、三輪秀次は知っている。
 首を振った三輪秀次に、しろいものはふうん、と呟いた。
「でも、なにかあるだろう? 何か、何でもいいよ。何でもいいんだよ。何にもないなんて、そんなことないだろう? すきなこと。何でもしていいんだよ」
しろいものの言う通りだった。すきなことが何にもないなんて、そんなことはないと思う。しかし、こう面と向かって問われると、すぐさま出ては来ないのが三輪秀次だった。
 すきなこと、すきなこと。ふいに、陽射しがよみがえった。あつい、と叫ぶ米屋。陽介煩い、と言う奈良坂。でも本当に暑いですね、と笑う古寺。それを見渡して君たち元気ね、と笑う月見。
「アイス食べたい」
困ったようにそう言った三輪秀次を、多分しろいものはびっくりしたように多分みつめて、それから多分腹を抱えて笑い出した。へいぼんだね、と言われた。そうかもな、と返した。
 三輪秀次の中身は、どこまでも平凡だった。

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貴方の眞珠はかなしみのいろ 三輪米

 おえ、とその背中が震えたのを米屋は見ていて、一瞬こういう時どうしたら良いんだっけかな、と考えてからああそうだ、背中を擦れば良いんだ、と思いついた。
「秀次」
背中を擦りながら呼び掛けると、息も絶え絶えにきもちわるくないのか、と問われる。
「ええ、どうだろう」
びっくりの方がさきかな~。
 幼稚園児くらいのテンションでそう静かに返せば、それもそうだよな、と三輪は言った。
 三輪の足元にはしろくてまるいものが転がっていた。
「よくあるの、これ」
「いや、時々」
本当に、時々。三輪がとぎれとぎれに吐き出す言葉を耳で拾いながら米屋は頷く。
「そっか」
―――ああ、これは。
「他に知ってるひとは」
「いない」
「なら、おれたちの秘密だな」
 ともだちだもんな、と米屋が笑えば三輪は安心したように眉を下げた。



あなた。吐いた。眞珠。だれにもいはない。ともだちつてさういふことだから。 / 今橋愛

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未来というひかりに愛されし(果たしてそれは幸福だろうか) 迅三輪


 ひまわりが咲いていた。過去形だった。もう夏も終わるのだから当たり前だ、とボーダー本部からの帰り道、一人、三輪秀次はそんなことを思う。
 ひまわりには、ひまわりだったものには種がついていた。みっしりと並んだそれらは少し気色が悪い。この先の未来が約束されているようで、そういったものをうまく描けないままの三輪にはそれが相容れないものに感じるのだ。
「あ、ひまわり」
その刺すような居心地の悪いさを、更に加速させるような声が背後から聞こえる。
「………迅」
「秀次も種要る? うちは陽太郎が欲しいって言っててさー」
「別に要らない」
「そっか」
じゃあオレがもらっちゃうねー。
 幾つか、むしり取られていく、未来。
 それを見ていたら胸の辺りがざわついて、横から種を一粒奪うとその口に押し込んだ。
 読み逃していたのか迅は驚いたように目を見開いて、けれどもされるままに押し込まれて咀嚼して、飲み込んで。
「あはは、美味しくないね」
迅は笑った。
 それがいつものような笑顔で、無性に腹が立った。



向日葵の種は迷惑メールほどみっしりならぶ みなごろしだ / 加藤治郎

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それだけが約束 エネミラ

 「先に地獄でいい子にして待っててね、きっと私も遠からぬうちに行くでしょう」

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ネジと呪い 林・木・陽

 少しそこが他とは違った場所であることを今更木崎は否定はしないが、それでもその時、何かを言わないことは木崎には出来なかったのだ。
「おれが本当におかしくなっちゃったらお前がおれを殺すんだぞー」
幼子の頭を撫でる手はいつもどおりにあたたかい。だからこそ、木崎はそれが信じられない。そのやわらかな空気に似合わぬ言葉がこの空間に溶け込んでいる、そのことだけが。
「どうして、陽太郎に」
 ようやっと口に出来た言葉はそんなものだった。
「もし、本当にそういうことが起こるのならば、自分が、」
「お前は出来ねえよ」
声が遮る。棘はない、強制力もない。いつもの雑談と同じように、たばこの煙を吐き出すのと同じように吐き出された、言葉。
 笑っている。
 林藤は木崎を見て、微笑んでいる。
「お前は優しい子だからなあ」
陽太郎にしたのと同じように撫でてくるその手はやはり人間の手で、木崎はただ目を閉じて、確かにこの人の言うとおりだ、と思うしか出来ないのだ。

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いつか子供だったすべての俺たちへ 三輪・米屋・陽太郎

 玉狛支部というのはとても自由なところだ。独自のあれやこれやを使って近界遠征などをしているし、それは全く公にされていないけれども親戚という特別措置のおかげで米屋陽介はそれを知っている。それが玉狛支部のための特別措置ということは米屋もしっかり分かっているし、玉狛の活動は外部には基本秘密ということで通っているのでそれを米屋が外部に漏らすこともしない。なので今家にほぼほぼ押しかけてきた状態の三輪に米屋が陽太郎が此処にいる理由を伝えることはない。
「って訳だからまあウチで預かるのも当然じゃん?」
「何が〝って訳〟なのかは分からないが面倒だからお前の家にこの子供がいることについては追求しない」
本来ならば陽太郎も一緒に近界へとついていっているのが常だった。しかし今回は熱を出したということで、勿論トリオン体になればそれは解消されはするものの、やはり危ない、ということでほぼほぼ絶対に安全、と言い切れるまでに実は魔改造されている米屋家へと置いて行かれることになったのである。人の家なのに何してくれちゃってんのという文句は既に遠い昔に置いてきた。魔改造の一つや二つで助かる生命があるのならば安いもんである。費用はすべて向こう持ちなのだし。
 という訳で三輪は陽太郎が何故此処にいるのかについては突っ込まないことに決めたらしい。憎き玉狛所属と言えど所詮はお子様、しかも体調が悪いとなれば三輪とて腹を立てるようなことはないだろう。そもそも起きている時にこの二人が一緒にいるところなど見たことがないのではあったが、まあそれはそれである。
「静かだしこのまま此処で課題しよ」
「…良いのか」
「起きた時誰もいないと流石に不安だろうし」
大丈夫とは言うけどね、と付け足した言葉に三輪は思うところがあるようだった。そんな三輪を見ながら、いかにも秀次ってそういうこと言うタイプだよな、と思ったことは秘密にしておくことにする。
「課題は進んでいるのか」
「それなりに?」
「進んでないんだな」
「ちょっとは進んだって」
諦めたように鞄を漁る三輪に、米屋は笑って抗議の声を上げた。
 数学は教科書を見ても分からなかったところだけ教わって、丸つけは三輪に任せる。その間に米屋は分かるところだけで良いから進めておけと、英語の課題を広げていた。しゅる、しゅる、と三輪の持ってきた赤ペンの滑る音がする。その中に陽太郎の寝息だけが混ざっていく。
「子供だな」
丸つけをしていた三輪の手は止まらない。
「うん、そうだよ」
スペルを思い出そうと唸りながら米屋は言う。
「子供なんだよ。………子供だったんだよ」
「………そうだな」
それ以上の言葉は不要だった。
 今はそれ以上にはなれなかった。

***

アラームコントロール 三輪+米屋

 コンビニに寄った時のことだった。
「俺、動物とか好きなんだよね」
会計をしていた陽介がふいにそんなことを呟く。何だ急に、と思ってその視線を追うと、その先には募金箱があった。飼い主のいない犬や猫を保護している団体のものだと読み取れる。
「知っているが」
だからそう返した。そう返す以外に知らなかった。
 だって陽介が動物を好きだなんてこと、ずっと昔から知っていたのだから。
「でも、飼えないからさ」
「…おじさんとおばさんは動物嫌いだったのか?」
「そーじゃないよ」
「じゃあ、どうして? お前、飼育係もやってただろう」
「良く覚えてんね、秀次」
覚えているさ、と繰り返したのは胸の中でだけだった。学校の、うさぎたち。朝と放課後、当番のときはいつだって陽介の一番になれる彼らのことを、羨んでいたなんてきっとこいつは知らないだろう。
「行くんだろ」
 静かな声だった。
 行く、と。その先を言われなくても分かってる。
「そいだら、向こうで………ほら。なのに、俺の身勝手で動物の世話とか頼めねーだろ。親が言い出したならともかく、さ」
自分の遺品押し付ける訳にはいかねーじゃん、と続ける陽介に、何と返せば良いのか分からなかった。だからこういうのは偽善だろうけどさ、と陽介は財布の中の小銭をすべてその箱に入れる。
 何も知らない店員はありがとうございます、と笑っていた。それが正常なのは分かっていた。

***

ユーティリティ・ユーティリティ ほかあら

 荒船哲次は幼い頃、身体が弱かった。それはそれはとても弱かった。そんな荒船が生まれた家というのはそれなりに旧い考えを持つ家であり、そういう訳で幼い頃の荒船は女の子の格好をしていた。幼い頃というのは性別なんてものに疑問を持たないものであるし、自分が性別に合った格好をしていないことを不思議に思ったこともなかったし、周りも女の子の格好をしている荒船を女の子と疑わなかった。周りの大人は〝てつくん〟と呼んでいたのにも関わらず、だ。
 と、つらつら説明したが何を言いたいのかと言うと。
「まさか幼馴染の初恋を奪っちまうなんてなあ」
「煩い。返せ、俺の初恋」
あの頃はまだこんな妙な喋り方はしていなかったな、と思う。幼馴染である穂刈篤の初恋は、ものの見事に可愛らしい女の子の格好をした〝てつくん〟に奪われたのだった。
「返さん」
にやにやと笑みが溢れるのを抑えきれない。悔しそうに、じっとりとした視線を寄越す幼馴染を引き寄せる。
 「ずっと初恋のまま俺に恋してろよ」

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*捏造オンパレード

 それはきっといつか来るべきものだった。

夏の終わり エネミラ

 エネドラ、と与えられた名前が機能しなくなっていくのを見ていたミラは、その覚悟を誰よりもずっとはやくすることが出来ていたはずだった。ミラたちはすべてを与えられた子供だった。地位も力も、働く意味も生きる意味も、名前も、すべてを。だからミラは疑いなくそれに従うのであるし、エネドラ、と名を与えられた子供もまたそうだった。
 一度目は、名を与えられた時のことだった。其処では名前というのは卒業証書のようなもので、それまでは名もなき何かだった。ミラになる前のミラはエネドラになる前のエネドラを気に入っていたし、向こうもまた然りだった。
 何かでしかなかった二人は二人だけの秘密の名前を持っていた。その名前でいる時は互いは互いのものであると血を合わせて笑いあった。この国の古い契約の儀式の真似事だった。
 だから卒業証書代わりにすべてを与えられたミラとエネドラは、その日互いだった何かを殺した。そうして二度と互いを求めないと、今度は目と目だけで契った。だからミラは逆らわない。隊長であるハイレインの言うことは絶対的に正しいのだから。
 けれど。
「貴方は私に二度貴方を殺せと言うのね」



(罪なひと)

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20170323