ゆらめいた嘘 修出

*ちょっと未来

 初めて見たその場所は戦場で、それはもう仮想だろうがなんだろうが生死の境に立っている、そんな状況だったと言うのに。その瞬間を、胸にきらめくような憧れを、忘れたことなどなかった。
「出水先輩」
呼ぶと振り返るその人に、お待たせしました、と笑いかけた。
 あれから数年、彼も僕もまだ現役で、依然として世界は近界民と戦っていて。何か変わったようで何も変わらない、そんな日常を送っている。
 かくん、と視界で陽の光を集めたような金色が揺らめいた。
「おまえはさあ」
何ですか、と返す。こうした間延びした声を彼が出す時、それが甘えたい時だと、もうこの数年で分かってしまっている。
「変わらな、かったよな」
その言葉には首を傾げた。
「何がです?」
「俺への態度」
「態度、ですか…?」
何かしら変えるべきことがあっただろうか、と今度は首を捻った。なんだろうか、こういう所謂恋人という関係になったことについてだろうか。正直に示した疑問の態度に一つ息を吐いて、先輩は口を開く。
「お前は慣れてるだけかもしれなかったけど。あの、ほら、トリオン怪獣の女の子」
「千佳ですか」
そう、その子、と肯定と共に指が振られた。そういう細かな仕草が、妙に大人びて見えるのは縮まらない歳の差の所為なのかもしれない。
「俺のトリオン量知っても、すごいですね、ってそれだけでさ。羨むこととか、近界民に狙われンの憐れむこととか、なかったなって」
少しばかり伏せられた瞳に、思わず瞬(しばたた)いてしまった。そんなことか、と思う。思ってから、恐らく特別なことだったのだろうな、と思う。
 それじゃあ、と落とした言葉は彼にとって、きらめていただろうか。
「千佳は、僕たちのキューピッドですね」
 事実、千佳がいなければ僕はあの戦場にはいなかった訳だし、彼が指示に従って加勢に来るなんてこともなかった。それがなくても同じ組織に所属する以上、何処かで知り合っていたとは思うけれど、それでもあの時のきらめき以上のものを得られたとは、考えにくい。
 何か言いたげに、ゆるり、視線が上がった。いつ見ても真っ直ぐな、鋭い視線。上がったそれがゆるりと緩んで、それから。
「おまえのそばは居心地がいいンだよ」
「そうですか」
色素の薄い頭が肩に寄りかかってきたのを感じた。感じたので、目を閉じた。
 彼の今の言葉の中にひとつ、嘘があると。言われるまでもなく分かっていた。



mage song「僕のサイノウ」初音ミク(wowaka)


***

わたしをつれだして 修←出

*邂逅から五ヶ月後くらい先の話

 「おーい、メガネくん」
昼休み、教室の入り口からそう呼べば、既に見慣れた頭が慌てて上がった。
「出水先輩!」
「おーす」
片手を上げる。それに答えるように飛んできた可愛い後輩に、おれは小さく笑った。慌てる姿が可愛いなんて、とんだ先輩だとは思うけれども。その辺は勘弁して欲しい。
「今日って防衛任務入ってる?」
「え? いえ、入ってませんが…」
「そう。約束とかは?」
「放課後玉狛で空閑や千佳と約束してますけど…」
「ふむ」
頷く。そして、その手をがしっと掴むと、
「ちょっとサボらね?」
とびっきりの笑顔でそう言ってやった。

 そういう訳でやってきたのは、三門市の端にある、展望台。
「いやー生身で走るときついなー」
「そう…ゲホッ、そう、ですね…」
「メガネくんはもうちょい生身も鍛えた方が良いと思うぜ?」
幾らトリオン体と言えどもその感覚は元の身体による。そのことを知らないのかと思ってそう言ったら、分かってます…、と気まずそうに目を逸らされた。どうやら体力のつきにくい奴らしい、悪いことをした。
 そう思ったので悪い悪い、と頭を撫ぜる。
「…出水先輩って、僕のこと子供扱いしてませんか」
「ん? お? してねーと思うけど。でもメガネくんイマドキ珍しい真面目クンだからなー、あれこれ世話焼きたくなんのはあるよ」
真面目は美徳だけどさ、と頭を撫ぜ続ける。綺麗に揃った黒髪はさらさらとしていて、なんとなく家族にも愛されている子なんだろうな、と思った。きらきらと太陽の光に反射して、そこに輪があるかのように見える。
「悪いことしないとしれないこととかも、あんだろ」
 ほら、と指差した先には三門の街が広がっている。
「きれーだろ」
「…はい」
「おれは今日、これをメガネくんに見せたかったワケ」
 サーカスか何かの司会者になったみたいに、ばっと手を広げてみせた。笑え、笑え、そう頬の筋肉に命令を下す。にっと、笑みが彩られる。
「おれたちは、此処から出られないからさ」
 きっと、何が言いたいのか、この賢い後輩には一瞬で伝わったはずだ。ぼんやりとしていた瞳が、きゅっと引き締まってこちらへと返って来る。
 力のある者が得をするとは限らない。それをきっと、彼はいやというほど分かっている。誰も理解してくれない、そういう暗闇に生きる人間を、知っている。それがどれほど冷たいものか、居場所を奪われていく心地になるのか。
 メガネくん本人のことでもないのに、よく、分かっている。ぎりぎりぎりぎり、何か鋭利なもので胸の辺りに丁寧に、穴を開けられているような。あの冷たい感覚のことを。
 それが、すこし、羨ましい―――だ、なんて。
「そういうのが嫌になった時、思い出す風景とか、おれは欲しいと思ってるから」
そういう一切を悟られないようにもう一度笑ってみせる。口角を吊り上げれば、元々のつり目がそれを笑顔に見せてくれることをおれは知っている。この顔ともう十数年付き合ってきているのだ、あとすこし行きたら二十年にもなってしまうのだ。
 「…ぼくは、」
それを遮るように、ぎゅっと。指先から伝わる体温が、あまりにも暖かくて戸惑う。
「僕は、その…先輩や、千佳が、ここから出られないなんてこと、ないと思っています」
力がこもる。
「ボーダーに入るってことが、力を得られることで、でもそれと同時にいろんな制約とか、危険とか…そういうものが伴うって、分かってます。でも、でも、それでも…僕は、いつか、だめじゃなくなる日が来るって、信じてますから。
その時は、」
一緒に。
 顔を上げていられなくて、思わずしゃがみ込む。まだ掴まれたままの手も一緒に引っ張ってしまって、それで我に返ったらしいメガネくんは慌て出した。
「あっ、その、あの! えっと…えっと、でも、此処からの風景は、本当に綺麗だと思います。落ち込んだ時とか、自信がなくなりそうになった時、此処のことを思い出すだけで頑張れると思います。だから…ありがとうございました」
同じようにしゃがんだらしい。まだ顔は上げられないけれど、それくらいは分かる。
「出水先輩、」
「うん」
「本当に、ありがとうございます…すみません、なんか、生意気言ってしまって」
「ううん」
 どんどん声が申し訳なさそうになっていくのを放置するのはさすがに可哀想で、ゆっくりと顔をあげる。
「…こっちこそ、ありがとう」
おれは今、どんな顔をしているのだろうか。なんだか嫌に頬に力が入らなくて、情けない顔をしてそうで。
 だけれどもメガネくんがそれを見て少しだけ、照れたような顔をしていたのできっと、ちゃんと笑えていたのだ。



image song「虹」天野月子

***

朝を告げる声 出ハイ

*細かいこと考えない人向け

 朝だ、と緩やかな声で出水は瞼を震わせた。
「…アンタ、朝はやいんだな」
「寝てないからな」
ふふ、とその唇が小さく弧を描いて、それから出水は窓に目を向ける。まだ暗い、朝陽がもう少しで昇るとか、そういう暗さじゃあない。
「…何時」
「三時だ」
「夜中の?」
「朝の」
 意味のない問答。だが恐らく相手の目的だったであろう、出水の目を覚まさせること、は成功していた。仕方なく上体を起こす。
「アンタさぁ」
手を伸ばすと、その身体は簡単に出水の接触を許した。抵抗一つない、しない。このまま首へと手を伸ばせば、人ひとりくらい殺すだけの力は、出水だって持っているのに。何が彼をそうさせたのか、想像には難くないけれど。
「アンタこういうの慣れてんの」
「こういうの、とは」
「…そういう返しは慣れてるって自白してるよーなモンだろ」
 はだけたままの胸に触れていた指を、つう、とのぼらせていく。鎖骨を通り、首を、喉を通過して、頬をなぞって下眼瞼を経由して耳、そこからその後ろの、それへ。
「…きれーだよな」
「そうか?」
そういう感想は抱いたことがなかった。なんでもないことのようにそう吐いた唇がいやに胸をざわつかせる。
「それに、それを言うなら―――」
何を言おうとしたのか、その先は分からない。衝動に任せただけのそれは押し付けるとかそういった表現の方が正しいように思えた。
「…子供だな」
馬鹿にしたような色はなかった。
「可愛い、子供の悪戯だ」
話は終わりだと言わんばかりのその顔に、また、胸がざわりと騒ぎ立てる。
 布団を引っ張りあげてきれいにくるまったその背中に、押し当てた掌の熱さなど、きっと彼は分かっていないのだ。分かろうともしない、必要ないと言って、切り捨ててしまう。そう生きてきたから、それを免罪符に。
 それは。
 かなしいことでは、ないのか。
 「うそつき」
もう片方の掌も押し付けて、そのまま額も寄せる。ああまるで、祈るような仕草だな、とそう思った。思ったら、今の自分たちの滑稽さに、涙が出た。



image song「劔」天野月子

***

寝苦しい夜には安眠のおまじないをください ほかあら

*二人が幼馴染
*倒置法発覚前

 じわり、と汗が滲んでいくのが分かる。豆球だけがついた部屋、もう夏も終わりだからとクーラーを切ったのは早計だった気がした。
「荒船」
ごろり、と寝返りを打って隣の人間の名を呼ぶ。 暗い中でもその目が開いて、真っ直ぐに天井を見上げているのが分かった。起きている、それは今までの経験からも知っている。小さい頃からずっとそうなのだ。荒船は眠る時は必ず、目を瞑って顔を隠すようにする。それ以外の時は大抵、起きている。
 なのに、返事はない。
「荒船ってば」
聞こえなかったのかと、今度はもう少し声を大きくしてみた。それでも反応はない。苛立って、並んだ布団に散らされた足を蹴り飛ばすと、その倍の力で蹴り返された。
 痛みに悶絶しながら唇を噛む。
「…テツ」
そう呼べば、違うだろ、とばかりに横目で見られた。
 望むものはもう分かった。けれどもそれをしてやるには少しばかり羞恥心がある。それでも呼ばないという選択肢は、穂刈の中にはない。
「………てっちゃん」
「なんだ」
最初からそう呼べ、とその幼馴染は偉そうに、やっと返事をしてこちらを向いた。ため息を吐く。
「お前さぁ、なんでコレじゃないと返事しねえの」
「お前が意味分からん意地はって呼び方変えようとするからだろ」
「高校生にもなっててっちゃんとか呼ばれてえのかよ」
「お前だからな」
笑って、手が伸ばされた。するり、と顎の辺りから頬のラインをたどって耳へと辿りつく指。
「で、何の用だったんだよ」
「…べつに」
「そのうちその素直じゃねえとこも改善されたらなあ」
指に力が込められて、そのまま引き寄せられる。
 触れた唇は、やたらと乾燥していた。

***

私が嫌いな私の事を、好きになったりなんかしないで。 風迅

 迅悠一は自分のことが嫌いだった。自分のサイドエフェクトが、とか、このウジウジしている性格が、とか、人をおちょくるのに長けた口が、とか、いろいろと言うことは出来たけれども、総括して迅悠一という人間のことが嫌いだった。
 だから、仲間であり先輩である風間蒼也がそんな迅悠一のことを好きだと言った時、何よりも先に来た感情はありえない≠ナあった。そしてそれは口を継いで出た。その言葉をどうやら風間が違うように取ったらしいので、弁明のために迅は長いこと抱えていたその想いを吐露することとなった。
 自分が自分を嫌いである理由を、一つひとつ丁寧に語っていく。その時間の地獄たるや。どうして生きているのか、そう自問するのと大差ない。このまま灰になれるのならなって風に乗って消えてしまいたい。
 そんなふうに思いながらすべて語り終えると、目の前で黙って聞いていた風間がようやっと口を開いた。
「お前は馬鹿だな」
「な、」
「いや、阿呆か」
「はぁ!?」
長々と聞いておいて第一声がそれか、と流石の迅も口をぽかん、と開けた。馬鹿ってなんだ、阿呆ってなんだ。自分のことは嫌いでも、正直自分がどれくらいの頭脳を持っているかはそこそこ理解しているはずだった。大学には通っていないが、それでも暗躍が趣味だと言えるくらいの策を練る力はある。
 そう訴えてみると、風間は大きくため息を吐いた。嫌がらせかと思うほどに大きく、はっきりとしたため息だった。これはため息だぞ、と黒と黄色のテープでも貼られている気分だ。
「それなら、俺が一つずつ、好きなところを教えてやろう」
七竈のような瞳がじっと、迅を見据えていた。
 真っ赤で、真っ赤で、底のない。いつまでたっても燃えてくれない、そんな色。
「お前は黙ってそれを聞きながら、ゆっくり好きになっていけば良い」
吸い込まれそうな近さでそんなことを言われたら、どうにもこれは逃げられそうにもないと、そんな諦めにも似た揺れが胸にうちに沸いた。沸いてしまったので、仕方なく、分かったよ、とだけ返しておいた。



一人遊び。
http://wordgame.ame-zaiku.com/

***

その瞳に僕はいない 冬←当

 好きな人がいる。
 好きな人には好きな人がいる。それはおれではない。よく分かっている。長い黒髪の似合う大人しそうで、筋肉なんかついていなくてふわふわしていて、戦いなんてものには無縁で。そんな人を。おれの好きな人は愛している。そして、その人もまた、おれの好きな人を愛している。今更誰に言われてなくても、その指に指輪が光ることがなくても、時々見かける二人の姿だけでおれは敵わないと知ってしまっている。
「なぁ、冬島サン」
「あんだよ、勇」
「アンタって結婚しねえの」
いんだろ、彼女。と続けてやれば、その頬が若干赤くなったのが分かった。ばかだのなんだの、子供に心配されるほど落ちぶれちゃいないだの、あたふたとその場しのぎの言葉を探す姿がなんだかとても可愛らしくて、それでもう充分な気がした。
 冬島サン、ともう一度呼ぶ。その声がどれだけ優しいものなのか、この人にバレなければ良い。狡い策略を考えるのが得意な癖して、あれこれ狡くなることもなく、彼女一筋真っ直ぐなこの人に、バレなければ、良い。
「アンタが結婚する時、おれにスピーチさせてよ。あの新郎友人代表みたいなやつ。優秀な部下って、おれのこと紹介してよ」
「お前何喋る気だよ」
「べっつに。ふつうのこと。どんだけおれの中で冬島慎次が格好良いかって、そんな男をゲット出来た嫁さんは幸せだって、力説してやるから」
「まー…それなら…」
でもそんなんはまだ先の話だ、と伸びてきた手がぐしゃぐしゃと整えた髪を崩していった。
 好きな人がいる。
 好きな人には好きな人がいる。それはおれではないし、それが変わることは恐らくない。このまま幸せいっぱいの道を、好きな人は進んでいく。それは幸せなことだ、自分に言い聞かせる。いつか、それがおれの中での真実になるように。
 ただ、何度でも。



夢見月
http://aoineko.soragoto.net/title/top.html

***

明日はきっと、いいてんき。 風迅

 カァ、と夕方の鳴き声が聞こえた。かえろう、かえろう、そう言い合うようにひびく唄が少しうらやましい。
 やさしい、音だったな、と迅は思う。たった三文字なのに、其処に風間の全身全霊が乗っているようで、彼そのものであるようで、とても簡潔で短いことばなのに、こんなにも胸に染みわたる。
―――すきだ。
それを聞いて、どれだけ幸せなきもちになったことだろう。その言葉を、どれほど待ち望んでいただろう。
 息を、吸う。
「風間さんがおれのこと愛してくれるって、わかってるんだ」
傲慢に聞こえるかな、と思った。上から目線だ、自惚れが過ぎると、怒られるかもしれない。特に、風間などは真面目な人間だから。人の気持ちであれこれと、優劣をつけるのは好きではないだろう。けれども迅には他の言葉は選べなかった。
 分かってる。
 分かってるのだ、痛いほどに。言葉にされれば胸が張り裂けそうに幸福感で満たされるほど、分かっている。
「わかってるけど、それでもおれはそれを受け入れちゃいけない」
そう、それに頷くことは出来ない。
 眼前に広がるのはがらくたのような街。怪獣ものでもこんなにはならないと、笑ったのは誰だったろうか。画面の中よりも現実の方がひどいなんて笑えてしまう。
 でも、迅はこの街で生きてるのだ。
「見えてる限り、おれはおれを捧げなくちゃいけない」
こんなサイドエフェクトなど、持たなければ良かった。誰かの死が見える度にそう思っても、それで変わったより良い未来を体感する度に、泣きそうなほど安心した。フィクションよりひどい現実で、蜘蛛の糸のような希望に縋り続ける。
「それは、お前が勝手に思っているだけだろう?」
この手を。
 この手を伸ばせば、きっと簡単に引き上げてくれる。それが分かっている。それでも、迅は風間に手を伸ばすことはしない。たすけてと、あいしてと、希うことはしない。
「そうだよ」
笑えたと思う。だって、今までになく穏やかなきもちだった。
 ただの自己満足だ、偽善だ、自己欺瞞だ。何度も自問自答した、苦しくて吐いたこともある。
「でも風間さんは、分かってくれるでしょ」
それでもどうして逃げることを、しなかったのか。
「…お前は狡いな」
ふっと、風間が笑みを漏らした。
「へへ、照れるな」
「褒めてない」
 まだ空は赤をひいていた。かえろうと唄う声は遠くなっていた。
「きれいだね」
何の変哲もない夕日にそう声を上げると、隣で風間が頷いたのが分かった。



たどりつくことのたやすい永遠に地雷のようなものを埋める / 笹井宏之

***

私、死んでも良いわ。 風太刀

 「ねーねー風間さん、月蝕みた? すごかったね」
突然夜中に電話が鳴ったから何事かと思えば。とりあえず心の中でだけ風間はため息を吐いた。電話口でため息を聞かせるのはちょっと、と思えるくらいには風間は電話の向こうの人間よりかは気遣いが出来る。
「見た。すごかったな」
「ねー」
何も感想を共有するためだけに電話して来た訳ではないだろう。月蝕の仕組みを聞こうとでもしたのか、それとも何か月にかこつけて喋りたいだけか。
「あ、そうそう。電話したのはね、風間さんなら月蝕がなんで起こるのかとか知ってそうだなーって思ったからなんだけどね」
どうやら前者だったらしい。
 一息入れてから、風間は馬鹿にでも分かるように月蝕の仕組みの説明を始めた。小学生、もしくは幼稚園児にも伝わるレベルを心掛けないと相手には伝わらない。
そんな人間と良く話す所為で、風間の対子供の説明スキルは上がるばかりだ。
もし何かあってボーダーがなくなり何か別の職につかざるを得なくなったら、
恐らく保育士を目指すことだろう。ちなみにググレカスと返さないのは風間の優しさである。ググレカスって何? おいしいの? と返されかねないという危惧も勿論あるのだが。
 長々と説明した甲斐あって、その馬鹿にもなんとか月蝕の仕組みは通じたらしい。ふうん、すごいね、月ってすごいね、とまるで子供のような感想を繰り返す電話の向こうに、笑みを漏らす。こういうところは、正直可愛らしいと思う。ばかな子ほど可愛いというやつだ。昔の人は良い言葉を残しているものだ。
「ねーねー風間さん」
少しだけ、その声の質が変わったような気がした。
「………月が、きれいですね」
 ああ、なるほど。風間は一人頷く。何処で覚えてきたのか知らないが、そんな文学的表現を投げかけて来るようになるなんて。少し、目頭が熱くなる。ああ、年を重ねると涙腺が弱くなって駄目だ。
 口を、開く。
 一生懸命賢くなろうとするばかに、返す答えは一つだけなのである。



「風間さん死んじゃだめだよ!? やだやだおれ寂しい!!」
馬鹿に文学表現はまだ早かったらしいので勢いのまま電源を落とした。

ask

***

帰る家のある人 諏訪堤♀

*つつみ♀:堤陸(つつみりく)
*諏訪が他の女性と結婚してる

 優しい人じゃない。何か突出して良いところがある訳でもない。イケメンでもない。頭も良くない。
「髪伸ばしたらいーのに」
笑うその人の指にはいつだって指輪が光っている。それくらいの気もきかせられないようなばかな人。でもきっとそんな人がずっと好きでたまらない私はもっとばかだ。
 この髪を伸ばしても私は女になれない。堤陸という、あの人の幼馴染でしかない。それを分かっているのに、ああどうして、私は希望を捨てられないのだろう。あさましい、頑張っていればいつかはカミサマが、なんて小さい子供だって思わない。
 いや、希望とはまた違うのかもしれなかった。だって私は、彼が奥さんと別れないのを知っている。私とは違うきれいな長い黒髪をして、私とは違う肉付きの良い女らしい身体をして、私とは違う表情筋豊かな頬で、私とは違う、私とは違う。勝てるとは思っていなかった、そもそも勝負の土俵にすら立てていないと思っていた。
 けれどその人は私とセックスをする。時折ふらりとやって来ては、自分の家のように入り浸り、勝手に棚のものをあさってテレビをつける。シャワーを使って、ベッドで寝て、寝ようとした私の貧相な身体を好き勝手する。
 これが正しいことだなんて思わない。希望もない。
 なのにまるで決められたように毎日、朝になれば朝食を二人分作って、一人の時は淋しさをピアノにぶつけて、煙草の害に良い食べ物を聞いたら買いに行って。
 どうせ、捨てるだけなのに。
「つつみ」
いつだって下の名前を呼ばないその人に、きっと私は永遠に恋をし続けるのだろう。



image song「愛妻家の朝食」椎名林檎

***

交渉決裂 唐林

 ぷわ、と白い煙が狭い部屋の中へと広がっていく。この瞬間が林藤はそれなりに好きだ。これを見るためだけに煙草を吸っていると言っても過言ではない。
 そんなふうにして煙を眺めていると、キィ、と喫煙室の扉が開いた。おや、と言ったのは見知った顔。
「林藤支部長」
「唐沢さんじゃないですか」
休憩ですか、と問うとええ、と返って来る。
「林藤支部長はどうして本部に?」
「書類持って来たんですよ。俺じゃないきゃ出来ないやつで、細かい修正もあるから城戸さんが待ってろって」
あの人割りと人使い荒いですよね、と笑えば、それだけ林藤支部長の能力を買っているということでしょう、と返された。
 営業部長という職業柄か、唐沢はこうして人をフォローするのに長けている、と思う。背広から煙草を一本取り出した唐沢は、あ、と声を上げる。
「火を分けてもらえませんか?」
ライターを忘れてしまって、と笑う唐沢に、いーですよ、と笑顔で応じた。この人でもライターを忘れるなんてことがあるのだな、と少し、親近感を感じる。お願いします、とくわえられた煙草の先に、自分のくわえる煙草の先を近付けた。
 次の瞬間、煙草を支えていた方の手首を掴まれた。その反動で煙草が落ちる。ご丁寧にその火を足で踏みつけて消してくれたのだから、その動作だけでもこれが衝動だとかそういうものではないと分かる。
 ばっと手で払うようにして距離を取れば、触れていただけのそれはいとも簡単に解けた。
「………いーごしゅみで」
「お褒めに預かり光栄です」
にこにこと笑ったその顔に、反省などは見て取れない。
「せっかく褒めていただけましたし、続き、なんて如何ですか?」
「そーやって誰彼構わずひっかけてんですか? もう若くないんですから自重したらどうです?」
「いやですね、誰彼構わずなんてことはないですよ」
そんなに私、節操なしに見えますかね、との呟きには何も返さず、新しい煙草を取り出した。さっきのはまだ半分以上残っていたのに、勿体ない。
 先ほどの残骸は唐沢が拾って灰皿に入れていた。
「今度は私が火を分けましょうか?」
「いーえ、俺はライター持ってますんで」
先ほども火を分けるなんてしないで、ライターを渡せば良かったのだ。火を分ける、という単語に乗せられてしまった。そう思いながら使い捨てのライターで火を付けると、まぁいいでしょう、と微笑まれる。
「私、諦めの悪い方だとよく言われますから」
思わず半眼になった。
「………まじかよ」
「まじです」
「頼むから冗談だって言ってくれ…」
上を向いて煙を吐く。
 ぷわ、と白い煙が狭い部屋の中へと広がっていった。

***

20150806 編集