きおくのはなし 





20150116

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「鈴暮さん、たすけて」 



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このあとめちゃくちゃなかれた 




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プログレス・プログレス 

 この状態を予測出来ていなかったと言えば嘘になる。
 新しく組むことになった隊の、初顔合わせの日。メンバーにトリオン量がピカイチと言われる榎木がいたことを黙っていたのは、当日までのお楽しみにしておけば喜んだ顔が見られるかもと思ったのと、そんな鈴暮を久しぶりにみてみたいな、なんて思ったからだった。元々この人は曖昧でぼんやりとしているのがデフォルトで、喜怒哀楽といったものがはっきりしていなくて、それは結婚したからと言って別段変わる訳でもなくて。だけどやっぱり時々はそういうふうに表情が変わる様を見てみたいな、なんて思うのはきっと可笑しいことではないと思う。
 そういう訳で、迎えた顔合わせの日。結果から言ってしまえば、それは端束の予想を大きく上回ることとなる。
 まさか。
 まさか、あの鈴暮が。実験やり放題と言っても過言ではない被験体が目の前にいたからと言って、自分からコミュニケーションをとろうと試みるなど。流石に予想外過ぎる。
 予想外過ぎたものの、結果はお察しの通りである。今まで真面にコミュニケーションをとったことなどないであろう鈴暮と、知らない人間というだけでまるっと一様に怖がる榎木である。大惨事だ。事実、隊長である虎二と最年長である妻鹿はあたふたと二人の間に割って入ってなだめてすかして何とか平穏に落ち着けようとしていた。出来る訳などなかったのだが。ちなみに、その時端束が何をやっていたかというと、ただぼんやりと鈴暮を眺めながら、わたわたする彼女はレアだなぁ、なんて思っていただけである。
 そういう訳で隊長と最年長二人の努力があって、完璧に平穏、ではないものの(そもそもあの、しか発声していないのに号泣されたし号泣したのだ)(そしてその後に会話はないのである)(気まずさとかそういうものがメーターぶっちぎっているどころの話じゃない)、それなりになあなあに顔合わせは幕を閉じた。そもそも集合時間が遅かったこともあり、そのまま解散になったのである。
 トリオンで出来た通路に人影はない。かつん、かつん、と足音が響くその空間で、やけに繋いだ手の冷たさが気になった。こんなに冷たい手をしていたかな、と端束は思う。もしかして、今日のことを気にしているのだろうか。
「鈴暮さん」
呼びかけて足を止めると、ゆっくりとぼんやりした眸がこちらを向く。そうやって考えてみれば、いつもよりも口数が少ないのにも説明がつく。
「なぁに、端束くん」
「ねえもしかしてさ、榎木さんのこと気にしてる?」
 そう言った瞬間、面白いように視線が泳いだ。
「気にしてるんだ」
「…流石に。泣かせてしまったから」
あれは別にどちらが悪いとかではなくただ単に相性の問題だったと思うのだが、圧倒的に対人経験の少ない鈴暮にしてみれば自分が悪いように感じても可笑しくはない。
「端束くん」
きゅっと。少し、ほんの少しだけその指先に力が込められる。
「どうしたら―――いいかな」
 どうしたら。
 鈴暮が何を言ったのか、数秒理解出来ずにいた。どうしたら、って、何を。
「よくわからないけれど…今日、私、なんだかとてもかなしかったの」
「そう、なんだ」
「うん。そうなの」
いつもと同じような平坦な表情で、けれども確かに彼女の言うように悲しみのような色が若干浮かんでいて。とくり、胸の鳴る音を聞く。
「私は、榎木さんにわるいことをしてしまったのかなあ」
「うーん…それは難しいところだと思うけど。鈴暮さんがそう思うのなら、ごめんねって言ってみたら良いんじゃないかな」
「ごめんね?」
「そう。悪いことしちゃったかな、って思った時は謝ったら良いんだよ。それでうまくいかない時も勿論あるけど」
「そう、か」
「そうだよ」
難しい顔をしている彼女に笑いかけて、それからまた歩みを再開する。
「今日のお夕飯何にする?」
「ご飯は炊いてあるよ」
「じゃあ親子丼にしよっか」
「うん」
するすると引かれるようについてくるのが愛おしい反面、少し、不安も齎した。
 その不安が明確に形を持った時、それは嫉妬になるのだろうなあ、なんて。そんなことは夕飯を楽しみにすることで掻き消した。



20150116

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あめのひのひみつ 

 「鈴暮さんはさ、」
言葉が飛び出たのは別に沈黙が煩わしかったからではない。この隊を組んでからというもの、その役職のこともあってこうして二人、同じ空間で作戦書を眺めるのも初めてのことではないし、珍しいことでもない。
「もしも、もしもだけどさ、端束さんが死んじゃったらどうするの」
ぼんやりとした瞳がこちらに焦点を定める。それがまるで値踏みしてるみたいで少し、落ち着かない。きっと彼女にそんな意図はないのだろうけれど。
「大丈夫ですよ」
 強がりには聞こえなかった。
「端束くんは先に死なないって、約束してくれましたから」
約束如きでひとが死ななくなるなら、皆が皆約束するだろう。目がじわり、と細まったのを感じた。そういうことじゃあないのは分かっている。けれども誤魔化されているような、そんな言い方であるのは事実で、それがなんだか仲間はずれにでもされているようで。
「でも、まぁ」
少しばかり唇の端が弛んで、ああ笑ったのかと一秒遅れて気付く。
「そのときはそのときです、とでも言っておきましょうか。実験予測でもないのにまだ起きてもいないことをあれこれ考えるのは、疲れるのであまり好きじゃあありません」
 あと、と言葉が続く。
「隊長がそんな弱音を吐くなんて頂けないと思いますよ」
ですからこれは二人の秘密にしましょう、端束くんには言っちゃだめですよ。
 そうやってまた資料の束に視線を落とした彼女に、なんだか盛大にため息を吐きたかった。



「…ところで隊長ですよね?」
「残念でした妻鹿です」
「先週三件はしごした挙句泥酔して警察のお世話になって始末書書いた妻鹿さんでしたか。それは失礼しました」
「すみません嘘です、隊長であってますっていうかおれその話知らないんですけど」
「あっこれ内緒の話でした」
「棒読み!?」



20150116

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その証明など当の本人が知っていれば充分なのです 

 昔から人間関係で困ったことはなかった。
 なんて言うと誤解を招きそうだが、別段困るほどの期待をしていなかったのと、周りが賢い人間ばかりであったのが幸いしただけの話だ。幸福にもお粗末とは言えないであろう頭脳のおかげで、そういうものの恩恵を受けたがる一定層を転々として、そうやって生きてきた。付かず離れず、来る者拒まず去る者追わず。そんな感じで。
 そういう訳なので誰かの極端な感情に触れることなく生きてきたし、それで良いと思っていた。
 それが変えられたのは一人の少年と出会ってからだった。一つ上だと言う彼が一体いつから自分のことを認識していたのかは分からない。けれども人の顔と名前を一致させることがこの上なく苦手な自分の性質を凌駕するほどに、毎日毎日飽きもせず話し掛けてくれた彼に何処か揺さぶられたのは事実だった。正直、恒例になっていた彼の自己紹介が始まる前に、端束くん、と名前を呼べたあの瞬間のことは忘れられそうにもない。彼もひどく驚いた顔をしていたが、こちらだってとてもとても驚いたのだから。
 良く言われる。
 付き合おうか、と言われたことに頷いたことも、婚姻届にサインをしたことも。あまりに軽率すぎやしないか、お前のそれは恋や愛などではなく、ただ卵から孵った雛が一番先に見たものに付いていくような、そんなただの学習なのではないか。貴方のことを心配している、だから考えてみてほしい、そんな曖昧な理由で提示される、使い古された常套句。
「鈴暮さん」
呼びかけられて、思考から浮上する。
「端束くん。もう、模擬戦は良いの」
「うん、ぶった斬りまくったらラウンジがお葬式みたいになっちゃって。流石に引き上げることにした」
「そっか。お疲れ様」
「ありがと」
すっと差し出される手。見上げると彼はにこにこと笑っていて、まるで、それが当たり前みたいに。
「かえろ」
「うん」
その手をとる。
 繋がったところから、とくん、と音が聞こえたような気がした。唇の端がつり上がる。
 学習、なんて。
 隣の彼はその細かな表情の変化に気付いたらしい。
「鈴暮さん、なんか良いことあった?」
いつもすごいな、と思う。
「ううん、ちょっとした思い出し笑い」
「えっなになに。何思い出してたの」
「それはひみつ」
「えー」
 昔の人も言っている。馬に蹴られたくなければ首を突っ込むべきではないのだ。

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One Step Slash Gokuri 

 昔から人間関係で困ったことはなかった。困るほどに労力を費やしてこなかった、とも言い換えられる。そんな中一人の少年と出会って少しずつ変わり始めていた世界を、またひとつ、変えていくであろう光が見えたのはとある夏のことだった。
 みんみん蝉が鳴き始めた、そんな本格的な夏が訪れた頃の話。世界を変えた少年の誘いの先で出会った、夢のような光。
「あ、のっ」
自分の口からそんな言葉が漏れ出たことは非常に驚きだった。
―――それだけしか言っていないのに号泣されたことも勿論驚きだった。
「ごめんねって言ってみたら良いんじゃないかな」
彼はそう言って、優しく笑ってはくれたけれど。
 がしゃん、自動販売機から青い缶が転がり出てくる。誰もいない休憩室に、机に缶を置く音が大きく響いて聞こえた。
「あー…」
それがなんだか虚しくなって、通常よりは少しばかり大きなその缶を覆い隠すようにして顔を伏せる。冷たい側面が頬にあたって、それがまた自分の頬の冷たさを強調しているようだった。
 きらわれたくない、なぁ。
 なんて。
「そんなこと、はじめて、おもった」
描かれた檸檬の絵の上を、結露して出来た水滴が滑っていった。

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I can not bring more than me 

 肩を震わせる頭をラウンジの隅で見つける。別段珍しいものでもないので、その人に話しかける人間はいない。
「榎木さん」
声を掛けてからとんとん、肩を叩くとくぐもった返事が返ってきた。
 慣れた手付きになった、そう思う。
 最初は何を話しても泣かれていたのに、これは目覚ましい進歩だと思う。
「鈴暮、さん」
こちらを見上げた大きな瞳からまたぼろり、涙が溢れ出た。すごいな、と純粋にそう思う。たとえばもし今の榎木と同じような境遇に立たされることがあったとしても、きっとこんな反応は出来ない。
 何事にも大した感情を抱けない私は、涙を流すまでに 辿り着けない。
「隊長が探してましたよ」
行きましょう、と手を差し出す。こくりとその細い首が縦に振られ、おずおずと手が取られる。
 涙を拭うこともしてやれないことが、こんなに歯がゆいものだとは今まで、知らなかった。



「震わせる」「涙」「慣れた手付きで」
https://shindanmaker.com/a/253710

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君のことをまだまだ知っていきたいのです 

 すーずくれさんっ。
 まただ、と思った。後ろからしたテンションの高い声に振り返る。またこの人だ、飽きもせず。呆れに似たような感情が湧き上がる。どぎつい紫の髪、すみれ色の瞳、同じ色。毎日、とはいかずとも本部にいる日はいつだって。他愛のない話と自己紹介、自分が覚えられていないことについてなんとも思っていないような顔で、ただ話せることが嬉しいと言ったような顔で、この人は話しかけてくる。犬みたいだな、なんて思ったこともあった。もしも本当に犬だったら尻尾が千切れんばかりに振れているのだろう。何がそんなに楽しいのか。犬と違うところと言えば飛びついて来たりしないところ、だろうか。そのチャラチャラとした外見とは裏腹に、どうにも紳士的な人のようだった。
 そこまで思ってはっとする。
 また=H
 ぺらぺらとどうでも良い話を囀るこの声も最近は心地よく感じるようになってきた。最近=B繰り返す。顔を上げた先でやさしいすみれ色がにこにこと話を続けていた。不思議そうな顔でもしていたのかその声が止んで、それからああ、と呟いた。
「あ、ごめんね。今日は自己紹介がまだだった。おれは―――」
「端束くん」
 すべての音が、消え去ったような気がした。
「…紫端束くん」
「はい」
至極真面目な顔で神妙に返事をしてみせる彼に笑みが溢れる。最初端束さんと呼んだらやめてくれと言われたんだったな、と思い出した。一つ年上の彼だが、その頃はこちらの方が年上なのだと思っていたらしい。年齢が発覚してから呼び方を直そうかと言ってみたが、そのままでいいよ、と言われてその言葉に甘えていたのだ。くん、という響きがなんだか近くなったみたいで好きなのだ、そうも言っていた。
 覚えている。
 それがどれほどすごいことなのか、この目の前の神妙にしつつも今にも叫びたい、叫んで自慢して回りたい、みたいな顔をした人は分かっているのだろうか。分かっているのだろう、だからこんな顔をしてみせるのだ。手を伸ばす。そういうえばこうして触れることもなかったな、と思った。きっと避けてくれたのだろう、殆ど知らないような男に触れられるなんて、とか、そういう。細やかな気遣いの、出来る人だから。
 こんなにたくさん知ったのだな、と思った。それと同時にこれは表面的なものでしかないのだとも思う。
「端束くん」
「なんでしょう」
「あのね、」
 まるで内緒の頼み事をする時のように、口に手を添えて。髪に隠れた耳へと唇を寄せた。



image song「ふたりごと」RADWIMPS

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午前三時のテレ・テレ・コール 

 てん、てん、と。ゆるい蛇口から水滴の落ちる音がしている。何度目かの大規模侵攻で戦場となったこの家は、大きな被害こそ受けなかったものの何処か可笑しくなってしまったらしく、水道なんかがその代表例だった。
 真夜中だ。クーラーをつけていてもむしっとした空気を掻き消すことが出来ない、そんな夜。共に暮らしている叔父は本部に当直、双子の兄は夜間防衛、そうなってしまうとこの何処か可笑しくなってしまった家の中、虎二は一人ということになる。
 別に、気にしている訳ではないのだと思う。布団に入って目を閉じて、ゆるい水道の音が耳につくのは自分の境遇を呪っている訳ではない。この小さな家が歪んでいるように、決して真っ直ぐとは言えない人生だとは思うが、それを恨むようには育てられなかった。其処は愛情を目一杯に注いでくれた母と、そして叔父に感謝こそすれど文句を言う筋合いはない。
 けれども既に布団に入ってから三時間以上が経っていることを考えると、何かしら胸につかえるものがあるのは間違いなさそうだった。認めたくなくてもそれはどうしようもない事実のようだった。はぁ、と息を吐いて起き上がる。てん、てん、と煩い水道に近寄ると、力いっぱいに蛇口を捻る。
 だばばば、とステンレスを打つ音を聞きながら、其処にそのまま顔を寄せる。特別田舎でも都会でもない三門の水は少しだけカルキ臭く、けれどもそれ以外の水道水の味を知らない虎二からしたら美味いのか不味いのかもよく分からなかった。ごくり、と鳴った喉の音に満足して、口の中に残っていた分は吐き出してしまう。強く、蛇口を今度は逆に捻る。てん、てん、という音はしなかった。しかしこれは気休めだ、どれだけ力強く閉めようとも、またすぐに緩んできてあの規則的な音が始まる。
 排水口に飲まれていく水を眺めていたら、奥の部屋で携帯が鳴るのが聞こえた。こんな時間に連絡をしてくる非常識な人間を、虎二は一人しか知らない。
 思った通り、部屋に戻って見た携帯の画面には、見慣れた名前が表示されていた。メールらしい。開いてみると、明日の任務の集合時間を問うもの。盛大なため息を吐いて、返信の代わりに番号を呼び出す。
「アンタ、なんでこんな時間まで起きてるんですか。明日、集合七時ですよ」
 ワンコールで取り除かれた胸に巣食うもののことなんて、虎二だけが知っていれば良い話なのだ。



真夜中の台所にて真水飲む酔いを溶かして残る「さみしい」 / 森まとり

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20190311