うまく声が出ない もう慣れたはずだった。何度も何度も同じような状況に置かれて、というかそもそも、戦場ではもっと生命と生命のやりとりをしているというのに。こんな、ただのゲームで。何を恐れる必要があるというのか。騙り騙られて勝利を勝ち取る、必要なのはそれ、だけ。本当に生命を賭けている訳でもない。それに、本当に嫌なのなら気分がのらないと、断ることだって出来るはずなのに。 静かな目が、獣の目がこちらを向いていた。静かにその唇を這う舌はきっと、計算されたものだ。一人にだけ―――にっかり青江にだけ、見えるように計算されたもの。 露見した事実を必死で組み立てる。この場で必要なのは声ではない。論理で武装をする、それが生き残るのに一番必要なこと。 それを分かっている、のに。 どうしてか凍る喉が、ひどく恐ろしかった。論理が砂の城のように崩れていくことよりも、ずっと恐ろしかった。 * お題bot https://twitter.com/tokinagare *** 在ったかもしれないけれど、無かった世界線。 たとえばさ、と言ってみる。僕がこんな面白い名前ではなくてそうだね、例えば×××とか言う名前で、君も×××とかの名前でさ、刀剣のことなんか知らないで戦のことなんか知らないで、それで生きているんだ。君は高校に通っていて、僕は中卒の画家で、ある日ひょんなことで出会うんだよ。そうだなぁ、僕が画材をひっくり返してしまって、君がそれを拾うのを手伝ってくれるとかいう、そういう他愛のない日常で。僕たちはすれ違って出会うんだ。君は僕が自分より幼いこと、その日は創立記念日か何かで他の学校は休みじゃなかったことで、同じ学校かなって思うんだけど、僕はほら、中卒な訳だから、学校なんか行ってない訳で。そんな話から君は僕に興味を持ち始めるんだろうね。でもきっとその時はまだ名前を知らないんだ。それで僕の絵を知らないまま君は何かの絵を見て、偶然会った僕にその絵がどれだけ素晴らしかったか伝えるんだ。彩り豊かな、けれども飾り立てない真摯な言葉で。聞いてる僕はあまりのことに赤面してその場に座り込んでしまうんだけれどね、君はそれが何故かわからないんだよね。そう、その絵は僕が書いたものだったんだよ、でも君は僕の名前を知らないから、まさか本人を褒めているとは思ってもいないんだ。僕はもう嬉しいけれど恥ずかしい方が勝ってしまって、てきとうに話を流そうとするんだけれど、君はほら、敏いから。すぐに気付いてしまうんだよね。僕の名前を呼んで、呼んで、沈黙が肯定になったところで破顔して、僕を抱き締めるんだよ。あの絵に描かれていた心を向けてはくれないかってさ、僕はもう、君に向けての心を描いたあとだったっていうのにね。まったく、幸せすぎてわらっちゃうよねえ。 「それは、」 蜻蛉切はうつらうつらしている隣の彼の髪を撫ぜる。 「夢のはなし、ですかな?」 にっかり青江はぼんやりとした目線のまま曖昧に頷いて、そうかもね、と笑った。 * 一人遊び。 http://wordgame.ame-zaiku.com/ とんぼ先生とにっかりちゃんは『高校生』×『画家』がオススメです http://shindanmaker.com/71319 *** だってこれは真昼に見るゆめ 雷が鳴ってなかったらきっと、流されてしまっていたでしょうな。その言葉に曖昧に笑うだけにとどめたのは、その通りだったからだ。だってここはまるで優しい空間で、にっかり青江はその中にただようものたちに名前をつけたくなかった。ずっと眠りまなこのまま、いたかったのだから。 * 確かに恋だった http://85.xmbs.jp/utis/ *** 気づかないフリをしているのも残酷で、ほんとうはきみの口から聞きたかったんだ。なんてふと思う。 駆け引きなんてものが自分に出来るとは思わないが、結局のところそういう話になってしまったのだと思う。結果論、というやつだ。その思いの流れがどこにあろうと、結局行動を起こしたのは蜻蛉切の方で、にっかり青江はただそれを甘受するだけだったのだから。 それでもひどいことをしているなんて思えないのは、きっと此処がしあわせすぎるからだ。 * honey. http://d51.decoo.jp/diary/x7xodai *** 君の中に残れるならば憎しみだってなんだっていい もし、もしも。彼が僕のことをなんとももう、思っていなかったら―――半年も待たせたのだ、忘れている可能性さえある。あの時の彼はあまりに自然で、彼の言葉通り何一つ変わらなかった。 だから、もし、もしも。彼の中の恋が消えてしまっていたら。もう手段は厭わないつもりだった。 * お題bot https://twitter.com/Redsky_odaibot *** 水のように溢れる言葉 *佐竹さん「身内切り」へのお返し 自分の中で言葉が激流のようになって何も収集がついてない自覚はあった。あれはそういうゲームで、狂人を巻き込んでのパワープレイというものが許可されているのか分からない状況で、ああした蜻蛉切の判断が正しいことは、もちろんにっかり青江にだって分かる。遠征や夜戦のこともあって、なかなかゲームには参加出来ず、この間やっと三十戦に到達したようなものだけど、それでも三十、この言葉の戦場を乗り越えて来たのだ。勝ちも負けもあったけれど、彼の言った内容に納得は出来る。 狂人も、村人。 本当にそれを忘れていて、彼が仲間だなんて安心していたのは月の下、その暗さが眠る前を思い出させたからだろうか。彼の、腕の中に。 いるような、錯覚を。 ゲームが終わって部屋に戻る道すがら、後ろから声を掛けられた。それになに、と反応するより先に強い力で横の部屋に引きずり込まれ、抱き締められる。こういうことも慣れてしまった。こういうことをするのは、出来るのは、彼しかいないから。この安心がいつか、戦場で自らの生命を蝕むような結果にならなければ良いけれど。否、刀剣の付喪神である自分たちに、そう死などあってたまるか、とも思う。 「とんぼくん」 惜しげも無く贈られる賞賛の言葉に、胸に渦巻いていたものが少しずつ、言葉になっていく。安心させるようににっかり青江を撫ぜる大きな手が、うん、うん、と一つひとつ、文章にもなりきらない言葉を拾ってくれる。 ―――僕は君に手綱を引いていてもらいたかった。 それだけは口にしないけれど。あまりにそれは思考停止で、彼の願いを真っ向から潰すようなものだから。 一つ、ひとつ。激流から拾い上げた言葉たちがゆっくりと、彼へと渡っていく。力を抜いて、その大きな身体にもたれかかる。 冷たいひとだな、と思った。途方も無い量の水を受け止めているのに、彼は一向に熱くならない。にっかり青江の方が熱いくらいだ。人の身の感覚をふしぎに思いながら、そのまま言葉を吐き続ける。瞼が、下がっていくのを感じる。 冷たいひとだな、と思った。その冷たさがとても、きもちよかった。 * 神威 http://alkanost.web.fc2.com/odai.html 改変元:http://jinrou.uhyohyo.net/room/22696 *** 血の上に生きるもの 話に、聞いただけだった。 というのもその頃まだにっかり青江はまだ第二部隊の部隊長を務めていて、その場には居合わせていなかったのだから。第三勢力が現れた、政府からの伝令係を務める狐の式神はそう言ったらしい。力を持たれても困るから、倒せと―――実に簡素な指令だったと、聞いている。 問題は、その検非違使と呼ばれる第三勢力が、それまで機能していた第一部隊とはこの上なく相性が悪かったこと、だろうか。強い敵のいるところへと出陣するのだから、と主が持たせていたお守りがなかったらどうなっていたか。当時の第一部隊の誰かが、そんなことを言うのを聞いていた。 そのお守りが必要な状況になったのが、蜻蛉切、だった。 主はその報告を聞いて部隊の再編成を行った。そしてにっかり青江はその索敵能力を買われて第一部隊に昇格し、蜻蛉切は本丸での指南・指導等、全刀剣の統括を命じられた。…と言えば聞こえは良いが、暗にお前を使っていられない、という主の意向である。それが戦力外通告ではないことが、彼にとっての救いだったのだろうか、とにっかり青江は勝手に思っていた。 にっかり青江たちは刀剣だ、刀剣の付喪神だ。勿論その来歴等で変わりはするが、戦で使われる道具である自負を持つものは少なくない。それが名のある武功を立てた経歴のあるものであれば尚の事。 ―――彼は、戦場が恋しくないのだろうか。 にっかり青江がその頃彼について思ったことは、それくらいだった。 にっかり青江は戦場が好きだった、あの血の匂いが、訳もなく自身を奮い立たせるあの感覚が、生きるべき場所に戻ってきたという、まるで人間のような感覚が、とても好きだった。だからかもしれない、彼が時折不憫に思えた。こんなところで、と思うのは主に失礼だったかもしれなかったが。 刀剣を、しかもあんなに鋭い切れ味の彼を、戦場から離してしまうなんて。なんて勿体無い。検非違使たちが落ち着き、その次ににっかり青江の部隊があてられた夜の京都での戦も落ち着き。遠征へと出ることが多くなった頃にはそのことは忘れていたけれど。 「………え?」 遠征先で、式神が飛んできた時は驚いた。 「ですから、只今城内に歴史修正主義者が侵入して来ております」 「何故」 「それは恐らく彼らを撃退してから考えることでしょう」 「被害は」 「何体か傷を負っている状況ではありますが、そうひどくはありません。こちらの部隊が帰還する頃には終結していることと思います」 わたくしのこれもただ状況連絡であり、救援要請ではありません、と狐の形をした式神が言うのを、にっかり青江はぼんやりと聞いていた。 頭に浮かぶのは、一人のことだけだった。 彼は、あの城から出ることをしない。だから、きっと、迎撃に加わっている。それは。 嫌な予感がして、資材集めをしていた面々を急いで呼び戻すと、式神を掴んでそのまま帰路を辿った。隊長なのだから、顔に出さないように。そう思っていつものように笑ってみせたけれど、上手く笑えていたかどうかは分からなかった。 戻った城では確かに式神の言った通り、既に戦いは終わっていた。手の空いているもので片付けをしている中にその姿が見当たらないのを確認して、誰に聞くこともなくその場を離れる。 ―――同じだと、思っていた。 それは彼を知るよりも前のことだ。 あの、夜のゲームを通して。にっかり青江は蜻蛉切のことを前よりも知ることになった。彼は、にっかり青江と同じ、ではない。同じかもしれないけれど、決定的に、違うところがある。 「…とんぼくん」 大きな音を立てて開けた障子の向こうに、驚いた顔が見えた。 白い布団は別に、手入れ部屋のものとて他の部屋に支給されているものと変わらない。変わらないのに、やけにその白さが目について、そして、その部屋全体に立ち込める鉄の匂いに眩暈がするかと思った。こんなのは嗅ぎ慣れているはずなのに。 「にっかり殿、お疲れ様です」 上体を起こす彼はいつもと同じように笑う。 「遠征はどうでしたかな?」 「…怪我、したの」 今はにっかり青江の遠征のことなどどうでも良いだろう、と思った。本丸が襲撃されて、こんな部屋にいて、にっかり青江だって此処にお世話になったことがない訳ではなかったけれど、それでも。 今、は。 「え、ええ。不覚をとりました。やはり手合わせをしていても感覚というものは鈍るものですな。敵を数体逃してしまいました」 ―――ちがう、ちがう、そんな言葉が聞きたいんじゃない。 唇を噛む。 「ああ、もし良ければ今度、にっかり殿とも手合わせを―――」 言葉は最後まで聞けなかった。にっかり青江の投げつけたものが、その顔面へと飛んでいったのだから。それを流石というか受け止めて、蜻蛉切はにっかり青江を見つめる。大きく、息を吸う。 「…うん、手合わせね。覚えておくよ」 「お願い致します」 そのまま、踵を返した。 此処にいたら要らないことを言ってしまいそうだった。 ―――そんな君を見て、僕がどんな気持ちだったと思うの。 先ほど彼に投げつけたのは手伝い札だった。霊力の篭った札で、よく遠征先や合戦場で拾うことがある。あれがあれば、さっさとあんな部屋からは出て来るだろう。 ―――君が、折れて、しまうんじゃないか、って。 話には聞いていた。どんな無茶をしたのか。当時彼と同じ部隊に所属していた加州清光は、今はにっかり青江と同じ部隊にいるから、世間話として。 立ち止まる。 全身にはしる震えは、当分止まりそうになかった。その震えがどんな感情から来るのか、今一体にっかり青江はどんな感情を抱いているのか、それはよく分からなかった。 * きみの絶望が希望と手をつないで戻ってくることを きみの記憶と地球の円周を決定的にえらぶことを 夜の眠りのまえにきみはまだ知らない /清岡卓行「氷った焔」 *** 甘党至上主義 最近は遠征に出ることが多くなって、その先で店に寄ることも多くなって。暇であろう彼にいろいろと土産を買っていくのが毎回の習慣となっていた。あの城が窮屈だとは言わないが。 それでも其処から出られない―――否、出ようと思えば出られるのだからそれは出ない、なのかもしれなかったけれど。一つのところで愛され続けることの素晴らしさというのは、にっかり青江がよく知っている。そうやって此処まで来たのが、にっかり青江という刀剣なのだから。 でも、やはり、遠征から帰って来て彼のおかえりを聞く度に、やるせない思いがせり上がるのだ。 それをどうにかしようとして、始めたのが彼への手土産だった。幸いにも此処では刀剣男士たちにも給料というものは支払われる。それを自分のために使う面々は勿論いたけれども、にっかり青江は自分のために何かを買う、というのはあまり考えられなかった。 どうせ、使い道のない金だ。そう思っていつも真剣に選ぶのは自然と甘味になった。一緒に食べようと思って、そんなふうに彼の部屋に立ち入る理由をいつだって探している。 理由がなければ、追い払われるような、気がしている。そんなこと、今まで一度もなかったのだけれども。 そういうふうにして今回土産として買ったのはクリーム大福とやらだった。実際には遠征先で買ったのではなく、その帰りにおつかいを頼まれた万屋で買ったものだったのだが。大福の中にクリームと餡子の入っているそれはにっかり青江の興味を引いた。いちごが入っているものは知っていたけれども、クリームとは。人間というのは面白いことを考える。 以前、クリームを使った菓子を持っていった時、彼が物珍しそうにしていたのを覚えていた。今回は目新しさはないだろうが、それでもその時それなりに気に入ったように見えた、から。 そういうにっかり青江の策略は上手くいったようで、彼は喜んでにっかり青江を部屋へと引き入れた。勿論、彼がにっかり青江がやってきた時に不機嫌そうにしていることなど、一度たりともなかったのだけれど。 「クリーム大福っていうんだって」 「くりーむ大福」 「中にね、クリームがはいってるんだ。いちご大福みたいに」 「ほう」 「君、前クリームに興味示していたでしょう」 「覚えておいででしたか」 思考に肯定を返されると楽になれる。本当に肯定かどうか、にっかり青江に判別はつかなくても。 「ではいただきます」 「はい、どうぞ」 あーん、と。その口が控えめに開けられて、クリーム大福がぱくりと一口、噛み切られるのを見つめている。 「どうかな?」 「美味しいです」 「それはよかった」 笑ってから自分の分を食べようとして、ふと気付いた。 彼の、唇の端。 はみ出たらしいクリームの白がやけに、目について。 気付いたら身を乗り出していた。 「にっかり殿?」 「ん、ちょっとじっとしててくれる?」 ぐっと顔を近付ける。彼は、動かない。 クリームの白色だけに意識を集中させて、 「ん」 舌を、伸ばす。 「うん、取れたよ」 「………言ってくだされば自分でやりましたよ」 「僕クリーム好きだし」 「…そうですか」 彼はそれ以上追求しなかった。にっかり青江は自分の分にかぶりつくのを、今度は彼が眺めていた。 にっかり青江は甘いものが好き。クリームは中でもいっとうすき。 そういうことにしておいて欲しかった。 * 2.唇を舐める https://twitter.com/gimpthshs/status/600254700038983680 *** 貴方を際立たせる体感温度 目の前でずべしゃ、と彼に似合わぬ音がして思わずおやおやと声を上げてしまった。そのことで一連をまるっと見られていたことに気付いたのだろう、芸術的な着地をした彼が気まずそうな顔をした。 同じ部隊に今所属している彼はいつもしっかりしていて、他の兄弟と違って短刀によくある子供らしい部分というのがあまり、見受けられない。だからこそ、この場面は珍しかった。珍しかったので、そのまま庭へ降りて行って手を差し伸べる。 「大丈夫かい?」 薬研くん―――とその名を呼ぶと、頼むからこのことは内密に、と言われた。 「別に、秘密にするのは良いけれどねえ」 それ、と指差す。転ぶことに慣れていないのか、膝小僧から脛にかけて盛大に傷が出来上がっていた。戦場ではあんなに身軽に動いてみせるのに、本当に珍しい。 「手入れ部屋は要らないにしても、消毒とかはした方が良いと思うよ」 「そうだな。こっそりやっておく」 「君、傷の手当ても自分でやる気?」 「そうだが?」 まったく、と思って手を伸ばした。薬研藤四郎はどうやら何をされるかとんと見当もつかないらしい。 その腰を両手で掴み上げると、そのまま抱き上げた。思いもよらない事態だったらしく、ぎょっとしたように細い腕が首に縋り付いてくる。 「ちょ、青江! 下ろしてくれ!」 「君下ろしたら自分で手当てするんだろう?」 「だめなのか?」 「だめじゃないけど、目の前であんなに盛大に転ばれて、僕がほっとけると思う?」 というか放っといてみてよ、バレたら多方面から怒られるよ、と続ければバレなきゃいいだろ、と返って来る。それはそうなのだけれども。 にっかり青江はこの短刀に対して、少し、心配とまではいかないが―――そういう感情を抱いている。それは彼の兄弟が多いからかもしれなかったけれど。 「はいはい、君も甘えるくらいしても良いと思うよ」 「甘えるったってなぁ」 「どうせ内緒なんだから、甘えておきなよ」 あんまりそういう機会ないでしょう、と続ければにっかり青江が彼を下ろす気がないのだと諦めたらしい。ため息が吐かれる。 「…蜻蛉切の旦那に殺されそうだ」 「なんでそこでとんぼくん?」 純粋に首を傾げてみればあの人も大変だな、と呟かれた。一体何の話か分からなかったけれど、今は傷の手当てが先だ。 歩き出すと、するり、と首に縋り付いていた腕が組み直された。 「アンタ、あったかいんだな」 頭が首筋に埋まっているのは、顔を見られないようにするためか。 「あったかいというか、熱い」 「うん、子供体温ってやつらしいよ」 「もっと、冷たいんだと思ってた」 「良く言われる」 腕の中の短刀は熱くも冷たくもなかった。だから余計に冷たく感じたあの夜の感触が、蘇ってくるような気がした。 *** それが幸福という名ではなくとも たとえばさあ、とにっかり青江は言う。 「この戦いが終わったあとに僕らがこの身体を失くしてそのあとがあるのなら、」 小雨の音がやたらと煩く聞こえた。耳の中でざわざわと、そのまま脳まで掻き乱していくような。 「それは幸せなことなのかなぁ」 その答えが〈さぁ〉というものであるのを知っていながら問わずにはいられなかったのは、一瞬のうちに巻き起こったヴィジョンがあまりにも幸せそうに見えてしまったからに他ならないのだ。 * ネクタイにかかりし雨には溶けているかすかなぼくらの未来の記憶 / 正岡豊 *** 20150716 |