氷の焔 ねえとんぼくん、と呼びかける。このひとはひどいひとだ、そんなことはもう、にっかり青江にだって分かっている。恋は盲目だと人間は言ったが、確かににっかり青江にとってもそうだったが、いつまでも盲目ではいられない。だって此処は戦場なのだから。 「なんですかな」 「手を、貸してくれない?」 彼は断らない。それをにっかり青江は知っていて、努めていつもと同じ表情であるようにして言う。 「―――いいですよ」 一瞬の逡巡の間に彼が何を思ったのか、にっかり青江に計り知ることは出来ない。差し出された手を、ぎゅっと、まるで幼子のような力で握る。 冷たいはずの手から、熱が流れこんでくるような気がした。 こういうところがひどいのだと、もう言われずとも分かっていた。 * 悪戯に熱を持たせる残り香はいつまでも濃く、酷い貴方だ / 小箱 *** 翌朝めちゃくちゃ怒られた とんぼくん、と囁けば数秒後、なんですか、と返ってくる。それが赦された領域の証明のようで、にっかり青江はくすくす笑う。 「おなかすいた」 蜻蛉切の同室の御手杵は、今日はいなかった。その理由を問うほどにっかり青江は野暮じゃあない。この部屋には二人きり。相手が起きているとなれば、声を潜める必要もない。 「…今から食べるのは、あまり健康によくないでしょう」 暗闇の中でも蜻蛉切が眉を顰めたのがわかった。 「そうかもしれないけど」 「それに今から作るとなると物音で他のものが起きる可能性があります」 「カップ麺でいいから」 「ことがばれれば歌仙殿に怒られますぞ」 誰よりも多く厨房に立つ歌仙兼定は、カップラーメンの類を嫌う。誰かが真夜中に食べたとバレれば拳骨が降ってくるかもしれない。それは、にっかり青江にも分かっている。 分かっているが、空腹を訴える腹には抗えない。 「………誰の所為でおなかすいてると思ってるの」 手を伸ばして、その首筋へと縋り付き耳元で呟く。 「自分の所為ですか?」 「君の所為だけとは、言わないけれど…」 ねえ、と精一杯に出したのは一応甘えた声のつもりだった。 「一緒に怒られてよ」 「………仕方ありませんな」 「やったー」 * (歌仙さんに) *** Moon side satsui 真夜中にふと目が覚めた。真夜中だと分かったのは、ちょうど部屋に差し込む月の光のおかげだった。 今日は満月だと誰かが言っていた。明るい月の光は傾いて差し込んでも、真っ暗な中では充分な光源になる。それが照らしているのは、隣で静かに―――まるで死んでいるように眠っている蜻蛉切だった。目を凝らしてみればその胸が規則正しく上下しているのが確認出来るし、静かながらに呼吸も聞こえる。そもそも人間でないものに死んでいる、だなんて表現、可笑しいかもしれなかったが、そう思ってしまったのだから仕方ない。 近くに寄ってみるとその身体の冷たさがよく分かる。同じ、人の身を持っているはずなのに、どうしてこうも温度差が出るのだろう。 蜻蛉切は起きないようだった。いつもはこうしてにっかり青江が目を覚ませば、何かしら反応があるものだが。珍しいな、と思って上体を起こす。彼は蟄居している身ではあるが、だからと言ってやることがない訳ではない。日々の家事等はやはり、戦とは違った意味で大変なことなのだろう。そんなことを静かな、まるで死んでいるような寝顔を見ながら思っていると、ざわり、と胸が鳴った。 この寝顔を知っているものがいる。 それは当たり前のことだった。彼は御手杵と同室であるし、此処でしか眠らない、なんてことだって無いだろう。遠征に出たら野宿だってある。分かっていた、はずだったのに、どうしてかそう思った瞬間落ち着かない気分になってくる。御手杵は勿論、御手杵と一緒に眠ることもある同田貫正国だってきっと、見たことがないとは言わないだろう。 ―――どうして。 その疑問の矛先を確認するよりも先に手が伸びて、彼の鼻を摘んだ。 「むがっ」 思いの外間抜けな声があがって、ばっとその瞼が押し上げられる。 「に、っかり殿?」 「うん」 「何事、か起きましたか」 「ううん」 どうして彼を起こしたのか、どうして彼の寝顔を知っているものがいることに胸がざわついたのか、その答えはもうどうしてかどうでも良くなっていた。彼の瞳が、にっかり青江を映している。この暗がりで、にっかり青江だけを。 それを思ったら、そんな些細なこと、追求するに値しないと思った。 「なんでもないよ」 おやすみ、と言ったらおやすみなさい、と返される。 いつもと大して変わらない、夜のことだった。 * image song「左耳」クリープハイプ *** あなたの心の動かしがたい諦念を私はこの手でこわしたい たとえば、それが彼の刀剣であるだとか道具であるだとか、そういう矜持を粉々に砕くものだとして。 「それでも僕が望むなんて言ったら君は失望するかな」 そうであってほしい、なんて願う。 こんな、人間でもないのに人間の真似事をしている。そんな平和を愛する資格なんて、にっかり青江にはないのだから。 * 銀色夏生 *** 僕らの明日には何が映る? 夜が来ると安心している自分に気付いて、随分毒されたものだな、と笑ったことがある。あれはゲームの中でだけのことで、実際には人狼なんてものはいなくて。ただにっかり青江たちは主の命じるままに、敵≠ニ称されたものを斬って、ただ、それだけ。 なのに、どうしてこんなに胸がざわつくのだろう。明日の朝を迎えられないかもしれないなんて、そんなことを思うのだろう。もっといろんなことを、しなくてはいけないことを、しなければならないはずなのに。 そんな焦燥を。 「眠れないのですかな?」 いつもの声が降ってくる。 「…うん、ちょっと、なんか」 そわそわして、とは続けられなかった。そんなことは分かっているとばかりに、背中に回された手がとんとん、と落ち着かせるように動く。いつもの、こと。いつもどおりに冷たい手が、にっかり青江の背中から熱を奪っていく。 「眠れそう、ですかな」 「…うん、たぶん」 ぐるぐると答えのない回路、頭の中にあるそれは急激に冷やされて、なんだかとても、明日でも大丈夫だという気分にさせられた。 「…とんぼくん」 「何でしょう」 「………なんでもないよ」 僕のこと、噛まないでね―――なんて。 現実では言う必要がなかったし、そもそもにっかり青江にそんなことを言うだけの資格は、まだないのだ。 * 喉元にカッター http://nodokiri.xria.biz/?guid=on *** 幽冥の轍(てつ) *ヘブンリーブルー前 たんっ。とその扉が開けられて眩しさに目を細めると、逆光でも分かるくらいに呆れた顔をしてみせた蜻蛉切が立っていた。見当たらないと思ったら、と彼はため息を吐く。 「…何をしているので?」 「反省会」 鶴丸くんに此処なら落ち着けるよって言われてさ、とにっかり青江は笑う。 「さっきのさー、もっとこう、やりようがあったんじゃないかって考え始めたら、何だか…」 「それならば待っていてくだされば」 いつもと違う時間に行った例のゲーム。時間が違うだけなのに、いつもとは参戦面子も変わってそれ故に処理が増えたのか、責任者である蜻蛉切はあれこれと他の刀剣の世話に追われていた。その隙間を縫って抜け出してきたというのに、何を言うのか。 いつもと参戦面子が変われば、今まで通ってきた作戦が通らなくなる。そんな当たり前のことを、戦場では当たり前だったことをゲームでつきつけられて、言うなれば軽い自己嫌悪に陥っていたのだ。そんな情けない姿を見せるのは、流石に抵抗があった。 「………じゃあ」 が、見られてしまっては仕方ない。じとり、と見上げる。 「一緒にいてよ」 たんたん、と叩くのは自分の入っている押入れの床。 「入ってきて」 「しかし」 「いいから」 「狭いでしょう」 「それが良いんじゃない?」 暫く蜻蛉切は考えるようににっかり青江を見下ろして、それから分かりました、とその身体を押入れへと押し込んだ。 また閉められる扉。 暗い世界。 ぎゅうぎゅうになった空間で、はは、とにっかり青江は笑った。 「………君は本当に冷たいね」 「そうですか?」 「いや体温の話だよ」 落ち着く、とにっかり青江はその胸に頭を埋める。人間の筋肉というのは温かいように出来ているはずなのに、彼には筋肉がしっかりと備わっているはずなのに、どうしてかこんなにも。 元の、鉄のような。 それが、―――なんて。 「………ふふ、二人だけの世界だね」 誤魔化すように言ったら、背中に手が回された。とん、とん、と。いつも寝る前にされるような、その仕草を冷たいだなんて思うことはもう出来ない。夕飯が出来たことを告げる声が遠くでしていた。このまま時が止まれば良いのに、と。 そんなことを思った。 蜻蛉切が其処を押し開くまで、にっかり青江の中では時が止まっていたことにしようと、そんな馬鹿らしいことを思った。 *** 以前そんな夢を見ていたからだろうか、食事の時の皿をじっと見つめて、そんなことを考えることが時たまある。 もしも、この皿の上に彼が乗っていたら。 夢を見る、なんていうと他の刀剣には人間のようですね、と言われる。それを聞くに、にっかり青江は刀剣の中でも人間に近いように顕現したようだった。もしかしたら、すべてのにっかり青江≠ェそういう訳なのではなく、このにっかり青江≠ェそうなのかもしれなかったが。 その、夢の中で。 蜻蛉切は静かに、皿の上に横たわっていた。大量の花と一緒に眠るように、けれどもその目はにっかり青江を捉えて離すことなく、さあ、と誘う。 ―――足りない分は補ってくだされ。 まるで、にっかり青江が飢えているかのように。 それを思い出しながら、皿を見つめる。唐揚げが乗っている。蜻蛉切も、花も乗っていない。 ―――僕は、僕の精一杯で彼を愛することが、出来ているだろうか。 「どうしたの、難しい顔をして」 隣から燭台くんが覗き込んでいた。 「何でもないよ、ちょっと考え事してただけ」 * 吐くほどに君を愛したいと思う出されりゃ食べるような気もする / 小箱 *** 飴玉の策略 冷たい床に張り付く。やっとのことで逃げて来たそこはひと気のない場所で、これならこんな無様な姿を誰かに見られる心配はなさそうだった。 「…ふ、ぅッ」 あつい。 息を吐きながら、落ち着け、落ち着けと言い聞かせる。対処法は分かっていた。原因は信じたくないけれど、御手杵のくれた飴玉だろう。あの槍は人畜無害そうな顔をして実際人畜無害なのだろうけれど、お節介なのかそれとも無自覚なのか、時折要らぬことをすることがある。ああ、戦闘ではあんなにも頼りになるというのに。身体が火照って仕方がない。御手杵がにっかり青江にこういうふうなこと≠望むとは思えなかったから、何か意図があったのだとしてもきっと、それは蜻蛉切と何か進展を、というものだろう。そうであれば彼自身はこれを全くの善意でやっていることになるから、本当にだめだ。責めることは出来ない。 そういう訳で、誰にも見つからないように城の端まで逃げてきたにっかり青江は、殆ど其処で力尽きたようなものだった。ベルトが外れない。そしてもう、身体を起こすことも億劫なくらい、あちこちがあつかった。頭がぼうっとする。その反面、身の内に溜まっていく熱を解放してしまいたくてたまらない。 必要なのは刺激だった、ベルトが外れないのならば仕方ない。まだ冷静な部分が指示を出す。床は冷たかった、にっかり青江はそれにへばりついていた。今この状態で、床は素晴らしいアイテムだった。ずる、と腰を動かす。重い。動け、とひたすらに命令を下す。僅かな刺激でも、今ならばちゃんと拾い上げる。それで、なんとか、おさめてやれば、夕飯までには――― 「にっかり殿?」 不意に、振ってきた声にぞっと、背筋が凍るのを感じた。 「とんぼ、くん…」 「お加減が悪いので?」 冊子は悪く無いはずだった、だから今の言葉は、にっかり青江に対する気遣いだ。 そう思ったら、カッと、頭に血が昇るのを感じた。 「なん、っで、君は、こういう時ばっかり、………」 もう頭を上げることすら叶わない。冷たい床に額をこすりつけながら、にっかり青江はただ喘ぐ。 「僕を、見つけるの!」 八つ当たりだ、そう思った。こんな、人間の子供のような。筋立っていない、正当ではない怒り。 「君は、きみはぼくをたすけてくれないのに! どうして! だってきみは、いつも、いつも…ッぼくをみつめるばかりで、てをかしてくれたことなんて、てを、ひいてくれたことなんて、ほんとうのところ、ないじゃないか!」 ―――はやく、 そう呼ばれているような心地になるのに、其処まで行けない自分は、一体どれだけ愚か者なのか。 「きみがぼくをきらいなら、それでもいいのに、でもきみは、そう、いわない、から………!」 嫌いだの、好きだの。そんなのは人間のすることで、それだけだったはずなのに、にっかり青江は―――それ以上を、望んでいる? 人間のようにしたい、と? ただ、あつい。あたまがぐらぐらする。 「ぼくは、ぼくはもう…、どうして―――」 たすけて、とその言葉は形になったのかよく分からなかった。 *** 空想モノクローム 「これが全部、嘘だったって良いじゃないか」 にっかり青江は振り返らずに言う。 「いつか僕らは憶えていられるのかな? こうしていたことを、恋をしたことを、愛したことを、君のことを、僕は、」 何度も何度も繰り返して来た疑問を、疑問ですらない疑問を。 「あそこは良いところだよ、僕は人間が好きだよ」 彼には何一つ理解してもらえないと知りながら、それでもただ、ひたすら。 「でもそれ以上に、君が好きだなんて言ったら君は幻滅するかな?」 * http://shindanmaker.com/528931 *** 貴方の静かな寝顔、ねえ、しんでいるみたいね。 この世界に悲しいことなんてたくさんあるけれども、そしてそれはひと(刀剣の付喪神である自分たちのことをひと≠ネどと称するのは些か笑えてしまえうけれど!)それぞれであるのだと、にっかり青江にもよく分かっているのだけれども。 仮にも、恋人という関係を、契約を、言葉だけとは言え結んだはず、なのに。 「…君は、君のその底をまだ、僕には教えてくれないんだね」 ぽつり、とこぼした言葉には相手への侮蔑は含まれておらず、ただひたすらに自分の浅ましさに、苦しめられるだけなら。 * この王子さまの寝顔を見ると、ぼくは涙の出るほどうれしいんだが、それも、この王子さまが、一輪の花をいつまでも忘れずにいるからなんだ。バラの花のすがたが、ねむっているあいだも、ランプの灯のようにこの王子さまの心の中に光っているからなんだ… 星の王子さま *** 20160328 |