どうして、全部、棄てられますか。 

 とうとう海についてしまったな、と瑠璃川洵は思っていた。これから先、どうしようか。別に、海が見たい訳ではなくて、ただの時間稼ぎで、それ以上は何も思い付かなくて。
「なぁ、梓」
お前は何がしたい? そう問うつもりで温かくて生きているのがとてもよく分かる手を握りながら、横を向いて。
 それから。
 どきり、とした。
 濡れた目がこちらを見上げていた。
「じゅんちゃんせんぱい、おれ、じゅんちゃんせんぱいにならどうされたっていいよ」
全部分かっているような顔で、三十後半だなんて思えないような顔で、彼は言う。
「じゅんちゃんせんぱいの嘘なんて、おれ、ずっとお見通しだったんですからね」
「お前に嘘なんて吐いたことなかっただろ」
「…そう、ですね。じゅんちゃんせんぱいは嘘吐かなかった。でもかわりに本当のことも言ってくれなかった」
そう言われると、何も言えない。
 ぎゅっと、手が握られる。ごめんね、と彼は言わなかった。
「知ってると思いますけど、おれの家、下井なんですからね。おれ、下井梓なんですからね。じゅんちゃんせんぱいのことなんて、すぐ分かっちゃうんですから」
分かっているのに、彼はしたいようにするのだ。
 それが何を意味するのか、分からない程瑠璃川は馬鹿ではないし、彼のことを分からないでいたつもりもない。
「じゅんちゃんせんぱいがおれのこと抱いてくれるなら、それでも、いいよ」
彼は無邪気な顔で、そんなことを言う。
「むしろそうしてよ」
意味が分からないはずがないのに、彼は、馬鹿だけれど、瑠璃川を好きだなんて言う馬鹿だけれど、それでも世間一般の常識に照らし合わせたら、賢いはずなのに。
 自分が今言ってることがどれほど恐ろしいことなのか、瑠璃川にとってどれだけしたくないことなのか、家を譲らなかった彼なら、分からないはずがないのに。
「おれのこと、もう誰にも渡さないって、して」
ああ、本当に。
―――どうして、なんだよ。
 引き寄せて触れた唇も温かくて、生きていて、腹の底から抗いがたい吐き気がして。いいよ、と言われた。人のゲロなんて慣れてるから、吐いていいよ、じゅんちゃんせんぱい、と言われてそのまま抱き締められて、そのやわらかな胸に、そういう意味ではないけれどやわらかな胸に胃の中身を吐き続けた。胃液だけになっても吐き続ける瑠璃川に、あとでまたご飯食べようね、水分も取ろうね、といつまで経っても馬鹿な後輩は笑ってみせた。



20151030

***

スプーン 

 あのね、と小奇麗なカフェで呟いたその声が、どんなものだったのかあたしは知らない。
―――前の奥さんがね、死んでしまったんだって。
嫌な女になれていたらそれは成功だったのに、目の前の友人の顔を見て、その目論見は失敗したのだと悟った。前妻が死んで、もう彼を縛るものはなくなって、清々していると。そういう顔が出来ていたら良かったのに。あたしはそれが出来なかったのだ、下を向く。コーヒーの真ん中に落としたミルクが沈んでいって、このままかき混ぜなかったら上に上がってこないままなんだろう。
「思い出になってしまったら、絶対勝てないじゃない」
友人は言った。多分痛々しそうな顔をしていた。それとも怒りだろうか。あたしは顔を上げないので分からない。上げられないのではなく、上げないのだ。沈んいったミルクから目を離したくなかった。
「…元々、勝てないもの」
「ハナ、」
「諦めてるとか、そういうのじゃないの」
 何か言われる前に、言葉を続ける。
「でも、あそこは、和海さんからとったらいけない部分だって、そうわかるから。だから…」
この、かき混ぜなければ浮かんでこないミルクのように。あの人はカフェオレだ。ずっとずっと深いのに、既に其処には他の人がいる。其処にあたしの居場所はない。
「…アンタがそういうのなら、良いけどさ、ハナ」
 あたしだけじゃない、あの人の中には、彼女以外のすべての、居場所がない。
「それ、つらくないの」
「わかんない」
それは即答だった。
「最初はつらかったと思うの。好きでもない人と、って。でも今和海さんが好きなのは本当だから…もし、今がつらいのが麻痺している状態でも、いいかなって、そう思うのって、やっぱり、まずいかな」
「まずいと思うけど、やめないんでしょう」
「やめられない、かな」
 麻薬とおんなじだ、と思う。あの人はあたしにとっての麻薬。一度知ってしまったら、もう手放せない。
「…なら、もう、何も言わないわ」
ケーキ頼も、と友人は店員を呼び止める。五つも誰が食べるのだろう、きっと手伝わされるんだろうな、なんて思いながら、それが優しさなのだと知っているから止めはしなかった。
「こんなこと、言うの、残酷かもしれないけど」
「うん」
「幸せになりなよね、ハナ」
一緒に来た小さなスプーンを手に取る。くるり、とかき回せばコーヒーの色が変わる。
「私は幸せだよ」
胸を張って、それだけは言えた。
 親友は、それならいいよ、と言って笑った。

***

 ごぽ、り。
 気泡があがる。大丈夫だよ、と微笑まれて、きっとシートベルトを外してくれたのは泰晴(たいせい)で。幻想かもしれなかった、夢かもしれなかった、けれどもそれだけが分かって、それで充分だった。
―――ああ。
頷く。
―――お前だけが、

完璧な幻想 

 物心ついた頃から、女の子が欲しかったのに、というのは母の口癖だったように思う。貴方のこと、最初は女の子だと思っていたのに、だから女の子の名前を用意していたのに、生まれて来たのが貴方だなんて。そう言って手を上げる母親のことを父親はいつも非難していて、それからじゃあ女の子が産めなかった私が悪いって言うの!? という方向に話が転がっていって。いつも泰晴はその隙に僕を連れ出してくれる役目を負っていた。
「いつか、救けてあげる」
それが泰晴の口癖。母親というものが発するものと同じように、父親がそれをいなすのと同じように、毎日まいにち言われる言葉なのに。
 どうしてか泰晴のものだけは妙に胸をあたたかくする。
「双子だからかな?」
大人しく手当てをされながらそう首を傾げると、そうかもね、と返された。
 痛そうな、顔。
 痛いのは泰晴じゃあ、ないのに。
「オレが、女だったら、お前のお母さんになれたのに」
ぱちり。
 目を瞬(しばたた)かせて目の前の泰晴を見つめる。
「泰晴は、女の子が良かったの?」
彼女が毎日何を言っているのか、分からない訳ではないだろうに。
 賢い泰晴はそれも分かっているのだろう、少しばかり考え込んで、それからとてもとても言い辛そうに、
「………そうかも」
小さい声で、言った。
「でも、兄さんにだけ」
 秘密の話でもするように。
「兄さんだけの、お母さんになりたい」

 父親が海に行こうと言ったのはその三日後だった。

 寒い日だった。
 まるでこの名前を表したような海で、ああ、と思ったのを覚えている。
「お前たち、シートベルトをちゃんとしなさい」
父親の声がわんわんと響いていて、もう、そこまで。
 泰晴がぎゅっと手を握っていてくれて、ごぽり、気泡が上がって。その手が離れてシートベルトを外してくれて、開けっ放しだった窓から、母親があれだけ貶した小さな身体は放り出されて。
―――さよなら。
ああ、ああ、と思った。
 これこそが、母親だ、と。
 泰晴は母親だった、僕の母親だった、完璧な、理想の、僕の母親だった。海の其処へと沈んでいく、僕の母親。完璧な母親の愛を呑み込んだ海から僕だけが浮き上がってしまって、そうしたらもう、僕にはその海を愛することしか出来ないだろう。
「泰晴」
呟く。
 僕の母親。
 完璧な母親。
 理想の母親。
「愛しているよ、僕の母さん」
そしてこれからも、愛し続けるよ。
 三人の遺体は上がらなかった。引き上げられた車の中は空っぽで、みんなシートベルトをしっかりしていたはずなのに、きっと溶けてしまったんだと思った。愛とは形のないものだから、そうなるしか出来なかったんだ、と思った。

***

Nostalgia 

 ベッドは占拠されていた。
「良いじゃん涼暮くん家主なんだし、其処にそのまま入れば? 妻鹿ちゃんはちょっと煩いかもだけど、榎木はそう怒んないでしょ」
「いや妻鹿がでかすぎて俺の入る隙ないし」
家主であるのに、というツッコミはもうしない。煩いのを放っておいて勉強していた俺が悪いとでも言うのか。それとも、こいつらを部屋に招き入れた時点で―――ちなみに今日のことではない。もっと前、もうめんどくさいから合鍵作って良い? なんて言葉にあまり深く考えずお前なら良いよ、なんて言った時点で、間違っていたのだろうか。分からない。涼暮洋にはともだち≠ニいうものがよく分からない。
 それでもまあ、楽しくない訳ではないので良いのだろう。
「じゃあ雑魚寝?」
「っていうかいつの間に客用布団なんて持ってきたの…」
「一応全員で折半」
涼暮くんも出したでしょ、と言われるけれども記憶にない。そろそろ金の使い方を覚えた方が良いだろうか、別に今まで困ったことはなかったが、今後あの家を出るのならば、そういう未来を想定しているのならば一人で生きていける生き方というのを模索しないとならない。
 と、そんなズレ始めた思考を振り払って、二枚敷き詰められた布団を、見て。
「佐竹、怒らないで欲しいんだけど」
「涼暮くん前置きするようになったよね」
「俺、根古の隣が良い」
正確には、根古と壁の間、と続けた。流石に怒るかな、と思う。ともだち≠ナも、きっと佐竹の中では根古の方が大事だろうし、その隣、と指定したことは彼の怒りに触れるのではないだろうか、とそっと窺う。
―――ほんとなら、殴ってるとこだからね。
お前が言うかと、そう思ったけれども言葉にしなかったのは英断だったのだろう。
 どちらが先だとか、そういうことは関係ないのだ。ただ、佐竹の中のいちばん≠ヘ根古で、其処はきっと、誰にも踏み込まれたくない領域なのだ。従弟の、それのように。
「ん、良いよ」
と、返って来たのは思いの外軽いものだった。
「え、良いの」
「良いよ」
だめだと思ったの、と問われて素直に頷く。
「佐竹は独占欲強い方だと思ってた」
「強いと思うよ」
「そんなことなくね?」
しゃむにゃんに言われたくなーい、とごろごろ転がる二人を見てはあ、と大きく息を吐いた。
「じゃあ、俺、此処に寝るから」
良いんだな、と布団を叩くと、何度も聞かなくていいのに、と口が尖らかされた。こういうのが似合うのだよなあ、と思いながら布団に入る。
「いーよっ。俺がしゃむにゃんがっちりホールドして寝るから」
「うん、はいはい。それは勝手にして」
多分大丈夫だから、とタオルケットを引き寄せたら、根古の向こうの佐竹に引っ張り返された。
 暫く佐竹とタオルケットの取り合いをしていると、根古がふっと呟く。
「お前って俺のこと嫌いなんだと思ってた」
「前も言ったけどべつに、すきとか、きらいとか、ない」
よく知らないし。そう言えば納得したような呆れたような、ふうん、という相槌が返って来た。それがなんだか腹立たしくて、またそれとは違った感情も付随しているような気がして。
「ただ………」
続けようとして口を噤む。
「何」
言いかけてやめられると気になるんですけど、と根古は佐竹の腕の中で唸って、確かにそれが猫のようだな、なんて思って。
「…ごめん、何言おうとしてたか忘れた」
「なにそれ」
「よくある」
「涼暮ってそういうの下手だよな」
「はいはいもう二人とも寝るよ、電気消すよ」
はーい、と声が揃って、ぱちん、と電気が消された。
 蘇る冷たい本たちの香りが何なのか、分からないほど馬鹿ではなかったけれど、それを言うのも、その理由を突き止めるのも、意味のないことだと思った。



20151104

***

食べられてはいないだろうけれど、 

 明音さんって蝋燭食べたことありますか、と問われて一瞬息を詰まらせて、それからああトム・ソーヤーかな、と言った。
「よく分かりましたね」
「印象的だからね」
寧ろそれしか残ってないよ、と言われれば確かになあ、という顔で年下の恋人は頷いてみせた。こっくり、というその緩慢な動作がかわいいなあ、なんて思いながら閉じ込められる予定でもあるの、と言えばそんな予定ないですけど、いや埋まりそうな友人はいなくもないですけど、なんていう面倒くさそうに言葉が紡がれる。
「ただ、」
耳を済ませる。
 彼は、重要なことは、小さな声で言う癖がある。重要だと思っているからこそ、照れが出るのか、彼がそれに自分で気付いているのかは分からないけれど。
「どうするのかなって、そう、思っただけです」
 それが、誰に向けられた言葉なのか。
 推測するには容易かったけれど、彼が何も言わないでいるから。
「洋くん」
呼ぶ。
「抱き締めたいんだけれども」
「ちょっと栞挟むんで待っててください」



トム・ソーヤーはうろ
洞窟に住んで生き延びることができると思う?
ask

***

たまごひとつぶん 

 「っていうか涼暮くんって、こう、そういう、欲求、ちゃんとあったんだ…?」
午前中授業をすべてサボったのをなんやかんやで佐竹から聞いたらしい。榎木が心配してたのに、と頬を膨らませてから上目で、ひっそりと呟いた言葉に持っていた紙パックのジュースを握りつぶしそうになった。そんな握力がなくてよかった。あと500mlのやつで良かった。じゃなければ確実に握りつぶしていたしぶしゃっとなっていた気がする。
 そういう、欲求。
 自分だって、驚いているのだ。夢とは、言え。そういう欲求があったことは、というか夢に出て来るほど、というか。なんというか。
「………佐竹から聞いたんだろうけど、もう、ほんと、その話やめて」
「なんで」
「なんでって、なんか、もう」
むり。
 がたん、と額を机にぶつけた。こんな時に限ってなんであのロックンロールフラワーはいないんだろう、と思ったけれど、それを読んだようにあのね、今日は妻鹿さんには遠慮してもらったんだ、と続けられる。
「………で、どうだったの」
「どうって」
「どんな夢だったの」
「なんで榎木がそんなこと気にすんの」
「気になるから…?」
「なんで…」
「なんででも…」
―――涼暮くん。
あの人はそんな声を出さない。
―――すきだよ。
そんなことをは、言わない。
 「もうやだ…」
「そこまでだめなの」
もう乗っかれば、と言われてお前と一緒にするなよと言ったら、別に乗っかった訳じゃないよ、と返される。同じようなもんだろ、と思ったけれどもそれ以上は食堂でする話じゃなかろうとも思ったので、プリンと一緒に呑み込んだ。



20151105

***

家族の定義 

 その電話がかかってきた時、父であるその人がとても嬉しそうな顔をして、それからその電話の向こうの人間が思っていたのと違ったのだという流れがとてもよく分かったのを覚えている。あまり人間の感情に詳しくない自分でもそれが分かってしまうほどに、彼の表情は雄弁だった。
「…ええ、はい、元気でやっています。あの、」
彼が何かしら聞こうとするのを電話の向こうの人間はことごとく遮っているようだった。
―――もうね、海未さんと僕は家族ではないんだって。
彼女が出て行った日、電話を受け取った彼はそんなことを言っていたと思い出す。
 家族、かぞく。それがなんなのか、よく分からない。彼と自分は家族ではないのだろうか、そう思わなかった訳ではない。でも彼にとって、彼女と家族でなくなるということはとてもかなしいことなのだと、それだけはちゃんと分かった。分かったから、小さく頷くだけで、いつものように海のことが書いてある本に視線を落として、その話題は終了になった。
 終了にすることが、きっと、あの時唯一選べた家族≠ニいう形の維持には必要だった。
 「え、そんな、急に、」
今、また顔を上げる。珍しく焦った顔。学会の日に寝坊をしても、提出するデータが紛失しても、焦った顔なんて見せなかったその人の表情を変えるなんて、何事だろうか。
―――もしかして、彼女が。
死んでしまったり、なんてひどい妄想が浮かんで来て打ち消した。きっと本当にそんなことが起こったのだったら彼はもっともっと取り乱すだろうし、ちらちらとこちらを見ることなんてしないだろう。
 彼の一番は、彼女、なのだから。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
立ち上がる。
「だって、洋くんはこちらで引き取ると、そういうふうに話が…ッ、」
『君がこの話を渋るのであれば君は今の地位を失うことになると、それが分かって言っているんだろうな?』
今の、地位。
 その言葉を聞いた瞬間、携帯を奪い取っていた。
「洋くんっ!」
「洋です。俺に用なら俺がちゃんと聞きます、人を通さないでください」
『………礼儀は教わらなかったようだな』
「少なくとも、恐喝をするような人間に対する礼儀は教わっていません」
彼の仕事柄、あちこちに出ることはあった。それについていくことも、時折は。それで何が必要なのか、この頭は瞬時にはじき出すから。
「何でしょう」
『君に、下井の家に来て貰いたい』
「おっしゃっている意味が分かりません」
あの家には、一つ下の従弟がいたはずだった。
「梓に何かあったんですか」
だからこそ、此処でのんびりと暮らすことが赦されていたはずだった。
 のに。
『アレは、不良品だ』
何を言われたのか分からなかった。
『アレは下井の家を廃れさせる存在だ』
「な、にを…」
『下井の家に必要なのは洋、君のような人間だ』
分かるね? と畳み掛けられても、欠片も分からない。
「意味が、分かりません」
『今は分からなくとも、そのうちに分かる』
「だから、」
『もし君が断ると言うのであれば―――』
 拳を、握った。
 その瞬間、なんとなくだけれども、言葉にならなかった、言葉に出来なかったあの薄暗い図書館での拳に、共感が出来た気がした。気のせいだろうけれども、それは大した飛躍だったろうけれども。
「…分かりました」
「洋くん!?」
「下井の家に行きます」
電話の先の人は薄く笑ったようだった。
『君は賢いからそう選択してくれると思っていたよ』
「そうですか」
『今日中に準備をしておきなさい。明日には迎えを寄越す』
「はい」
 絶句しているその人に、切った携帯を戻す。
「………」
言葉は、見つからなかった。
 さよならというのも、お世話になりましたというのも、すべて違う気がして。
 だからと言って二度と会えるとも思っていなかった。



http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=342857

***

完成しない夢 

 「大きくなったらお嫁さんになるの」
それは多分、ただ周りに合わせただけの夢だった。それすら赦されないと、そんなことを言い渡してきた医者がひどく下卑た笑みを見せてきたのを覚えている。
―――お前になら何をしても良いんだな。
彼にも理由があったのかもしれない、最初からそういう人間だったのかも。いろいろ考えることは出来たし助けも求めて彼は今後、表世界では生きていかれないだろうけれど。
「べつに、いいだろう?」
頭から、離れない。
「お前は何も出来ないんだから、これくらい、して当然≠セろう?」
 もの、を扱うみたいな手も、何一つ聞き入れない耳も、それでも尚、人間としての反応を求め、助けを請わせるやり口も。
―――私がいけないの?
何度も何度も自問自答して、親友にも何も言えないで。ただもう此処に生まれてしまったのが、こうして生まれてしまったのが間違いなのだと、すべてを赦そうと思って。
 それが傲慢な考えだったのだと、知るのは。
「いけなくないよ」
頭を撫でる手。
「君は、何も悪くない」
だから、お休み。
 幼い頃からの夢さえも叶えてくれない、残酷なその人のやさしい手を、知ってしまってからだった。



https://kakidashi.me/novels/2774

***

聞こえないふりなんかすんなよ 

 さたけ、と呼ぶ。その名前を呼べないことはそんなに悲しいことではない。愛の、愛なんていうのはこそばゆくてそしてとても傲慢だけれど、そんなものの証明なんでいくらだって出来るから。
 さたけ、と呼ぶ。少しの間をおいて、なぁに、と返ってくる。寝ぼけた声、また、こわい、ゆめでもみた? 大丈夫だよ、と佐竹は言う。なんにも大丈夫じゃないと分かっていう。そういうところが嫌いになれないのが、間違いで、この上なく幸福で、人間なんて所詮身勝手なものだったと正当化して。
 「あいしてる」
これが、嘘にならなきゃいい。
 嘘にしないでくれたらいい。



image song「冬のミルク」THE BACK HORN

***

獲られる前に手折ってしまおうか 

 もしも彼女が佐竹のことを知ることにでもなったら。
 そんなヘマはしないと、充分に気を付けているけれども。彼女の中で既に失敗作の紗霧はその位置付けからさらに下がるだろうし、まぁ別に、それはよかったけれど。
―――あたしの、ものに、
もしも。
 もしも、佐竹に、彼女の手が伸びたら。幻影が見える、彼女が佐竹に覆いかぶさっている。細い手は佐竹のしっかりした首をがっちりと掴んでいて、?がせそうもなくて。
 これは幻影だ。
 そう、知っているのに。
「―――」
お前に手を伸ばしたがる俺はなんなんだろうな、と。その答えを紗霧は出せずにいる。



@shortshort_123

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20190117