選択の権利 

 出直しておいで。
 その言葉の意志を涼暮は推し量れるほど大人ではなかったし、そしてそれについて延々と悩んでいられる程子供でもなかった。だから涼暮は一つ、答えを出してしまった。賢い子供がするように、愚かな大人がするように。
 多分、この先この思いは消えるだろう。あの男が思ったように、期待、した、ように。それを残酷なこととは思わない。きっと涼暮が逆の立場なら、その方が良いと思ったのだろう、分からないけれど。
 子供と大人というのは違う生き物で天と地ほどの差があって、だからこそ大人の方には選択する義務が生じて。
 それをさせたのは涼暮だった。なら、もう、それで充分じゃあないか。あの男のすました顔を少しでも歪めてやった、それで。
 それでもこの胸は。
 ちりちりと灼け付くように痛むのは。
「―――ごめんなさい」
 そんな分かったふりもままならない部分があるのだと、それだけの話。



あの言葉ずっと引き摺ることを今から謝っておくね、ごめん、ね / 小箱

***

五億の鈴は一斉に笑うのです 

 「明音さんの音がする」
そう零した自分にその人は笑ったようだった。
「愛してるって言ってくれてるみたいだ」
頷くように触れている指が微かに動く。この感覚に全神経を集中させて、見えない声まで聞こうとする。
 とっくに、覚悟を決めていた。それはずっと、この人と関係を始める前から分かっていたことで、擬似的に何度も体験をして、そして愛する人のたくさんの準備のおかげがあったからこそ、今自分はこうも穏やかに隣にいることが出来るのだろうなあ、と思う。
「そう、思って良いわけ」
また微かに指が動く。それだって大変だろうに、それでもこの人は返してくれる。さいごのさいごまで、自分のことを考えてくれる。
 ああ、なんて幸せなのだろう。こんな幸せ者はこの世に存在しないのではないか。そうまで思う。
「もう一回、聞いて良い?」
それでも、聞きたいのだ。言葉でなくて良い、指だけの反応で良い、優しさに縋るのでも良い、惜しみなく与えられる愛に、溺れていたい。
「明音さんの人生全部、俺に、ちょうだい?」
 ―――何処へ行こうか。
いつかの会話が思い出される。
―――何処でも行けそうですね。
そうだ、自分はそう返した。
 思い出せる。何層にも積み重なった思い出が、自分を作り上げていく。
「明音さん」
この声は、愛おしいとその想いを余すことなく伝えてくれるだろうか。
「怖いですか?」
いつだか怖いならやめてもいいよ、と言われた。
「俺は怖いよ」
 許された、でも選んだ。選びたかったのだ、ただ自分の、我が侭を貫き通すためだけに。
「怖いけど、明音さんはずっと傍にいてくれるような、そんな気がするんです…何処かの星に帰るだけだって、そんな子供みたいなことを思うんです」
本の読みすぎですね、と言う。何度も何度も読み返した本、もうそらで言える程の本。擦り切れた、あれは確かに自分の原点だった。
 すべての始まりだった。
「明音さんは俺にとってのぼっちゃんだった」
美しくて、素直で、きれいで、たったひとつの薔薇を愛しているぼっちゃん。だから貴方は美しい、そう言えることはなかったけれど読み取ってくれているなんて傲慢だろうか。
「俺に五億の鈴をくれますか」
薔薇だってぼっちゃんを待っている間は寂しかったはずだ。あの言葉が、欲しかったはずだ。
「俺、」
 握る手が、震える。
「明音さんの隣にいられてよかった」
本当だった。心からの本音だった。これ以上なく、気持ちが溢れ出る。これ以上のものなんてきっと、ない。
 出来ない。
「あの時、素直に怖いって言ってよかった。アンタが、俺が怖いことを、認めてくれて、良かった」
 だから今、アンタの隣にいられるんだ、と言えば、また優しく指が動いた。



image song「心拍数♯0822」初音ミク(蝶々)
image song「烏」天野月子
image song「美しい名前」THE BACK HORN

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この想いだけは全部本当です 

 「スズクレ先輩はそんなに怖い人じゃなかった」
あの一件からこっち、鹿ちゃんはよくこんなことを言う。それほどに仲良くなったらしい。オレはそれが気に入らない。そりゃあお前にとっては怖い人じゃなかっただろうーよ、だってあの時の本当のターゲットはオレだった。アレは見せしめだった。アレを仕組める人が怖くないなんて、そんなことがあってたまるか。大人しい顔してよくやる。可愛い顔してあの子わりとやるもんだねと、だ。別にあの先輩は可愛い顔なんぞしちゃあいないけれど。
 そういう訳でむしゃくしゃしていた。だって今まで鹿ちゃんはずっとオレだけの鹿ちゃんだったのに、いや別にオレに束縛願望なんかないけど、ないはずだけど、だからいつもは言わないような言葉がぼろぼろこぼれ落ちて、その幾つが鹿ちゃんを傷付けるだろうものだったとしても、止められなくて。
「涼暮先輩のこと好き?」
「嫌いじゃないよ」
「ふうん」
オレとどっちが嫌いじゃない?
「でも、」
スズクレ先輩といるのも楽しいけど。
 お揃いの眼鏡の奥。この目、草食動物みたいで何でもかんでも食べちゃうみたいな、目。
「上原くんといる方が、楽しいかも」
「………鹿ちゃん、おれのこと、すきなの」
誘導尋問だ、と思った。だってこいつは飼い主だって言ったような人間なのだ、こんな聞き方をしたら頷くに決まっている。決まっている、決まっている―――決まっていなくてはいけない。
「ううん」
 だから、その答えが来た時には心底驚いた。息が止まった。心臓もちょっとの間くらいは止まっていたかもしれない。
「僕は上原くんのこと、」
好きじゃなかったら何だと言うのだ。
「すきじゃなくて、」
嫌いなのか、それとも本当にただの飼い主としてしか見ていないのか。ねえ勘弁してよ鹿ちゃん。だって、オレ、こんなにも、
「愛してるの」
お前のこと。
 時が止まったというのはこういうことだ。
「だめ、だったかな」
「えっと…」
「だめなら、ただのえっと、飼い主で良いから」
「だめじゃない…」
「なら、よかった」
「………なあ、鹿ちゃん。いや、祭里」
息を吸う。
 「答え合わせを、しよう?」



image song「恋率方程式」初音ミク(蝶々)

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せかいでいちばん 

 三年生になったその日、突如出来た後輩という生き物はとても不可解だった。だからこそ、いろいろ聞いてみたいこともあったけれどそれをしたらきっと更に煩いので放っておいて、でも言葉というのはあふれるものだから。
 何でそんなにオレに構うの。
 そう聞いてみたことがある。てっきりいつもの熱烈告白が返って来るものだと思っていたのだが。
「おれは、おれの世界には、」
慈愛に満ちた表情というのはこういうのを言うんだろうな、と言ったお手本のようなものだった。綺麗すぎて気持ちが悪い。聖母マリアとかの彫刻はきっとこんな顔をしている。ああ本当に気持ちが悪い。
「おれしかいないんだ」
 だって、生きている表情だ。
「じゅんちゃんせんぱい」
馬鹿馬鹿しい呼び名にももう慣れてしまった。
「おれはその世界では王様なんだよ」
だからね、とその先の言葉を馬鹿は言わなかった。
 だからこそオレはこの馬鹿を突き放せないのだろう、とそんなことを思った。



image song「ワールドイズマイン」初音ミク(supercell)

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境界線まで、あと、僅か。 

 あと、どれくらい?
 思う。携帯の表示を確認したら三時だった。あれこれしたあとはよく、こんな時間に目が覚める。終わったのは二時くらいだったはずだから、一時間も眠っていないことになる。
 なんて言い方をすると諸々が嫌みたいだけれども、別にそんなことはないのは誰よりも紗霧が分かっていた。好きだと言われて、逃げるなと言われて、一緒にいると言われて。幸せっていうはこういうことを言うんだろうな、と思っていた。ずっとお前と一緒にいられるなんて、ホント、サイコーじゃん? でも薄暗い部分がそれだけじゃないだろ、と警鐘を鳴らす。言葉に出来ない部分が、違うんだと潰れた蛙のように蠢き出す。ねえ佐竹。俺はお前に近付いた気がしないよ。あとどれくらい、近付くことを許される? あとどれくらい、ちゃんと俺とお前で、いられる? あと、どれくらい?
―――俺はお前を愛していられる?
 「しゃむにゃん、」
むにゃむにゃ、とその口が動く。
「もっと、ひとつに、なろ?」



image song「ブラック★ロックシューター」初音ミク(ryo)

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君の首を絞める夢を見た(貴方になって)(貴方に代わって) 

 夢を見る。夢だと分かるから大人しくしている。だって夢じゃあなければこの人はこんな微笑み方はしないだろうから。
 昔、いつごろだっただろう、何処かでボタンをかけちがえたみたいにいろいろなものが少しずつズレていった結果が今なのだとしたら、紗霧の奥に埋まっているこの記憶は別に美化でも何でもないのだろう。ただ今は、それとは全く違うものになってしまった、それだけで。昔に戻りたいとは思わない、思わないけれど、その頃のその人は美しかった、それこそ美化だと思うけれど。
 優等生、だったのだろう。
 だからこそ、誰もボタンの掛け違えに気付かなかった、気付けなかった。全部、全部なかったことにしてしまえたら。優等生だった紗霧をリセットして、何もかも、ただの悪ガキに、してあげられたら。
「でもンなことしたら、」
隣の頭を撫ぜるとさむいの、と返って来る。
 寒いよ、寒いよ、この上なく薄ら寒い。
「お前に逢えなかったんだろうな」



image song「炉心融解」鏡音リン(iroha)

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麻酔をかけてよ 

 いつものように部屋に押しかけて、それでぽつりぽつりと家主が話し始めたものだから俺はちょっとだけびっくりしてしまって、背中越しにその声を、落とされるというかこぼされると言ったような声を聞いていた。
「俺はさ、別に…お前のことが分かりたい訳じゃないんだと思うんだよ」
「何それ」
「なんとなく、今思ったから」
「涼暮くんもそんなこと思うんだね」
全部面倒くさいのかと思ってた、と言えば面倒だよ、と返って来る。ホントこいつコミュ障っていうか、それ以前の問題っていうか、ああ、見ていて苛々する。知らないと言えばそれまでで、でもコピー機直してもらってるし、そういえばあれ、いつからだっけ。いつからなんだっけ。
 「お前、甘いよ」
話題は転換した訳ではなさそうだった。
「俺はそのお前の甘さが、時々怖くなる」
「そう?」
「そう。お前のそれは、なんていうか、自分を削るっていうか、そういうことだろ」
俺とは正反対だ、と言われているような気がした。そんなことないよ、と笑う。
「過大評価だよ、涼暮くん」
いつものように、うっすらと笑う。この笑い方も身に付いてしまった、しまったなんて言えば不本意であるように聞こえるかもしれないけれど、これは生きるためには必要なもので、つまりは涼暮くんの染色やカラコンとおんなじで。
 そこまで彼は辿り着いていないのだろうから、言わないけれど。
 ため息が吐かれた。成長したよな、と思う。最初は本当に何を考えているか分からなくて、でも最近では少しずつ、感情表現を覚えていって。父親って本当はこんなものなのかな、と思ったりする。涼暮くんの子供とか、ちょっと気持ち悪いけど、焚き付けた身で言うことじゃないけど上手く行くとも正直思ってなかったし。応援はしたいけど。それとこれはべつだし。
「お前さ、俺の最初のともだち≠チて誰か知ってる?」
「榎木だろ?」
「ちげーよ」
 ノートが最初に戻される。解き終わったらしい。今から自己採点だな、と思って振り返る。
「お前だよ」
一年の時、と涼暮くんは言う。確かに一年の時から知り合いだったけれど、その前に榎木と会ってるんじゃなかったの、あれ二年からなの。そういえば一年の時に一緒にいるの見たことないかも。
「お前なんだよ」
―――えっ、マジで。
 言葉にならないまま、呑み込まれていくのは何の感情?
「だからお前に、」
赤ペンを持った涼暮くんは多分困ったような顔をして、
「…なんでもない」
「涼暮くんにしては喋ったね」
「うるさい」
今度こそ自分の勉強に帰って行った。



image song「弱虫モンブラン」GUMI(DECO*27)

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溺れたいの、愛しのメランコリー! 

 会う度に合法ショター! とハイタッチをかましてくる後輩がいる。部の他の人間にはそんなことはしないし、そもそも合法ショタよばわりされるような見てくれをしている人間はこの部には自分一人しいかいないのではあるが。もはや儀式めいたそのハイタッチを終えてから、指示を待つその後ろにぼうっと尻尾が見えた気がした。
「妻鹿さんは、」
「はい!」
元気だ。きらきらだ。眩しい。つらい。自分とは全く違った人種なのに何で彼は此処にいて、剰え自分なんかを構ってくるのだろう。本当に分からない。ハイタッチも分からない。何で毎回スキンシップを求めてくるんだろう。怖い。リア充怖い。
「…これ、やって」
「はい!」
―――答えてあげたら良いのに。
ひょんなことから友人になった不思議な人間の笑い声が蘇る。
「そんなの」
大したことも知らないくせに。
 口をぎゅっと引き締めたのが何だったのか、まったく分からないのでいるのだから。



image song「メランコリック」鏡音リン(Junky)

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これが夢じゃなくてよかった 

 朝。
 ぼうっとしていると声がかけられる。まだ布団だ、と思ってオレはその顔を見る。
「うえくん」
「…おはよう?」
「おはよう」
「ごはん?」
「うん、ごはん。顔、洗ってきてね」
「うん」
美味しい香りがする。アレルギーとかなんとかかんとか。いろいろ考慮してくれた食事は普通に美味しいのを知っている。それが幸せなことも知っている。
「今日はたまごが片手で割れたよ」
「お前それいつもやるじゃん」
「でも今日はいつもより上手く出来たの」
「へえ」
見てみたかったな、と思いながら顔を洗ってうがいをして、食卓へと戻る。
 二人で起きたことを確認して、いただきます、と手を合わせて。
「あれ好きだよ」
オレが唐突に話を戻しても、可愛い鹿ちゃんは対応してくれることに甘える。
「お前が今から料理すんだなって、その料理が食べられるんだなって」
「僕、毎回たまご使ってる訳じゃないよ?」
「…例えだよ例え」
目玉焼きは美味しかった。ただの目玉焼きなのに、鹿ちゃんが手を掛けたというだけでお腹いっぱいまで食べられる。すごいと思う。こんなに美味しく出来るのは鹿ちゃんの技量も勿論だけど、普通にオレが鹿ちゃんのこと好きだからなんだろうなあ、と思う。
「オレ、女々しい?」
 たまご一つ、と言ってみると、鹿ちゃんは笑うから。
「上原くんが女々しくても、」
もぐもぐごっくん。
「僕は上原くんが好きだから」



image song「夢みる二人」宇宙まお

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知らない穴 

 妻鹿さんのソレ、と見上げる。
「これですか?」
髪を素直にめくってみせる彼のその形の良い(彼に不格好な部位などまったくもってないのだけれど)耳にきらり、光るもの。彼のそれが何処で購入、あるいは作成されたものなのかは知らないが、榎木はそれがいつから彼の元にあるのかを知らない。知らないけれど、聞くのもなんだか―――負けた気がして。
「…何でもないよ」
「そんなことないって顔ですけど」
「…それ、キレイだなって思って」
「本当に?」
 ずるいなあ、と思う。彼にそんなふうに首を傾げさせる自分も、それがとても似合う彼も。でも許せてしまうのは彼が神作画だからか。
「…次のは、」
「はい」
「ぼくに、選ばせて、もらえない?」
 瞬間、破顔というのはこういうことを言うのだろうな、という辞書にそのまま載せてやりたいような表情を彼はした。
「はいっ!」
 きらりと光ったそれは彼にふさわしく鎮座していて、ちょうだい、と言うことも出来なかった。



image song「左耳」クリープハイプ



20160103

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20190117