ピアノは弾かれなければただの置物。 じゃあ、嘘で固めた人間は? 許さないで、私を。 自分の性癖が、自分のコントロール出来ないところにあることを知ったのは小学生の時、大きな事故に巻き込まれてからだった。周りは血の海で、身体が小さくて隙間に挟まって助かったようなもので。今でも覚えている。救急隊員が来るまでのあの、永遠のような時間。死というものが濃密に詰まった、あの、狭い世界を。 其処で見つけた、本当の自分を。 ―――それは可笑しいよ。 誰かが言う。 ―――お前のそれは可笑しいよ。 誰かが言う。 ―――だから隠しておかなければいけないよ。 ―――生きたいだろう? ―――お前はそういうもの≠セよ。 ―――忘れてはいけないよ。 ―――人間は、そんなことを思わない。 ―――人間は、生を愛するものだ。 ―――人間は、死を怯れるものだ。 ―――人間は、 誰かが、 誰かじゃない。 人間でいたいと叫ぶ部分が、本当の自分を人間じゃないと言いたい部分が、言う。 ―――死を愛したりなんか、しない。 「じゅんちゃんせんぱいはどっこもおかしくなんか、ないよ?」 くるくると回る表情がどうして許すのか。 その答えを本当は、ずっとポケットにしまっている。 * image song「陽の照りながら雨の降る」cocco *** 始発電車の光が眩しい 暗闇だ、まっくらやみだ、そう思って目を開ける。目を開ける前からそれが分かるなんておかしなことだ。でもおかしなことくらい起こったって良いと、今はそんな気分だった。いつも通りなんてつまらない。毎日おんなじことしか起こらないなら、ずっと立ち止まっているのと一緒だ。 「しゃむにゃん」 まっくらやみの中で、ごろりと横の塊が動いた。寝返りをうったのだ、そして擦り寄ってくる。いつもの癖、いつもとおんなじ。なのにどうして、これ≠ノ関しては何も思うことがないのだろう―――いや、きっと思っているのに、思わないふりをしているのだ。 それがどんな感情であれ。 「ううん、紗霧」 こんなふうに甘く、擦り寄ってくるような存在に、熱の塊のような存在に抱くべきではないような気がした。紗霧にはそんな資格はない気がした。もしくは、権利、かもしれない。 どうでも良いことを考えている。 そう思うことがない訳ではない。全部忘れて、逃げて、それで。そんな夢を見ない訳ではない。でもそれは土台無理な話だから。 紗霧は知っている。この身体を巡るものが、紗霧を生かしているものが、どんなものなのか。 「俺はさ、無責任なことは言えないけど」 熱はそんなことは知るかとばかりにまだ肌を押し付けてくる。其処から熱が伝わってくる。冷ややかな空洞に、流れ込むように。 「俺は、」 ちゅ、と可愛らしい音がする。大丈夫だよ、そんなふうにでも言いたいのか。本当馬鹿馬鹿しい。やっていられない。でもそれを選んだのは紛れもない紗霧自身だ。 「お前のためなら全部捨てれるって、前言っただろ」 「…言ったな」 「だからそれと同じで、お前が別に、俺のために全部捨ててくれてもいーんだよ」 目は、見開かれなかったのだと思う。腕が絡み付くように抱き込んで、蛇みたいだな、なんて思う。もしお前が蛇だったら、俺を呑み込んでくれたんだろうか。そんなことは死んでも言わない。 「それがさ、お前のためでも、俺のためじゃなくても、全部捨てて、俺のためって嘘吐いてもいーんだよ」 まっくらやみだった。まっくらやみでも、へにゃり、と笑ったのが分かった。ひどい話だ。本当に、ひどい話だ。くらやみが広がっていく。これ以上、どうやってまっくらになるのだろう。これ以上があるのか、その先があるのか、その先なんてものがあるのならそれは――― 「………なんて、」 カーテンの隙間から射し込む朝陽に目を細める。ぐるぐる廻る視点、俺はお前でお前は俺。そんなことがもしも叶ったら、お前はまた泣きそうだ、とかなんとか。 「起きてる俺は言わねえよなあ」 そういうのホント、苦手だもん。 舐めた唇の感覚はなかった。久々に悪夢じゃないと思ったらこれなんだから本当に、やってられない。 ―――お前の世界には、誰かいるのか? 自分の書いた文字列が浮かんで来て、そうして幻のように消えてしまった。 * image song「ラブアトミック・トランスファー」初音ミク(蝶々) * 20151213 *** 星の砂 まるで骨みたいですねえ! と馬鹿な後輩がそう言ったのにどんな意味があったのかは知らないし、分かりたくもない。瑠璃川洵は瑠璃川洵としてこの世界でまっとうに生きていくためにあれこれ模索しながらこのプラスチックくさい模型なんてもので我慢しているのに(我慢と言っている時点でだめなのかもしれなかったが)、この後輩は分かっているのか分かっていないのか、瑠璃川のその領域にずけずけと踏み込んでくる。 プライバシー配慮の出来ない奴な訳ではない。こんなキャラクターをしてはいるが、これは彼の本当ではなくて、それはなんとなく自分を彷彿とさせたけれど。話がそれた、首を振る。やろうと思えば彼はこの領域に気付いたとしても放っておく術を持っているし、そんなことを思うのは既に領域の意味を理解されてしまっていると、そんな過大評価をしているからなのだけれども。 「お前にはそう見えんのか」 「うん!」 返事だけは元気だ。おれはほんものなんか見たことないけどね、と言われてオレだってねえよと返す。そうしたらそうなんだ、と落ちたのは静かな言葉で。 踏み荒らす。 そんな言葉も使えない程に、それは手探りだった。静かだった。あんなに煩いのにまるで水のようで、人間の身体は殆どが水だと言うけれど、其処に溶け込むみたいに。 ああ。 ―――きもちわるい。 「で、じゅんちゃんせんぱい」 「なに」 「これ、誰からもらったんですか?」 「…ハトコのにーちゃん。沖縄行った時のお土産が余った、って」 「なにそれ。お土産って余るモンなの?」 「さあ」 骨みたい。 おんなじことを思ったなんて、口が裂けても言いたくなかった。 *** マフラー クリスマスに欲しいものある、と勇気を出して(そりゃあもう結構な勇気を出して)聞いてみたのだが、返って来たのは友人の予言通りなものだった。 「せ、せんぱいと、いっしょに! いられれば! それだけで!!」 だってクリスマスに一緒にいられるなんてコイビトっぽいじゃないですか! ね! オレだってそれらしいことしたいんです! ね! デートとかじゃなくていいんで! あ、いやおうちデートとか、オレ、ケーキ買っていきますから、せんぱいの家、行ってもいいですか…? あ、だめならオレの家でも良いです! 姉ちゃん煩いかもですけど! ちゃんと言っておくんで! マシンガンのようだった。ぎゅっと握られた手には手袋がされていて、ああちょっと勿体ないな、でも彼の美しい手を守るためには仕方がないか、なんてぐるぐる思考が一回り。 それから。 「………あ」 「なんでしょう」 だめですか? クリスマス、というその美しい後輩の頭部には耳が、臀部には尻尾が見えそうだ。犬の。しょんぼりとした。 「ううん、その、クリスマス、いいなって思った、だけ」 「ほ、ほんとですか!」 「ぼくの家、来れば」 「いいんですか!」 「いいよ。ケーキも、なんなら、つくる、し」 クックパッドにあるやつなら、出来るから、と言えばその幻の耳と尻尾は途端に元気になって、えへへ、と嬉しそうなだらしない笑みが浮かぶ。そのだらしない笑みでも美しいのだから本当にこの後輩は神様とかそういうものに愛されているのだろうなあ、と思う。 ―――まあ、ぼくのだけど。 多分、この角度だから見えたもの。だらしない声をあげて、彼をまるで人間のように欲にまみれさせた時にうっかり―――そううっかりだ、つけてしまったものが見えて、ああこれはまずいなと思った。思ったので、クリスマスプレゼントは決まったようなものだった。 * 20151214 *** ヘミソフィア 別に、あれこれ特別なことを考えていた訳ではない。 「ねーあのさ、しゃむにゃん」 「ん?」 「ああいうの、どう」 指差したのはテレビ。目的のCMは終わったところで、でもちゃんと意図は通じたらしい。さっすが以心伝心。伊達にツーカーしてないね。 「どうってもなあ、興味あんの」 「あるっていうか、どうなのかって思って」 そっちこそ興味あんの、と問うてみれば、うーん、と難しい返事。 ここ数年でこの恋人は丸くなったと思う。それはきっと、俺も同じだっただろうけれど。だからこんな質問が出るのだ。 ―――特別な人に、特別な贈り物を。 銀色。輪っか。ただ高いだけ、そう言ってしまえばそれだけのものだったけれど。そういう形が欲しい人だっているよね、知ってるよ、お前はどうだか知らないけど、俺はまだ、知るのが怖いとか言うのかもしれないけど。 ―――お前のこと、特別だと思ってるよ。 言葉にするのが怖いなんて。 そんなことは、言わないと、思っていた、けれど。 「そのうち、欲しくなるかも」 「ん、そっか」 「今は、まだ」 「うん」 理由は聞かなかった。 欲しくなった時に教えてくれるような、そんな予感がしていた。 * いつか来る未来のために *** ガラス細工 どうしてあんな夢を見たのか、本当に自己嫌悪しか出来ない。榎木に突っつかれるとは思っていなかったのでありありと思い出してしまったのもある。 別に、具体的なことをした訳ではない。 ただ、いつもと目が違っただけ。あの触れたら壊れそうな、硬質な瞳が、ちがうものになっていただけ。 まるで。 そこだけあのひとと取り替えた、みたいに。 ―――洋くん。 ―――洋。 わんわんと混ざる一つの声。違う、ちがうだろ。アンタが見ているのは見たいのは俺じゃない、俺じゃないはずだろ。どうしてそんなことも分からないんだ。 ―――好きだよ。 ―――愛してるわ。 あんなのは、ただの。 ―――夢だ。 頭を掻きむしる。このまま風呂に入って冷水でも浴びれば良いのだろう。 「でもさあ」 不意にともだち≠フ声が蘇る。 「これって別に、普通のことだよ。涼暮くんが悪いことしてる訳じゃねーし、生理現象じゃん。なんでそんな嫌がるの?」 そんなの。 重なる音。反響。残響。忘れたつもりだった、逃げたつもりだった、何も解決しなくても、此処にいる間だけは。 ―――和海さん、もっと、こっちへ来て? おんなじなのに、それをあの人に求めている自分が、嫌だったから。それだけ。 *** 苦くて甘いもの ねえもっとちょうだい、とねだるのはいつものこと。どうやったら悦んでもらえるかなんてよく分かっている。そりゃあ違う人間を毎回相手にしているのだから差異はあるのだろうけれど、単純なものなのだ、そもそも。でなくちゃこんな疲れる行為を、身体の限界と戦いながらも続けるなんて、するはずがない。 「えっちだね、コータくんは」 「うん、すっごく、えっち」 「なんでそんなにえっちになっちゃったの?」 「それはァ、………」 いつものように誤魔化そうとして、そして浮かんできた思い出を打ち払おうとして、そして。 「あれェ…?」 こてり、首を傾げた。 「どうしたの?」 本当の名前も知らないような男がざらざらした手で耳に触れる。銀に彩られたそこは何度も触られるうちに、そういうもの≠ノなった。高い声が上がって相手が笑うのを見て、それからどうしたの、と繰り返される。 「答えてくんないと、これ、あげないよ?」 自分にも同じものがあるのに、毎度のことグロテスクに映るそれが頬に当たって、ああ熱いな、興奮しているんだな、と分かった。嬉しくなる。 「ん、っとね、えーとォ」 ぺちぺちと可愛らしい音を立てるそれに手を添えながら頬ずりをして、ちゅ、とリップ音をさせて。 「理由なんか、ないよォ」 れ、と舌の銀色を見せ付けてやる。 「コータくんはァ、最初っから、えっちな子でした」 だから、ね? と今度はわざと首を傾げてみれば、男は気分を変えたらしい。いいよ、なんて言って、きっとしてほしくてたまらないのはそっちのくせに。 ―――あの人の顔、もう、思い出せない。 銀色が誰かに触れる度に思い出が消えていくのだとしたら。 いつかきっと、恋なんてものも全部、忘れられるんだろう。 *** 簡単で難しい 首輪でもつける? と言ったのは所謂その、世間一般で言うところのコイビトというやつで、どうしてかおれとそういう関係になって、でもその前にはおれのことを飼い主だなんて言っていて、つまるところそれが未だ解消されていなかったことを今上原萌はその身をもって知った訳なのである。 「いや…おれ、そういう趣味ないし」 「だよね」 ならなんで聞いたんだよ、とは言わない。この世間一般で言うところのコイビトとやらでおれの飼い、飼い、なんだろう、犬というには大人しいし猫というにはついてくるし、この際アヒルとかでも良いかもしれないがじゃあここは名前に則って鹿で。飼い鹿。あんまり鹿飼ってる奴もいないと思うけど。 「なに、お前はつけてほしいの」 「上原くんがそうしたいなら」 「お前のこと聞いたの」 「僕の、こと」 ゆったり、している。 鹿田祭里の中では、時間がゆっくりと流れている。 いつも人の中にいるのとは違う、上原萌は何処でも生きていけるけれど、きっと本当の上原萌はここでしか生きてけないんだ。ねえ鹿ちゃん、おれのことよしよしして。おれのこと、甘やかして。美味しいごはんつくって。 「………上原くん」 ぬっと、手が、伸びてきて。 「な…に」 そう言うのが精一杯だった。だってまるでおれの心を読んだみたいに鹿田はおれの頭を撫でてきたのだから。 「何って、なんか、そうした方が良いかな、って」 「なに、それ」 「嫌、だった」 「嫌じゃ、ないけど」 「なら、もうちょっと」 いいよ、もっとやれよ。それで鹿ちゃんの気が済むのなら、おれの気も済むのなら、それでいいじゃん、一石二鳥じゃん。 「あのね、さっきの話だけど」 「首輪?」 「うん」 少し、眼鏡の下の目がやさしく弛んだのが分かった。 「どうせなら、首輪より、その、上原くんと、手を繋いで、いたいな」 *** 見えない壁 仲直り。 ほぼ一方的にその言葉を突き付けられてから結局、空鳴が瑠璃川と会うことはなかった。ひどい話だなあ、と思う。(多分)可愛い後輩の頼みを無視した形になったのだ、彼の中で空鳴の評価はきっとガタ落ちだろう。まあべつに、そもそも他人からの評価なんて気にならなかったし、好きな絵をかけていればそれで良かったし、それだけで何もかもが満たされた気分になったのだし。 絵だけが、空鳴の世界だった。 そう言っても過言ではない。間違いでもない。ただ其処に世界があって、それは運命みたいなもので。瑠璃川は形がどうであれ、その世界を拒絶したのだ。そういうことがあることは知っている、空鳴だって、今更どうしてと喚くような真似なんてしない。しない、けれど。 「…だって、そんなの、瑠璃川くんが先に、」 言い訳がましい言葉は最後まで言えなかった。 言ってしまったらそれこそ、彼と二度と話せなくなるような気がした。 もう卒業を間近に控えた日。美大へ進む空鳴と、医大へ進む瑠璃川。遠い故郷に戻るであろう空鳴と、この辺りにある実家をつぐであろう瑠璃川。もう交わらないと思うのが最適なのに、どうしてかその一線を引くことが出来なかった。 *** マジで逃げ出す五秒前 前を見て歩いていなかったと言えばそれまでなのだけれども。 廊下を走っていて角で人にぶつかるなんてベタな出来事、あるのだなあ、と坐故康太はその目をぱちくりとさせて見せた。相手の人の長い髪が廊下に広がって、ああきれいだな、なんて思う。晒された耳にはなにも装飾がなくて、けれどもいろいろと似合いそうだなあ、と思ってからはた、と今自分がその人に乗っかってしまっている状態であることに気付いた。 「すみません、前、見てなくて」 「い、いえ、こちらこそ…」 よいしょ、と身体を起こすと相手は慌ててスケッチブックを拾うと、顔を隠してしまった。素早い。耳ばかり見ていた所為でその先にあったはずの顔を見逃してしまった。 「あのォ」 「な、なんです…か」 肩を震わされてそんなに怖く見えるかな、とちょっと頬を掻いた。この耳を隠すこともしていないし、そもそも見せるための短髪なのだし、そういうのと縁のない人なのかもしれない。けれどもネクタイの色からして先輩のようだし、ああそういえば自分のネクタイは何処かへやってしまっていた。でも最高学年なのだからこうまで怯えることをしなくても良いような気がするけれど。 「その耳、」 「み、耳…?」 「ピアスとかァ、興味ありませんかァ?」 精一杯に優しい声を出してみたのだけれど、結果は果たして。 *** 20190117 |