若気の至り、かもしれない 青諏佐

 気付いたら、壁際に追い詰められていた。
「青、峰」
目の前の男の名を呼ぶ自分の声は、あまりに情けなく聞こえた。
「好きなんだけど」
言葉に、瞳に、貫かれそうになる。
「…オレ、男だけど」
「知ってる。それでも好き」
ただあまりに真っ直ぐに飛んでくるそれに、諏佐は焼き殺される思いだった。やめろ、やめてくれ、舌が言葉を探していた。根本から否定するための言葉を。喉がからからと乾く、声帯が空気を拒絶する。どちらが本能なの分からなくなりそうだ、目眩さえしてくる。
「…勘違い、かもしれない、だろ」
震えそうになる喉に鞭打って、その言葉を吐き出す。
 若さと言うのは厄介だ。目の前にあるものがどうしても今しかないものになり得る。それをどうしても掴みたがる。掴むために名前を付ける。不相応な程、大それた名前を。
 「それでも良い」
その瞳の輝きが変わらないのを諏佐は何処かで分かっていたように思う。そしてきっと、それを期待していた。
「これが勘違いだったとしても、オレは後悔なんかしねぇ。この気持が嘘じゃねぇって言い切れる」
どうして、どうしてこうも真っ直ぐな眼差しをくれるのか。
 逃げられない。
 脳裏を走る言葉を殺す。だめだ、この光に囚われてはいけない。そう、分かっているのに。
「諏佐さんはそうじゃねぇの?」
拗ねたように、甘えるように僅かに首を傾げた青峰に、もう吐く否定の言葉などなかった。



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20130722

***

雨の中にただ佇んで 青諏佐

 それを見つけたのは偶然としか言い様がなかった。帰り道を失った子供のように、目の前で親を轢き殺された子猫のように、その背中は雄弁に行く宛がないと語っていた。放っておけ、厄介だ、エースだからと言って練習にも顔を出さない、そんな奴を気にかける必要もないだろう、どれだけ彼が子供であったとしても、可哀想であったとしても、それでもポジションを奪っていったライバルなのだ、それを憎むつもりはないけれど、仲良しこよしなんてやっていられないし、そもそも以前屋上を譲ってしまったのだって気の迷いか何かで、そうきっと、春の陽気に惑わされたからで、
「風邪、ひくぞ」
結局無視することなど出来ずに傘を差し掛けた。
 鞄に入っていたタオルを無理矢理押し付けて寮まで連れ帰る。途中一度だけ汗くせぇ、と小さく呟かれた言葉は無視することにした。びしょ濡れだったTシャツとハーパンを剥ぎ、代わりに自分のものを押し付ける。気休め程度に絞り干してから振り返ると、大人しく諏佐の服に身を包んだ青峰がいた。
「何かあったのか」
聞くまでもなく分かっていた。出れなかったインターハイ準決勝と決勝戦。暗に込めた話したいなら話せば良い、話したくないなら話さなければ良い。この馬鹿に伝わるかは知らないけれど。
 じっと見つめてやれば青峰は居心地が悪そうに目を逸らす。
「ま、別に言いたくないなら良いけど。ああやって雨に打たれるのは身体に悪いからやめとけよ」
ひどく偽善的な言葉だと思った。先ほどまで放っておくつもりでいたというのに、良く回る。そう自分に呆れつつ青峰に背を向けた。
「オレは勉強するけど。帰りたかったら傘くらい貸すから」
勝手に出て行くのだけはやめろ、とノートを開く。返事も何もなかった。雨の冷たさが一切の熱を奪っていったように、暴君とさえ呼ばれる少年はあまりに静かだった。
 それがやっと動いたのは、そろそろ課題も終わろうかと言う時だった。
「青峰?」
「…ん」
肩甲骨の間にぐりぐりと押し付けられているのは、額だろうか。
「じっとしてろ」
命令口調であるのに何処か懇願を含んだその声に、諏佐はされるがままにすることにした。別に、危害を加えられている訳でもあるまいし。シャーペンを持ち直す。
 雨の音がやけに耳についた。

***

あどけない寝顔 青諏佐

 屋上、給水塔の上。一年時より愛用していたその日当たりの良い場所に先客を見つけ、諏佐は僅かに瞠目した。
 青峰大輝。桐皇学園男子バスケ部が獲得したキセキの世代。練習には出ない、試合には出るなどという横暴な条件がまかり通る程の強烈な光。その光が、給水塔の上ですうすうと寝息を立てて眠っていた。眉間の皺がないその寝顔はあどけないと言うにふさわしく、それも諏佐を驚かせた要因だった。今吉と共に見た中学時代の試合のDVDでも、桐皇に入って来てからも、ひどくつまらなそうな顔をした彼の眉間から、皺が消えたのを見たことはなかったから。
 いや、と一人諏佐は首を振る。暴君などと呼ばれる彼も、まだ十六歳の子供なのだ。今吉が繊細と評したように、そういうやわい部分も青峰にはある。きっと、必死で見せないようにしているだけで。
 「…譲るか」
日当たりの良い場所なら探せばまだある。あの暴君がこんなに子供の表情を晒せる場所を、先に見つけたからと言って奪うのは忍びない。諏佐は青峰に背を向けた。給水塔を降りて屋上の入り口へ迷うことなく歩んでいく。
 ぱたり、閉まった扉の音を聞いて、青峰はうっすらと瞼を持ち上げる。回っている春の太陽が心地好く目に飛び込んで来た。
「…ッなんなんだよ」
 もやもやと胸の内に広がるその感情の名前を、青峰はまだ知らない。

***

誤認識アモローソ 青諏佐

 いつか本当になるのなら、それで良いじゃないか。

***

だらしのない男と綺麗好きの男 原+山+瀬 R18G

*例のネタ



 山崎と連絡が取れないのだと、古橋に相談を受けたのはある晴れた秋の日のことだった。八月の下旬頃からメールも電話も通じなくなって、と古橋は言う。こいつらそんなに仲良かったっけ、そう思いながらも瀬戸は分かった、と返した。
 霧崎で一緒だったバスケ部スタメンの連中は、結局高校卒業後も何だかんだつるんでいた。こうしてそれぞれが就職した今では、頻繁に会うことも出来ずに連絡を取り合うのみになってはいるが。古橋も花宮も都外に出てしまっていて、なかなか集まれないというのもある。そういう前提があるので、古橋は瀬戸に連絡してきたのだろう。原にも聞いてみたが、何も知らないとしか返って来ないそうだ。いよいよ心配になった古橋は山崎の家を尋ねようかとまで思ったらしいが、なかなかまとまった休みが取れず、結局瀬戸に頼むことにしたらしい。何故瀬戸なのかと言えば、原ならばめんどくさいの一言で切り捨てるのが分かっているからであろう。
「ザキが、ねぇ」
存外細やかな彼が、理由もなしに古橋からの連絡を遮断するとは考えにくい。面倒なことになってなきゃ良いけど、と思う。山崎もまた他の面子と同じように一人暮らしだったはずだ。スケジュール帳を開く。丁度、次の週末は何も予定がなかった。
 電車で一時間半、揺られて辿り着いたのは山崎が住んでいるはずのアパートだ。そこまで広くはないが、何度か此処にも集まったことがある。以前来たのは三年程前だった気がするが、それでも駅からの道に変わりはなく、一度も迷うことなく辿りつけた。
 インターホンを押してみる。反応はない。周りに人がいないか確認してから郵便受けを覗いてみる。中はチラシやら請求書やらでごった返していた。どうやら山崎は此処にはいないらしい。しかも、それなりに長い期間。ふむ、と前髪を掻きあげる。
 古橋の話によれば連絡がつかなくなる前、山崎は転職を考えていたらしい。資格やら何やらの関係で先に仕事を辞め、日雇いのバイトをこなしながら勉強を始めた矢先のことだったと言う。
「失踪かァ…?」
嫌な予感が頭を過る。これは本当に警察沙汰なのかもしれない。息を吐いた。
「…原のところにも一応寄っておくか」
取り出しかけた携帯をそのままポケットに戻す。知らないとは言っても、何か手がかりを持っているかもしれない。

 「瀬戸じゃん、どうしたの、急に〜」
久しぶりに会った原は前見た時とそう変わらなかった。
「ん、ちょっと野暮用でこっち来たから。ついで」
「ついでって。ちょっとヒドくない?」
「ひどくねーよ、オレだって忙しいもん」
山崎のことを伏せたのに特に意味はない。強いて言うのならば、まだ失踪が確定事項でない以上、ぺらぺらと喋るのは好ましくないと思ったからだ。
「仕事、どうなの」
「毎日あっついよ〜」
火で燃やすとか、マジ前時代的でしょ。なんで未だ許可されてんのかわかんなーい、そう笑う原はいつも通りだ。変わらないことがなんだか擽ったく感じて、瀬戸は笑う。瀬戸の方はどうなの、とその質問に答えようとした時、タイミング良くピーンポーンとチャイムが鳴った。
「やべ、今日電気屋さん来るんだった」
「あ、オレいない方が良い?」
「いや、外の基盤見るだけだったはずだから大丈夫だと思う」
待っててよ、と原が慌ただしく玄関へ向かう。その際に盛大に机を蹴り飛ばして行った。ずざざざざ、とその上に積まれていたチラシやらノートやらが崩れ落ちる。こういうとこも変わんねぇな、と思いながら瀬戸はそれを一つひとつ拾い上げていった。クーポン付きのチラシ、カタログ、コンビニの割引券、レシート、請求書、不在届。ごちゃごちゃとしたその一番下に、それは埋まっていた。ばさり、と開いたそれは日付と何行かの文が書いてあって、一目で日記だと分かる。「お盆休み」やら「ザキ」やらの単語が目に入って、悪いことだとは思いつつ、瀬戸はそれを拾い上げた。





8日
早めのお盆休み開始!

14日
ザキと喧嘩した
すっげーうるさかった

15日
ザキの携帯踏んで壊しちゃった
でも怒られないもーん

16日
冷凍庫いっぱいになっちゃった
節電なんてしてらんねー
ゴミ袋もなくなっちゃったし買い出し行かないと

17日
お盆休み最終日ー
仕事だるい
焼却炉めっちゃ暑いのにー

24日
古橋からザキどうしてるか知らない?ってメール来た
古橋でも心配とかするんだ

27日
斎藤にアボカドもらった
アボカドって余るもんなんだ

30日
古橋しつこい
そんなにザキと仲良かったっけ?

9日
計画停電困るなぁ
冷凍庫のもの大丈夫かな

11日
冷凍庫のものは処分しちゃうことにした
いつかやらなきゃいけなかっただろうしね

12日
どうやって処分しようかまだ考えてる
一気に捨てたらだめだよね

17日
今日は山へ足を運んだ
結構山奥まで行った
クマとか出なくて良かった

20日
鈴木さんと出勤日交代することになった
次の休みは22〜

22日
今日は海へ足を運んだ!
シーズンじゃない海はガラガラだった
水面って灰色に見えたりもすんだね

25日
焼却炉入れ替えらしい
これから忙しくなる

28日
明日は休みだから出掛けたい
でも山にも海にも行ったし
頭抱えて悩んでる

29日
結局廃墟に行ってきた
まぁ良い考えだったと思う

4日
間辺がミス
尻拭いに奔走した一日だった

5日
仕事中にため息吐いたら斎藤が手を焼いてるのかって
笑っちゃった
どうもって返しといたけど

10日
冷凍庫の残りは鍋に入れちゃった
これでスッキリ!






 手が震えているのが分かった。この時ばかりは自分の良く回る頭のことを恨めしく思う。
 「瀬戸?」
背後で声がして、びくりと肩が揺れた。
「何してるの?」
ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちなさで振り返る。そこにはいつもと同じ原がいた。だが、いつもと同じであることが絶対的におかしいと思えてしまう。原の視線が瀬戸の手の中の日記に落ちて、
「あーあ」
にこっと、でも、少し困ったように。
 「ばれちゃったぁ」



20130719

***

何度でも聞きたいから聞こえないフリ 赤山

 出会ったのは中学の全国大会だった。こちらはトイレを出たところでぶつかられて、いちゃもんを付けられているところだった。彼らはその前の試合で負かした者たちで、ぶつかったのはただの切欠なのだろうとぼんやり思っていた。全国まで来てこんなことに巻き込まれるなんて、とため息を吐きたくはなるが、あれだけ心を折るような試合をした後なのだ、それも仕方ないと思えてしまう。仮にも常連校だ、暴力沙汰にはならないだろうとは思うが、だからと言って延々と怨嗟の声を聞いているのもいい気分ではない。どうしたものか、と見上げていると、呆れたような声が降って来た。
「寄ってたかって何やってんだよ」
ひょろりとした体躯とその髪の色、そして何よりもその目つきが分かりやすく威嚇をしていた。少なくともこちらにはそう見えた。ぱっと見不良な外見をしているが、同じ学年にいる灰崎のことから考えて、彼はそうではなさそうだと判断する。
「運営呼ばれたくなかったらさっさと散れ」
その物言いでその予想は確信へと変わったようなものだったが、目の前の彼らにすんなり退場してもらいたかったのもあり、黙っていることにした。気まずげに顔を見合わせた彼らがそそくさと逃げていく。
 二人残された空間で、はあ、と息を吐いた彼を改めて見上げる。黒の制服。都内の私立中学のものだろう。有名ではないがそこそこ安定した学校のはずだ。それから考えても、やはり彼は不良ではなく、ましてやこれは気まぐれでもなんでもなく、彼自身の価値観によって行われた行為であると判断出来た。
「ありがとう」
笑って礼を言う。
「別に、礼を言われるようなことはしてねぇよ」
 そんな出会いから、二年。

 「…何でお前、東京にいるんだよ」
わざわざ学校まで行って捕まえたその人は、眉間に皺を寄せてそう言った。
「帰って来たからに決まっているだろう?」
「…あ、そ」
これ以上は無駄だと考えたのか、彼はそれ以上追求はしなかった。突然の来訪者に彼も、彼のチームメイトも目を丸くしていたが、
正直そんなことはどうだって良いのだ。
「弘」
名を呼ぶ。
 あの出会いの後、制服から学校を割り出して、更に名前を割り出すのにさして時間はかからなかった。最初に会いに行った時は割りとドン引かれたような気がするが、それは置いといて。そうして何度も対面を重ねていって、友達になって、東京と京都と大きな距離を経て、やっと気付いた。
 「僕は君が好きだよ」
だから帰って来て真っ先に君に会いに来たんだ、そう告げると面白いように頬が赤く染まっていく。赤くなるということは意味はちゃんと伝わっているらしい。もしもの時は強引な手段をとろうと思っていたから、そっと胸をなで下ろした。流石に、嫌われるかもしれないようなことはやりたくない。
「君は?」
じっと見つめていると、そのまま耳まで赤くなっていくから面白かった。わたわたと視線を泳がせている彼を更にじっと見つめると、観念したように俯いた。
「…嫌いじゃ、ねぇよ」
小さな、本当に小さな声ではあったが、聞き逃すはずもない。
 自分よりずっと高い位置にある首に手を回して、強制的に屈ませる。
「聞こえなかったからもう一回」
近くなった耳元でそう囁けば、ぶわ、とまた赤くなるのだから、もう。



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4×8の日



20130705

***

Missing Dog! 青若・今諏佐

 「あっ青峰くん!」
桃井の声に振り向けば、体育館の入り口をちょこりと覗いているのは確かに特徴的な青い頭だった。
「何してるの、入ってくれば良いじゃない」
「入れねーんだよ」
「別にみんな大ちゃんを仲間はずれにしたりしないわよー」
てて、と入り口へと走っていく桃井を見つめる。
 WCの敗北が効いたのか、この我が侭なエースは以前よりは練習に出るようになっていた。それはまぁ来ないよりは良いだろうと若松も思っている。いつもなら遅れていようと堂々と入って勝手に練習に混ざって行くというのに、今日は入り口でまごまごとしている。どうしたのだろう、と思ったのは若松だけではなかった。青峰は困ったような顔で未だ入り口に張り付いている。
「え、大ちゃん、この子どうしたの!?」
ひょい、と青峰の後ろを覗いた桃井の声に釣られるように、薄茶色の毛をしたものがひょこりと顔を出す。
 「犬?」
なんで、犬? 桐皇学園男子バスケ部の心が、一つになった瞬間だった。
 「あー…拾った?」
しん、と静まり返った体育館に青峰の答える声が響く。いち早く我に返ったのは桃井だった。流石幼馴染と言うべきか。
「拾ったって…大ちゃん…」
「仕方ねぇだろ、ついてくんだから」
他の若松を始めとした部員は、あの青峰に犬を拾うなんていう可愛らしい一面があったことに放心中である。いや、典型的な不良がやるような行動と言ったらそうだし、不良という訳ではないがあれだけの強面をした青峰だ。ある意味とても似合うのかもしれない。あくまでもパターンとして、の話だが。あとで面白いことが大好きな先輩に教えてやろう、と思いながら若松は二人を見つめている。
「でもこの子首輪してるよ? 捨て犬なんじゃなくて迷子なのかも」
桃井が子犬を抱き上げる。確かに子犬の首には赤い首輪が付けられていた。
「じゃあ飼い主見つかるまで面倒みるか」

 ということがあった訳で。
「おーよしよし」
「…で、お前は何でオレの部屋にいるんだよ」
「オレ一人で犬の世話なんか出来ると思うのか?」
思わない。間髪入れずに口から零れそうになった言葉を、若松はすんでのところで飲み込んだ。確かに、それはそうなのだが。それとこれでは話が別だ。
 ぐるぐると考えている若松を、子犬はじっと見つめていた。
「ん」
子犬が青峰の腕から飛び降りて、若松の方へと向かってくる。
「お?」
そのまま若松の腕に擦り寄ったかと思うと、ぴょん、と若松の膝に飛び乗ってきた。
「おお…」
かわいい。ぶわわ、と湧き上がる桃色の感覚に思わず嘆息する。そっと頭を撫ぜてみれば、子犬は気持ちいい、と言うように目を細めた。それがまた可愛くて緩んでいるだろう頬もそのままに子犬を構っていると、不機嫌そうな顔をした青峰が立ち上がった。
「あ、オイ」
腕の中から子犬を奪い返される。首根っこを摘まれた子犬がきょとん、とした顔で青峰を見上げた。
「だめだ」
はぁ、とため息を吐いて子犬を睨みつける青峰。子犬の方は状況が分かっていないらしく、青峰につぶらな瞳を向けたままである。
「だめだ、捨ててくる」
「はぁ!?」
慌てて青峰から子犬を奪い返す。奪還された子犬は心地好い場所に戻ってきたとばかりに、若松の膝の上に収まった。
「お前が拾って来たんだろ!」
「まさか若松サンにそんなに懐くとは思わねぇだろ!」
おっかねー顔してんのに! と続けるこの後輩はとてつもなく失礼だと思う。思うが若松にとってはそれよりも、からかうネタを見つけたことが何よりも心を踊らせた。あの、青峰が。自分の拾ってきた犬が自分に懐かないからと言って拗ねるなんて!
「お前も、可愛いとこあんだな」
「あ?」
「自分の拾ってきた犬が他人に懐いたからって、拗ねるとか」
笑いを堪えながらやっと口に出したそれはひどく震えている。これがメールだったら語尾に大量に草を生やしているところだ。勿論、床を転げまわる勢いで大爆笑した後で。暴君なんて呼ばれる程の自分勝手極まりないこの男でも、可愛らしい小動物に懐かれたいと思うのか、と思うと途端に可愛らしい生き物に見えてくるのだから可笑しい。
「…違ぇよ」
青峰は何処からどう見ても笑いを必死に堪えている若松を一瞥すると、すっとその腕の中の子犬に視線を落とした。そして、ぐるる、と低く唸って一言。
「…其処はオレの場所だ」
はぁ? と思わず声を漏らしてしまった若松に罪はないと思いたい。



 「という訳で全然寝られなかったので、今日は先輩方に世話をお願いしたいです…」
若干というにはあまりにもよれっとしてしまった後輩に、今吉と諏佐はその願いを断ることは出来なかった。敢えてそれから何があったのかは聞かないでおこうと思う。地雷を踏み抜きに行くような真似は控えるべきだ。
「日中は寮母さんが預かってくれることになったんですけど、それ以降は面倒見れる人がいないので…。それで、飼い主見つかるまでは拾ったってことで責任取ろうと思ったんですけど。さっき言った通りなので、その」
「分かった分かった」
げっそりとした顔が隠れていないことには気付いていないのだろう。そう察した今吉が思わず言葉を遮ってしまうほどには酷かった。あの今吉にもかわいそうだと思わせたのである、ご察し頂きたい。諏佐は若松には聞こえないようにため息を吐く。
「放課後になったら引き取りに行けば良いん?」
「はい。夕食までは預かってくれるそうなので、そのくらいでも」
「おー、なら図書館で勉強してからでも良えんやな」
「はい」
確認すべきことを確認して、若松を帰してやる。今は昼休みだ、あんなに疲れているのならば余計に昼くらい、ゆっくりさせてやりたい。
「青峰がなぁ…」
ふいよふいよと手を振っていた今吉が、信じられない、というように呟いた。

 そういう訳で。
「あの青峰が、可愛いことするモンやなぁ」
子犬の顎を掻いてやりながら今吉が言う。知らない場所であろうに子犬というのは順応性が高いのだろうか。とてもリラックスしているように見えた。
「で、なんでお前はオレの部屋にいるんだ」
「ケチなこと言いなや、隣やん」
確かに今吉の部屋は諏佐の隣なのだが、今はそういうことじゃない気がする。
「言うても諏佐やってこの子と遊びたいやろ?」
ほい、と子犬が諏佐の膝に乗せられた。くりりとした瞳が諏佐を見上げてくる。
「可愛いやろ?」
「まぁ、確かに可愛いが」
一応は受験生であるというのに、勉強しなくていいのだろうか。諏佐も今吉もそれなりの成績を保って来てはいるが、志望校のレベルからして一分でも長く勉強したいところではないのか。
「子犬ほったらかして遊べる程ワシも酷い人間やないんやで?」
「…どーだか」
じとり、と視線をやる。いつも通りの読めない表情のまま、今吉は笑っていた。
「信じてないんか?」
「ああ」
「ひっどいわ〜」
ずい、と顔が近付く。
「そんなこと微塵も思ってないくせに」
「まだ言うんか」
捕食者の顔だな、と諏佐は思う。飢えているところに肉を前にして、飛びかかるための助走をつけているような。だらだらと溢れているだろう唾液すら、見えないように隠して。今吉は狡いと諏佐は思う。
「そんなひっどいこと言う諏佐には、お仕置きが必要やな?」
でもそれを選んだのは諏佐なのだと、誰よりも諏佐自身が良く知っている。
 「おっと」
今吉が子犬の目をふわり、と覆う。
「お子様にはまだはやいで?」
残念、とでも言うように、きゃうん、と一声子犬が鳴いた。



 「あ、あの子犬の飼い主見つかったんですよ!」
子犬のこともあり朝練に顔を出した今吉と諏佐が聞いたのは、敏腕マネージャーからの報告だった。
「おお、良かったなぁ」
「桃井が見つけたのか? 流石だな」
思ったままに褒めればえへへ、と照れたような笑みが返って来る。身内贔屓を抜きにしても、このマネージャーは大層可愛らしい。
「昨日の夜に連絡があったんですけど、私家に帰っちゃったあとで。だから今日の放課後練習の前に引き取りに来てもらうことにしました!」
「へぇ」
隣で今吉が呟いたのに、諏佐はまた何かろくでもないことを企んでいるな、と溜息を吐いた。

 そういう訳なので。
「あの…バスケ部はこちらであってますか?」
「あ、飼い主さんですか?」
放課後の体育館に見知らぬ女性が現れた時、誰ひとりとして首を傾げたりはしなかった。
「あ!」
子犬の姿を確認した途端走りだす女性。
「ごめんねー! わんこー!」
感動の再会とばかりにばっと腕を広げたのに応えるように、スローモーションで飛び込んでいく子犬。そこにだけきらきらとしたエフェクトが舞っているような、そんな感じがした。
 「あ、あの」
「なぁに?」
代表してそろりそろりと挙手をし、声を掛けたのは桃井だった。顔をあげた女性の腕の中で、千切れんばかりに尻尾を振っている子犬。今、聞き間違いでなければ、
「その子の名前…」
「え? ああ、この子ね、わんこちゃんって言います!」
聞き間違いではなかった。犬の名前がわんこって、とその瞬間だけは全員の心の中が一致した。まぁ、にゃんことかではなくて良かったのかもしれないが。
 「ありがとうございましたー!」
そう手を振って帰っていく女性と子犬を見送る。放課後にも珍しく青峰の姿があった。
「寂しいか?」
「なんでだよ。飼い主さんのとこに帰れるのは良いことだろ」
そう言いつつも若松の横顔は寂しそうだ。なんだかんだで子犬に懐かれたのが嬉しかったのだろう。ついでに青峰の貴重なデレを見られたのもあるのかもしれない。諏佐自身もあまり触れる機会のなかった子犬という生き物に触れて、昨晩癒されたのは事実なのだから。
「はー楽しかったわ」
青峰にからかわれている若松を横目で眺めながら今吉が呟く。
「なぁ、諏佐。今晩はどうする?」
にやにやと見上げて来るそれに、うわ、と心の中でだけ吐き捨てて顔を向ける。
「…どうもなにも、受験生の日常に戻るだけだろ」
「いややなぁ、諏佐」
同じ目だ、と冷や汗が滑り落ちていく心地がした。
「昨日オアズケした分、今日きっちり返してもらうで?」
もしかして、最初からこれが目的で子犬を預かったんじゃないだろうな。浮かんだ疑問を振り払いながら、再度諏佐はため息を吐いた。



フォロワーのわんこさんの誕生日の贈り物

20130617

***

君が、いつの日にか 今諏佐今

 心からそう言ってくれるように。偽りのないその言葉を、形取れるひとになれるように。
 これは、一つの我が侭だ。



二年前 五月某日

 「六月なんか嫌いや」
口が滑ったという自覚はあった。それでも取り繕おうなどと思わなかったのは相手が諏佐であったことと、
その言葉が嘘なんかではなかったからだ。
「六月なんてなくなってしまえば良えのに」
「…そうか」
その時の声色なんて、もう、覚えていない。
「なぁ、一つ、賭けをさせてくれ―――」



五月某日 午前八時半

 「そういえば今年も出たらしいぜ」
「出た?」
後ろを振り返ってきたクラスメイトの言葉に、今吉は首を傾げて鸚鵡返しをする。
「グラウンドの幽霊」
「なんやそれ」
初耳である。しかし彼の言い方では前から存在しているように聞こえた。
「七不思議ではないんだけどさー比較的新しいみたいだし」
ほう、と相槌を打つ。この学園にもそういったものが存在していたとは。在学中に知れて良かった、と今吉は彼の言葉に耳を傾ける。
「俺らも朝練やってるからさ、毎年出くわすんだよ、それに」
「幽霊にか?」
「いや、幽霊には会ったことねぇな」
そう続ける彼は確か陸上部だったと記憶している。
「幽霊が出るのは真夜中で、誰も見たことないらしい」
早速嘘臭くなってきたな、と今吉は思った。誰も見たことがない、それは怪談のお約束でもあるが、見たことがないからそれは幽霊だと言うのは論理の飛躍である。怪談に論理も何もないのかもしれないが。
「毎年この時期になると出るんだよなぁ」
「この時期だけ?」
「そ」
梅雨入り前、と声が潜まる。
「朝グラウンドに行くと、前の日雨が降った訳でもないのにグラウンドがうっすらと濡れている。一歩足を踏み入れるとひんやりとした空気が身体を擽り―――」
その瞬間ガラッと教室の扉が開き、彼の肩が揺れたのを今吉は見逃さなかった。
「ほら授業始めるぞー席つけー」
「うお」
それが教師の来襲によるものだと気付いて、慌てて前を向く。
「続きはまたあとでな!」
きりーつ、と授業の号令が掛けられ、一時限目が始まった。
 校庭をびしょぬれにする幽霊、なぁ。クラスメイトの背中を見ながら頭の中で繰り返す。雨も降っていないのに、と言うが、校庭には人工的に雨を降らせる装置が存在する。スプリンクラーだ。その考えに行き着かない程、このクラスメイトが馬鹿だということはないから(余談だが彼は学年一桁に入る秀才である)、それが否定されるだけの要素があったということなのだろう。
 例えば、と今吉は板書をしながら考える。スプリンクラーに作動した跡がなかった、とか。桐皇学園のスプリンクラーは、グラウンド脇にある操作版を使って散水する。ハイテク感のあるものではなく、使用履歴が残ることもない。だがしかし、使えば散水口に水は残るし、開閉時に蓋の上の土を跳ね除けるため、蓋がいつもよりも良く見えるようになる。そんな不思議現象を放っておくとは考えがたいし、これを検証した結果の幽霊結論なのだろうと思った。けれど、言ってしまえばスプリンクラーを使った人間がそういう後始末をしていれば、これは人間の仕業と言っても無理はない。
 更に人間説を否定するとしたら、そんなスプリンクラーを動かすような人間を、どうして学園側が放っておくのか、ということだろう。これでも桐皇学園は東京屈指の名門校である。セキュリティだってそれなりに充実している。外部犯だと仮定してもそんな不審者を入れるほど警備がザルだとは思えないし、内部犯と仮定しても、こんな意味不明の悪戯を放っておく意味が分からない。
 悪戯ではなく理由がある、という考えは当然存在するが、意味が分からなすぎてお手上げだ。コキコキッと首を鳴らした。ひんやりとした空気は朝であるのと、濡れた土が冷えて冷気を発しているからだろう、と今吉はペンを回す。あとは幽霊が出る、という噂話から勝手に感じてしまったものなのかもしれない。思っている以上に人間と言うのは単純である。
「分からんわぁ…」
小さく呟くと、隣の席の諏佐がちらり、とこちらを見やったのが分かった。なんでもない、と身振りで示して、真面目に黒板を見つめる。
 幽霊であると断定は出来ないが、だからと言って人間だという断定が出来る訳でもない。名探偵ではないのだし、机の上で解決出来ることはそう多くなさそうだ。しかし、幽霊であれ人間であれ、残る疑問は一つ、だ。
 何故、そんなことをするのか?



六月二日 午前十時

 「…あ」
隣の席の諏佐が小さくそう呟いたのを、今吉は聞き逃さなかった。
「どないしたん」
「ノート終わっちまった」
諏佐の机に視線を落とせば、確かにそれは最後のページだ。
「替え持ってるんか?」
「いや、ない」
次の休み時間は購買かな、と言う諏佐に今吉は時間割を思い浮かべる。三時限目は現国だ、教室移動はないが単語の意味を調べたり、段落ごとに内容を纏めておくと言う予習がある。諏佐は頭が良いが、だからと言って十分しかない休み時間でノートを買いに行き、その予習を粗方終わらせるというのは無理があるだろう。
「じゃあワシんのやるわ。そろそろ終わるて思て持ってきたんやけど、まだ終わりそうにないからな」
机の中に手を突っ込む今吉に驚いたような目線を寄越してから、
「悪い、助かる」
ふわり、と諏佐は笑った。
 この笑みが好きだ、と今吉は思う。
「今度、何か返す」
「あんがとなぁ、ほい」
目当てのものを見つけ、諏佐に差し出した。
「…なんだ、これ」
「かわいーやろ」
そのノートはやたらとファンシーだった。ピンクを基調とした表紙に、黄色や赤の水玉がポップに舞っている。文房具メーカーとアイスクリーム屋がコラボして作ったノート。その情報は諏佐も、クラスの女子の会話から知っているはずだ。
「フォーティーワンとカンバスがコラボしたらしーで」
「…知ってる。なんでそれをお前が持ってるのかって聞いても良いか?」
「買うたからに決まっとるやろ」
「…それもそうだな」
そういうことじゃない、と顔に書いてあったが、うまい言い方が見つからなかったらしい。にまにまと笑う今吉に、諏佐はため息を一つ吐く。
「そこ、バスケ部ー。静かにしろー」
「はーい」
「すみません」
教師の声に明るい今吉の返事と静かな諏佐の謝罪が響いた。諏佐が真新しい一ページ目を捲り、下敷きを差し込んで途中だった計算を続けるのを、今吉は頬杖をついて愛おしそうに眺める。
「今吉」
「はぁい?」
「諏佐のノートを覗くんじゃない」
「えーでも先生、全く分からんのですよ」
「諏佐ー、隣の奴にノート見せるなー」
「はーい…」
クラスの笑いを少しだけ誘って、数学の授業は続いていった。



六月二日 午前十一時

 Kは自分と似ている。教科書の小説を読み進めながら、今吉はそう思った。いつか、いつか。大切な人間に何かさせてしまうのではないかという恐怖。紛れもない加害意識は自分の中にあるのだろう。生命を絶つことを選んでしまうほどに、自分を蝕む加害意識。今もきっと、今吉の中で育っている。
 「そういえば皆さん、こんな話を知っていますか」
教師のその言葉にまた始まった、と思う。
「夏目漱石は教師をしていたことがあります。その時、学生のうちの一人が「I love you」を「我君ヲ愛ス」と訳して持ってきたそうです。これは間違いではありませんが、漱石はそれを指摘して、日本人ならば「月が綺麗ですね」で伝わりますよ、と言ったそうです」
有名な話ですよね、と教師は笑った。その話なら今吉も知っていた。良く一緒に出されるのは二葉亭四迷だ。
諸説あるところは今は省略するが、彼は同じ言葉を「私、死んでも良いわ」と訳した、と。こちらの方が今吉は好きである。自分を全てを尽くして誰かを愛す。そうなりたいと、願っている。
「明日は満月ですからね。深夜徘徊はすすめませんが、大切な人と空を見上げるのも良いと思いますよ」
空は繋がっているものですから、とにっこりしてから教師は板書に戻る。ロマンチックなところもあるのだなぁ、とその背中を見つめた。満月なんやって、と隣を見やれば、
「…またか」
頬杖をついた諏佐が、舟を漕いでいた。



六月二日 午後八時

 「すーさ」
寮の廊下の先に見つけた見知った背中に、今吉は勢いをつけて飛び付いた。ぐらつくこともなくそれを受け止めて、諏佐は飛び付くのはやめろ、とだけ言う。風呂に入って来た後なのかその身体は暖かく、ほんのりとシャンプーの香りがした。
「監督の話、終わったのか?」
「おん」
 今吉くん、申し訳ないのですが、個人面談が今吉くんだけ終わってなくて、私が代理を頼まれていたんです。今の今まで忘れていたんですけれども。明日までにデータを纏めないといけないらしいので、疲れている所悪いのですが、三十分くらい時間を頂けませんか。顧問であり監督でもある原澤が、彼に似合わぬそんな無計画な台詞を吐いたのは一時間程前のことだった。本当に申し訳なさそうな彼の表情に文句を言う気にはならず、言われるままに面談を済ませ、寮に帰って来た時には諏佐はもう部屋にいなかった。
「帰ってきて直ぐ風呂行ったん?」
そうだとしたら長すぎるな、と思いながら問う。
「いや、課題やってた。風呂はそれから」
「そうか」
待っててくれても良かったんに、とわざとらしく膨れて見せると、その前に課題終わっちまったからな、と返された。
 二人並んで部屋までの道を歩く。
「明日何の日か知っとる?」
「お前の誕生日だろ」
諏佐がお風呂セットの入った袋を持ち直した。がさり、と重そうな音がする。恋人の誕生日くらい覚えてる、と優しげな目をする諏佐を、今吉は満足そうに見つめた。
「何か欲しいものとかあるのか?」
今吉の問いに何か意味があると思ったのか、諏佐が問うて来た。今吉としてはただ確認したかっただけなのだが、そう言われると考えてしまう。
「んー…特に欲しいモンはないけど…」
瞬間、今吉の脳裏に小さな願いが煌いた。そんなこと、と言われるかもしれないような小さな願い。妖怪サトリとまで言われる自分には少し不似合いかもしれない、可愛らしいもの。
「…なぁ、一つ我が侭言うて良え?」
「聞くだけ聞こう」
「明日、諏佐に一番におめでとうて言われたいんやけど」
お安い御用だ、とそういう顔をした諏佐は勿体つけるように瞳を弛める。
「間に合ったらな」
可愛い後輩が朝イチで言いに来ないとも限らないだろ? そう笑う諏佐に、それもそうやなぁ、と返した。おやすみ、と小さく交わして、それぞれの部屋へと入っていく。
「諏佐」
扉の向こうへその背中が消える前に呼び掛けた。
「今日はぐっすり眠れそか?」
「何でだ?」
「最近良う授業中に舟漕いでるやん。諏佐は頭良えけど、授業聞いといた方が良えこともあるやろ?」
「なんだ、バレてたのか」
気をつけるよ、と諏佐は軽く手を上げた。
 ぱたり、という扉の閉まる音が、やけに耳についたような気がした。



六月三日 午前六時

 けたたましく鳴り響く目覚まし時計を黙らせて、顔を洗って着替える。前日のうちに用意しておいた鞄を持って部屋を出ると、諏佐の部屋の扉もタイミングを合わせたように開いた。おはよう、と言葉を交わして肩を並べて階段へ向かう。
「ああ、そういえば、誕生日おめでとう」
「あんがとさん」
「ちゃんと一番に言えたか?」
「もちろんやで」
良かった、と目を細める諏佐に、今吉はこの我が侭は正解だったな、と思った。
 諏佐は今吉にいろんなものをくれようとする。それは形のあるものに限らない。そしてそれを思う通りに与えられた時の諏佐の表情が、今吉はとても好きだ。無用心に他人に心を明け渡すような、そんな無防備な表情が、とても、好きだ。例えそれが今吉を蝕むものであっても、諏佐は今吉が望むのならそれをくれる。そういう馬鹿正直で素直なところも好ましいと思っていた。
 体育館に着くと、若松がぱあ、と顔を輝かせて駆けてくる。
「キャプテン!誕生日おめでとうございます!!」
朝の挨拶よりも先に告げられたその言葉に少しだけ目を丸くして、笑顔でありがとな、と返す。鉛のように重くなっていく胸のことは、気にしないふりをした。
「若松は自分の誕生日みたいにテンション高いなぁ」
「そりゃあキャプテンの誕生日ですからね! 嬉しいですもん」
にっかーと笑った顔に気圧される。
「そ、か」
うまい言葉が見つからない。口ごもった今吉に気付いたのか、諏佐が横から練習はじめないのか、と口を出した。若松は慌てたように返事をして走っていく。
「オレらも早く用意しないとな」
ぽん、と頭を一撫でし、ボールの籠の方へ向かう。
 ほら、言っただろ? ちらりと今吉を見やった諏佐の瞳が、そう言った気がした。



六月三日 午前八時

 「あんなに誕生日祝われるとは思わんかったわー」
教室に着くと、内緒話をするように小さく、今吉が吐いた。朝練の合間に部員の殆どが今吉に祝いの言葉を告げて来た。その中にはあの青峰もいたのだから驚きだ。いつも通りに朝練に参加した訳ではなく、顔を出しただけだったのだが。
「それくらい人望があるってことだろ。良かったな、キャプテン」
「まー喜ばしいことなんやろうな。でもちょっと疲れてもーたわ」
眉根が自然と下がってしまう。どうしても慣れないということは、諏佐にも言っていない。
「そりゃあれだけ言われればな」
今吉から見れば全くの善人であり、無垢な諏佐には知られたくない。こんな日に、ぐるぐると黒い感情に囚われている自分のことなんて。
 「諏佐、鹿山が呼んでる」
クラスメイトの声に顔を上あげれば、扉のところにいたのは隣のクラスの生徒。同じバスケ部の鹿山だが、諏佐に何か用だろうか。
「おう、悪いな、持ってきてもらって」
「いやいや、いつもテスト前助けてもらってるし。これくらいお安い御用ですよ〜」
諏佐の手に一冊のノートが渡されるのを今吉は席から見ている。
「でも意外だよなぁ。諏佐でも課題忘れることなんてあるんだな」
「オレだって人間だからな」
「でもオレが知る限り初めてだよ」
「そうだったか?」
少し言葉を交わしたあと、鹿山がじゃ、と手をあげた。
「四時限目には返す!」
「頼んだぞー!」
席に戻ってきた諏佐に話し掛ける。
「諏佐、課題忘れたん?」
「ああ、やったにはやったんだがノートを忘れてな」
何でもないことのようにそう言った諏佐に、今吉はふぅん、とだけ返す。
「鹿山頭良えもんな」
「それもあるけど、鹿山のノート綺麗なんだよ」
朝練の時に頼んだんだよ、とノートを広げ、解き方をプリントにメモしていく諏佐。二時限目の数学に間に合わせるためには、全て解くよりもその方が効率が良いのだろう。
「まぁ、頑張ってな」
「ああ、間に合わせる。今日当たるしな」
一心不乱にプリントへ向かう諏佐をしばらく眺めてから自分の予習に戻る。
 昨日諏佐に渡したピンクのノートがプリント束の下から覗いていたのを、今吉は見逃さなかった。



六月三日 午後十二時半

 悪い、ちょっと先生に呼ばれてるから、一人で食べていてくれ。そう言われた今吉は、一人でパンをかじっていた。ぼんやりと考え事をしながら食べるパンは何の味なのかイマイチ分からない。
 諏佐は人が思うよりもものぐさだ。予習復習を欠かさず課題もそれなりにしっかりこなし、成績も殆ど一桁。そんな外面だけを見ていると、生真面目という印象を受ける。確かにそれは間違っていない。几帳面な一面もあることだし、生真面目というのも強ち間違いではない。しかし、可能な限り置き勉をしようとしたり、全教科、提出以外のノートは一緒くたにして取っているのを見ていると、どうしてもそれだけだとは思えないのだった。後輩はどうもその外面に騙されている者が多いようだ。きっと本人には騙すつもりなんてないのだろうが。
 そういう諏佐の人間性を踏まえて先ほどの光景を考え直すと、なにやら納得のいかないところが幾つか出て来る。
 先ほどの数学の課題はプリントで出されたものだった。諏佐はいつも、それをノートに写す。プリントにそのまま書くことはしない。けれど今日は直接記入していた。違和感一つ目。諏佐は提出するノート以外は全て一冊でまかなっている。数学は授業中に黒板に問題を解かされたりはするが、提出ということはない。よって、やるとしたらその一冊が使われたはずである。諏佐はそれを忘れたと言った。しかし、その一冊である昨日今吉が渡した特徴的なノートは諏佐の机にあった。違和感二つ目。昨晩諏佐は寮の廊下で会った時、課題は終わったと言った。今日もやったけれど忘れた、と言っている。でもそれでは今まで諏佐が狂わせずに保っていた彼のルールが、全て崩れることになる。違和感三つ目。
 そしてその違和感を全て認めるとなると、諏佐が今吉に嘘を吐いたことになる。
 一体、何のために?
 「今吉」
呼び声に思考を中断させて顔をあげる。
「今吉今日誕生日なんだって?」
何処から聞きつけたのか、クラスメイトが机に置いたのは飴の袋。開封済みである。
「おめでと」
「あんがとさん。ってこれ、なんやねん、食いかけか」
「そ、食いかけ。中覗いてみろよ」
言われるままに覗くと、中にはその飴以外にも色とりどりのお菓子。
「少ないけど、クラスのやつらからのプレゼントだ」
大事に食えよ? とウィンクする彼は、そういえば文化祭の実行委員だとか、クラスの中心に立つことが多い人間だと思い出す。
「…ああ」
にこり、と笑みを捻り出す。
 ああ、分からないことばかりだ。



六月三日 午後三時

 結局諏佐が戻って来たのは昼休みが終わるぎりぎりで、午後の授業も教室が違うため、その違和感について聞くことは出来なかった。ホームルームが終わって呼び止めようとすれば、職員室に寄らないといけないから、と諏佐は教室を飛び出して行く。
「…はぁ」
大きなため息が出たのも無理はないと思う。
 クラスメイトと他愛のない会話をしてから部室へ向かうと、そこには職員室に寄ると言った諏佐の姿がもうあった。若松と何やら話している。何となく、身を隠してしまった。
「諏佐さん、本気ですか?」
「ああ」
「でも、今吉さん気付くでしょう」
「そうだろうな」
「それなら、」
「でも、ギリギリまで秘密にしておきたいんだ。成功するかどうかも分からないから」
何の話だ、何の話をしている? 情報が足りないと叫ぶ灰色の脳細胞を黙らせるように、全身全霊で耳を傾ける。
「これで駄目だったら諦めるしかないからな」
「諏佐さん…」
「さ、練習前にワンオンワンでもやるか?」
連れ立って部室を出て行く二人に、ふーっと詰めていた息を吐いた。
 「秘密って、何をやねん…」
ずるずると座り込む。
「…そういや今年はプレゼント、もろてないなぁ…」
寮生活でバスケに心血を注いでいる以上、自由に出来る金などないに等しい。だから諏佐が今までに今吉にくれたプレゼントはいずれもお金の掛からないものだった。一年の時は四葉のクローバーのしおり、二年の時は何処から仕入れたのか馬の蹄鉄。別にプレゼントがないからと言って拗ねるなんてことはしないが、今まであったものが今年はないとなると、不安になるのが現実だ。違和感のこともあって、不安は簡単に増幅していく。確かに今吉と諏佐は恋人という関係にある。二年前の今頃、今吉がぽろっと零してしまった言葉に、諏佐が真剣に返してくれたことからこの関係は始まっていた。積み重ねてきた時間があるとはいえ、目に見える障害が多いという自覚がある以上、持っていた自信など、そんな些細なことで揺らいでしまう。
 「…すさ」
呟いた自分の声が、やけに寂しく聞こえた。



六月三日 午後七時

 「あれ、諏佐は?」
練習が終わり、桃井と打ち合わせをして部室に戻ると、もうそこには諏佐の姿はなかった。
「桜井知らん?」
一番近くにいた桜井に聞いてみる。
「諏佐サンなら天野先生に用がある、って出て行きましたけど…」
「天野先生…?」
天野は桐皇学園の外部講師だ。主に化学を担当している。その天野に何の用なのだろうか。
「なぁ」
今吉の声に部室にまだ残っていた部員たちが、肩を強張らせる。
「諏佐が何で最近可笑しいのか、知ってるんとちゃう?」
しん、と静まり返ったその空気が答えだった。きゅっと目を細める。
「若松」
「い、言えません」
「何でや」
「約束だから、です!」
その頬に申し訳なさをありありと浮かべて、とても苦しそうに若松は言う。こうなっては若松は決して口を割らないだろう。
「桜井」
標的を変えることにした。ヒッと悲鳴が漏れたが構わずに続ける。
「お前は、教えてくれるよな?」
大人気ないとは分かっていても、狡い言い方を選んでしまう。それくらいに切羽詰まっていた。諏佐が何をしているのか、何を秘密にしているのか、知りたかった。
 桜井は泣きそうに顔を歪めてから、やはり苦しそうに首を振る。
「…そうか」
その反応に、聞き出すことは無理だと悟った。そして、桜井が駄目ならば他の人間でも無理だろう。お前のが人望あるやないか、と心の中でだけ悪態を吐く。
「でっ、でもっ」
桜井の揺れる瞳が今吉を捉えた。
「今年が最後のチャンスだって、諏佐サン言ってましたから、もう少し…!」
「桜井!」
桜井の零した言葉を慌てて遮ったのは若松だ。さっと青くなる桜井に、どうやら今のは失言だったらしいと気付く。今年が、最後のチャンス。何か引っかかるものがある。
 スミマセンスミマセンと連呼する桜井を放って今吉は部室を出た。諏佐が何かを隠しているのは間違いない。そして、それを隠し切るつもりがないのも恐らく。ヒントは出した、あとは辿りつくだけだ、と言わんばかりに散りばめられて。
 まだ沈みきっていない陽が地平線をあかく染めていた。これから世界が終わるような、そんな気さえした。



六月三日 午後九時

 諏佐はいつまで経っても寮には戻って来なかった。寮母にそのことを問うても、
「諏佐くん? あー…天野先生から遅くなるかも、って連絡は入ってるわ、大丈夫よ」
曖昧な答えしか返ってこない。心配だから探しにいく、と言っても、
「だめよ、生徒の外出時間はもう終わってるんだから。大人しく部屋に帰って寝なさい」
あしらわれてしまう。
「…もう、この手しかあらへんな…」
外したカーテンをベランダの柵へ結び、手をかける。今吉の部屋は二階だ、そう高くはない。幸いにも下は植え込みだし、今まで培った運動神経を駆使すれば何のことはないはずだ。
「よし、いくで!」
鼓舞するようにぺち、と自分の頬を叩いて、カーテンをぎゅっと握る。
 十八年間生きてきて、初めての脱走であった。
 若松も桜井も、今吉を嫌っているということはないだろう。寧ろ、慕われているとさえ思っていた。そして、それは恐らく、自惚れではない。だから、諏佐の謎行動の理由を隠すことによって、今吉に何か悪いことがあるという訳ではあるまい。
「言うても、ワシ、脱走してしもうたで、諏佐」
一人呟く。
「これ、反省文避けられんやろ…」
カラカラに乾いた唇を舐め上げる。
 ぞわり、と何かが背中を走ったような心地がしていた。

 「見つけたで、諏佐」
張り巡らされた緑色のカーテンのようなネットを掻き分け、その向こうに一人立っている人影に話しかける。
「お前やったんやな、グラウンドの幽霊は」
その足元には地表から出たスプリンクラー。散水する音が深夜の校庭に響き渡っていた。
「なぁ、諏佐」
一歩、
「何とか言えや」
一歩、答えはない。
「なぁ、諏佐…お前、一体何しようとしてるんや!」
 「今吉、あそこだ!あそこ見ろ!!」
突然のはしゃいだ声に、つられるようにしてその指の先を見る。
「…に、じ」
 月に照らされた校庭に、少しだけ浮かび上がった、淡い色の虹。
 「月虹(げっこう)って言うんだ。原理は昼間で見える虹と一緒。此処まで作るのに、大分計算とか実験とか、苦労した」
苦労した割りに綺麗には出来なかったけどな、と苦笑する諏佐。それは事実上の自白だった訳だが、今の今吉にそれを追求する余裕などなかった。
「自然のものなら、もっと月の周りにぼんやり白く円が出来るらしい」
それも見てみたいな、と続ける言葉をただ聞くだけ。
「天野先生に手伝ってもらってたんだ」
この時期だけ、なんていう意味不明な注文を聞いてくれて、本当に助かった。しん、と一瞬静寂が世界を凍らせたような気がした。諏佐が息を吸う。
「これを見た人間は幸せになれるらしい」
どくり、と耳の裏で音がした。
 なぁ、一つ、賭けをさせてくれ。脳の奥を揺蕩う記憶が掬い上げられる。もし、この先の三年間を使って、お前が幸せだって感じさせられたら、オレの勝ち、感じさせられなかったらお前の勝ち、それで賭けを一つ。オレが勝ったら、もう、六月が、
「諏佐、お前、」
お前の誕生日のある六月が、
「もしかして、ずっと、」
嫌いだなんて言わないでくれ。
 諏佐はただ微笑みを湛えているだけだった。四葉のクローバー、馬の蹄鉄、そして月虹。自信がないのは同じだった、だからきっと保険をかけた。忘れたことなんてない、でもそれが本気だなんて思っていなかった。全くの善人である諏佐が、ただ吐かずにはいられなかった言葉なのだろうと、嘘ではないけれども、きっと実現することなど考えてはいないだろう、そんなその場限りの言葉なのだろうと。それでも諏佐のその善意があまりにも嬉しくて、そういうところが好きなのだ、と零してしまったのが全ての始まり。
 今吉によって縮められることのなくなった距離を、今度は諏佐が詰めてくる。なぁ、今吉。諏佐の声が今吉の耳から滑り込んで、その冷え切った胸を叩く。
 お前は、今、しあわせか?
 「…諏佐、は、」
「うん」
「ワシが生まれて来て、良かったと思う、か」
きっと、震えていた。
「うん、思うよ。今吉が生まれて来てくれなきゃ、オレは今吉に会えなかった」
ああ、変わらない、善意塗れの奇麗すぎる言葉。
「ワシな、怖かってん。何が、とか、具体的には言えんのやけどな、漠然とした不安があったんや」
ずっとずっと何処まで行っても、この身体が空っぽのままで、満たされることなんか永遠にないような、そんな不安。
「正直、まだ、怖い」
「うん」
「でもな、でも、諏佐がそこまで言うんなら、ちょっと信じたろかって気分になったわ」
「…うん」
いつのまにか強く握り締めていた拳を解く。
「賭けは、お前の勝ちやな」
暗くて良くは見えないけれど、きっと同じ表情をしている。
 誤魔化すように諏佐が空を見上げる。そこにはもう虹はなかった。スプリンクラーを止めながら難しいんだ、と諏佐は呟いた。
「風向きとか、いろいろ関係するものが多すぎて、本当、今晩のは奇跡みたいなことだったんだ」
「そう、か」
「でもさ」
今度は指差す。
「ほら、月が綺麗だろ?」
「…な、もっかい言って」
悪戯の色を秘めた潤む瞳が交わる。
 「あいしてる」



今吉生誕祭



20130606

***

それすら私は愛と呼ぶ モブ花

 私が彼を初めて見つけたのは電車の中でだった。
 くたびれたサラリーマンの中に一人、窮屈そうに立っていた彼。その制服から彼が霧崎第一高校の生徒であることが伺えた。しっとりとした綺麗な黒髪はシャワーを一浴びしてきたようで、それが下世話な妄想に火をつけるのに一役かっていた。伏せられた瞳はいつも難しげな本の上を漂っていて、彼がそれなりに知的な人間であるのを周囲に知らせていた。
 最初は見ているだけで良かった。美しいと言うにはやはり男臭いところもあったが、成長途中の手足や、清潔に保たれている身だしなみ、そういうものたちを総合してみたら、美しいという言葉が一番に合致すると思った。それをただ熱い視線でもって眺めていると、胸の底から満たされる心地がした。
 けれど、そのうちにそれだけでは駄目になって、その黒髪を撫ぜる妄想をした。一束持ち上げて接吻けを落とす。彼はそれを気にしないふりをしながら、でも一瞬だけこちらを見上げて、その後の本を読む口元は確かに緩んでいる。私の方が彼よりも背が高いからこその妄想である。項に鼻を擦り付けるのも良いと思った。髪に埋もれ陽に当たらない項を掻き分け、その香りをゆっくりと楽しむ。それに擽ったそうに笑いながら、彼は声を上げる。妄想の中の彼は一般的な高校生よりも高めの声をしていた。やめてくださいよぉ、と良いながら身を捩じらせて、こちらを向いた彼は甘い響きをもってして私の名前を呼ぶ。
 そこまで考えてしまうと、可愛らしい妄想では我慢出来なくなる。薄い唇に噛り付いて、口腔内へと舌を差し入れる。ストイックな外見とは裏腹に、始まってしまえば彼は積極的で、仕掛けたはずのこちらが蹂躙されかねないほどであった。唾液が零れるのも構わずに求めてくる彼をゆっくりと押し倒し、主導権を確実にこちらのものにしていく。ちらちらと赤い舌を躍らせながら、はやくはやく、と急かすのを、そんなに急ぐなと丁寧に触れてやる。ワイシャツのボタンを一つずつ外して、制服の下を暴いてしまう。程よくついた筋肉がしなやかで、指先でふわふわと触れる度に白い喉が震えるのが見える。耐えかねたように掴まれた手を下肢に導かれ、清廉潔白そうな唇がが卑猥な語に染まるのは、空虚な胸の内を彩り豊かにしていく。まるで女のように、いやそれ以上に浅ましく快楽に堕ちていく様を見届けてから、それを追って同じように堕ちてやる。すると蕩けたような笑みでようこそ、と囁くその声が堪らない。
 彼の降りる駅までついていったことも一度や二度ではない。家だって把握している。彼を眺めながら妄想を続け、駅のトイレで処理するのだって慣れてしまった。夢にまで見たこともある。そうしていると今度は妄想だけでは足りなくなってくるのだ。彼に触れたい、彼を妄想の通りに好き勝手にしたい。その欲望は到底抑えられるものではなく、私の足を踏み出させるのには充分だった。
 近付いてみたら、彼からはほのかに汗の香りがした。運動部なのだろう、それならば霧崎の生徒であるのに、こんな遅い時間に電車に乗っていることにも納得が行く。真後ろに立つ自分に彼は警戒心を欠片も抱いていないようだった。その目線は難し気な本に落とされたまま動かない。そうっと、周りの目につかないように伸ばした手を、引き締まった脚に沿わせる。流石に違和感を感じたのか身動ぎしたのを 逃さない、というように、手の甲で擦っていたのを平に変え、大胆に臀部を這っていく。男子高校生にしては長めの睫が、ふるりと震えたのが見えた。左肩には重そうな鞄が二つ下がっていて、左手はつり革を掴んでいる。右手には本を持っていて、彼が私の手を掴みあげることは今すぐは出来ない。混んでいる車内では、この手の持ち主が私であることもきっと分からないだろう。
 犯人を探すように落ち着きなくその瞳が車内を泳ぐ。じっくりと、私の妄想が現実になるように、堕としていけば良い。乾いた唇を湿らせるように一舐めしてから、その夢にまで見た感触に今死んでも良いとまで思ったのだった。



(えのさんの呟きにカッとなって)



20130606

***

カラ、カラ。 黒子

 それはいつだってずっと、僕の傍にいた。
 ごぽり、ごぽりと呼吸が消えていく。これでもしも人魚だったなら、泡になって消えられたのに。その前に物語の主人公ですらない僕には、何の助けの手も来ない。
 腕をもがれたのは青峰くんが拳を合わせなかった、あの時だ。ずくり、と音がして心の奥に、ぼとりと腕が落ちる音がした。それを拾って走り去ろうとする影をぼんやりと見て、なんとなく、ああ、とだけ思っていた。これが夢を見た有様だ。光の影になる、バスケは楽しい、と自分に言い聞かせた結果だ。そう思うと嗤えてきて、そうしたら次には腹立たしくなった。自分の腕をもいでいったその影が憎らしくなった。その役立たずな腕を持って行ってどうすると言うのだろう。同じようにまた、影になる? 笑わせるな。其処まで思うと次にはつまらなくなった。こんな存在が、何をしようと言うのだろう。あの影も僕で、僕はあの影だ。ああ、馬鹿馬鹿しい。足を引っ掛けてやる。すると影は転んで顔面を打ち付けた。けれど、面白くない。痛みに這いつくばったままの影をじっと見下ろしてから、余っていた足でその背中を踏みつぶしてみた。ギャッと声を上げたその顔が痛みに歪んで(影だから分からないはずなのに何故だか分かるのだ)、それを僕は非常に愛おしいと思う。
「止めないでください」
影が言う。馬鹿じゃないのか、と僕は返した。何を、なんて主語がなくても分かる。同じなのだから。でも、応えてなどやらない。ただ、余ったままの足で、その両腕を必死で抱き締める影を傷付け続けた。
「君も分かっているんでしょう?」
悲鳴を上げる影に言う。
「もうあんなもの、好きでなんかいられません」
「止めてください」
懇願するような声を煩い、と一蹴した。聞きたくなかった。
 この影は僕なのにどうして僕と違うことを言うのだろう。
 僕からの攻撃が止んだその隙に影は起き上がろうとしていた。僕から奪ったその腕はもう彼のものになっている。その腕を我が物顔で立ち上がろうとするのは、やっぱり何か気に入らなくて。
「がっ」
今度は押し倒してみた。馬乗りになる。
「言ってください」
自分でも死刑宣告をするような声だと思った。何処か震えていて、どうしようもない声。だって僕はどんな答えが返って来るのか知っている。
「僕が好きでしょう?」
「…好きですよ」
笑顔だった。
「好きだからこそ、言いません。だって、」
耳を塞いだ。
 無数の刃が降ってくる。僕はそれを知っていた。認めてしまった、認めてしまった、この影は僕自身で、だからこそ僕さえ認めなければ、それで良かったのに。
「バスケが、好きでしょう?」
優しすぎる声に、抗えなどしない。
 バスケが、すき、だ。
 「…はい」
降ってくる刃を見つめる。このまま僕が殺されてしまえばきっと、この影だけが残る。此処はそういう世界。たった一人が生き残れば良い世界。
「何してるんです」
「うごっ」
腹にイグナイトを食らった、なんてやつだ。
「いきますよ」
いつの間にか僕の腕は君の腕に変わっていて、君の腕は僕の腕のままだけど、きっとそれは大した問題じゃなくて。
「…ッ」
涙が溢れて、
「大丈夫です」
追ってくる全てから逃げて逃げて、逃げおおせた先で、

 「ほら、大丈夫だっただろ?」
 かっこわるい僕でも、君の影でいて良いですか。



image song「心壊サミット」初音ミク(DECO*27)
#RTされた数だけ好きなボカロ曲を黒バスキャラで描く



20130424

***

20190117