たすけてほしいなんて云えなかった、それでも奥底で貴方を願っていた。 心臓の裏に貴方がいた 今花 ぐるぐる、延々と鮮やかな紅の中を彷徨っていた。鳥居の隙間から日が射し込んでいて、良い天気であるのが分かる。と、同時にしとしとと湿った音と匂いが、雨が降っていることを伝えていた。 「…狐の嫁入りかよ」 何やら巻き込まれたらしい、ということは分かった。今までこういった不思議事象とは関わって来なかったので、正直参っていた。狐、と言えば、と現実逃避をし始める頭を叩いてみる。鈍い音がした、中身のたくさん詰まっている音だ。自分で言うのもアレだが事実なのだから仕方ない。鈍い痛みが脳裏からちょこりと顔を覗かせた、狐のような顔をした先輩を追い払ってくれた。それで良い、前を向く。 あまりに紅い世界だった。久しぶりの休みだったこの日、自分の部屋でのんびりと本を読んでいたはずだった。別に鳥居も狐も天気雨も関係のない本である。それが、どうして気付いたらこの鳥居の回廊をぐるぐると廻る羽目になっているのだろう。訳が分からない。家から出た記憶もなければ神社に入った記憶もない。自分の服装を見てみれば何故か制服だったし靴も履いていたが、やっぱり着替えた記憶もないのだった。つまり、 「夢か」 ざわり、と音がした。否定されているような気がした。 「夢じゃなかったら何なんだよ」 風か空気か、音の発生源は分からなかったがぐ、と眉を寄せて吐き出した。重ねて言うが此処に来た記憶などないのだ。まさか一瞬で移動したとも考えにくい。それならばやはり、これを夢だと考えるのが妥当だと思った。人から恨まれることは幾度となくしてきたが、こんな不思議世界へやって来るようなことをした記憶はない。此処がまだホラーゲーム顔負けの廃屋やら、病院やらモンスター蠢くわかりやすい異世界ならばまだしも、ただ目を見張るような紅の鳥居が続いているだけだ。雨も降っているが日も照っている可笑しな天気ではあるが、別段珍しいことでもない。東京でも天気雨くらい起こる。人が自分を恨んで此処へやったと言うにも納得が行かない程、此処は平和なのだ。 歩を進める。登っているのか降りているのか、右曲がりなのか左曲がりなのか、それすら分からなかったけれど、それでも進むのが正しいような気がしていた。それは導きのようであり、それに従わなくてはいけないという強迫観念はなかった。やさしい。そんなものに触れたのはもうとっくに昔のことのはずなのに、それでもそう感じた。 「…え」 道の先に、見慣れた顔を見つけた。いや、見付けてしまったという方が正しいかもしれない。それは先程狐で思い浮かべた先輩であり、自分がこんな目にあっていると一番知られたくない人間であった。うわ、呟くと、先輩は愉しそうに笑った。そうして背を向けて歩き出す。良く見れば頭には耳、尻には尻尾が生えていた。人の夢の中だからと言ってひどいふざけようである。 「おい」 名前を呼ぼうとすると、先輩は振り返って、唇に人差し指を添えた。しーっと、小さい子供がやるようなそんな拙い所作だった。 「…なんだよ」 そのまますっと彼が指差した方向には、光が溢れていた。延々と続く紅の回廊にぽっかりと開いた光の穴。先輩はじっとこちらを見つめていた。 「礼は言わねぇからな」 素直じゃないな、と自分でも思った。 穴の中に脚を踏み入れた。あまりの眩しさに目を瞑って、次に開けたらもう自分の部屋だった。じっと天井を見つめながら、歩いた後特有のふくらはぎのはりは無視してやっぱり夢か、と思うことにした。ちかちかと携帯が着信のあったことを伝えていた。手を伸ばして確認してみればやはり、それは先輩からで苦虫を噛み潰した表情にならざるを得なかった。 * 即興小説トレーニング お題:もしかして帰り道 * 20130318 *** 君という道標さえあれば他は何も要らない 今花 「これ、何回目ですか?」 だだっ広い真っ白な空間で、降ってきた声に顔を上げると見知った顔があった。 「何回目、やろなぁ」 「まぁ数とかどうでも良いんですけど」 「そない言うても、覚えてんのやろ?」 数えているのではない、でも彼ならきっと覚えている。案の定、彼は盛大に舌を打ち鳴らして顔を歪めた。その表情からやっぱり自分は恐ろしい程の回数、此処に来ているらしいと読み取る。 「これで、千回目ですよ」 自覚、ないでしょう。そう嘲る彼にこくん、と素直に頷いてやる。するとうへぇ、と舌を出して、素直とか気持ち悪、と言う。なんて奴だ、人が折角素直な一面を見せてやったと言うのに。 「地球上にある葬式、全網羅出来るんじゃないですか」 「死因もな」 「他人事みたいですね」 「そない思ってはないけどな」 今回の死因は何だっただろう。初心に帰って手首を切った気がする。そんなこと気にならい程、自分は此処に来ている。それがあまり褒められたことでもないことを知っている。 でも、やめられはしない。 「あんまり死にすぎると、最初の名前、思い出せなくなりますよ」 「別に良えやろ?」 「最初の名前分からなくなったら魂が迷子になるって、確か五回目くらいで説明しましたよね?」 「正確にはそれ、何回目なん?」 「八回目だ糞野郎。とっとと次行っちまえ」 面倒になったのか、その脚が勢いよく自分を蹴る。しかも顔面である。こんな色男の顔面に蹴りを食らわすなんて、本当に酷い奴だ。 ふと、一瞬彼の背後が見えた。ずっと彼の顔を見ていたから気付かなかったが、其処には小さな山が出来ていた。位牌だ。位牌の山が出来ている。 「…なぁ、それ」 「とっとと行け、人間風情が。もう暫くこんなとこに来んな」 白い空間にぽっかりと開いた穴か、自分を飲み込んでいくのが分かる。分解されるようなその心地の中で、確かに自分は唇をたわませた。 あれは、自分の位牌なのだろう。 彼が一度、一度だけ人間であった時。彼の言う、最初の名前の時。その時の魂が、死ぬ度に彼はこのひどく静かな空間で一人葬式を上げているのだ。それは他でもない自分のためである。これに笑みを浮かべずしてどうしろと言うのだろう。 「素直やないなぁ」 「アンタに言われたくありません」 瞬きをしたつもりだったが、瞼の感覚はもうなかった。これからまた作り変えられて、違う人生を歩む。でもきっと直ぐに彼のことを思い出して帰りたくなる。 「―――」 彼の、最初の時に知っていた名前を呼ぶ。返事はない。 それでも、彼にとっても最初の自分というものは特別だったのだと、一度も変わらない姿を見て、そう思うのだ。遠のく意識の中で彼だけを見つめる。もう眼球の感覚も、なくなっていた。 一千一回目の再会も、きっと、そう遠くない。 * 即興小説トレーニング お題:1000の葬式 * 20130315 *** 一万一回目に君を呼ぶのが誰であれ、君がかえって来るのならば。 一万回に声は涸れた 黒+赤メイン *2013年3月15日時点における恐らく今後こうならないであろう予想 「退け、テツヤ」 「退きません!」 「無駄だ。僕の前に、お前が立っていることは出来ないよ」 第二クォーター目、残り十五秒。地に伏した黒子を置き去りに、赤司がゴールへと向かう。 「確かに僕一人では無理でした。でも―――」 レイアップに行く赤司に影がかかる。 「僕は一人じゃありませんッ!」 雄叫びと共にそれを止めたのは、火神。 てんてん、とボールが転がって行く。ビーッとけたたましい音が、第二クォーターの終わりを告げていた。 「…はは」 床を見つめ、確かに聞こえた笑い声に、黒子はバッと顔を上げる。がらりと雰囲気が変わった彼に、彼のチームメイトも駆け寄る足を止めた。 「…まさか、オマエが来るなんてな」 すっと顔を上げて見つめて来た彼を、黒子は良く知っている。 「久しぶりだなァ、黒子。元気にしてたか?」 でも、言葉が出ない。それを成し遂げるのは自分ではないと思っていたから。 「なーんて、ずっと見てたんだけどな」 「…赤司くん」 からからに乾いてく口腔内に、やっとのことで紡ぎ上げたその名に首を振った。 「いえ、キャプテン」 元、ですが、と小さく付け足す。もう一年以上経っているはずなのに、昨日のことのように思い出せた。 たぱぱ、と血が床の上に落ちた。 「キャプテン!!」 悲痛な声と共に黒子が駆け寄る。 「ああ、黒子か。別に何ともねぇよ」 「何ともない訳ないじゃないですか…ッ目から…血が…」 周りがざわざわとしているのも、耳には入って来なかった。ただ彼の瞳から流れ落ちるその赤い雫だけが、この世の終わりのように網膜を焼いていた。自分の所為だ。黒子は思う。この怪我は、自分の所為だ。自分に力がなかったから。 「…ごめんなさい…」 言葉が漏れる。 「黒子?」 「ごめんなさい…僕の所為です、キャプテン、ごめんなさい」 壊れたように謝罪を繰り返す黒子の頭を、赤司はそっと撫ぜた。 「黒子」 血にまみれた瞳が黒子を射抜く。 「これは黒子の所為じゃねぇよ」 「でも…ッ」 尚も言い募る黒子の頭をもう一度撫ぜると、赤司はふむ、と呟いた。 「そうだな、じゃあこうしよう。今オマエが混乱しているのはオレが不甲斐ないからだ。混乱しているオマエはそんなことないと言うかもしれねぇ。だけど、本来一人で戦える力を持った人間はそんな心配はさせねぇモンだ」 何を言っているんだ、そうは思うも言葉が出ない。 「だから、オマエが落ち着くまでは、そんな心配しなくて良い赤司征十郎になってやるよ」 そう遺して救護室に連れて行かれた彼は、戻っては来なかった。 「全中連覇おめでとう」 同じ顔、でも違う表情で彼は言う。 「テツヤ、まだ動揺しているようだな」 「だって…こんなの…」 あまりに、おかしい。でもカラフルな彼らは彼の怪我も、変貌も気に掛けた様子はなくて。まるで自分だけがおかしいかのような。 「じゃあ、僕から一つ、挑戦状だ」 お前たちも聞いてくれると嬉しいな、そう彼が言えば、二人の会話に聞き耳を立てているだけだった周りが顔を上げた。 「もし、お前たちがキャプテンを取り戻したかったら、僕に敗けたと思わせてごらん。敗北を突きつけろ、なんて難しいことは言わないよ。ただ、思わせるだけで良い。そうしたらキャプテンは戻って来るだろう」 その言葉に黒子は目を見開く。彼は、彼を返す気があるのだろうか? その疑問は、とても恐ろしく思えた。 「そう言われずとも敗北を突きつけに行ってやるのだよ」 「良く分かんないッスけど、オレも頑張るッス!」 「お前もいつか倒してやんよ」 「んーオレは赤ちんがそのままで良いって言うならそれで良いかなぁ」 「その時は全力を尽くすと誓え」 各々返事をするカラフルな彼らはいつも通りすぎて、それがまた恐ろしかった。 「テツヤ?」 「きゃぷ、てん…」 「キャプテンじゃないよ」 彼はとても優しい顔で黒子を見つめる。 「僕は赤司征十郎だ。言っている意味は、分かったね?」 それは、死刑宣告のようだった。 退部届けを出す、少し前の話。 あの時から橙になった左目が、黒子を同じように貫いていた。 「あの時も言っただろ、これはオレがまだ未熟だった、それだけだ。でも黒子、オマエはまだそうじゃないと言い張るんだな?」 「黒子っちだけじゃないっスよ!!」 観客席から声がした。 「黄瀬くん…」 「アレは赤司っちだけが背負うものじゃないッス!」 「その通りなのだよ」 緑間くん、と緑の彼を見やる。 「あの頃のオレたちはまだ未熟だった、しかしアレは赤司だけの問題ではない」 「あーめんどくせぇ。アレは一人でバスケやってなかったら防げたモンだろ」 「赤ちんは一人で頑張りすぎー。ま、頑張らせちゃったのオレらなんだろーけど」 青峰くん、紫原くん。 恐ろしいと、あの日感じた彼らが、今、こんなにも心強い。 「良いだろう、来い」 彼―――赤司征十郎が笑う。 「お前たちが正しいんだって、オレに見せてみろよ」 ビーッと、三分前のブザーが鳴った。 * image song「何度でも」Dreans Come True * 20130315 *** おなじ話 今諏佐 *死ネタ 「すさぁ、何処にいるん?」 木漏れ日の中、やわらかな声がする。 「窓の傍にいる」 カーテンを押しのけて返事をした。ひらり、と揺れる白いレース。 「何してるん?」 「何にもしてない」 「傍に来ぃや」 「今行くから待ってろ」 「話、しよ?」 「はいはい、まずお前からどうぞ」 笑う。長い付き合いで、今吉が見かけよりも寂しがりであることは知っている。だから、今だけは、諏佐がその話を聞こうと決めていた。楽しいと思う気持ちがあることも、否定はしないが。 「あのな、」 今日は、何の話だろう。隣に腰を下ろして目を閉じて、今吉の声に耳を傾けた。 「何処にいるん?」 雨の音に紛れそうな声で、今吉は言う。 「お前の傍だ」 同じくらいに静かな声で諏佐は返した。雨の日の今吉は群を抜いて弱くなる。その理由を、諏佐は知っていた。でも、どうしようもできない。 「何見てるん?」 「お前のこと見てる」 「何処行くん?」 「何処へも行かねぇよ」 すう、とその細い瞳から一雫、涙が流れる。それに悲しそうに眉だけ寄せて、 「…ずっと、傍にいるから」 その涙を拭うこともせずに諏佐は呟いた。 それは諏佐の役目ではないと分かっていた。 「何処にいるん?」 「隣の部屋にいる」 「何してるん?」 「手紙を書いてる」 そう言う諏佐の手にはペンも便箋もない。 「なぁ、今吉、気付いてるか」 晴れ渡った空がどれだけ澄んで青いのか。揺れる花々がどれほど甘い香をしているのか。雨上がりの虹の根本がどんなに輝いているのか。風を切る翼が、どんな唄を奏でるのか。朝露に塗れる若芽が、ぷっくりと首をもたげるのも、瑞々しい葉の間から零れる光がきらきらと煌めくのも、降り注ぐ雨の雫が屋根で踊るのも、 空を覆い尽くす雲の隙間から梯子がするりと降りるのも。 「いまよし」 気付いて、いるだろう。すべて、すべてが言葉なのだ。なぁ、今吉。世界は、きれいだろう。 今吉は諏佐の言葉に耳を傾けるように目を瞑っていた。 「…すさぁ」 泣き出しそうな声だと思った。 「傍に来て、すさ」 「悪い、もう行かないと」 大きく開かれた窓枠に手をかける。カーテンが大きくはためいた。 「話、しよ」 諏佐が今吉を見つめて、そうして今吉は諏佐を見つめる。その繰り返しの毎日。 太陽が照る日も、雨の日も、風の日も、雪が降る日だって、 「すさぁ、何処にいるん?」 甘い声が囁く。 「ゆうべ、夢見たんよ」 諏佐が出て来てな、と今吉は言う。とっても綺麗な世界やった。その世界、ワシも知ってんねん。でも、まだ行けないんよ、勇気出なくて、なぁ。言葉を連ねる今吉に諏佐は微笑んだ。 「…諏佐は、何処にも行かへんのやろな」 「そうだよ」 もう大丈夫だ、窓枠に手を掛ける。はためいた白に、ふわり、と部屋の中に風が舞い込んだ。 「さよなら」 また、おなじ話が聞きたい、から。 今はその言葉を。 「さよなら」 * image song「おなじ話」ハンバートハンバート * 20130312 *** お前に殺されてなどやらない、何故ならお前はオレが殺すのだから。 意地でもそれで死んでやる 今花 「お前は死んだりなんか出来んよ」 そう言ったその人はとても楽しそうで、ひどく、腹が立った。 別に死にたい、と口に出した訳ではない。しかしこの人間離れしたこいつには口にせずとも届いてしまうらしい。ロマンチック? 笑わせるな。人の心を勝手に読むだけのそれの何処にロマンなんか感じたら良いのか。じとり、と睨む。数センチの差はひどく埋め難く、僅かに高いその目線が面白そうにこちらを貫く。むかつく。そう思って向こう脛を蹴ろうとするもお見通し、と言わんばかりに避けられる。ついでにやり返される。突然の痛みに悲鳴を上げて思わず蹲った。とんでもない、この野郎。弁慶の泣き所と言う別名さえついているこの場所は人間の急所だ馬鹿。視界が歪むのを感じる。ひっこめ、くそ、蹴られて泣くとか子供か。膝頭に額を擦り付けるようにして誤魔化す。よし、顔をあげようとしたら泣くなて、ワシが悪かったから、と言葉が降ってくる。 「泣いてません」 「なんだ、そうなん」 残念そうな響きすら見せずに残念そうにそう呟く。バレてることもきっと計算済みで。何もかも一つ上を回られているようで本当に腹立たしい。 「そうそう、さっきの話なんやけどな」 また蒸し返す気かクソが。 「お前は死んだりなんか出来んっちゅーやつ。ワシかて根拠もなしに言ってる訳ちゃうねん」 響く痛みが治まってきたのを確認して立ち上がる。腕を組む。見下してやりたいところだが如何せん身長が足りなくて出来ない。非常に残念だ。しかし下からだとて見下すことは可能だ。精一杯の侮蔑を込めて視線を突き刺す。おお怖い、なんておちゃらけた口調が返って来た。やっぱり一度死ね。 「お前はな、怖がりなんよ」 はぁ、と息を吐く。 「痛いのも怖いのもだめ。本当は一人じゃなーんも出来ない、そんな子なんや」 馬鹿にされているのがひしひしと伝わってくる。とりあえず話は最後まで聞いてやろう。それから殴る。三発程。 「でも死んでみたいなぁ言う願望だけはあんねんから、絶対死なない方法で死のうとするんや。豆腐の角に頭ぶつけてみたり、蕎麦で首吊ってみたり、なぁ」 そうやろ? と歪むその唇が近付いてくる。避けることはしない。避けたらまたこの人が笑う要因を作るだけだ。 「ワシがずうっとそれ、蕎麦にしといたるから」 直々にうったるわ、とクスクス耳朶を擽る声を払いのける。 「ばっかじゃねぇの」 歩き出す。 常に人の首元に手をかけているような人間が、言う台詞ではないと思った。 * 即興小説トレーニング お題:永遠の蕎麦 * 20130309 *** ぷかり、と浮いた白い腹を見やる。知っていますか、黄瀬くん。いつものように、何でもないように、その人は要らぬ知識を口ずさむ。魚が死んだ直後はものと同じように水に沈むそうですよ。何で、と続きを促す。その小さな生命が終わった後、魚は腐敗します。まず、内臓から。そしてその腐敗によりガスが発生して内臓にたまり、こうして浮いてくるそうです。まぁ、耳知識ですから正しいかどうかは知りませんが。ちなみに人間の場合は肺に水があるので、その所為で下向きに浮かぶことが多いようですよ。黄瀬は、その横顔をずっと見ていた。彼の瞳には紛れも無い羨望が宿っていて、あまりにも危うい。魚は、良いですね。手を伸ばしかけた時、また彼はぽつり、と零した。死して尚、光を見ていられるのですから。その真っ直ぐな眼差しに、黄瀬はただ腕を下ろすしか出来なかった。 はらわたの饐えたさかな 黄黒 帝光中学校男子バスケットボール部、一軍のロッカールーム。ひどく静かな其処に嗚咽は響いていた。 黒子は目の前で苦しそうに身体を折りたたむ少年を見下ろしていた。この症状は過呼吸だ、黒子にも覚えがある。どれだけ苦しかろうが死ぬことはないし、何より既にビニール袋は渡してある。黒子にこれ以上することはない。ため息を吐く。青峰が捕まえられなかったのか、黄瀬の居残り練習に付き合うことになったのは教育係である自分だった。時間も時間だからとロッカールームに引っ込んだ後、突然黄瀬が過呼吸を起こしただけの話。 「ごめ、くろ、…ち、ご、めん」 ぐちゃぐちゃになった顔で黄瀬が咽ぶ。 「めいわ、かけ…ごめ、きら、な…で、」 聞き取りにくい。迷惑掛けてごめん、嫌わないで、と言ったところだろうか。 「良いじゃないですか、迷惑を掛けることのない人間なんていないんですから」 投げ捨てるように言葉を掛ける。慰めなどではなかった。黒子が、そう思っているからこそ放てた言葉。 「ごめ、」 「謝るくらいならさっさとその呼吸を治めてください。過呼吸くらい、気にしてませんから。自分が好きな人間なんてごまんといます」 「す、き?」 喘ぐように黄瀬が首を傾げた。 「好きでしょう?」 過呼吸というのは激しい運動によって起こる場合と、精神的なものに起因するものに大別される。今回の黄瀬の場合は明らかに後者だった。何がそんなに心配なのかは知らないが、精神的なものの場合は身体が勝手に臨戦態勢に入ることが主な原因とされている。少なくとも黒子はそう解釈していた。臨戦態勢に入るのは、自分を守りたいから。だからこそ些細なことにも過剰に反応してしまう。自分を守りたいなどと願うのは、自分が好きだから―――黒子がそうだったように。 「でも、おれ、おれのこと、きらい」 思わず零れたのは嘲笑だった。こんな、こんな人間が、自分のことを嫌っているなど! 今すぐ張り飛ばしてしまいたくなる。よくも、そんなことが言えたものだ。抑えて今度は、嘲笑ではない笑みを浮かべた。 「自分を好くことは出来なくても、可愛く思うことは出来るでしょう?」 その綺麗な金髪を掴んで上を向かせる。 「かわい、く?」 「黄瀬くん、君は痛いことや苦しいこと、好きですか?」 首が振られる。 「でも君は自虐的思考で自分を追い詰めているじゃないですか」 可笑しいですね?とわざとらしく小首を傾げてやれば、分かりやすく頬が青褪めた。 「君は悲劇のヒロインでいたいだけなんですよ。苦しんで戦っている自分は格好良い、救われるべきだ。そうやって夢みたいな救世主を待っているだけです、ただの引きこもりです」 色を失くしたその頬に確かに優越を感じながら黒子は続ける。 「それ、楽でしょう?」 嗚呼、これは紛れもない絶望だ。揺れる瞳が黒子を捉えていた。 「だから救ってなんかもらえないんですよ」 にこり、笑えている。 「自分を救えるのはいつだって自分だけです。他人に期待するくらいなら、自分が這い上がった方が裏切られることもありませんよ?」 しん、とまた静寂が戻ってきて、黄瀬の荒い呼吸だけが其処に響くだけになった。添えていた手をそっと離す。さっきよりも確実に呼吸は落ち着いていた。この分ならもう数分で通常呼吸に戻るだろう。 「…でも、」 ふわり、と黄瀬が口を開いた。ビニール袋が手から落ちていく。涙と鼻水に塗れたとてもじゃないけれども綺麗とは言い難い顔を惜しげもなく晒して、黄瀬は黒子を見上げた。 「でも、おれ、くろこっちに、すくってほしい。くろこっちのことも、すくいたい」 戸惑うように手が伸ばされる。壊れものでも扱うかのように引き寄せられて、その美しい腕の中に閉じ込められた。慰めているつもりなのか。それとも媚を売っているのか。頬をゆるゆると撫ぜるその指のもどかしさに苛立ちさえ覚える。 「だから、君は馬鹿なんですよ」 は、と息を吐いた。嘲笑なんて引き出すまでもなく頬を彩っている。 腐ることすらままならない僕らは、そうやって生きていく以外に道はない。例え水面に浮いてやったとしても、肺にある水の所為で人間はうつ伏せになるしかないと言う。それが、黒子にはたまらなく不愉快だった。どうして、どうして、死して尚、その光の下に横たわることが赦されないのか。 「本当に、馬鹿だ」 その声に、温度があったなんて気のせいだ。 * 20130213 *** ねえ、わらって 花諏佐 むっすりと眉間に皺を寄せるその人を、諏佐は微妙な顔で見つめていた。 「…何ですか」 あ、また皺が深くなった、とぼんやり思う。 諏佐は目の前の花宮真という男を、大して知っている訳ではなかった。今吉の中学の時の後輩、無冠の五将で悪童という二つ名を持つ天才。持っている情報はそのくらい。 「言いたいことがあるなら言ったらどうです」 「いや、何でそんな顔してんのかと思って」 男に向かってこういう表現はどうかと思うが、花宮は綺麗な顔をしている。肌は白く荒れたところなんて見当たらないし、頬は血色良くほんのりと色付いている。飴色をした瞳はぱっちりとは言えないもののすっと通っていて、更には長い睫毛に縁取られているし、特徴的な眉だって嫋やかな雰囲気を出すのに一役買っている。 「花宮綺麗な顔してるんだから、笑えば良いのに」 諏佐の言葉に花宮は更に皺を深くした。何処まで深くするつもりだろうか、そのうちにマリアナ海溝とかあだ名が付いてしまったりしないだろうか。諏佐の頭にはそんな余計なお節介としか言い様のないことが浮かぶ。 「貴方がそんなこと言ってる間は、絶対に笑いません」 「なんだそれ」 綺麗と言われるのが嫌なのだろうか、こんなに綺麗なのに。しかし、絶対に笑わないなどと言われてしまえば余計に見たくなるもので。 見たい。思うままに手を伸ばす。 その白い頬をむにり、とつまんで、何するんですか!と怒られるまであと三秒。 * https://shindanmaker.com/a/125562 * 20130211 *** 「…何ですか」 「いや」 冬のマジバで二人、ぼけっとポテトを突いている。 「唇、切れてんな、と思って」 乾燥した空気が人間の皮膚にも及んで、花宮の唇には血が滲んでいた。 「あー…冬ですからね」 「リップとか付けないのか?」 「面倒で」 手を伸ばす。花宮が戸惑った顔をしたのが見えたが気にせず唇の端に触れる。ピシリ、と音がして花宮が硬直した。お構いなしにその血の滲む場所を撫ぜると、ささくれだった皮が指に引っかかる。 「痛いだろ」 引いた指の腹には、赤い血がついていた。 好きな人は君だよ 花諏佐 「花宮ー」 前をずんずん歩いて行く花宮に話しかける。食べかけのポテトごとトレーを片付けた花宮は、そのまま店を出てしまった。特に早く歩く訳でもないから逃げ出した、というのは少々合わなく、でも何処か怒っているような空気が漂っているとは言えて、仕方なく追いかける。 「…何で着いて来るんです」 「何怒ってんだよ」 「さっさとあの妖怪サトリのとこにでも行ったらどうですか」 当初の目的は果たしたんですから、と続ける後ろ姿はどう見ても拗ねている子供のそれ。確かに今日の目的はお礼のために諏佐が花宮に奢ることで、果たされたと言ったらそれはそうなのだが。 「何で其処で今吉が出て来るんだよ」 歩みが止まる。回り込んで覗いた顔は明らかにしまった、と言っていた。 「…貴方は、あの眼鏡が好き、なんでしょう」 しばらくしたあと吐き出されたその言葉に目を瞬く。それは、つまり。 「…やきもち?」 零れ落ちた言葉に、人を殺せそうな程の視線を返された。 「だったら何だと言うんです」 好きなんですよ。まるで、懺悔のようだと思った。 「貴方を抱きたいと思うくらいには、貴方が好きなんです」 正しく自分の意志で、その自分より小さな身体を引き寄せる。腕の中で強張る身体に、詰められた息に笑いが漏れてしまう。こんなにいっぱいいっぱいで、想われているのだと思うと、じわりと胸が暖かくなった。 「好きだよ、花宮」 口に出してしまえばひどくしっくり来るのが事実で、 「好きだ」 溢れるままに繰り返す。 「意味分かんないです」 腕の中でその身体は反転し、強い視線が諏佐を貫いた。 「オレの方が好きですし」 「そうか」 「反論しないんですか」 「そうやってやってくとその好きはゼロでないと成り立たなくなるからな」 両耳を掴まれてそのまま引っ張られる。漏らしかけた悲鳴は、その乾燥したままの唇に噛み付くように食べられた。 「花宮、痛い」 「逃がしませんからね」 謝罪なしかこの野郎。 追い詰めるようにまた与えられた接吻けを黙って受け入れる。何度も何度もただ触れるだけのそれは、確かに血の味がした。 * https://shindanmaker.com/a/125562 *** 正しく愛せない僕ら 花諏佐 例えこれが本物の愛じゃないとしても、歪んでいる僕らにはそれくらいがちょうど良い。 *** 離れたくない、離したくない 花諏佐 カリカリ、と芯がすり減る音が絶え間なくしていた。ウィンターカップも一回戦敗退という結果に終わり、目の前には受験の二文字。今まで勉強の手は抜いたことはないけれど、センターまで日がない今、最後の詰め込みをやらない訳にはいかない。それは向かいに座っている今吉も同じで、静かな図書館の中、一心不乱にペンを走らせる。 ふと、誰かが斜め前の席―――今吉の隣に座った。視界の端で顔を上げた今吉が呟く。 「花宮やん」 その言葉に諏佐も手を止めて顔を上げた。見知った顔が視界に飛び込んでくる。眉間に皺を寄せたその表情は不機嫌というには少し違う気がした。 「お久しぶりです」 「ああ、久しぶり」 前に会ったのは三ヶ月程前だったか、目の前の端正な顔をしばらく眺めてから諏佐はまた勉強に戻る。 「…大学」 ぼそり、と花宮が呟いた。 「何処行くんですか」 赤本が見えているだろうに、その質問に意味はあるのだろうか。ペンを止めずに答える。 「一応都内狙ってる」 「都内」 オウムのように繰り返された。それは言葉を租借して飲み込んでいるようにも感じられた。 「あっそう」 しばらくして、まるで安堵したかのように花宮は吐き出した。目的は果たしたと言わんばかりに傍らにおいてあった本を開き、読み始める。マイペースだ。諏佐も人のことは言えないが。 「花宮は志望校、決まってるのか?」 受ける大学を東京ばかりにしたのは、花宮のことがあったからだ。それが全てとは言いたくはないけれど、大部分を占めていることは否定出来ない。だからと言って、花宮が都外の大学を希望していたところで何をすることもないけれど。 「都内…」 いつの間にか詰めていた息が解けていく。それに気分を良くしたのか、形の良い唇がたわむのが気配だけで分かった。 「アンタと同じとこ行きますから」 その言葉に、自然と目が見開いた。 将来とか、きっと考えなくてはいけないことはたくさんある。目の前の愛かも分からないそれに勝手に愛と名付けた、こんな関係を優先してはいけない。そんなこと、本当は、分かってる。それでも。 「そうか」 ああ、嬉しい、だなんて。 ぽかぽかと温まっていく胸の辺りは誤魔化せない。諏佐が一番分かっている。花宮の為にも、ちゃんと本命に受からないと、なんて。笑う。誰かの為に、だなんて非道い大義名分だ。でも、これにならきっと、幸せと名付けられる。 「そしたら、一緒に暮らすか」 「…何で先に言うんですか」 む、と若干の膨れ面を示して上体をこちらに寄せる。 「そうなったらもう我慢とかしないんで」 覚悟しておいてくださいね? 耳元から吹き込まれたその言葉は、ひどく甘い熱を帯びていた。 * https://shindanmaker.com/a/125562 *** 20190117 |