君が羽ばたくその日まで 青諏佐

 いつも、連絡はない。最初こそ戸惑いはしたものの、回を重ねるごとに何となく前触れが読めるようになってきた。その日もそろそろか、と思った所で本当に扉が控えめに叩かれ、外に立っていた青峰を招き入れる。成り行き、と言うと何とも駄目に聞こえるが、流れで恋人という関係を結んでから、青峰はよく諏佐の部屋に来る。迷子になってしまった子供のような顔で。泣き方を忘れてしまったような顔で。そうして何をするでもなく諏佐にひたり、とくっついて、互いを抱き締めながら眠りに落ちる。寝ている青峰を置いて朝練に行く。そんなことを繰り返してもう何回。不満はないが、自分がこの学校からいなくなった後、大丈夫なのかと不安にはなる。
 明かりを落としたベッドの上、密着した静寂の中、諏佐は小さく囁いた。
「歩桑桑園、て聞いたことあるか」
「…なんだそれ」
「知らないなら良い」
ちらり、と辞書で目に入っただけの単語。何となく気になって見てみて、何となく青峰にとってのキセキはこれだったのだろうな、と思った。ただ、それだけ。大切に、大切に、育て上げられていたはずの青峰は進学し、その先で寄生虫をつけてしまったのかもしれない。それは監督や今吉であり、桐皇そのものだったり、バスケ自体であったりするのだろう。きっと今青峰は、そういう寄生虫と戦っているのだ。勝ち負けではないけれど、それらと折り合いをつけられた時、やっと青峰は羽化出来るのだ。そんなにつらい想いをさせている、その一端であるというのに、こうして自分を休む場所に選んでくれたことは、
「…ありがとな」
「何だよ、突然」
何でもない、と頭を撫ぜる。
「おやすみ」
「…ああ、おやすみ」
どうか、良い夢が見られますように。



辞書ゲーム「歩桑桑園」
(成虫になっても見ていたい諏佐さん)

***

孤高の王 今桜今

 桐皇は一つの国のようですね、と桜井は言った。その桐皇、が指すのが桐皇男子バスケ部であるということは今吉も良く解っている。
「国?」
「ええ」
実力主義なだけあって年功序列というところは薄いけれど、上と定めた人間に逆らう者はほぼいない。桜井は桐皇を国だと言う。
「いややわ、そないな独裁国家」
「嫌ですか?」
「桜井は嫌やないの? 青峰が独裁する国なんて」
きょとん、とした瞳がこちらを向く。それから少しだけ視線を彷徨わせて、唇を数回噛む。これは桜井の何か話そうとしている合図だ。話したいことがあるけれど、直ぐには纏まらなくて頭をフル回転させている合図。だから、今吉は少し待つことにする。
 「…ボクは、今吉サンの国だと、思います」
やっと紡がれた言葉に些か驚いた。
「ワシの? 青峰やないの? アイツの言うこと結局みんな聞いてしまうやん」
あの暴君に逆らえる奴なんかおらんで、と続けても、桜井は首を振る。
「今吉サンの国です」
どうやらただ主将だから、ということではないらしい。青峰を此処に引き抜いたこと。好き勝手する彼に不満を言う部員たちを、諌める一言。勝利に飢えているような様。青峰は最強だと唱うのも、すべて。見れば見る程、桐皇の指導者≠ヘ今吉であるのだと感じる。
 「まるでナチズムやな」
は、と乾いた笑いが喉を突く。
「嫌ですか?」
「…嫌、ではないな」
桜井が距離を詰めた。
「…もし、ボクが上に立ったら、従ってくれますか」
普段はあまり見られない好戦的な目にふ、と笑いを漏らす。
「言うても桜井がそないなる頃には、ワシはもうその国から消えてるで」
やから、今は大人しく従っとき。ゆっくりとその背をベッドに沈める。主導権を奪う機会をまたも逃した桜井が、観念したように瞳を閉じるのを、今吉は愉しそうに見てからその唇に食らいついた。



辞書ゲーム「ナチズム」
(下克上を虎視眈々と狙っている桜井くん)

***

それこそ運命か何かのように 降古(降旗×古橋)

 こういう偶然ってあるものなんだ。フラッシュバックするような怒りの中で降旗は思った。忘れもしないウィンターカップ予選。降旗自身はベンチを温めているだけだったけれど、大切なチームメイトを、尊敬する先輩を、傷付けられたことを許せるはずもない。
「…ああ」
謝罪の言葉の途中で硬直した降旗を、ぶつかった相手はきょとんと見ていた。が、何やら思い出したように呟く。
「誠凛の」
探し当てたであろう言葉に、思わず拳を握る。試合には出ていないのに覚えてるんだ、なんて思ったのは自分のはずなのに、とても遠くの思考に感じた。もう何年も前に思ったこと、みたいに。だめだ、殴ったりなんかしちゃだめだ。チームのみんなに迷惑が掛かるし、こいつらより下の存在になりにいくようなものだ。それに、そんなことをしたってみんな喜ばないし、何よりも、木吉先輩の脚が良くなる訳でもない。だめだ、堪えろ。自分に言い聞かせる。
「殴らないの?」
不思議そうに相手は尋ねる。
「殴る訳ないでしょう」
「でも殴りたいように見えるけど」
そうだ、殴っていいなら殴ってしまいたい。けれど、それでは何も変わらない。
「殴りたいですよ。チームメイトを傷付けた相手なんですから。でも、それはしたらいけない」
いらいらと答える。この場から早く立ち去りたい。そしてさっさと家に帰って、枕にでもこの怒りが収まるまでぶつけたい。
「…本当に良い子ちゃんなんだね」
「…貴方、何なんですか。殴られたいんですか?」
仮にも年上のはずだが、その時の降旗にはそこをしっかり意識する余裕などなかった。怒りで切れそうになる理性を留めるのに必死で。
「殴られたい訳じゃないけど。今までそうしてくる奴たくさんいたし。そうされても仕方ないことやってる自覚はあるし。君はしないのかな、って」
あまりに淡々とした言葉に、思わず見上げた。言葉と同じように淡々とした表情は、何処か麻痺しているようにも感ぜられる。
「…殴られたくないなら、ラフプレーやめたら良いじゃないですか」
「そう簡単な話でもないからね」
ふぅむ、と指を顎にあててその人は唸った。
「君、面白いね」
ちょっと話そうよ、と腕を掴まれて引きずられれば、大した抵抗など出来はしなかった。
 完全にペース持っていかれた。いや、ノセられて殴っちゃうとか、そういう展開よりかはマシだけれども。公園のベンチで二人肩を並べている状況が不可解過ぎてどうしようもない。普段は発揮されるであろうビビりも最初に思い出した怒りで消えてしまっている。今は調子狂わせが続いた所為でその怒りさえも落ち着いてしまっているけれど。自販機で買ったココアで指を温めながら口の中でため息を殺した。
「そういえば君の名前知らないんだ。顔は覚えてたんだけど」
「…降旗光樹です」
「オレは古橋康次郎」
さっきまで殴りそうっていうか殴りたい、と思ってた相手と呑気に自己紹介なんて、本当に不可解過ぎる。プルタブを緩慢な動作で開けてココアに口をつける。沈黙が流れているが、特にそれが苦ではない。それを認識した途端、何か喋らなければ、と思ってしまう。辛くない沈黙なんて、気のおけない仲でしか発生しないものではないのか。
「…殴られたりするの、慣れてるんですか」
「うん、そうだね」
今日は良く晴れているね、それくらいの軽さで返さないで欲しい。
「つらく、ないんですか。あと、何で逃げないんですか」
言葉を絞り出す降旗に反して、古橋は何処までも軽く返す。
「辛いかどうかは…報復受けても仕方ないと思ってるし。逃げても、追いかけてくるやつは追いかけてくるし。殴るより酷いことしてくる奴とかもいるし」
いろいろツッコみたい所はたくさんあるが、殴るより酷いこと? 疑問が顔に出ていたのか、古橋は続けた。
「性欲処理とか」
君は本当に良い子ちゃんなんだね、とまた繰り返すその前で、降旗は固まる。せいよくしょり。知っているはずの単語がうまく頭に入って来ない。言葉のまま、というか、一応オブラートに包んだ結果がこれなのだろう。つまり、そういうことだ。血の気が引く音がした気がした。
「…君が青くなることないのに」
気のせいではなかったようだ。顎に手を掛けられて、少し上を向かされる。
「良い子ちゃんすぎて…なんか…」
そのまま顔が近付いてくる。ん? 近付いてくる?
 ばっと間に入れた手はすぐにその役目を果たした。
「な、にを…」
「何となく。君にならそうされても良いかなぁ、と思ったから」
無表情に突然何を言い出すんだ。
「…違うな。君にならされても良いというより、これは…君に、されたいんだ」
多分、真っ先にドン引く、ということをしなければならなかったのだ。目が、合っている目が、死んだ魚のような目だとばかり思っていた目が、確かな感情の機微に潤んでいるのを見てしまったら。
 きれいだ、なんて。
 「…ッ、オレは、そんなこと、しませんから!」
「何故?」
顔を押しやって顎に掛けられた手も払いのける。
「何故って…普通、そういうのは好きな相手とやるものでしょう」
古橋がされたように、好きでもない相手に陵辱の手段として使うこともあるだろう。けれど、それは一般的ではない。好きな相手とする、大切な行為。少なくとも降旗はそう定義付けている。
「じゃあ、君がオレを好きになれば良いじゃないか」
そういう問題じゃない! 反論は飲まれた。流れるような動作で再度顎を捕まれ、今度は後頭部まで抑えられて。
「ふ、ぅ!?」
ぬるり、という感覚が滑り込んでくる。突き放そうとするが、驚きと歯列をなぞられる感覚でうまく力が入らない。それでなくても強い力で抱き締められているのだから、距離なんて作ることが出来ない。ちゅ、とわざとらしいリップ音を立てて古橋が離れる。
「な、ん…」
「うん」
れろ、と自身の唇を舐める古橋に、降旗は目が離せなくなる。
「やっぱり君、オレのこと好きになってよ。それで、」
ぐちゃぐちゃに、して? 耳元で囁かれた艷やかな声に、今度こそ降旗は悲鳴を上げて、飲みかけのココアも投げ出して逃走したのだった。



(やばいやばいやばいどうしようなんかやばい人に目、つけられた…!)
あみだ

***

心の一番奥のやわらかいところに響く音 古山

 古橋は無表情だ。あまり何を考えているのか山崎には分からなかったし、それは清く正しいお付き合いを始めた今でも変わらない。付き合う前と変わったのは一緒に過ごす時間が増えたこと、誰もいないところで少しだけ手を握り合ってみたりすること、それを双方照れくさそうに、でも離しはせずにいること、くらいだ。部活に支障をきたしたくないから、という理由で身体の関係はない。まぁ、健全な男子高生だから、互いに抜くくらいはするが。
 と、こういった行為の殆どは古橋から持ち掛けられるものなので(山崎も持ちかけるが、比率はやはり古橋の方が多い)、愛されているであろうことは分かるのだが。それでも、何か、不安と言うか。
 「…古橋、何考えてる?」
夜、古橋家のベッドで抱き合うようにしながら眠りに落ちる前。そんなふわりとした思考の中で、小さく問う。互いの家に泊まって夜をこうやって過ごすのは良くあることだ。何もしないのは辛いと言ったら辛いが、それでも一緒に過ごせる時間が長引くのは嬉しい。
「…ん、山崎がいてくれて良かったなぁ、って」
手を取られる。そのまま、古橋の耳に当てられる。よく古橋はこうする。
「こうすると、生命の音がする」
ほら、と同じように山崎の耳に自分の手を当てる古橋。轟々と唸るような筋肉の軋みと、その奥に聴こえる一定の刻み。
「山崎が生きているんだなぁ、って嬉しくなる」
その声が確かに湿り気を帯びたのを感じた。
「…泣くなよ」
「嬉し泣きだから」
山崎の声も同様に湿り気を帯びているなど、言わなくても分かること。
 「山崎見てると、時々苦しくなる」
「…オレも、古橋見てると苦しい時ある」
「生きてるから?」
「生きてて、尚且つ好きだからだろ」
互いの耳に手を当てて笑い合う。
 燃える燃える生命の音。無表情の裏でそんな小さなものに耳を傾けて、そこまで愛おしく思ってくれている古橋。また分からなくて不安になったら、聞こう。そしてこうして、一緒にこの音に耳をすまそう。そう決めて、山崎は眠りに落ちた。



image song「体温」LUNKHEAD
(意味とか理由とかそんなものは要らない)
あみだ

***

ランドルト環のない世界に暮らす君 原今

 「かんとく」
いつも笑っているように見える顔はどことなく弱々しく見えた。
「ワシ、ものごっつう目ェ悪いんですよ」
「知っています」
部活中の不注意とその寿命が重なったのか、いつもなら今吉の顔面を彩っている眼鏡は、床に飛ばされ落ちた結果、粉々に砕けてしまっていた。ちょうどスペアもないらしく、何も掛けないままの顔は少し新鮮だ。もう少ししたら眼鏡屋に連れて行ってやるつもりではあるが。
「そんなやのに眼鏡割れてしもーて、監督はそない遠くにおって、かわいー生徒が心細くてしゃーないて思わんのです?」
口調は何処までも軽い。だと言うのに、ああ、まさか本当に? じっと見据える。向こうからはこちらの表情など見えていないはずだ。だのに、どうしてだろう。
 見透かされている気しかしないのだ。

***

言葉は遠回りして迷子になって 諏佐今

*今吉さんはほぼ無自覚
*諏佐さんも無自覚

 諏佐佳典には彼女がいる。可愛いかどうかは知らない。今吉翔一が諏佐の彼女について知っているのは、彼に所有印を付けるかのように、紅い石のついたピアスを送ったことくらいだ。二つで一つのセットとして売っているそれの片割れ。彼女の手元に残ったそのピアスは彼女の右耳で光っているらしい。部活や学校生活では外してはいるが、その他の時間、諏佐はそのピアスをずっとしている。身に着けていない時でも持ち歩いている。
 今吉はそのピアスが非常に気に入らなかった。
 近隣と言えど他校である諏佐の彼女が諏佐と会えるのは部活がオフの日だけだし、学校生活も部活も寮での暮らしも、諏佐は今吉が独占している状態であるのに。それを監視するような紅い石。間に割り入られたようで、テリトリーを侵されたようで、今吉はそのピアスが非常に気に入らなかった。とはいえ外せとも言うことが出来ず、そのままにしていた。
 「…諏佐、ピアスどうしたん」
寮の部屋に戻り、勉強道具を持って諏佐の部屋を訪れた夜。プライベートな時は必ずと言って良い程つけていた、あの紅い石のピアスが見当たらない。
「ああ、あれか。別れたから返した」
わか、れた。その言葉を飲み込むのに少々時間を要した。理解した瞬間地鳴りのような歓喜が身体の奥底から沸き上がって来て、今吉はそこで始めて自分がその言葉を待ち侘びていたことに気付いた。笑みが浮かばないように、声が震えないように、そうか、とだけ返す。慰めなど不必要だと思える程、諏佐は何でもないことのように言った。それも今吉を喜ばせた一つの要素だった。強がりだったら分かる。諏佐は彼女と別れたことに対して、悲しんでいない。それがもう、なのかそれとも最初からなのか、それは流石に分からなかったが。
 左耳にぽつりと残った小さな穴。諏佐に彼女がいたことを表す、ただ一つの弊害のように思えた。そういえば、ピアスには魔除けの意味があったな、と今吉は思い出す。じっと見つめる。小さな穴のその向こう、顔も知らない女が覗いているのが見えたような気がした。
「ワシも付けたいなぁ」
ぽろり、と言葉が転がる。
「ピアスをか?」
「そうや。諏佐とおそろいが良えな」
また冗談か、と言うような顔で諏佐が此方を見やった。至って真面目な顔をしている今吉を視界に入れて、一度ゆっくり瞬く。
「…別に、オレは構わないけど」
「嬉しいわぁ」
魔除けとして働いていたものが魔に堕ちたのなら、これ以上格好の通り道はないだろう。今吉はにぃ、と唇を歪める。
「諏佐が開けてぇな」
けれど、其処から入るなんて許さない。そんな道はさっさと塞いでやる。
「…痛くても文句言うなよ」
「分かっとるよ」
諏佐になら痛くされても良い、寧ろされたい、なんて。
 今はまだ、言わない。
 「ああ、楽しみや」



image song「左耳」クリープハイプ

***

七度八分 今古

*ちょっとばかり軽い今吉さん
*面倒くさいぐずぐすの古橋くん

 「ふるはしぃ」
ああ、まただ。その妙に湿度を含んだその声を聞きながら、頭の片隅で古橋は思っていた。今度はなんだろう、と考えながらそちらを向かずに返事をする。合コンでお持ち帰りした? 一晩だけ、と言われて寝た? せがまれてキスをした? デートの約束でも取り付けた? 喉で堰き止められて滑って行かない言葉たち。
「何ですか」
息をするように嘘を吐く人だと思う。それに対抗する訳ではないけれど、古橋も疑いを言葉にはしない。
「ん、呼んだだけ」
こてん、と肩口に熱さを感じた。
 壊れ行く未来が見えるような気がした。それでも、古橋は何も言わない。
 それが日常。
 その中に古橋を優先させるという概念など存在しない。
「あー…次の日曜はちょっと、予定入ってんねん」
ごめんなぁ、と眉尻を下げる表情のわざとらしさが、目につくようになったのはいつのことだったか。ふと、この胸の内にざわめく疑念を言葉にしたらどうなるのか、気になった。
「何処か行くんですか?」
まつげが震えるのが見えた。今までこんなふうに聞いたことはない。予定があると言われたらそうですか、と返す。気が向いたら残念です、なんて付け足して。それだけだったのに、渦巻く黒い感情が首を擡げて、自分の首を絞める好奇心を唆す。
「友達と美術展行こうて話んなってな」
嘘っぽいな、と頷きながら思った。どんな絵なのか、とかもっと聞けることはあったが、それは止めた。
「古橋がこうやって聞いてくるなんて珍しいなぁ」
きゅう、と細まる瞳から目を逸らす。
「…何となく、聞いてみたくなっただけです」
これ以上は踏み込んではいけない。それを賢く察して、古橋は口を噤んだ。

 偶然というやつは非常に憎たらしい。
 次の日曜日。一人で街をぶらついていた古橋は、視界に入って来たその光景に流石に脚を止めた。
 仲睦まじく繋がれた手。戯れのように彼女の額に落とされるキス。
 やっぱり、嘘だった。浮かんで来たのはそれだけで、心はもう冷えきる場所を失ったようにみえた。踵を返す。目の端で一瞬、視線が絡んだような気がした。気のせいではなく確かに絡んだのだろう。けれど古橋にはどうでも良かった。あの人の中の自分もその程度なのだと分かっていたから。自暴自棄になれる程期待などしていなかった。
 「ふるはしぃ」
聞き慣れた高温が耳に滑り込んで来る。また、熱い。優しく押し付けられるだけのキスに僅かに目を細めた。
「…どうしたんですか、突然」
「んー何か、古橋にちゅーしたくなってん」
こういう甘えを示されるのが自分だけだなんて、そんな妄想はとっくに朽ちている。
「そう、ですか」
徐々に体重を掛けてくるその瞳を奥を見つめた。正しく色付いたそれは、きっと自分に向けられるべきではない感情。どうせ終わるものならば、最後まできれいでいられるように。
 決して泣き喚いたりしないように。
 目を閉じる。それを合図に、背中にソファの柔らかさを感じた。



image song「すべりだい」椎名林檎

***

高鳴る胸を無視できない 桜山

 そいつとの出逢いを思い出そうとしても、覚えていない、というのが本音だった。いつの間にか懐かれ、いつの間にか連絡先を交換していた。弟が出来たようだったし、料理は上手いし、気配りは出来るし、謝り癖は少々鬱陶しかったけれど、それ以外はとてもかわいい後輩だった。
 それが。どうしてこうなった。
 目の前で泣きじゃくるその後輩に、オレは正直お手上げ状態だった。今の話の何処に泣き所があったのか良く分からないし、そもそも話の内容が今日クラスの女子からカップケーキ貰った、なんていうちょっとばかり可愛らしい青春の話だと言うのだから余計に。とりあえずタオルを持って来てそのぐちゃぐちゃな顔に押し付けて、申し訳程度に、大袈裟に震える肩やら背やらをさすってやる。
「何かオレ悪いこと言ったか…? それだったらごめんな。でも悪気はないんだ。だから、泣き止んでくれると嬉しいんだけど…」
自分でもありきたりな台詞だと思った。しかし、それでも効果はあったようで、すびすびと言いながらも桜井は徐々に落ち着きを取り戻す。
「落ち着いたか?」
鼻をかんで一息吐いた桜井に、オレは問いかけた。
「すみ、ません…」
「いや、別に良いけど…オレこそごめんな。何か桜井の嫌なこと言っちまったんだよな」
「違い、ます」
まだ涙の色の残る声。
「違うんです」
でも芯のあるその声に、オレは口を噤んだ。
「違います、山崎サンは悪くないんです…。ボクが、勝手に嫌だって思っているだけで、普通はそんなこと、嫌じゃなくて…」
「それでも、」
「山崎サン」
それでも桜井が嫌なら気を付けるから、という言葉は遮られた。
「すきです」
腫れぼったい目が見上げてくる。
「山崎サンが、すき、なんです」
どんよりと淀んだ瞳の中にきらきらとした光を見付けてしまう。それをきれいだ、と思った。
 そして、こんな状態なのに、それすらも可愛いと思うなんて。オレは結構重症なようだ。



あみだ

***

世界最後の、 花原

 今日、世界は終わります。
 日本時間早朝、何の前触れもなく偉い人がそう宣言した。曰く、回避する方法はないらしい。日本時間では一時頃、それが世界の終わる時間。世界中はパニックに包まれた。…のも、二、三時間の話。信じない人、早々に諦めた人、明日世界が終わろうと変わらない人。原一哉はそのうちのどれでもなく、明日世界が終わるのなら、遣り残したことをやる人、だった。
 「花宮は世界が終わるって、信じてる?」
「あ?」
例え世界が滅亡することになったって学校はなくならない。いくら偉い人が宣言したからってすぐに順応なんて出来ないのが人間で。ちょっとばかりハイになった生徒と教師が、いつもとはちょっと違ったテンションで、いつもと同じ授業を進めていた。そのちぐはぐさに笑ってしまう。昼休みには花宮が合法的に鍵を手に入れた屋上で、スタメンで集まって昼食をとる。それだって、いつも通り過ぎて。古橋も山崎も瀬戸も教室に戻ったのに、花宮はなかなか腰をあげなかった。それにつられるようにして原も屋上に残る。世界が終わるまであと少し。本当に終わるというのなら、五限目に間に合うように教室に戻る意味もない。このまま、こうして二人で終わりを迎えるのもそれなりにロマンチックだろう。
「まぁ、そうだな、信じてる」
花宮は少し考えた後、そう言った。
「へぇ、意外」
「そういうお前はどうなんだよ」
「うーんどうだろ。信じてるって言うには実感がないし、信じてないって言うには足りないくらいの行動力があるよ」
「何だよそれ」
ふはっといつもの笑い声が耳を擽る。ああ、世界は終わると言うのに、あまりにも普通だ。
 このまま、何も変わらないで終われば良いのに。でも、終わるならきっと、何も関係ない。
 「ずっと好きだった」
ずっと喉を蝕んでいた言葉を紡ぐ。花宮は驚く素振りも見せずにただ原を見ていた。そのまま続ける。
「世界が終わるなんてことにならなきゃ、黙ってるつもりだったよ。でも、全員死んじゃうなら、何にも変わんないから」
ふう、と息を吐いた。ずっと胸の内で燻っていた思いを吐き出したことは、思った以上にすっきりとした感覚を原に与えた。こんなに、と原は思う。こんなに、伝えたかったんだ。ずっと殺そうと思っていた、この、気持ちを。
 ぐい、と引き寄せられた。殴られるのかな、と抵抗もせずされるままになる。花宮にはこの気持ちを否定する権利がある。気持ち悪いと殴る権利がある。それでも良かった。だって、どうせ終わってしまうのだから。
 「…馬鹿、言うのが遅ぇよ」
え、と声が漏れる。ぎゅう、という感覚に遅れて現状を把握する。
 花宮に、抱き締められている。
 「えっと…花宮?」
「何だよ」
「あの、オレ、告白したんだけど。一応」
震える。だって、だって。こんなこと、あり得て良いのかって。
「分かってる」
「恋愛感情で、って意味なんだけど」
「だから、分かってる」
少し、身体が離れる。真っ直ぐ、見つめられて、
「オレも好きだ、バァカ」
ずっと欲しかった言葉が、胸を締め付けて。
 「世界が終わっても手放してなんかやるかよ」
 世界最後のキスは、ひどく、甘かった。



終末を寿ぐ世界滅亡BLアンソロジーを読んで
あみだ

***

がんじがらめの給水塔 原瀬

 「おーい瀬戸〜部活〜」
屋上の扉を開ける。まだ春の香りの残る風が横を吹き抜けていった。
「瀬戸ー」
給水塔の裏からひょっこりと覗く脚に話しかける。応えはない。
「…熟睡かよ」
いつもは上げられている前髪が、さらさらと風に揺れた。
 原一哉は瀬戸健太郎が好きだ。それは本来ならば異性に抱くはずの感情で。気付いた時から原はこの思いに蓋をしている。学校という檻の中で、部活という箱庭の中で、そういったややこしい感情を表に出すことがどれだけ愚かか、良く分かっていたから。
 前髪に隠れる額に接吻けを落とす。知らなくて良い、気付かなくて良い、このまま墓場まで持っていくから。 
 「    」
 愛の言葉は、喉から先には行かないで。
 未だ夢の中を揺蕩う瀬戸を起こして部活に行くために、原は大きく息を吸い込んだ。



あみだ

***

20121113
20121118
20130114
20130201
20131130