或る一つの攻防 梶中

*学スト

 丸洗いに出来たら良いのに、と梶井が言うので何事かと手の中を見遣ればなんてことはない、黒板消しだった。また何ぞ危(あや)しい薬でも誰かの背広に零したかと少し期待したもののそうではないらしい。残念だ。
 しかし、黒板消しとは。
「…乾くのに時間が掛かるんじゃねぇのか」
「そうなんですよね」
「黒板消しがないと困るだろう」
「そうなんですよね。一瞬で乾くような便利なものがあれば良いのに」
「ねぇのか」
「ありませんよ」
「なら、」
 白い粉が舞う。中原の額は梶井の手によって押さえられて距離は縮まらない。制服に粉がつく。
「つくれば良いんじゃねぇのか」
「それもそうですね」
君、変なところで頭が良いんですよね、と梶井が笑う。失敗だった。

 後日、梶井が黒板消しをすべて水浸しにしたとして数学教師に説教されている場面を目撃する羽目になることを、中原はまだ知らない。

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四月の魚を逃がすな 梶中

*学スト

 大人ですよ、とその大人びた帽子を被ってなんにもなくなったブレザーを引っ掛けて、少年だった少年は言う。
「もう良いと思いますがね」
「ええー」
「往生際が悪いとは思わねえのか」
「だって君、まだ未成年には変わりないですし」
教頭だって問題は起こさないでね、って、この件については慎重ですし、という科学教師の胸ぐらを少年は掴んで、
「ぐわっ」
地面に叩きつけた。
「オレは―――」
 宣戦布告はとうに過ぎている。
「此処で始めても良いんだぜ?」
その様子は勿論、他の生徒にも教員にも目撃されている訳で。
「どう思うだろうなあ? こんな、卒業式の終わったすぐあとの中庭で生徒と教員のセックス」
「君は僕の人生とかそういうもののことは考えないのかな!?」
「全部オレのモンになれば関係ねえだろ」
「………中原くんて、馬鹿ですよね」
「アア!?」
降参です、と言う。視界の端に教頭が映る。あのハンドサインはもうちょっと、ああ、なるほど。
「中原くん」
「何ですか、梶井先生」
「知っているとは思いますが、卒業式を終えても君は三月いっぱいは高校生です」
「なるほど四月一日に先生の家にお邪魔したら良いんだな」
「勝手に話を進めないでもらえますか!?」
思わず顔を覆う。
「だから、つまり、僕は、何があっても、それまでは君に答えを出しません」
「出てるようなモンだろ」
「出しません」
「でも、」
 少年は立ち上がる。青年へと変貌を遂げる途中の、尊い表情で彼は言う。
「それを言ったってことは、もう敗北宣言にも等しいって、賢い梶井先生なら分かってるじゃないですか」
その言葉に、本人よりも周りが盛大なため息を吐いた。



釦(ボタン)散つて打ち重なりぬ少年の独占欲ほど紅き唇 「転生の歌」 / 黒瀬珂瀾

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楽園で沈黙 太乱

 どうにもこうにもやってらんない! と乱歩さんが両手を上げてわー! と叫んだのを聞いていた。
「乱歩さんがそんなになるなんて一体どんなことなんですか?」
難事件なのかと思って首をぬっと突き出すと、お前だよ、太宰、と叱られる。そうだ、これは叱られるのだ。から僕は今、とても怒っているんだ!」
手始めに膝を貸しなよ! と言われてそのままダイブされる。痛い! 固い! と言われても仕方ない。
「でもこれが良いんでしょう?」
「そうだね! この世界で一番寝辛いだろうこの場所で、今僕は兎に角昼寝をしたいんだよね!」
まるで年上とは思えないその言葉に、貴方な望むのであれば喜んで、と言うしかなかった。



鸚緑
http://nanos.jp/rishu91414/

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骨まで溶かして 梶中

 矛盾の問題ってあるだろ、と中原が言ったのを梶井はぼんやりと聞いていた。ひどく夏の様相を呈した春のことだった。そう、まだ春だった、暦の上では完全なる春であるのに、あまりの異常気象にこうして生命に限りのある人間らしくなくぼんやりと時間を食いつぶしているのであった。
「ええ? 今、なんて言いました」
「矛盾の問題」
「矛盾なんて、そこかしこにあるじゃないですか」
「有名なやつだよ」
 曰く、手に入らなかった愛しい女を殺すために博士は何でも溶かしてしまえる薬を作る。そしてその女を溶かしてしまう。さて、この文章を可笑しいところは?
「そんな問題でしたっけ」
「俺が聞いたのはそうだった」
「それは道徳の問題ですか」
「化学的な問題なんじゃねえの」
こんなマフィアに対して道徳を今更説くかよ、と言われてまあそれもそうだな、と思う。
「じゃあ、何でも溶かしてしまえる薬なら、保存する容器がない、ということでしょうか」
「そうそれ」
「中也殿、本当に答えを知っているので?」
「さあな」
「さあな!」
どちらともつかぬ笑い声が始まって、そのぼんやりとした空間を壊していく。
「手前なら作れるだろう」
「さて、どうでしょうね。僕が好きなのは爆弾ですし」
「それもそうか」
「骨は残りますよ」
「本当かな」
貴方が何を望んでいるのか分かりません、と素直に言えば、手前がそう言うのを待っていた、とこれまた絶対嘘であるようなことを言われた。



@ODAIbot_K

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今宵、貴方の第一釦を奪いに行きます。 梶中

*学スト

 貰ってくれないか、と言われたのはまだ春の盛りの頃だった。しかもまだ彼は二年であり一年後、ということでもない。何にせよ気が早すぎやしないかと梶井は思ったもののこの生徒に何を言っても無駄なことはこの短期間でよく分かっていた。
「それ、貰って何か僕に良いことがありますか」
「俺がついてくる」
「却下で」
何でだよ!? と叫ばれるもそれで頷く人間がいるならそれは確実に教師をやってはいけない人間だ。梶井ですらそれくらいは分かる。賢い彼がそれを分からないはずがないのに、鳴呼、青き春というのは賢さすら奪ってしまうのか。悲しいことである。そんなことを考えていると予約させたからな、と強引に話を打ち切られた。
「貰わない手はないんですか」
「ない!」
そう笑って帰っていった彼を見送って、長いため息を吐いたのがつい昨日のことのようだ。
 それで、と中原がにやにやと笑っているのが分かる。
「梶井先生はご丁寧に貰いに来てくれた訳だ。しかも俺がちゃんと高校生でなくなるまでまって。四月になる、その深夜に俺の家まで釦を取りに来てくれた訳だ」
「貴方が言ったから取りに来たんですけど気が変わったなら―――」
「変わってるとでも思うのか?」
「オモイマセン…」
まあ諦めろよ、とこの深夜に制服を着込んで待っていた人間の台詞とは思えなかったけれど、無事にその第一釦は梶井の掌に落ちて来て。
「ドーゾ、これからも末永くよろしくお願いします」
「…中原くんが言うと本当にそうなりそうで怖いですね」



明日の色 @asitanoiro

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火星の果てまでワンツー・ワンツー 太乱

 乱歩さんは何処まででも行けそうですね、なんて呟いたらそうだろうね!
と当たり前のように返された。けれども考えるまでもなく当たり前なのだ。だから太宰は何も言わない。言わないけれどもそれは少し寂しい、なんて思ったりする。実際に何処かに行くなんて、太宰の方が先にやってのけてしまうだろうに。
 乱歩は、此処にちゃんと足をつけている。
 此処でないといけない訳ではないけれど、それでも此処を愛して此処に生きると決めている。探偵社が乱歩のためのものであっても、乱歩はそれを認めなくても、それをやってのける。
「今、寂しいと感じただろう」
「はい」
「太宰、お前は知らないようだからこの僕が教えてやるけれど―――」
お前、僕がついてこいと言ったらついてくるだろう?
 まさかそんなことを言われるとは思っておらず、一瞬ぽかんとしたあとに太宰は思い切り笑ってしまったのだった。



どこでもいいから遠くへ行きたい。 遠くへ行けるのは、天才だけだ。
寺山修司

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星に願いを 森梶

 変なものを拾うことはそう珍しいことではなかった。だからこそその青年がある日疲れ切って膝に倒れ込んで来てそのまま眠ってしまった時も、起きるまで放置しておいた。少し重たかったが別に死体の重さよりかはマシだ。訪ねてきた他の部下にひどく驚かれたが、それはそれだ。六時間ほどトイレにも立てなかったが今更そんなことを気にするような生活はしてない。
 そして起き上がった青年は未だ寝惚けた顔でおはようございます、と言った。
「梶井くん」
「はい」
「私の膝の寝心地はどうだったかな」
「固かったです」
「素直でよろしい」
次回からは注意します、とやっと起きてきたらしい頭を振って、それでも青年は立ち上がろうとはしない。
「気に入ったかい」
「それなりに」
「時々なら貸してあげよう」
君は昇進も昇給もあまり喜ばないからね、と言うと確かに嬉しい訳ではありませんね、と返される。
「出来ることが増えるのは嬉しいことですけれど」
「君にとってはそれだけで充分だと言うのかい」
「そういう訳では」
これだってかなり嬉しいですよ、と膝頭に額を擦り付ける様は猫のよう。
「貴方は僕のために何も変えないと、それが分かるからこそ僕は貴方を安心して愛していられるのですよ」
愛なんて微塵も信じていないくせにそんなことを言う青年の、その未来を奪ったとはまったくもって思えなかった。



私のために軌道を変へる星はないか丘のうへには哀愁がいつぱい / 笹原玉子

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夏の少年 梶中

 中也殿はブラウンがお好きなので、と聞かれた意味が分からずにああ? と凄んでしまったのはきっと癖のようなものだけれども今更この男がそんなことを気にする訳もないので特に訂正はしなかった。
「ですから、ブラウンが好みなのかと」
「もしそうだったら何だ」
「向日葵、お好きかな、と思いまして」
「………文脈が繋がらねえんだが」
 まあただの気まぐれですよ、と梶井は部下のような表情で呟く。
「貴方に向日葵はとてもよく似合うと、そんなことを思ってしまったものですから」
夢のような話でしょう、と言う梶井に、一体それの何処が夢のようなのだと問い返すことは出来なかった。



ロケットに積むなら摘みたて向日葵を 通りの御日様拾って帰る / ロボもうふ1ごう

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できないことなど何もない 森梶

 重くないですか、と背中の彼が言うものだから重くなんてないよ、と言う。
「まさかそんなはずはないでしょう、僕だって標準の成人男性ですよ」
「なら何故聞いたんだい」
「聞いてみたかったからでしょうね」
だってとても寒いですし、と彼が言うので僕は医者だよ、と返した。「僕は医者なんだよ」
「存じております」
宇宙大元帥に出来ないことなど何一つないことも僕は知っております。そう呟いて彼は目を閉じたようだった。自由気儘なその様子は仕方がないので、彼が目覚めたら彼の大好きな紡錘形が一番に目に入るようにしておこう。



月にむかい汝を負えば背中よりふたたびわれへ入りくるような / 江戸雪

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ちょっとそこまで 森梶

 朝は苦手なんですよお、と言う青年に檸檬ジュースを用意したんだけれどもね、と呟くと飛び起きるのだから面白い。
「一体何処で手に入れて来たのですか」
「ちょっと先のアンドロメダ銀河と言ったら君は喜ぶかな」
「喜びますとも」
貴方の言葉ですから、と言う彼の子供のような笑みを、きっと知っているのは自分だけ。



朝卓に果汁飲みおりアンドロメダ銀河へ行ってきたばかりなり / 大滝和子

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20190323