いつかぜんぶ、 敦鏡

 もしも平和な世界が来たら、なんて想像する。夢のはなしをする、思いつかない、なんて可愛らしい声が暗く言うけれど、それは僕も同じだけれども。この街は生きている、いつだって煩い、だからきっと、そういう意味の平和なんてきっとこないけれど。
「本を読むのが良いとおもうんだ」
笑って手を取る。
「きっと、新しい発見、君のこころをふるわせるものがあるから」



いけないことはみんな本から教わったひとつの書架として君を抱く / 松野志保

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父の日 福乱

 はい、父の日だよ。と、そんな言葉で当たり前のように渡されたそれがネクタイであることが疑問なのではない、何故父の日にものを贈られるのかとそういうことの方が重要だった。福沢は別にこの少年の保護者では―――いや、否定しきれはしないが。
 悪戯の好きそうな目が福沢を見ていた。
「あんなことまでしちゃうのに父の日なんて馬鹿げてるって?」
ただの口実だよおじさん、と言われて詰まる。
「何かしら形が欲しかったんだよ」
 ああどうして、言葉よりも先に心を与えてしまったのだろう。



(理解されないものはないのと同じ)

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これは誰にも言わないこと 乱エド

 その日の物語は余りに陳腐なものだった。謎謎小説でもなければ悪意を張り巡らせた怪奇小説ですらない。だだっ広い空間に乱歩とその作者はたった二人、向き合って坐っていた。
「今日の話は、」
作者が何か言う前に乱歩は口を開く、それが名探偵の作法だから。
「屹度この上なく詰まらないのだろうね」
 そうかもしれない、と作者は笑った。自分の作品を貶されても笑っていられるようになったのは作者の若しかしたら成長なんてものなのかもしれなかったけれども乱歩にはそれは関係ない。乱歩には彼の次の言葉が分かっている。だから、同じ言葉を重ねてやる。
 ―――一度君に、そう言って貰いたかったんだ。

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お好きに奏でてください 乱エド

*黒猫が中から操作可能という都合の良い前提

 何か音楽が聞きたい、なんて。我が愛しの好敵手(ライバル)殿は難しいことを言う。これは我輩の物語の中であるので、それを実現させてやるのは可能である。我輩の好きなものを好きになってくれたら、なんて思いながら古いレコードを脇役が出す描写を書き足す。
 と、ぽんっとレコードが出てきた。いそいそとかけようとすると、そうじゃないの、と好敵手殿は声を濁らせた。
「君、さあ」
「なんだい?」
「どんな楽器を演奏出来る?」
「………ハイ?」
今、彼は何と言っただろうか。どんな楽器を、演奏、出来る?まるでそれは我輩に何か演奏してみろと言おうとする前フリのようではないか―――と、思って首を振る。ようではないか、ではなく、そうなのだろう。この好敵手殿は未だ我輩の力量を測っている最中―――であったらどんなに良かったか。
「ねえ、」
思考は遮られる。
「君の自己満足にもならない考え事はいいからさ、僕の質問に答えてくれない?まあ別に、答えなんかきなかくても分かるけど」
じゃあ何故、とは聞かない。聞けない。探偵としての矜持(プライド)に反する。
「…我輩は、………」
弾ける楽器などない。ならば。
「歌、くらいなら」
合格、と名探偵殿は笑った。
 それが何より嬉しかった。



ask

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十四の分岐点 乱エド

 君もまた可愛らしい質問をするものだね、と子供のような声を張り上げて莫迦莫迦しそうに君は言った。
「まるで人間みたいだ!」
一体人のことをなんだと思っていたのだろう、とその旨を伝えると変人、と返って来る。それは人と付いている故に人間という括りであるのではないかと言えば、君は本当に重箱の隅をつつくのが好きだね、と言われた。
 名探偵ではない彼は、名探偵をしていない時の彼は、とてもとても可愛らしい。そのまま子供のようで、加減を知らないまま、そして恐らくその意味を知らないままに、人間らしい感情や欲求を伝えてくる。
これはきっと、唯一ではないのだろうが、それでも彼のこういった一面を見られる限られた一握りに入れたということは、この上なく幸福なことなのである。
「そうだねえ」
君はぐてん、とその細い首が折れるかと思うほど勢いよく背もたれから逆さになってこちらを見遣る。
「君=B…って言ったら君は喜ぶのかな」
「さてね、どうだろうか」
「だよね。僕は君に特に早く出会いたかったとは思わないけど、もし、君が、もっと早く、この国に来ていたら…」
語尾が消えていく。
 どうして、彼が泥水を啜るような生活を強いられるようなことがなかったのか、聞いたことはなかった。もしかしたらこちらに判断材料を与えていないだけで、彼自身も泥水を啜ったことがあるのかもしれない。ただの探偵は名探偵に敵わない。それが嫌というほど分かっているのに何度でも挑戦するのは、許されたからか。
「………僕は、今出会えて良かったという人たち、全員に出会えてなかっただろうな」
もしかしたら、死んでいたかも。
 そう続ける様がやはりとても幼い子供のようで、何となく手を伸ばした。
 ら、その逆の手をカールに噛まれてぎゃっと悲鳴を上げた。



ask

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二階から目薬 乱エド

 人間、瞬きが出来なければ何も見えはしない。そんな当たり前のことが分かったのは君に出会ってからで、それまでの常識なんてすべてをひっくりかえすくらいの勢いで世界が目まぐるしく変わっていくのを感じていた。
「君は莫迦ではないのに莫迦なんだね」
 自分より年下の人間にそんなふうに言われるのを許すのは、ただ一つ、君が名探偵であるから、それに他ならないのだ。



きっときみがぼくのまぶたであったのだ 海岸線に降りだす小雨 / 正岡豊

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ばかものたち 乱エド

 「こんな恋でも、捨てられないのである…」
自分で言った言葉なのに笑ってしまった。だってそんな言葉はまるで詩人だ! 君も同じことを思ったらしい。そう、とあの有名な物語の猫のような笑みを貼り付けながら、その唇を湿らせる。
「それは、本当に、恋、なのかな?」
それは一刀両断だった。それは予想出来ていた。
 だから。
「ああ、例えそれが瞞しでも、」
我輩は構わないのである、と呟けば、君は莫迦だね、と言ってまた笑った。



『愛してる』とは言えないから、名探偵に我輩は「こんな恋でも、捨てられない」と口にする。
http://shindanmaker.com/562881

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泥の中では咲けやしない 梶井

 梶井基次郎には母というものがいない。
 それは単純に覚えていないだけなのかもしれなかったし、梶井がやはり親のいない宇宙から降ってきたからなのかもしれなかった。梶井はとある夏の日に、いつの間にか玄関に現れたのだと言う。それは育ててくれた祖父母の話であったので、本当は何か母という生き物と共に現れたのかもしれなかったが、それがあまりにも子供には言えないものだったので祖父母がごまかしただとか、そういうことだって勿論考えられた。しかしながら宇宙から降ってきたという方が夢があると、ある日出会った大元帥は言ったので、それからはそう思うようにしている。
 している、はずであるのに。
 それでも梶井の中にその影はつきまとうのだ。
 顔も知らない、そもそもいるのかどうかも分からない。育ててくれた祖父母は既に亡くなっていたが、ポートマフィアの情報網を持ってしてもその間に子供がいたという事実は見つけられなかった。ならばやはり、この身は宇宙より賜った奇跡であるのだろうか。ひどく生ぬるい泥の中に沈んでいくような心地である。他人が当たり前のように持っている土台を、梶井は一切持っていないような。それが今沈まぬにいるのは、この手を掴んでいる人間がいるからであって、そういうもの頼りのままであればこのままきっといつか自滅することも分かっているはずであって。
―――梶井基次郎です。
夏の陽射しと共に現れた梶井はそう名乗った、らしい。梶井基次郎は梶井基次郎であった、最初から。
「…母親というものは、子供の名前を呼んで死んでいくものなのですかね」
一体、人間らしいその名前が何処から出て来たのか。
 梶井には一生分からないのだろうけれど。
「僕の母親も、そうしてくれたでしょうか」
影だけが妙に、揺らめいているような気がしていた。それがずっと、母の影であるのだろうと、梶井は本当は何処かで信じたいのだ。



梶井基次郎「泥濘」より

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砂の城 広鴎

 この人ほど休息が必要な人もいないだろうに、と広津はそのよく働くさまを直立不動で待ちながら思う。どうしたって広津は一構成員のため、出来ることは少ない。振り向くこともなく其処で待っていなさい、と言われてしまえばそれしか出来ないのだ。広津さん、とその声がやっと解放された、とでも言うように跳ねる。
「新緑がきれいな季節になったね」
それが外に連れ出せという合図になったのは、一体いつからだっただろう。



文字書きワードパレット
5 休息/緑/振り向く

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ほどけた霧 国太

 目の前がひらかれたような、というのはこのことを言うんだろうな、と太宰はあまりにも他人事のように思う。実際、他人事のようなものなのかもしれなかった。だって、今この瞬間に理解してしまった太宰治は理解していなかった太宰治を殺してしまったも同然なのだから。その目に視えぬ殺人に手を貸してしまったその男は、まるでこちらの変化に気付きもせずにいつものように眉間に皺を寄せて何かを考えている。何を考えているのだろう、それを推測することはとても簡単だけれど。
「国木田くん」
「なんだ」
「今、何を考えているの?」
「今までの犯罪の発生箇所と工事やら何やらの予定を照らし合わせて、見回りをする場所を考えている」
―――それって、
「へえ」
太宰は笑う。
―――何になるの?
 そうは、問わなかった。
 何になっても、何になることはなくとも、彼はやるのだろうと太宰は知っていたから。
「私もついていっても良いかなあ」
「貴様、此処の店にツケているそうだな。自分で支払うなら連れて行ってやる」
「国木田くんなんでそんなことまで知ってるんだい!?」
「貴様が酒に酔って自己申告してきたんだろう!!」
「ええーそうだっけ?」
「間違いない」
―――君が間違えないことってあるの。
「君ってそんなに記憶力良かったっけ」
「お前には敗けるがな」
「謙遜は身体に毒だよ」
「謙遜などであるものか」
はあ、と大仰に吐かれた息の、その小さな風が。
 すべてを吹き飛ばしてくれることを太宰はもう、知ってしまっているのだ。



(だからこの血塗れの手は隠しておくよ)



白紙に恋 @fwrBOT

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20160922
20200222