硝子の靴は砕けた


 電車は満員だった。快速急行なのだからよくある話だ。ぎゅう、と人が押し合いへし合い狭い車内に詰め込まれるのが健康的だとは思わない。でも、この電車を逃すのも嫌な訳で。私はじっとりとした人混み特有の空気に耐えながら、早く目的地につかないかな、と思っていた。
「………?」
お尻の辺りに違和感がある。何か、押し付けられている。もしかして痴漢? と思って恐る恐る押し付けられているものを見た。人の手だ。男の人の手。でも、この状態だけじゃあ満員だから触ってしまっているだけのようにも見える。私は恐る恐るその手の持ち主を見上げた。
「ごめんね…今、手、ずらすから…」
困ったように眉を下げる男は私の視線に気付いて、暫く奮闘してからその手を引き抜くことに成功したらしかった。
「ごめんね」
「いえ…」
大丈夫です、と囁くように言って身体の向きを無理矢理変える。事故だったのに、まるで犯人扱いしてしまって申し訳ない気持ちが強かった。男の顔を見ていられなかった。優しい、片目の隠れた顔から私の顔が見えるのを避けたい。
 そうして、男に背を向けてすぐ。
「…?」
またお尻に違和感。背後はさっきの男から変わっていない。また向きをずらしてみた。するり、と手が追ってきて事故じゃないんだ、とはっきり分かった。けれど、分かったところで声を上げる勇気もなかった。後ろの男は控えめに言っても美形で、私なんかが声を上げたところでセカンドレイプみたいなことになるのが想像に難くない。どうしよう、怖い、こわい。怖いのに、声が出せない。大きな手は私のお尻の形を確かめるみたいにゆっくり撫でさすっている。時々揉んでみては私が声を上げないか確かめているようだった。それが余計に確信犯であることを裏付けて行くようで背筋が凍る。どうして、こんな、美形の男が。正直私になんて目を付けなくても誰だって一晩一緒に、くらいしてくれるんじゃないだろうか。そんなことまで思う。
 私が抵抗しないのを確認し終わったのか、円を描くように私のお尻を触っていた手がゆっくりスカートの中に入ってくる。私はただ、目の前のポールに縋るしかなかった。誰かに気付いて助けて欲しい、でも、こんなことになっているのを誰にも知られたくない。ポールの傍の座席の人々は眠っている。私の後ろには、私をポールに追いやるように痴漢の男が立っていて逃げられそうにない。他の人はみんな私には背を向けている状態だ。スマホを見ていたり、音楽を聞いていたり。気付いていないのか、それとも気付いているけれども知らんぷりをしているのか、私には判断が下せない。スカートの中に入ってきた手は暫くストッキング越しにお尻を撫でていた。私はポールをぎゅっと握って耐え続ける。気持ちが悪い。私が黙っていることに気を良くしたのか、後ろの男はお尻の割れ目にそって指を動かし始めた。ぞぞぞ、と背筋を悪寒が走っていく。尾てい骨から肛門辺りまで、執拗に撫でられるのにそれ以上は進まない。何がしたいんだろう、どうしてそれ以上は行かないんだろう―――そんなことを思って、慌てて首を振った。何、それ。まるで期待しているみたいだ。そんなことは絶対ない、絶対ないのに。
 まるで私の心を読んだかのように、後ろの男はつい、と指を更に押し進めてきた。
「ンッ、」
突然のことに思わず喉が鳴る。後ろの男がくつくつと笑っているのが聞こえる。それが馬鹿にされているように感じられたのと、反応してしまったことで私の頬は羞恥でカッと染まった。ストッキングと下着、二枚の薄い布越しに、ずるずると指が滑っていくのが分かる。男の人の指だ、と思う。そんなことは最初から分かっていたはずだが、秘部に触れること、異性であることを再認識して私の身体は徐々に作り変わるようだった。
 いやだ。
 こんなのは嫌なのに、怖いのに、じわじわと何かが湧き上がる。男の手は緩やかに更に先へと進んできた。後ろの男が半歩ほど近付いてきたのが分かる。指はただ往復するだけだったり、時折布越しに埋めるような動作をしたりと好き勝手していた。知らない男にこんな場所で触れられているというのに、積み上げられた刺激を身体は快感として受け取る。私の身体はその先を貪欲に期待し始める。違う、こんなのは違う。布越しでも濡れてるのは恐らくもう分かってしまっている。でも男はなにも言わないしそれ以上触れて来ない。それなら私だってまだ耐えられる、と思った。停車駅はまだ先だけれど、電車が止まったらすぐに駆け下りれば良い。捕まえてやろう、なんて思えなかった。怖かったし、兎に角逃げたかった。自分の身体の反応のことも、あった。
 なのに不運は続くもので。
 電車が急停止した。一瞬、男の手が離れていく。安心したもの束の間、人身事故のため暫く止まるとのアナウンスが入った。まずい、と思う。すぐに体勢を変えなければ。そう思う私を嘲笑うかのように男は再び手を伸ばして来た。今度は両手だ。何をするんだと思ったらストッキングが引っ張られた。
 まさか、と思うよりも先に、ぶち、と嫌な音がする。信じられない、と私が固まっている間に男はさっさと手を動かし、秘部の上だけきれいにストッキングに穴を開けた。さらされた下着の上から指が一撫でして、それから横から侵入してくる。
「濡れてる」
ぼそり、と耳元で囁かれて泣きたくなった。好きでこんなことになっているんじゃない。でも、男にそんなことは関係ないのだ。
「気持ちよかったんだ?」
気持ちよくなんてない、ないはずなのに、じくじくと下腹が焦れるような感覚が湧き上がる。ぬるり、ぬるりと指はひだを滑り、愛液を塗り拡げるようにしていく。その緩慢な動きに、思わず腰が動いてまた後ろからは笑い声が聞こえた。
 一本だった指がもう一本に増えて、じわじわと触れる部分を増やしていく。今まで丁寧に焦らされたそこはひどい洪水だった。
「まるでこうされるの待ってたみたいだね」
「ッ、ァ………」
男の最低な囁きに、まるで素直に返事をするようなタイミングで声が漏れてしまう。それだって男にとっては面白いようで下着の中の指は更に好き勝手し始める。性感を大事に大事に育てるように、小さな芽を芽吹かせるように。そんな優しさで指が突起を往復していく。
「…ッ、…ン」
「ここ好きなんだ。じゃあこういうのはどう?」
二本の指でつまむようにされると、びりびり、と快感がせり上がる。ポールを握る手に力を込めて、額を付けて、せめて声を漏らさないようにと耐える。もう、誰かに見られたくないなんて考えている余裕もなかった。つまんだり、離したり、撫でたりくすぐったり。弄ぶような動きに私は翻弄されていく。
 痴漢なんて最低なことをされてるのに、まるで男は恋人かなにかのように優しくしてくる。此処が満員電車で事故の影響で止まっていて、周りには人がいるのにそれを忘れそうになる。もしも気付かれたらどうなるんだろう、そんな不安を読んだようにあの人、気付いてるんじゃないの、と男が囁いてきた。
「…ふ、ンッ…」
「あ、今はこっち見てないね、携帯弄ってる。あの動きはツイッターかなあ」
何呟いてるんだろうね、と言うのと同時に男は指をナカへと進めてくる。
「―――ッ、ア、」
ぐぷ、と音がしたような気がした。長い指が私のナカで折り曲げられて、私は何とか悲鳴を抑える。逃げるように踵が上がってつま先立ちになるのに、男の方がずっと背が高いせいで何にもならない。もうずっと焦らされていたのだ、容赦ない動きに私の身体はどんどん熱くなる。間もなく電車が動きます…とのアナウンスのあと、がたん、と揺れが来てその瞬間。
「―――〜〜〜ッ!」
倒れそうになるのを男が支えた。
「…イッちゃったね?」
 その時初めて私は男の顔をちゃんと見た。前髪で片目は隠れているけれど、きらきらした瞳が綺麗な男。そしてやっぱり美形だった。何でこんな男が私なんかに、と思う。ぼうっと見上げていると男はにっこりと笑った。ずるり、と指が抜けていく。
「僕は次で降りちゃうけど、また会いに行くから」
男が笑うのと同時に電車が止まる。私の降りる駅はまだ先だ。
 そうして離れていった男を見送ってから、私ははっとして電車を降りた。降りる駅はまだ先だったけれど、トイレに行きたかった。人混みが収まるのを待ってからトイレに向かう途中、どうして、と思う。
 どうして、私はあの時、男の言葉に頷いてしまったのだろう。
 まるで決められたことのように頷いてしまったこと、それだけが分からなくて怖かった。