かみさまの箱庭

此処が、あなたのてのひらの上なのだとしたら、きっとそれはどんなに残酷なことでしょう。



心はきれいな棚の中にしまって



 別に一人でも夜を過ごすことは出来た。やってみたいことはたくさんあったし、興味は尽きない。だからそのまま部屋で一人、食事も取らないで黙々と物事を進めていても良かった―――はずだった。
 なのに、家を飛び出したのはどうしてだろう。外に興味のあるものがあった、それは確かにそうだ。その知識欲を満たしてやって、もう外に用はなくなって。立っているより座っている方が楽だとか、そういうことを考えたのだろうか。こどもの身体はとても疲れやすく出来ていて、それはエイルマー・キングとなった今でも特に変わりはなかった。名前が変わったくらいで突然強靭になれるのであったら、きっと誰もがジェームズの養子になりたがっただろう。
 そんなふうに思いながら、見知った路地を行く。前に、此処で彼に出会ったのは偶然と言ったら偶然だったけれど。
 未だ廃屋の体を成している教会を突っ切って、その奥にある居住スペースへと押し入る。招かれざる客であることは重々承知ではあったが、彼が仮にも幼いこどもの姿をしているものを追い返すとは思えなかった。たとえ、その中身が悪魔と謗られるようなものであっても、一旦は引き入れるだろう。…そのあと、あの、祖父と同じように豹変するのかもしれなかったが。
「え」
もう寝るつもりだったのだろう、狭い馬小屋のような部屋で、ベッドにラフな格好で腰掛けた彼は驚いて顔を上げた。
「あなたは、あのときの…」
どうやら覚えていてくれたらしい。まあ、こちらからしたら忘れる方が分からないのだけれど、どうやら普通は覚えていられないようだったから。
「泊めて」
「えっ、いや、待って」
そのままベッドに乗り上げると、彼はバネのように立ち上がった。別に、立ち上がる必要はないのに。その反動で、読んでいたらしい本がぱたん、と閉じてしまう。それに手を伸ばしたらどうぞ、と渡された。興味があったからではなく、何処を読んでいたか見えていたのでその頁を開いて渡す。どうもありがとうございます…、と栞が挟まれた。それから、本は脇の机に置かれ、彼がこちらを見る。
「聞こえてたよね? 僕、今日は此処に泊まるから」
「待ってください」
思考が追いつかないのか、彼は両手を前に出してストップのジェスチャーをした。何もストップさせるようなことはなかったはずだが。
「あなたは、」
「エルマーって呼んで」
名前がないから困っているのかと思って、ついこの間見かけた本のタイトルを言ってみる。りゅうが、冒険に出掛けるはなし、だったと思う。特にそれに思い入れはなかったけれど、ジェームズが名前が少し似てる、と言って笑っていたのを覚えているから。それに、リサはその本を買ってくれた。エイルマーという異端なこどもを愛せないと嘆くリサだったけれど、そういうことはしてくれるようだった。まあ、お金を出すだけなんて、誰にだって出来るのだけれど。誰にだって出来るからこそ、リサは率先してやろうとするのかもしれない。彼女がこどもという存在に与えたい、愛だとか、そういうものの代替に。
 そう思って言ったのだけれど、彼は少し言葉に詰まったような顔をした。もうこちらの名前を知っているのかもしれない。これでも幾らか作品に出ているし、彼が知っていてもおかしくなかった。
「………呼ばなくても良いけど」
「では、エルマー」
さっきの逡巡は一体何だったのかと思うほど、すんなりと彼はその名前で呼んでくれた。エルマー。全然違う人間になったみたいで面白い。中身はエイルマー・キングのまま変わらないと分かっていたが。
「ええと、その、泊まる…には、此処は不向きだと思います」
「僕、何処でも寝られるよ? この硬くて腐りかけのベッドでも大丈夫!」
「腐りかけていると分かっているのならやめませんか?」
何処でも寝られると言ったのに、何が不満なのだろう。頬を膨らませてみても、彼のおろおろとした態度は変わらなかった。
「別に良いでしょ? 誰に怒られるわけでもないし」
「い、いや、待ってください…! っ、わたしは、一応その、成人していて…」
「………ああ、性的虐待とか心配してる?」
「せ、………」
さあ、と血の気が引く音が聞こえた気がした。こんなふうに人は青くなるんだな、と足をぶらぶらさせながら思う。
 しかし彼はすぐに自分を取り戻して―――青い顔のままだったけれど―――こほん、と咳払いをした。
「ええと………エルマー…」
「うん」
「その、あなたは…」
「性的虐待? されてないよ」
なんださっきのは心配だったのか、と思う。こんな、見ず知らずのよくわからないこどもに対して、そんな可能性を見て青くなっていたのか。神のしもべを自称するような人々が、みんなこうだったらまた違ったかな、と思う。自分には到底敬う意味も、そもそも存在しているのかすらも、分からない存在だったけれど。
―――同じものを信じているはずなのに。
彼と、祖父は、どうして。
 接し方が違うのだろう。
 同じものを信じて、同じものに忠誠を誓って、変わらないはずなのに。性格、だろうか。価値観、と言い換えても良かっただろうけれど。きっと祖父は自分がこうやって夜に出歩いていることを怒るだろう、と思う。外聞が悪い、ジェームズの息子として迎えられたのであればそれらしくしていろ―――それらしく、って、なんだろう。ジェームズの真似をしてやれば喜ぶのかと思ったけれど、どうもそれではないようだったし。
「さっきのは、きみがこどもを家に泊めて、同じベッドで眠ったことが心ない誰かに知れたら、そうやって言われることを恐れてるのかなって」
「同じベッドで寝るつもりなんですか!?」
「だってこの家、ベッド一個しかないでしょ」
見て分かることをどうして言葉にしなければならないのだろうな、と思う。でも、彼に対してはそんなに苦ではなかった。立ち上がったままの彼が、そろり、と横に移動する。ともすれば逃げるような動作であったのに、その先にあるものが見えているからか、特に不快には思わなかった。
「いや椅子ありますから、わたは此処で寝ますよ」
「なんで?」
「なんでも何も…」
「もしかして、」
そんなに頑なにならなくても、と思いながら頬に手を当てて見せる。これをやってみせると、現場とかではそれはもう、きゃあきゃあと黄色い声があがったものだ。こどもを、自分のアクセサリーとしてしか見ていないような女性たちが、可愛い、と連呼したポーズ。
「自信ない?」
こんな面倒なこどものことも可愛いと言ってしまえる自分の懐の深さよ、と見せつけるような行為。ならば、当然、こどもにもしっかりと接することが求められる彼は、これを拒むことは出来ないだろう。
「こんなに可愛い僕が隣で眠ってたら、思わず手を出しちゃうかも、とか思ってる?」
何も知らないこどもに、最初から神の教えとやらを仕込んでいけば。それは、真っ白なキャンバスに絵の具をぶちまける行為と同じだ。そういう楽なものを、人間は選ぶはず、だった。
 なのに、彼はまた顔を青くして、あわわ、と泡でも吹きそうに右往左往する。
「いや、あの、そんなことはしないってそれはもう師匠に誓って言えますがっ」
「…神様に、じゃないんだ?」
「だって、あなたは神様に誓われても困るでしょう」
それはそうだったけれど、そんなことを真正面から言われるとは思わなかった。大人はよく、繰り返せば覚える、と思っていることがあって、それはこどもの時分の方が刷り込みとして成り立つと、無自覚に理解しているものだと思っていた。
―――目の前の、
彼は。
 紛れもなく大人であったのに、どうしてか類型に押し込むことが出来ない。
「誰にもバレなければ良いんでしょ?」
「そういう問題では、」
「ね? 神父様」
首を傾げてみせる。さっきのポーズで落ちないのであれば、重ねてみせるだけだ。
「セオドア・アッコラ神父様」
「ですから、」
「家に帰りたくないこどもを、どうか救って?」
両手を組んで、祈りのポーズ。当然彼は立っているから上目遣いになって。
―――可愛いこども、というのは。
こういうものだろうと、突き付けてみせる。
 暫くして降参、とでも言うように両手が上がった。
「………おうち、の方に、連絡を………」
「ああ、別にいいよ! ナニーがいたんだけど、逃げ帰っちゃったし。ジェー………パパとママは、仕事でいないから。僕が家にいないことはバレないよ」
「そういう問題ではないですよね!? というか逃げ帰ったってなんですか!?」
「そのままの意味だよ。もう無理! って言っていなくなっちゃった」
「………ええと、その、引き継ぎ…とかは…?」
「してないね!」
また顔が青くなった。さっきからとても忙しい。けれどもさっきまでのそれとは違って、今度はその目が少し、つり上がっているのが分かる。
「怒ってる?」
「…怒っています」
「どうして?」
「だって、家に保護者がいないからこそ、ナニーが雇われたのではありませんか。それを、引き継ぎもなしに放り出すというのは………」
両手を軽く上げたまま、彼がしゃがんだ。やっと、目線が一緒になる。
「あなたが、一人になってしまいます」
その言葉の意味は理解出来たけれど、何がいけないのかは分からなかった。
「一人になっても仕方ないでしょう?」
「いえ、あの、」
「僕が悪いんだって。世話しきれないって。あまりにひどくて、心が壊れちゃうんだって」
 彼は、こちらの言葉の意味を吟味しているようだった。
 こどもの戯言と思われても良かったけれど、此処から追い出されるようなことはされたくないな、と思った。まあ、彼はそういうことをしないだろう、とも思っていたけれど。
「………そうであっても、そういう理由であると、引き継ぎを作るべきです。そうして、あなたとうまくやることの出来る大人を、みつける。わたしは、そうあって欲しいと願っています」
責めないんだ、と思った。逃げてしまったナニーのことも、自分のことも。どちらも悪い、というのが彼の中での今日の落とし所だったらしい。そうは思っても、それを言葉にしないのはどうしてだろう。
「…こどもが、」
静かに、彼が唱える。
「こんな夜に一人でいることを、当然と思わないでください」
「―――」
そんな、ふうに。
 言われるとは思わなかった。
「…なら、」
自分を普通≠フこどもと思っている大人からは言われたことは、ある。でも、彼はもう自分が普通≠ナないことをうっすら気付いているだろう。だというのに、その上でこどもの範囲で庇護されるべきであると、彼は言うのか。それが少し、信じられなかった。
「今日は貴方のベッドで眠ってもいい?」
「ベッドは貸します。わたしは椅子で眠ります」
「僕、一人じゃ寝れな〜い」
「寝物語も…不慣れですが、やってみますから」
「やだ」
がたがた、と椅子を持ってきた彼に、もう一度上目遣いをしてみたけれど、もう効果はなくなってしまったらしい。ほらもう寝ますよ、とだけ返される。
「神父様」
その言葉に、素直に従ってベッドに潜り込む。彼が座っていた温度はもう、なくなってしまっていた。勿体ないことをしたかもしれない。
「僕は、テディベアが欲しいんだよ」
「………うさぎならいますが」
「物分かりよすぎて逆にわる〜い」
「悪くて結構です…」
 どうぞ、とうさぎのぬいぐるみが渡された。つぎはぎの、何度も修復したようなうさぎ。大切なもの? と聞いてみたら、そういうわけではありませんが、と返ってきた。なら、どうして持っているのだろう。
「というか、食事は…」
「えーっと、こういうので済ませてたよ! ブロックバー?」
「………」
とんとん、と布団を整えていた手が止まった。気にするのではないかと思ったから素直に告げたのだけれど、今度は思惑通りにいったらしい。ええと、と彼が絞り出すような声で言う。
「明日、わたしが朝食を用意しますので…その、あまり豪勢なものは出せませんが…」
「分かった」
見た目より温かい布団の中で、彼を見上げる。
「食べるから、一緒に寝て?」
「だめです」
「神父様〜」
「だめなものはだめです。ほら、目を瞑って。手足が冷たくなってるじゃないですか。ちゃんと布団にしまってください」
「ええ〜」
それでも、言われたとおりに手をしまった。眠くはなかったけれど、此処で眠るのも悪くないと思えてしまった。
「………エルマー」
 するり、と指先が額を滑っていく。
「おやすみなさい」
「お、おやすみなさい…」
指が触れた部分がひどく熱をもったようになって、そんな感情についていけなくて、結局その日は同じベッドに引き込むことを諦めた。



作業BGM
 「見て呉れ」秋山黄色
 「ノクターン」初音ミク(Nia)