箱の中に猫はいるか?
金に困っていた。
それは事実だから仕方ない。でも、だからと言ってやたらと金払いの良い仕事に飛びつくなと、今なら思うし過去に戻れるならその仕事を受けないように何としてでも走り回る。
「ねえ、」
「ぎっ、ぁ、」
そんなふうにオレの思考がバラけていたのを感じ取ったのか、乱暴と言ってしまえる動きに悲鳴が上がった。
「…そんな声出さないでよ。俺が下手みたいじゃん」
「………ッ、そう、なんじゃねえ、のっ」
「ええ、まだ口の利き方改めないんだ」
結構強情、と呟く男―――男というか、青年くらいだろうか―――が、今回の対象で、この男からブツをスってくるのが今回の仕事。ブツがなんなのか、というのは知らされていなくて、でもこんな仕事だ、知らない方が良くて。
まあ、この状況から分かるとは思うが失敗したのだ。
スろうとした瞬間視界が真っ白になって、気付いたら何処かの部屋にいて。身体の自由は奪われるわ伸しかかられるわ突っ込まれるわで散々だ。めちゃくちゃに暴れたしめちゃくちゃに叫んだしめちゃくちゃに泣きもしたが、どれも男を喜ばせる結果にしかならなかったらしい。死ね。
「意地の悪いことばかりしてるからじゃあないんですか」
「えー? そんなことないよ」
よく分からないことはまだある。何故か男の兄を名乗る男が部屋に現れて、オレの醜態を観察しているのだ。なんの罰なんだろう、いや、スリの罰なのは分かるが、そこまでだろうか。スリなんてこの辺ではよくあることで、スられた方が悪いとまで言われるのに。
「でもさあ、分かるでしょ? 流石に此処まで泣き叫ばれるとは思ってなかったし」
「まあ、第一印象とは違うのは分かりますけどね。それでそこまでします?」
「………火がついた?」
「そういうのが意地が悪いって言ってるんですよ」
「ええ〜」
何もええ〜ではないし、こんな会話はひとをレイプしているときにするものではないだろう、と思う。早く解放されたい。オレが悪かった、今日のことは誰にも言わない、そうやって言ったのに男は笑うばかりで、一向にやめてくれようとしない。
「それに、調教するの、嫌いじゃないし」
「…結局それですか」
「スリーにいちゃんだってそうでしょ?」
「………まあ、否定はしませんけどね」
オレはレイプされている上に泣き叫んだのもあって正直もうくたくたになっているのだが、本当にいつ終わるのだろう。
不安になって、男を見上げる。それを男は勘違いしたのか―――いや絶対に勘違いとかではなく嫌がらせだろうが―――にっこり笑ってオレを見た。
「そんな心配そうな顔しなくても、朝までたっぷり犯してあげるからね」
「朝までで良いんですか?」
「とりあえず?」
「へえ、きみにしては珍しい」
「調教に時間かかる方が燃えるじゃん?」
「逃げられても知りませんよ」
「そんなヘマしないもん」
本当は、分かっている。オレは手を出してはいけない輩に手を出してしまったのだと。殺されていないのはこの男の気まぐれのようなもので、いつ殺されても可笑しくないのだと。
―――でも、
そんな真っ当な判断が出来たところで、オレが今すぐ逃げ出せるかと言うとそんなことはないのだ。
しかし、意地が悪いだの何だの言うということは、男の兄は少なくともこの遣り方には思うところがあるんじゃないのか。そう、一抹の期待を抱いて視線を投げる。するとすぐに気付いた男の兄は、オレの前にしゃがんで、目線を合わせて。それから、にっこり笑った。
「レイプされてぐちゃぐちゃに泣いてるの、すごく可愛いですよ。シックスにちゃんと躾けてもらえると良いですね」
畜生こいつも同類だった。
それからは宣言どおり本当に朝まで犯されて、失神したのを世話されて。また犯されて、を繰り返して。
「もうお手だって出来るもんね?」
「ふざけんな!!」
やっと解放されたオレが暫くしてまた金に困って、でも流石にスリの仕事は懲りたからと他の仕事を転々として。そのうちの一つでまた男に襲われそうになったのにうっかり躾≠ェ思い出されてしまい危なくなったとき、例の男がまったくもう、と言いながら殴り込んできて助けてくれて、そんなにお金に困ってるなら、と、ある提案をしてくるのはまた、別の話なのだ。
*
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アウト・オブ・ライト
人間っていうのは楽な方向に流されるように出来ている。主語がデカい? 知ったこっちゃあるか。
朝まで、なんて言ったのは嘘だと思っていた。オレもくたくたになっていたし、まあここで意識なんて失ったら死ぬかな、とは思ったけど、それはそれで仕方ないと思えたし。だってどう考えても可笑しなやつらだった、だから報酬が目が眩むような額だったのだ。今なら分かる、あの情報屋が金がないからと言って報酬を釣り上げてくれることなんてないのだ。残念なことにオレは、数日真面に飯も食ってなかったオレは、その依頼に飛びついて、今に至るという訳だが。どうしてその状態でスリなんかしようと思ったかって? それはアレだ、ハイになってたんだ。それくらいの金額だった、それだけ伝われば良い。
オレが腹を空かせていることは分かっていたのか、男は食事もくれた。…くれた、と言って良いものか分からなかったが。ふいに兄の方が部屋から姿を消したので、変人が一人いなくなったとほっとしていたのだけれど。しばらくしたら食事を持って戻ってきた。何を言ってるのか分からない? 大丈夫だ、オレが一番よく分からない。拘束されたまま蛙のように潰されていたオレは、食事を見た男にそうだね、と頷かれてひっくり返され、食事を与えられた。…うん、正直に言おう。最初は食べてなるものかと拒否していたら、埒があかないと思われたのか口移しで押し込まれた。
「お腹空いてたんでしょ?」
飲み込んでしまってなんとか吐こうとしているオレに男がかけた言葉がこれだ。
なんでスリなんてしようとした相手に食事なんか、と思っていたら、ちゃんと食べてもらわないと朝まで保たないからね、と笑われた。そこでオレは初めてそれが冗談でなかったことを知ったのだった。
この部屋には、時計がない。オレがスリをしようとしたのは午前中だったが、空白の時間があるので何時か全然分からないのだ。窓には分厚いシャッターが降りているから外のことはまったく分からないし。そもそも、意識を失っていたのが数時間かどうかも分からないのだ。
朝まで、なんて。
どうせ意識が保たない、と思ったのに。
「………っぅ、ぐ、」
「んー…そろそろ体力尽きそう? まあ、まだ付き合ってもらうけど」
最初に叫んだ所為で喉はがらがらだし、真面に声も出ない。くたくただし、久しぶりの食事で眠いはず、なのに。どうしてか意識が引き戻される。途切れては戻って、途切れては戻って。その繰り返しなのに、完全にこの手を離れてはくれない。離れてくれた方が楽、だっただろうに。
「………ん、」
ちゅ、と音がして唇にやわらかいものが当たった。
「ぅ、ん、んっ、」
「は、…ん、む」
「んんっ、んっ、ぅ、」
「………はは、キス、すき?」
ぼうっとしていた意識がまた戻ってきて、は、とする。オレは、何をやっている?
「ん、」
それに気付いたのか、男は少し遣り方を変えてきた。さっきまでのゆったりした動きから、貪るようなものへ。息のしたいオレは、自然、口を開けるしかなくて。
「………ぇ、っう、」
「あ、ごめんごめん」
やりすぎたね、と頭を撫でてくる、その手付きがやさしくてぼうっとする。
「鼻で息、上手に出来なくなっちゃった?」
「………ぅ、」
「分かったよ。気を付けてあげる」
―――あげる、
なんて。そんな上から目線のものを受け取る気はないのに。
また、唇が重なる。言われたとおりなのか、最初のゆったりとしたものへと戻っていた。それが―――何故だかひどく心地好く思えて、必死で舌を吸う。
「………はは、そろそろ限界かな? 夢でも見てる感じになってきた?」
オレは、一体誰とキスをしているんだろう。声は聞こえるのに、ちゃんと見えているはずなのに、分からない。
「ねえ、今日初めて会った、名前も知らないような相手に襲われて、突っ込まれて、好き勝手掻き回されてるの、分かってる? なのにこんな勃たせてさあ…これもう、言い訳出来ないよね?」
なんだろう、すごく気持ちがいい気がする。頭の底でだめだ、と声がする。なんで、だめなんだろう。こんなに気持ちがいいのに?
する、と。細い指がオレのものに絡みついて、それをオレは、ずっと待っていた気がして。びくり、と身体が揺れる。それはいつもの射精とは全然違う気がして。でも、何が違うのか分からない。
「あれ? 今イったよね? っはは、レイプされてイくって………きみってマゾなの?」
「…ぅ、ぁ、」
「まあ、それはそれで美味しいけど」
「ふ、ぁっ、あっ、」
「もうあんま聞こえてないかな。…なら、朝までたくさん気持ちいいとこ探してあげるね」
「…っあ、んんっ、んっ、」
「急に素直になったじゃん。俺、そーゆーのすき」
「ひ、ぁっ、あっ、んぁっ」
―――もしかしたら。
起きたらこれは全部、悪い夢だったって。
そんなふうになってやしないかと、少し、思ったのだけはちゃんと、オレの中に残っていた。
かみさまの天秤
その日に何をするのかなんて、その日になってみないと分からない。オレの監禁されている部屋には大体の生活に必要なものがついていた。ちょっとしたホテルみたい、というかオレがもともと住んでいた部屋より格段に良かった。…うん、それは認める。でもだからと言って監禁されていることをよしとしてはいけない。これは確かに因果応報、オレがまずもって悪いのはそうだろうけれど、それはそれとしてやりすぎ、という言葉がこの世にはあるのだ。
とは言ってもまあ、そんな常識が通用するのならオレはこんなところにいない訳で。
ちゅ、ちゅ、と音がする。小鳥が餌を啄むみたいな音は残念ながらそんなに可愛らしいものではなく、オレを蹂躙するための準備運動みたいなものだ。唇同士が合わさって、舌が入り込んできて。粘膜を味わうように舐め回される。それが嫌で最初は必死に逃げていたはずなのに、今ではオレの舌は簡単にこの男に捕まってしまう。
「きみ、キスすきだよね〜」
「…んなわけ、っ」
「ほら、嘘吐かないの」
まだしてあげるから、と再び入り込んできた舌が、上顎辺りをくすぐって行った。
「んっ…んっ、」
「…は、ほら」
最初にされていたような拘束は、もうない。だから、オレはただ少しの心の慰めにしかならないかもしれないけれど、男を押し返すことだって出来るはずだった。なのに、どうしてしないんだろう。
「ぁ、」
離れた場所から唾液が糸を引く。男が嬉しそうにオレの頭を撫でてきて、それから笑う。
「とろっとした顔してる」
「し、してない!」
「してるよ」
してる訳がない、絶対にないのだ。ただこううっかり力が抜けるのは多分、此処にいたら食いっぱぐれることはないかな、なんて身体が馬鹿な期待をしているだけで。そう、本当にそれだけだ。
―――空腹というのは、
本当につらい。
だから、そういうのから逃げたくて、頭が馬鹿な勘違いをしようとしているだけだった。オレがちゃんと忘れなければそれで良い、何も問題はないはずだ。
とかなんとか思ってたら、ガチャ、と部屋のドアが開いた。この男が横にいる時点でそんなことをするのは一人しかいない。
「あれ、スリーにいちゃん」
「暇になったので顔出してみましたけど、お邪魔なら退散しますよ」
「じゃ、邪魔に決まってんだろっ」
「いていーよ」
「ではお言葉に甘えて」
オレには発言権がないのか。…なさそうだな。今までを思い返してもオレにそんなものがあった記憶がない。というか、人間だと思われてるかも怪しい。
「ていうかスリーにいちゃんのこと邪魔だって思ってんの?」
「…当たり前だろ」
誰が好き好んで醜態を見られたいと思うのだ。…と、オレはそういう意味で言ったのだけれど。
「それって、」
「あ?」
「俺とふたりきりでいちゃいちゃしたいってこと?」
「―――は?」
何言ってんだこいつ。
ついていけないオレのことなどお構いなしに、男はオレを抱き締めて嬉しいなあ、なんて言ってみせる。絶対嘘だろ。
「まあ、でも、せっかくだからそれは今度にとっておいてさ?」
続けられる言葉にオレははっとして、それからなけなしの自尊心を秤にかけて、男の胸ぐらを掴むことにした。
「いっ、」
「い?」
「い、ちゃいちゃ、したい、デス」
「嬉しいけどまた今度ね!」
さらばオレの自尊心。最近目減りするばかりでどうやって仕入れたら良いのだろうか。その辺で売ってないかな。呆然とするオレをひょい、と抱き上げた男によってそのままベッドに転がされる。いやオレだってそれなりに身長とか体重とかあるはずなんだけど、この男が単に力があるのか。不安になってくるな。いや、不安要素はもっと他にもあったけれど。
「やだっ、」
「良いじゃん、お披露目だよ」
「な、んの…っ」
「きみの調教具合の」
抵抗してるつもりの手首は片手でひとまとめにされるし、空いてる方の手ではシャツのボタンがぷちぷちと外されていく。ちなみにこの服も与えられたものだった。前に着ていたものより大分良いやつだと言うのは分かるが、やっぱりだからと言ってこの監禁生活は無理だ。さっさと終わって欲しい。
「そういえば今は何してるんです?」
「んー…いろいろやってるけど、今日確認しよ〜って思ってたのは乳首」
「へえ」
「いつもは意識ふわふわになってからしかいじってなかったからさ、本人もあんま分かってなかったと思うし」
「………なにいってんの…?」
「ほらね」
「これは面白そうですね」
「でしょ?」
まあいつもいつもそれこそ朝まで好き勝手されるので、確かに最後の方は意識があやふやだ。そのあやふやの間に何をされているんだろう、というのは考えないようにしてきたのに、答えの方から飛んできやがった。マジで死ね。
「ね、きみはどう思う?」
「………何が?」
「乳首だけで気持ちよくなれると思う?」
「―――」
何言ってんだこいつ。ごめんこれさっきも言った気がするけどオレには語彙力がそんなにないので許して欲しい。ていうか何? 本当にこいつはオレをどうしたいの?
「む、り…だろ」
「へえ、きみはそう思うんだ」
じゃあ今日はちゃんと覚えてから意識飛ばそうね、と言われて、まずもって意識を飛ばさせようとするな、と思ったオレは絶対に間違ってないはずだ。
最初は、ただ、触るだけだった。触る、というか、触れる、くらいで。こんなもんで気持ちよくなれる訳がない、とオレは安心して、勝ち誇った顔すらしてたのに。
指先、が。
まるで、ものすごく大切なものにでも触れるように、指の腹でゆっくりと滑っていく度。知らない感覚が背筋を駆け上がる。いや違う、これは兄の方がじーっとオレを観察しているから気になっているだけだ、別に気持ちよくなんてない。そんなオレの思考を読んだかのように、男の指先がぴん、とやさしくはじくように動く。その小さな振動だけで声が上がりそうになって、思わず口を塞いだ。
「………ッ、………っ」
「ねえ、」
まるでただを捏ねるこどもをあやすかのような音で、男が呼ぶ。
「良いなら良いって言いなよ。…ていうか、こんなに勃ってるのに良くない訳ないよね?」
「よくな………っぁ、あっ」
「今のが良くない声? もっとマシな嘘吐きなってば」
「よくな、ぃ、よくないっ!」
「ふうん? じゃあ、爪でちょっと引っ掻いてみても大丈夫かな」
「ぇ、」
かり、と。
その少しの感覚が稲妻のように身体に響き渡る。必死になって抑えたから声は上がらなかったが、衝撃は逃せなくて身体が揺れた。それを見ていた兄の方が、そっと手を伸ばしてくる。
「腰、揺れてますけど?」
「…っん、な、わけ、」
そのまま腰が抑えられて、何をしているのかと思っていたら、男がまた爪の先でかるく引っ掻いた。
「………ぁ、ッ…」
今度は逃しきれなかった衝撃が、口を撞いて出て行った。
「ねえ、きみ、素直になったらどうですか?」
「…っぃやだ、」
「そうですか」
「なら素直になるまで続けようね」
「ひ、」
れ、と見せつけられた舌がどうやって使われるのか想像に難くなく、けれどもオレはすぐに降伏することも出来ないで。
結局、その日も泣いて喚いてぐちゃぐちゃになるまで続けられて、やっぱり意識は途中で飛んだ。
きみはぼくのもの
もう、何日目なのか分からない。オレには家族なんていないから、別に心配されるようなことはないけれど。流石にこの期間帰ってないと死んだと見做されて部屋だとか、そういう諸々が解約されている気がする。此処は、そういう街だった。まあ、表舞台からはあまり見えない部分。裏社会、とまではいかなくとも、チンピラが普通に歩いてるし、そういうのがどの程度なのか分からないでいると翌朝にはゴミ捨て場に転がっているような世界だった。それを怖いと思ったことはないし、寧ろ、そんな程度も測れないのであればそうなっても仕方ない、とすら思っていた。
まあ、今となってはそれがすべてブーメランで返ってくるのだけれど。
「はっ、ゃ、ぅ………ッ」
「はは、」
最初に言っていた、調教だの躾だのは冗談ではなかったのか、あれからほぼほぼ毎日のように犯された。何もない日は男が仕事だかなんだかでいないときくらいで、まあ逃げようともしたのだけれどガッツリ監禁されていてそれも出来なかった。逃げ出そうとした跡があればお仕置き、なければご褒美、と、言葉は違うけれども結局やってることは一緒で。
でも、そんな生活でも続けば身体は適応しようとしてしまうのだ。こんな世界で生き抜いてきたオレだ、当然適応力というのは高い。だから、分からない反応ではなかったが、やっぱりそこはオレの身体、オレを裏切らないで欲しかった。
「えっろい身体…」
誰がだ。そう言いたいのに、身体の奥を抉られる動きに上がるのは、初日のような悲鳴ではない。
「ゃ、あ、あっ! …っ、ぅ、…」
ぞくぞく、とせり上がるのが快楽だなんて、オレが一番信じたくないのに。
「っ、あ、ゃっ、ああっ、」
「一晩中でも犯してたくなる…」
大体毎回そうだろ、というのだって言葉にならない。
「ふ、っ、…ぅ、あ、ァ―――っ!?」
「あ、中イキした? すっご…」
「あっ、ぁ、まって、まだ、」
「こんなにびくびくしてるのに、動かれない方がつらいでしょ?」
「んな、っ、あっ、ああっ!? ゃ、」
つらくて、くるしくて、でもそれが一体何≠ノ対してなのか分からなくなって―――今日は部屋にいた、男の兄に手を伸ばす。
誰でも良いから、助けて欲しかった。
それを見た男の兄は、ため息を吐いてオレに目線を合わせる。
「きみ、意外と学習しませんよね」
「っ、あ、な、なに、がっ…!?」
また奥が抉られて、とうとう涙が出た。最初の頃とは涙も意味が違ってきていることを、オレだって分かっていたけれど。
―――いつもなら、
男は、こんな力任せなことをしない。調教だの躾だの言っていただけあって、嫌になるくらいオレの反応を引き出そうとしてくる。そういうのを優しいだとか思ってしまったらオレの負けなので、絶対に思わないが。
それでも、いつもと違うというのくらいは認めなければいけなかった。
一度出た涙はもう止まることを忘れたようで、ぼろぼろと頬を滑り落ちる。
「ほら、シックス。泣いてますよ」
「やだ」
「やだ、じゃなくて。説明くらいしてやらないと、躾にならないんじゃないですか?」
「そう思うならスリーにいちゃんがしてよ」
「………仕方ありませんね」
きみもシックスに聞いたら良いのに、と言いながら男の兄はオレの涙を拭う。それと同時にまた奥が抉られるから、結局視界はボヤけたままだったけれど。
「きみ、ボクのこと誘惑しようとしたでしょう」
「………は?」
「ほら、昨日、食事差し入れたときに」
なんとか思い出そうとしてみるけれど、そんなことをした記憶はない。まあ、男と男の兄だったら、男の兄の方がほんの少しだけ真っ当そうに見えたから、逃してくれないかと頼みはしたが。それだけだ、誓ってそれだけだ。それにほんの少しだけ、というのも胡椒一粒くらいの差だと言うのは分かっていたから、そこまで期待もしていなかったし。
「しっ、してな…い!」
「してないそうですが」
「してた」
「してたそうですよ。諦めてください」
「してなっ、あ、ぅ、…ッほんと、に、してな…っい…!」
「じゃあしてなくても俺がムカついたから」
「ぉ、うぼ…っぅ、」
「諦めてください」
「ゃ、だっ、やだやだっ」
我ながらこどもみたいな言葉の羅列になったが、ここで何も言わない方がひどい目に合うことはもう分かっている。分かっているけれど―――今回は、どれだけ叫んでも無駄な気がした。いや、最初から叫んだところであまり考慮はされていなかった気がするが。
男の兄が何を思ったのか、頭を撫でてくる。
「全部、きみが悪いんですよ」
だから、今日はちゃんとお仕置きされてくださいね?
―――多分、
この世に悪魔がいるなら、こういう顔をしているんだろう、とオレは思った。
*
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悪魔の踵
どくり、と。
身体の中で何か出される感覚、というのには未だ慣れない。何か、というか精液なのだけれど。
「ぅ、―――…ふ、」
「あ、きゅん、ってした」
「………して、ない」
「したよお」
遅漏という訳でもないのに、どうして毎日まいにち保つのだろう。まあ、それはオレもそうだったけれど。やっぱり食事に何か入れられてるんじゃないだろうか。オレの性欲だって普通、というか普通以下だったな、と今なら思う。いろんな悪さはしてきたけれど、性的暴行の類には手を出したことはないし。まあ、今受けてるんだけどな。わはは。…笑えねえ。
しかし、何か別のことでも考えてないと、身体の中で立てられる音から気が逸らせないのだ。中出しなんて女相手にもしたことがなかったから、適当に思い浮かべて謝ることも出来ない。こうなってみて初めて知ったが、オレは結構後悔なく生きてきたらしい。だから、あの時こうすれば良かったな、という懺悔やらこれが神さまの罰だと諦める気持ちやらがまったくもって浮かんで来ない。あの朝に戻ってその仕事は断れ、と言いたいのは山々だったが、本当にそれくらいだった。ぐちゅ、と音がする。多分わざと立てられている。男にしたらオレの反応なんて隠そうがお見通しらしく、こういう嫌がらせが後をたたない。…そういえば文句を言う暇もなくここまできてしまったが、この男、ゴムの存在を知らないのだろうか。オレは当然男なので妊娠の可能性はないけれど、だからと言ってナマでするのは如何なものか。というか、そもそもこの男幾つなんだ? 随分年下に思えるけれど。…もしかしてティーンだったりするんじゃないのか? そうだとしたらオレは十前後下の男にめちゃくちゃにされているということになるが。いや年齢のことは考えないことにしよう、それが良い。
「ね、」
そんな思考を途切れさせるように、男が話しかけてくる。無視したいが、無視したらえげつない目にあうのは分かっているので、とりあえず視線だけを投げた。
「俺のかたち、覚えた?」
「………は?」
「そろそろ覚えて欲しいんだけど」
何を言い出すんだこいつ。
随分意味の分からないことを言われ続けてきたとは思うけれど、これはまたいっとう意味の分からないやつが来た。
「何………って?」
「だから、俺のかたち」
繰り返せ、と言った訳ではない。とうとうこの男も壊れたか、と思って今日はいた兄の方をちら、と見る。弟さん壊れましたよ、病院とか連れてった方がいいんじゃないですか。そんなふうに心配してやったのに、男は別の意味で取ったらしい。
「何? スリーにいちゃんのかたちが気になる?」
誰がそんなこと言った。
斜め上の言葉ばかり寄越されて絶句するオレを他所に、男はうーん、とわざとらしく唸ってみせる。
「スリーにいちゃんにも一回くらい、貸してあげた方が良いかな…?」
「ゃ、っ、」
流石に、喉が引き攣れたような声が出た。何を言い出すんだ、本当に。どうしよう、どうしたら、と迷う中でとりあえず手を男の方へと伸ばして、その服の裾に縋る。今日は服が中途半端な日で良かった。多分、服じゃあなかったら縋れなかった。
「ゃだ、」
「あは、かわいー…」
そんな震えた声出さなくても、と男は言うが、兄の方は無言だ。なんで無言なんだ、怖いだろ。そんなの抱く趣味ないとか早く言え。そんなの呼ばわりはどうかと思うが、今はそんな細かいことは言ってられない。
でも。
そういえば初日から見てたりしてたし、いや、兄の方が抜いてるところとか全然知らないけど、興味が一ミリもないものを眺めていられるものだろうか? 嫌な汗が出てくる。そうやって考えるとこの提案、だいぶヤバいやつなんじゃないか? 特にオレの尊厳の点において。いやもう醜態なら見られまくってるだろ、と言われそうだがやっぱり違うと思う。うん、違う。
「スリーにいちゃん、どう?」
「いつもなら借りてあげますよ、と言うところですけどね」
言うのかよ。オレからこれ以上言葉を奪わないで欲しい。でも、ですけどね≠ニ続いた、ということは、この先にあるのは否定なんじゃないだろうか。オレの尊厳セーフか?
「きみは嫌なんでしょう?」
「―――」
「独り占めしたいならちゃんと独り占めしてた方が良いですよ」
「…なにそれ、」
「これでもきみの兄さんですから」
なんか良さげな会話をしているけれど、出来るならそれはひとをレイプしながらしないで欲しかった。もっとなんか、感動出来るところとかで、こう。
「それに、」
やっと、兄がオレの方を見る。
「別にボクじゃなくても玩具がありますし」
「あ、確かに」
何が確かにだ。馬鹿野郎、とは叫べないので言葉を探しているうちに、兄が次の言葉を放つ。絶対こいつらオレより頭良いのに、使い方を間違えてると思う。
「きみのを欲しがるまでお預けしてみたらどうです?」
「ナイスアイディア! 今からやる」
「………やだ…、」
「大丈夫! 気持ちよくしてあげるから!」
「やだ………」
サヨナラホームランでオレの尊厳が飛んでった音がした。オレにもめちゃくちゃ強力な投手が欲しい。
そんなふうに言っていたのに、何故か玩具を手に持ったのは兄の方だった。
「使ったことあります?」
「ねーよ…」
「女性相手でも?」
「………そういうのはねーよ…」
まあ、玩具という広いカテゴリで見たら使ったことはあるが、兄が持っているようなえぐそうなものは流石に使ったとこはない。もうちょっとかわいめのやつなかったのか。見た目からしてグロいんだが。
正直玩具だろうがなんだろうが兄の方まで参戦してくるのはマジでご勘弁願いたいし、逃げたいし拒絶したいのだが、残念なことにオレの身体はもう既にくたくたになっていて、真面に動いてはくれない。そんな状態でも頑張ったというのに。
「脚閉じないでください、やりにくい」
「…っ、だれが、」
「ったく、手間かかりますね…」
小枝みたいな腕をしていたから油断していたが、兄も兄で力があるらしく、オレの必死の抵抗は無に帰した。あまりにも可哀想だろ。
「―――ひ、」
ローションを纏っているとは言え、グロいものが自分の中に挿れられていくのを見る趣味はない。だから目を瞑ったのに、そうしたら今度は耳がよく働き始めた。人間の五感は絶対馬鹿が設計した。
「………ぅ、」
「此処、」
見えてないから分からないが、どうやらすんなり入ったらしかった。嘘だろ。
「じゅぽじゅぽ音を立ててるの、聞こえてますよね?」
いつもとは違う、人間の生っぽい感覚がなくて、ひどく落ち着かない。
「さっきシックスに出されたのもあるんでしょうけど…本当にそれだけですかね?」
ローションだってあるだろ、と思ったが、多分言いたいのはそういうことじゃあないだろう。というかいつだか、二人とも医療分野がどうこうとか言ってた気がするのに、そんな初歩的なところで馬鹿なことを言い出さないで欲しい。頭のいい人間はちゃんとした方向に頭を使って欲しい。たとえばそう―――エイルマー・キングみたいに。あ、いや、あの人は炎上商法も使うからアレなんだけど、多分この二人よりかは真面なところで頭を使ってそうだし。
「ねえ、」
オレが黙りこくっているからか、兄は話題を変えることにしたらしい。
「さっきはああ言いましたけど、ボクとしてはシックスにバレなければ良いんじゃないか、とは思うんですよね」
「………は?」
いやバレるも何も男はそこで見てるしこれを聞いてるんだが。思わず目を開ける。
「シックスが仕事でいなくて、ボクだけが家にいる日。普通にありますし」
ふわり、と。
そんな効果音がつきそうなほど、やわらかく微笑まれる。
「きみが選んで良いんですよ?」
「―――」
何を、と。返そうとしたのに。
「…っん、ぁっ!?」
ぐり、と内側を抉られるような動きに遮られた。
「覚えも悪いみたいですし」
「っ、ぁ、や…ッ」
「それなら誰でも同じなのでは?」
「な、―――っ、んん、ぅっ、」
「ボク、結構優しいので。気持ちよくなれると思いますし」
その言葉だけは絶対嘘だ、と思った。思ったけれども、言えない。
これじゃあ、いつもと逆、だ。
オレはいつも、あの男に顔面ぐちゃぐちゃになるくらい虐げられて、誰でも良いから助けてくれ、と兄の方に手を伸ばすことがある。当然、兄はオレを助けてなんかくれない訳だが。
手を伸ばす。
なんで男は動かないんだろう、なんで何も言わないんだろう。怖い、いつもとは違った怖さだ。突然、足元がごっそり抜け落ちたような心地。
「―――、」
男の名前―――本名ではないと思ってはいたが、それくらいは知っている。でも、今まで呼んだことはなかった。だって、必要なかった。
だって。
男は、いつだってオレの横にいたから。
「………し、」
喉がきりきりと痛む。誰でも良い訳ではない、今は、あの男じゃないといけない。
「しっ、くす、」
逃げようとしたはずなのに、身体がうまく回らない。横に転がることすら出来なくなったのか、オレは。何もかもが分からなくなって、こどものように叫ぶ。
「ゃだ、…っやだ、」
涙が。
押し出されて。
「たす、けて―――」
急に、下半身の違和感が消えた。
「………、?」
目をぱちぱちとさせてからそちらを見てみると、男が兄の手を思い切り引いたらしい。ほ、と息が落ちる。
「…スリーにいちゃん、悪い役うますぎ〜…」
「もうちょっと上手くやるつもりだったんですが」
「………まあ、分かるけどね。でも、これで良い」
抱き上げられるが、もう抵抗する気力もない。鼻をぐすぐすさせながら寄りかかったら、どうやらさっきまで兄に服を踏まれていたらしい、と分かった。だから上手く転がれなかったのか。
「初めて呼ばれた」
そりゃあ呼ぶ機会なんてなかったからな、と思ったが、その声があまりにも嬉しそうで何を言えもしなかった。…いや、鼻がぐすぐすなのでそもそも言葉が上手く発せないのだけれど。
兄が、では今日は退散しますね、と部屋を出て行く。オレはそれをぼんやり見送る。何だったんだろう、多分、弟のために一肌脱いだみたいな感じなんだろうが、あの二人はよく分からないので何がどうなって其処に落ち着いたのかオレにはさっぱりだった。
「………ねえ、」
嬉しそうな声のまま、呼ばれる。
「挿れて良い?」
「………」
もう、オレの頭は今日は閉店だったので。
ぐすぐすの声のまま、好きにすれば、とだけ返した。
そもそもかたちを覚えるとかまず何言ってんだこいつら、ともとの思考に戻ったのは、翌日目が覚めて頭がはっきりしてからだった。
月夜の蝋燭
というかこいつら何なんだよ、というのは結局聞いたことはなかった。聞いたら最後、絶対にこの部屋から出してもらえなくなるような気がしていたし。オレはまだ解放の夢を諦めていないのだ。こんな男に犯される日々とおさらばして、なんやかんやで適応してしまったことも全部忘れて、ニュー・オレとして生きていく夢がある。それだけは絶対に捨ててはいけないのだと、オレは何度も何度も胸の中で繰り返した。口に出したら矯正されそうなので、絶対に口には出さなかった。
「ん、っぅ、あっ、」
…まあ、口に出す暇や余裕があるか、と問われるとその答えはいいえ、なのだが。
奥が気持ちよくなったのはいつからだっただろう。最初はそんなこと、なかったはずだ。そもそもオレは男とヤッたことなんてなかったのだし。だからあんなに泣き叫んだのだし。そうやって考えるとつらいやくるしい、と思ったことはあっても痛い、と思ったことはないな、と思い出してしまって、いや多分忘れてるだけだ、と自分に言い聞かせる。
「ゃ、あ、っ、あ、…ンッ…ぁ、」
もし忘れてるのではなかったとしても、痛くはされていないのだとしても。これがレイプであることは今だって変わらないはずなのだから。
「いー声」
ベッドに突っ伏して、腰だけを上げさせられて。そんな体勢だから、男の好きにされている。嫌なのに、覚えてしまった身体からは面白いように力が抜けて、最早初日のように暴れることだって出来ない。そのまま何度も何度も奥が突かれる。その度に、腹の裏辺りがきゅう、となるのが分かって死にたくなる。
「ね、めっちゃいい格好してるの、分かる? すっげえ、えろい………」
そんな心底嬉しそうな声を出すな、と思った。いや、この男が嬉しかろうがなんだろうが、オレにはまったくもって関係のないことなのだが。
「スリーにいちゃん、ちゃんと撮れてる?」
「撮れてますよ」
「よかったあ」
今日はなんか動画回してたな、と思い出す。男もその兄も、こんなことをして楽しいのだろうか。楽しそうだな、その辺の良心なさそうだしな。
オレもオレでこの兄の方にもまったく期待をしなくなってきていたので、なんとか睨むだけはしておこう、と視線を向ける。全然睨めてないですよ、と言われたが、睨んでいるつもり、というのが伝わっただけよしとしよう。ハードルが低いなんて言わないで欲しい。これでもオレはいっぱいいっぱいなのだ。
「ふふ、」
その流れでか、兄の方がオレを見て笑う。
「自分から腰振りだしてるの、気付いてないんですね」
「………は?」
「きみ、随分気持ちいいことが好きになりましたよね」
「俺の調教のおかげ」
「そうでしょうね、素質なさそうでしたから」
そんなこと―――していない。オレが言いたいことに気付いたのか、後でシックスと一緒に確認したら良いですよ、と言われる。
「ほら、」
「ッあ!?」
「集中して? 気持ちいいこと好きでしょ?」
「…っ、すきじゃ、な…ぃっ!」
「あは、嘘吐いたらお仕置きだよ」
「ぅ、そじゃ―――ッああっ!?」
「イっちゃったんだ? …はは、腰がくがくしてる。かわいー…」
「ぁ、…っう、ゃ、やら、ぁっ、」
「頑張ってすきなとこに当ててみて? 自分で出来るよね?」
「ぅ、あ…っ?」
「そうそう、じょうず」
霞がかった思考の中で、何か言われているのは分かったけれど。
そのどれも、一度飛んだ意識の中では真面に形成されなくて、オレはただ、声のとおりに動くしか出来なかった。
後で本当に録画を確認させられて、ついでにそのまま犯されたのについては流石に馬鹿だろ、と思った。
正しい箱
解放が訪れたのは突然だった。
そろそろ家に帰してあげようかと思うんだけど、と言われて今度は何の悪巧みだ、と疑っていたが、どうやら嘘ではなかったようで。
「え、ていうか家…契約残ってんの?」
「ううん。解約しちゃったから、好きなとこ買ってあげるよ」
「………いや、買わんで良い…」
ていうか何勝手に解約してんだ、とは思ったけど放っておいても家賃滞納になるだろうし、どうせ解約は大家の方が勝手にしたと思うし。そうやって考えると素直に元住んでいたところに戻る訳にもいかないだろう。この男が言ってることが本当なら、オレは此処で半年以上過ごしたことになるし、その間何をしていたのかなんて聞かれたくない。そうやって考えると、ついでに引っ越しを考えるのも良いかもしれない。
「何処が良い? ブロンクスの北の方とか?」
「家賃が払えねえよ」
「払ってあげるのに」
「要らん」
前はクラウンハイツに住んでいたけれど、これを機にマンハッタンの両端辺りに引っ越すのも手かもしれない。あの辺ならプロジェクトもあるし、オレでも住めるだろう。
「どっか思いついた?」
「イーストサイドとか」
「流石にそれはだめ」
「なんで」
「治安悪すぎる。そんなとこに行かせるくらいなら、この話なかったことにする」
「それは困る…」
そんな会話をしながら、オレの新居はマレーヒルに決まった。というか、決められた。
絶対に家賃が払えなくなるな、というのは分かっていたが、とりあえず此処から出るためには一度頷いておく必要があった。
それから、半年。
最初に与えられた家は早々に引き払って、もっと狭くて安い家に移って。仕事を転々としながらオレは暮らしていた。流石に前みたいなのは懲り懲りだったからスリとかの仕事は避けて、日雇いやバイトを続けていたら運良くバーに雇われることになった。今住んでる家の大家の知り合いらしいオーナーは、オレと同い年くらいなのに店を持っていて、オレはぼんやりと立派だなあ、と思うようなことをしていた。
「あ、ちょっと今日残ってくれない?」
「はい」
オーナーの呼びかけに返事をする。シフトを増やして欲しいと言ったから、その話だろう。
と、思っていたのだけれど。
「アンダーソンから聞いたんだけどね、支払いが滞ってるって」
アンダーソンとは大家の名前だ。此処は知り合いだから筒抜けだったんだろう。
「シフトの話って、そのため?」
「まあ、はい…そうですね」
「君、今まで滞納したことなかったのに、ってアンダーソンが心配してたよ」
「はは…ちょっと、金が入り用になって…。アンダーソンさんには迷惑をかけちゃってるんで、シフト増やしてもらえたらなって」
嘘ではない。金が入り用になったのは事実だし。でも、巻き返せない額ではないのだ。だからシフトの話をしている。
そっか、とオーナーが頷いた。そして、そのまま一歩、こちらに踏み出してくる。なんでだろう、と思って後ずさると、すぐに壁に背中が当たった。
「ねえ、」
オーナーの手が伸びてきて、そっと腰を撫でていく。なんで、と思考が止まる。
「お金、立て替えてあげようか?」
「………え?」
「勿論ただで、とはいかないけど」
なんで、そんなことを言い出すんだ。オレが固まってるのをいいことに、オーナーは腰を撫でるのをやめないでいる。でもオーナーが少し身をかがめたのには、反応出来た。
「………ゃ、」
顔の前に腕を滑り込ませて距離を取ろうと試みる。なのに、オーナーは気にしたようすもなく、かわいいね、と言うだけだった。
かわいい、なんて。
そんなことはない。そんなことをオレに言うような輩は、あの、男以外には。
―――シックス、
ずくり、と腹の底が疼いたような気がした。どうして、そんな。だって、この半年の間一度だって思い出さなかったのに。
「シックス?」
「え、」
どうらや口に出ていたらしい。
「いや、なんでも…」
「あ、もしかして、」
にこ、とオーナーが笑う。いつもの顔だ、いつもと変わらない顔だ、少なくともオレにはそう見えた。
「元カレの名前?」
「………は?」
なのに、手を止めてくれない。いやです、となんとか吐き出した声にも、応えてくれない。
「分かるよ」
「な、にが…」
「君、気持ちいいことが本当は好きでしょ?」
なにを、言っているんだろう。
「忘れちゃいなよ」
オーナーの空いていた手がベルトにかけられる。腰を撫でていた手は、するり、と滑り降りてきていた。逃げないと、と思う。
「君みたいないい子、手放すような価値の分からない男のことなんてさ」
逃げないと、いけないのに。
躾、なんて言った男の顔が脳裏にちらついて、それも出来ない。
「あ〜まったく、もう!」
そんな思考を遮るかのように、がしゃん、と音がした。
「………え?」
オーナーが驚いたのか距離が出来て、オレにも何が起こったのかが見える。
扉のガラスが割れていた。
そして、飛び込んできたらしい影が顔をあげる。その顔を、オレはよく知っていた。
「―――」
喉が震えて、でもうまく声が出せなくて。
シックス、と。
呼んだはずの名前は多分、声にはなっていなかった。それでも分かったのか、男はそのままこちらへ来て、オーナーを押しのける。
「これ、俺のだから」
そのまま手を握られたのに、振り払おう、とは思わなかった。オーナーが何か文句を言おうとしたのか、少し眉を釣り上げたのが見えて、それから視界がぐるり、と回った。と、思ったらカウンターの外で抱えられていた。何が起こったんだよ、と思ったけれど、そういえば最初なんてスろうと思ったら目の前が真っ白になったんだった。別にオレを抱えてカウンターの外に出るくらい、朝飯前だろう。知らんけど。流石に抱えたままはどうかと思ったのか、降ろされる。意外にちゃんと自分の足で立てるものだな、とうっすら他人事のように思った。
「ていうか元カレじゃないから! 現在進行形だから!」
いや何言ってんだお前。それはオーナーも同じことを思ったのか、こどもを憐れむような視線に変わる。
「…君みたいなこどもが、入れ込むのも分かるけどね? こういうのは大人の領域なんだよ」
ゆるり、とその手が宙を撫でる。それが、さっきの動きを思い出させるようで、ぞわり、と背筋を嫌なものが走っていった。それを察したのか、男が半歩、前に出る。それでオレの視界は、男の後頭部に遮られることとなった。
「こどもじゃあ、彼を満足させられないでしょ」
満足、なんて。
一体、何を基準に言っているのだろう。
「………はは、満足、満足ね」
「何か言いたいことでも?」
「バッカみてえ、って思っただけ」
「―――」
率直な言葉に、オーナーが苛立ったのが分かった。でも、男はそれをものともせずもう半歩、前に出る。やっぱりオレの視界は変わらなかったけれど、男が何かカウンターに置いたのが分かった。
「次はない」
置かれたものの所為なのか、男が発した殺気のようなものに気圧されたのか、オーナーがそれ以上何を言うこともなかった。
「帰ろ」
「あ、うん」
手を引かれたまま、店を出て行く。
多分オレはオーナーの反応とかを確認しておくべきだったんだろうが、そういう余裕はちょっと、なかった。
しかし、うん、と言って良かったのか。そうは思ったけれど、道行きを見る限りちゃんとオレの家に向かっているらしい。
「………エート…」
振り返らず進んでいく男に何と声をかけたら良いのか。まったくもって分からない。
「ありがとう、な? 一応…。なんでお前があそこにいたのかは知らねえけど」
そうだ、助かったは助かったけれど、本当になんであの店にいたのだろう。硝子のドアを蹴破って入ってきた、ということは客として来たのではないだろうし。偶然通りがかったら顔見知りが襲われてたから、とか? でも、あんなカウンターの奥では、通りからも見えはしないだろうに。オーナーだってそれは分かっていたのだろう、とは思う。場所としても、心理的にも、こう、人を追い詰めるには最適の場所だったんだろうなあ、なんてのんびり考えられるのは、もう危機は去ったと確信しているからか。
男はしばらく黙っていたけれど、むずかるように唇を震わせてから、やっと、押し出すように呟いた。
「迎えにきたの」
「は?」
「だってきみ、全然俺のこと呼ばないから!」
呼ばないって、何が。そう思っていると、勢いで振り返った男がじいっとオレを見ていることに気付いた。
「な、なに?」
「いや。ていうかバーテンの服似合うね」
「そうか?」
「めちゃくちゃえろい」
「なんでお前二手でそうなるんだよ…」
「だって、」
もうバーからは離れたと確信したからか、やっと、その足が止まる。まあ、男が振り返ってからそう進んでいたかと問われると、それは微妙、と返すしかないのだけれど。
「だって、仕方ないよ」
何がだろう、と思いながら男の答えを待つ。
「すきなひとのことだから」
―――は?
何か、変な言葉が聞こえた気がした。
「………なんて?」
「すきなひと」
「誰が?」
「きみ」
「誰の?」
「俺」
いち、に、さん。きっかり三回まばたきをしてみたが、特に視界は変わらない。
「………ええー…?」
「反応うっす!」
「いや知らねえし…。そもそもお前オレに何したのか忘れたのかよ」
「忘れてないよ」
忘れてなくてそれを言えると言うのは、結構…なんていうか、人の心がないのではないか、と思うが。まあ、あの半年人権もクソもなかったと思うし、良心なんてものは溝に捨てたような扱いをされていたのだし。今更、と言われたら今更、だったかもしれないが。
「忘れてない」
繰り返さなくても、と思うが言葉にならない。
「全部覚えてる」
というか、そんな真面目そうに言われることでもない気がするのだが。もっとこう、この男はいつだって腹の底が読めないくらいにこにこしていて、オレのことを好き勝手弄んで、そういうことを平気でするようなやつなのだと、オレは身を以て知っているはずだ。
「だから、迎えにきた」
接続詞が仕事をしていない、そう、思ったのに。
「もう、二度と外には出さないように」
まずい。話が一気に不穏になった。せっかくオレはこんなに自分の生活を満喫しているのに、これはないだろう。あれからは心を入れ替え…まではしてないが、悪いことだってしていなかったのに。無意識に後ずさろうとしていたのか、繋がれたままだった手に力が入れられて、そのまま引かれる。
「きみが、もう、いなくなっちゃわないように」
「………いや? お前が家に帰すって言い出したんだろ」
「喜んでたじゃん」
「そりゃあ…」
喜んだ。すごく喜んだ。オレはどう振り返ってもあの監禁生活のことが好きにはなれなかったし、良かったと思えることなんて何一つなかったと思う。ずっと解放されたいと思っていたし、無理だと悟ったからしなくなっただけで、逃げたいとだってずっと、思っていたし。
―――それを、
流石に、分かっていない訳がないだろう、と思っていた。
男がオレを見つめて、それから空いていた方の手で抱き寄せた。腰に巻き付くようなその腕を、どうしてか振り払おうとは思えない。…さっきは、あんなに嫌だったのに。どうして、と思う。じくり、とまた、腹の底が厭な音を立てた。
「すきになってくれなくて良い」
もう深夜だ、街灯がひっそりと立っているくらいで、人通りもクソもない。
「もう、誰にもきみのこと触らせないから」
空気はいつもどおりに悪くて、天気も良くはなくて、星なんて一切見えないのに。
急に此処だけ、空気が軽いみたいに。
「それでいい」
「いやオレは良くねえよ」
「俺は良いもん」
「もん、て。お前幾つだよ」
「知りたい?」
「………いや…」
「まあ俺はきみの年齢知ってるけど」
息が、出来る。
「………いや、そもそもお前が言うのって監禁だろ。監禁されてたら仕事も出来ねえだろ」
「別に、きみの給料以上の生活させてあげられるけど」
「そういう意味じゃねえよ」
いや分かっていたが、本当にそういう意味じゃない。
伝わるかどうかは微妙だな、と思う。もしかしたら余計に拗れるかもしれない。でも、だからと言って何も言わないでいるのは違うだろうと、それはオレでも思うのだ。
「オレさあ、やっぱ外で働く…っていうか、人と話すの好きなわけよ」
「知ってる」
「そう。まあ、だからさ、仕事はしてたいわけ。そりゃあお前にとったら雀の涙みたいなモンかもしれないけどな? あれだけあればちゃんと飯が食えるし、寝床だって確保出来る。オレにとってはそれで充分なんだよ」
「…分かってるよ」
「え、分かってんの?」
「だって、ずっとこの半年見てたんだもん」
見てたのかよ。別れがあっさりしてたから、興味とかそういうものが尽きたから解放なんてしてくれたんだと思っていたが。告白紛いの発言と言い、そういう訳じゃあなかったのだろうか。いや、もともとこの男のことなんて何も分からなかったし、オレも分かろうとはしなかったが。
「半年見てて、すっげえムカついた」
「は? 何が…」
「きみが楽しそうで」
「そりゃあ解放された訳だからな」
「それに、」
分からない相手に、自分の主張を伝えるのは難しい。だって、何も分からないから。どうやったら伝わるか、というのは相手のことをある程度分かっていないと出来ない芸当だ。
「俺のとこではしない顔、するから…」
「そりゃあ、」
そうだろうな、と呟く。
しなかったんじゃない、のだと思う。出来なかったのだ。だって、あの場所はオレの望んだ場所ではなくて、今の此処はどれだけ掃き溜めに近くとも、オレの望んだ場所で。すべて与えられる、というのはきっと、合っている人間には天国みたいな環境なのだろう。でも、オレにはどうしたって合わなかった、それだけだ。自分に降りかかるおこないのすべてを受け入れられるほど、それに迎合出来なかった。…だから、男だって手放したのだと、そう思っていたのだけれど。
「ていうか!」
「うわっ?」
いつの間にか肩口に埋められていた顔が、跳ね上げられる。
「充分とか言ったけど充分じゃないから迫られてたんじゃん!」
「う」
「俺だったらお金のことで困らせることないのに」
「そりゃあ…そうだろうな…」
一体男がどういう暮らしをしているのかは知らないが、オレが出してもらえなかった部屋からも、金には困っていないことは明白だったのだし。
するり、と男の手が頬を滑っていく。
「痩せた」
「もともとこんなだよ」
「そうだったっけ」
「そうだよ」
これでも、男に監禁される前より肉はついていると思うのだけれど。
「ねえ、」
―――そんな、
悲痛な声を出されるようなことではない。
「お金に困るんなら、俺に出させてよ」
「なんでお前に養われないといけねえんだよ」
「きみを買わせて」
「やだよ」
空腹は嫌いだった、路上で眠るのも嫌いだった。汚れた毛布と穴のあいたマットレスで良いから、ちゃんと屋根のある、オレだけの空間で眠りたかった。
「きみが誰かに触られるのは嫌だし、きみが知らない顔するのもやだ。だから、きみが一番必要なものあげるから、」
―――でも、
「俺の猫になってよ」
オレは欲張りなのだ、いや、欲張りというか、正しく言うのなら望むものがそう多くはない、のだろう。これを、プライドと呼ぶのもなにか違うような気がする、オレはそんな、ちゃんとした人間ではない。
息、を。
小さく、吸う。
「………いやだ」
「じゃあもう攫うから良い」
「いや話聞けよ!?」
「もう聞いた」
「まだオレには言いたいことがあんだよ…!!」
ぎゅう、と握り締められた手に抵抗するように力を込め返せば、男は動きを止めた。どうやら、話を聞くつもりはあるらしい。半年前では考えられなかったな、と思いながらこのチャンスを無駄にするものか、と思って口を開く。
「オレは、」
「うん」
「監禁は嫌だし、外で働きたいし、人とも話したい」
「さっき聞いた」
「まだ続きがある」
「…うん」
「それで、さっき確信したけど、身体を売るのは嫌だ」
目の前の瞳が、傷付いたみたいに光ったような気がして、そんな顔をしたいのはオレの方だよ、と胸の中で毒づいた。
「お前が言ってるのって、そういうことだろ」
ややあって、こくり、と僅かに頷かれる。どうやらオレが思っていたよりもこの男、素直らしい。その素直さが半年前に欠片でもあればなあ、と思うけれど、まああったところでオレの印象は変わらないと思うから、それは口にしないことにした。
「飯とか、寝床とか。そういう心配しなくて良いのは、分かってる。実際困らなかったしな。ていうか寧ろ良い暮らしだったっていうのくらい分かってんだよ。…でも、その代価に身体を差し出せっていうのは、」
ただ、要らないプライドに縋っているだけの方が、まだマシだったかもしれない。…男にとっては、という視点からの思考だった、けれど。きっとそういうものだったら、男は粉々に砕くことが出来ただろう。でも、オレはそうではない。
そこまでするほど、安寧を渇望している訳ではないのだ。
「オレには、出来ない。したくない」
そして、それよりもずっと、嫌悪の方が勝る、から。
オレの話を聞き終えた男が、再び抱き締める腕に力を込める。
「………やだ」
「やだってお前、」
「抱きたい」
まだ言うかお前。そう思ったのに、やっぱりその声が悲痛そうで、どうにも言葉にならない。
「あんなやつに触られたのとか、迫られたのとか、全部、忘れさせちゃいたい」
「それは………」
もうわりと忘れてるから良い、とは言えない雰囲気だった。そういえばオーナーも似たようなこと言ってたな。オレはそこまで相手に過去のことを忘れて欲しいとか、そういうことを思ったことはないから、分からねえな、と思う程度だが。どうやって言って良いのか分からなくなって、でも、だからと言って抱き締め返すのは絶対に違う。でも、多分オレから何かしなければ、このまま男は動かないような気がした。面倒だ。ため息が出そうだった。だけど、もうここまで来てしまったのなら賭けだ。ええい、ままよ。
息を大きく吸う。
「ていうか、好きにならなくて良いとか、嘘だろ」
「それは、」
「好きにならなくて良いなら、なんでオレの話ちゃんと聞いてるわけ」
そうだ、半年前はそんなことしなかった。オレには発言権がなかったし、こんなふうに話を聞いてもらうようなことだってなくて。
全部。
この男の好きなように事が進んでいた。それは、監禁している側だとか、オレの生命の権限を握っているとか、そういうアドバンテージがこの男にあったから、というのもあるだろうけれど。
「前だったら、問答無用で押し倒して突っ込んできただろ」
「い、今だってそうしたい、よ」
「でもしてねえだろ」
今、だって。
オレが自由になっていようが何しようが、さっき言ったみたいに男は何も聞かずに攫うことだって出来るはずだ。オレが最初、そうされたように。いくら注意したって抵抗したってオレはこの男に敵わないだろうし、男がそうしよう、と決めて動いたらオレに出来ることなんて何もない。
「なんで」
でも、男はオレの話を聞く方を選択した。
オレは、その変化に賭けることにした。
また、むずがるように唇が戦慄いて、それからまた、肩口に顔を埋められる。
「………きみに、」
「うん」
「俺のこと、好きになって欲しい」
「うん」
「でもきみは俺のこと嫌いだから」
「嫌わせるようなことしかしてねえしな」
オレにだって非はあった、とは言え、レイプはレイプだし、監禁は監禁だ。オレはそれを許すつもりはない。オレが許そうが許すまいが、どうせこの男は気にしないだろうと思っていたから口にしなかっただけだ。
―――だけど、
男がその先を欲しがると言うのなら。言葉にすべきだと思った。
「オレは、」
「…うん」
「半年前のことを、許そうとは思わない」
「………うん」
「オレが先に仕掛けた、ってのは分かってるけどな。ついでにお前らが手ェ出したらいけないタイプの輩だったんだろうな、ってのも分かってるけど。殺されなかっただけ良いと思えとか、多分そういうことだって、他の誰かなら言うのかもしれねえけど」
「報酬良かったから、ってきみ、泣きながら言ってたしね」
「…それでも、ああいうことをされて、仕方ねえって言えるほど、オレは、………なんて言ったら良いんだか」
「諦めが、悪くない?」
「………そーかもな」
のっそりと、男が顔を上げる。
「…俺、」
「うん」
「きみに悪いことしたな、っていうのは思ってる」
「そう」
「でも、あのとききみのこと抱かなかったら、すぐ殺してたと思うし」
「………聞きたくなかったわ…」
「そうやって考えると、謝れないって思う」
「…そう」
まあ、予想はしていたから驚くようなことはしない。妙なめぐり合わせだ。五体満足でこうして生きていて、一度は自由なんてものを掴んで、もしかしたらこれからも保証されるかもしれないこんな状況は、何か一つでも選択が違ったら今、此処にはなかった。というか、どうせ謝られたところで許せないだろうし、それは問題ではないのだ。多分。
はあ、とため息を吐く。
とりあえず歩くぞ、と言えば男は思いの外すんなり離れた。手は、繋がれたままだったけれど、これくらいは我慢しよう。
「なあ」
「なに」
「オレまた無職になっちまったんだけど」
「ああ、うん」
「どうせ、あのバーこのままバックレた方が良いだろうし」
「あんなのいるとこより無職の方がマシでしょ」
「それは一理あるけどな…」
だからと言って無職で困らないか、と問われると困る、としか答えられないのだ。それを分かっているのか、男の言葉にも何処か力がない。
「ていうかさ、」
「うん?」
「お前、なんか仕事の口持ってないわけ」
「え?」
「オレ、わりとなんでも覚えが良い方だけど」
「………俺の猫は?」
「それ以外で」
「仕事じゃん!!」
「それ以外で」
それでも、押したところで意味がないと分かっているのか唇がとがらされた。こういう仕草を見ていると、確かにこどもっぽいかな、とは思う。
「病院の清掃スタッフなら、空いてるの知ってる…」
「死体掃除的な?」
「えっ、いや、普通のフロア清掃員」
「じゃあそれにオレ入れといて」
ぱちり、とまばたきが見えて、結構目が大きいんだよな、と思う。細いは細いのだけれど、元が大きいというか。
「…いいの?」
「何が」
「だって、」
「オレから言ったし、ある程度はちゃんと働くよ。問題起きない限り」
「も、問題は起きないと思う!」
ていうか此処に比べたらびっくりするくらい治安良いかもしんない! と続けられて、そんな場所があるか、とだけ思った。何処の病院の清掃に入れる気だ。…まあ、詳しい話はあとにしよう。
「どうせ今の家だって知ってんだろ」
「…うん」
「狭いけど寄ってけば」
「………いいの?」
「条件とかも聞いとかないとな」
「…ああ、うん。そーだよね…」
その、何処か拗ねたような声に、お前拗ねられるようなことしてきてないぞ、とだけ思った。
ほんとに狭いね、と言った男に、お前の家と比べたらな、と思う。家、というか部屋、かもしれない。結局、オレは解放される日もその家の全貌を見なかったし、未だにあの家が何処にあるのかすら知らないのだけれど。
ぱたん、と扉を閉めた男が鍵一応閉めとくよ? なんて、言って。カチャリ、と鍵の回る音が、して。
「あー…」
どうにか飲み込んだはずの熱が、まだせり上がってくるのを感じた。いや、オレが悪いのではないと思いたい。あの、監禁されていた部屋には鍵がついていて、いつだって男は鍵を閉めてから部屋に入ってきて。その滑らかな音とは似ても似つかない音なのに。
「その、今日だけだけどな、」
「うん」
「どっかの馬鹿の所為で、その、他の馬鹿が、ええと、………躾、とか言ってたのを、こう、思い出しちまって。落ち着かねえし、このままだと、いろいろ差し支え、出そうだし…」
「………えっ? 俺今、誘われてる?」
「その言い方やめろ」
もっと言い方があるだろ、と思った。でもまあ言いたいことは分かる。
「…嫌なら、別に、自分でどうにかするけど」
「い、嫌じゃない!」
ていうか寧ろしたい! と続けられる。そういればさっきそんなこと言ってたな。その割には、なんだか戸惑っているように思えるけど、何なのだろうか。こどもの考えることは分からない。
「…だって、さっき、嫌だって言ったじゃん」
「それは身体を売ることだろ」
「…セックスは良いってこと?」
「………別に、セックス自体はこう…なんてーの? コウショウなコミュニケーション? みたいなとこもあるだろ。オレには分からねえけど」
「俺と、コミュニケーション取ってくれるの」
「コミュニケーション取らねえとお前、断っても納得しねえだろ」
「断る前提なんだ…」
「なんで受け入れられると思ってんだよ」
「セックスがオッケーなら良いのかなって思うじゃん」
「別に好きじゃねえやつとでもセックスくらい出来るだろ」
「でもきみは、俺のこと嫌いじゃん」
「嫌いっていうか…まずもって興味がねえな」
「え」
「それ以前の問題」
「さ、さっきは嫌いって言った」
「どっちかって聞かれたらそりゃあ嫌いだし、お前がオレにしたこと考えてもそっちの方が正しいだろ」
う、と言葉に詰まった男に、どうすんの、とだけ問いかける。
また少しだけ迷われてから、ゆっくりと、手が伸ばされた。指が、こわごわと頬を滑っていく。
「…前言撤回しない?」
「させたことねえだろ」
「…今なら、してもいいよ」
「………しねえよ」
しねえよ、ともう一度呟いたら、分かった、とだけ頷かれて。
半年ぶりのキスは、馬鹿みたいにやわらかくて、ひどく、気持ちよかった。
びくり、と身体が揺れるのが分かる。
キスをされて、丁寧に服を剥がれて。少しずつ降りていく唇に、文句を言うことは出来なかった。だって、オレが言ったのだし。いや、こんなに丁寧にされるとは思っていなかったけれど。
「ッ、」
壁が薄いから、と口は手で覆っていた。男もそれは理解したのか、少し残念そうな顔をしはしたけれど、何も言わないで続ける。れろ、と舌の感覚が這い上がって、頭の中で電流みたいになる。
「………はは、」
「っ、ぅ、」
「なんにもしてなかったのに、ちゃんと覚えてるんだあ…」
全部、お前の所為だと言いたくなる。こんなふうに触れられたくらいで気持ちよくなるのも、勃つのも、全部、お前の所為だと。口を開けばあられもない声になるのが分かっていたから、結局言えはしないけれど。あと、多分喜ばせるだけにしかならないし。そういうことをしたい訳じゃあないのだ。責任の所在を明らかにしたいだけで。
「きみには悪いけど、」
体勢変えるよ、と言ってから男がベルトに手をかける。オレは特に何も言わずにそれを見ていた。もうどうせバックレるから良いが、普通にシワがつくよな…なんて思ってしまう。アイロンも何もないから、オレからしたら仕事着のシワは大問題なのだ。鍋で湯を沸かすのだってタダではないし、そんな前時代的なアイロンをするのにも限度があるのだし。
「ああやってオーナーが最低の形で手、出そうとしてくれて、助かった」
「…は?」
「きみ連れ出すのに、いろいろ説明しなくて良くなったし」
「なにそれ」
まるでそれでは、オレを連れ出すのは決定事項だったように聞こえる。いや、迎えに来たとか言ってたからそのつもりだったのかもしれないが。オレの反応に少しだけ困ったような顔をしながら、男はてきぱきと服を脱がしていく。
「あそこの客、きみが思ってるほどお上品じゃないよ」
「はあ…? まあ、そりゃあ、チンピラ紛いもいたけど…」
「そうじゃなくて」
ていうか必要なもの何もないな、と思っていたら男が鞄からいろいろと取り出した。随分大きな荷物を背負っていると思っていたが、一体何を入れてるんだ。
「みんな、きみをオカズにしてたんだよ?」
「………は?」
「あ、やっぱり気付いてなかった」
脚の間に身体を割り入れて、男はローションをてのひらに出す。ていうか久々に見たけどやっぱりなんか、生々しいな。女相手だとあんまり使わないから、オレが勝手にそう思っているだけかもしれないが。別に絶対に使わない、ということもないというのは知っているが、オレは使ったことはなかったのだし。
「きみもさ〜あんな無自覚に色気振り撒くようになっちゃってさ〜………いやそうさせたの俺だけど」
「お前の所為かよ!?」
「俺の所為かもしんないけど」
ぐじゅぐじゅ、とそのてのひらの中で、温められていくのを眺めている、というのも何だか奇妙な気分だ。前はそんなもの、眺めている余裕なんてなかったのだし。
「俺以外にして欲しくなかった」
なら家に帰さなければ良かったのでは―――なんて思ってしまったけど、そういう問題ではないのだ。オレは普通に解放されて嬉しかったし、この半年だって楽しかった。周囲の人間はオレの思っていたような奴らではなかったようだけれど、それはそれ、これはこれだ。
「…そろそろ、あったまったかなって思うけど」
「冷たかったら怒る」
「今日寒いから、ってことで許してくんない?」
「うるせえな、隙間風の吹く家で悪かったな」
「そんなこと言ってないじゃん!?」
大丈夫だから、と男が耳を食む。その仕草がやっぱり、びっくりするくらいにやわらかくて。
とりあえず冷たかったら宣言どおり怒れば良いな、と思って頷いた。
痛い? という言葉には必死で首を振る。
「…くるしい?」
「………ひさ、しぶり、だから仕方ねえだろ…っ」
男の首に縋り付いて苦しさをやり過ごすのに、俺はなんとか息をする以外に思いつかなくて。大丈夫、大丈夫、と男が呪文のように繰り返すのを聞いている。
「すごい、狭くなってる…」
当たり前だ、使ってなんていなかったのだから。というか、解放されて今日まで、自分で弄ろうとすら思わなかった。オレにとってはそれだけあの半年は悪夢みたいなもので、この男と離れたらぱちん、と忘れられてしまうようなものだった。
そう、思っていた、のに。
「ぅ、―――、」
苦しいは、苦しい。一度も思い出さなかったのだって、嘘じゃあない。なのに、ずるずる、と挿っていくのが分かる。ゆっくりと、だけれど、確実に。押し拡げられる、それで、オレの身体はそういうことが出来るのだと思い出す。飲み込む、もっと、とねだるように。腰に熱が集まってどうしようもない。
「………でも、」
ゆるり、と接合部が撫でられた。
「こんなに咥え込んでさ、そんなに俺のこと、恋しかった?」
指がぎりぎり通れるような、そんな空間。あと少しで、すべて挿ってしまう。
―――奥まで、
届いてしまう。
「こんなに飢えてたのに、他の男に慰めてもらおうとか、思わなかったんだ?」
「…っに、ばかな、こと、」
「…だよね。だって、全部、」
こつこつ、と細かく動かれるのが焦れったい。もっと、激しくされたい。
「俺が、教えたんだから」
腰が溶けそうだ、脚が震えて、自然、男にまとわりつく。あんまり煽らないでよ、と言われても、勝手に動くのだから仕方ないだろう。
少しずつ、動きが戻ってくる。半年前、みたいに。
奥が抉られる。男が腰を打ち付ける音が、耳に響く。
「っ、ぁ、………っ、」
「ねえ、」
腹を撫でられて、皮膚の下のその存在を明確にされただけで。瞼の裏に白閃が走る。声を上げないように必死に唇を噛む。
「気持ちいい?」
答えられるような余裕なんてなかった。首に縋り付く腕は、苦しさをやり過ごすものからこの男を離してたまるか、というようなものに変わっていた。オレが、逃げたがったのに。オレが、解放を望んだのに。
「素直になってよ、気持ちいいって言って」
「っ、ぅ、んんっ」
「………きみの口から、直接聞きたい」
腕に。
今出来るありったけで力を込めて、顔を男の身体に押し付ける。
「…き、もち、…ぃ、い」
声が上がらないようになんとか絞り出した言葉は、唇と皮膚の間で消えていったように思えた、けれど。
「―――〜〜〜っ!!」
「うん」
「………ッ、…っ、!」
「良かった」
声、抑えるの協力する、とキスが落とされる。
貪るようなそれに、オレの馬鹿みたいな声はすべて飲まれていって。この声が届かないのが勿体ないような、そんな妙な心地に陥った。
ずるり、と男が抜けていくと、がくん、と身体から力が抜けた。
慌てて男が支えてくれたようだったが、別に後ろは一応ベッドなのだ、このまま倒れても良かったのに。
「………いっかい?」
ぼんやり、としたまま男を見上げる。男は嘘みたいにやわらかい目でオレを見ていた。知らない顔をしているのが嫌だとか言っている割に、オレは今日、初めて見る表情ばっかりだったな、と思う。いや、別にオレは他の表情を知りたいとか、そういうことは思っていないのだが。
「まだしたい、って思ってくれてる?」
「いや…疲れたからもうやだけど…。前はそうじゃなかっただろ」
「うん、まあ、したいけどさ。ちょっと休んだら荷物まとめて出た方が良いかなって思ってるし」
「あー…うん。そーだな」
「流石にしばらくは俺に出させてよ」
「………そういうの、やなんだけど」
「無職にしちゃったし」
「………それは…そーだけどよお…」
「…じゃあ、貸す、なら良い? 無利子無担保」
「うーん………とりあえず、それで」
「分かった」
手際が多分良いんだよな、と思いながらタオルを出してきたり、オレの身体を拭いたりするのを眺めている。世話されたい訳ではないが、力が入らないのも事実なのだし。ここは任せてしまった方が良いだろう。ある程度綺麗になると、今度はクローゼットを漁り始めたけれど、きっと着替えを探しているからだろうので放っておくことにした。それに、盗まれて困るようなものもないし。
「…ていうか、」
勝手にされていく荷造りだとかを眺めていたら、ころり、と言葉が転がり出た。
「好きって、いつから…」
「意識したのはきみに名前呼んでもらったとき」
「………うん?」
それは、何というか、結構前じゃあないだろうか。結構前っていうか、監禁真っ只中だった頃の話な気がする。
「…え? 手放したから惜しくなったとかの話じゃなくて?」
「逆。もう絶対落ちてくれないって思ったから手放したの」
なんでそうなるんだ。正直な感想はそれだったけれど、もう何を言うのも違うような心地になってしまって仕方がない。
「………まあ、諦めきれなかったんだけど」
これくらいで良い? と問われて、うん、と頷く。もともとオレの持ち物なんてそう、ないのだ。物持ちが悪い訳ではなく、単純に金がなかったから。売れるものはさっさと売っていたし、あとは創意工夫でどうにかしていた。
「ねえ、」
男も納得したのか、ベッドへと戻ってくる。
「諦めなくていい?」
「………知らねえよ」
そのまま横に座って、オレの休憩が終わるのを待っているのだろう。でも、急かすつもりはないらしい。まあ、この男だったらオーナーが乗り込んできてもどうにかしそうだったし、その辺りは心配していなかった。
「好きにしたら」
「…うん」
オレの、返答に。
男は本当の本当に嬉しそうな顔をした。
「好きにする」
それから触れるだけのキスをされて、頭を撫でられる。
そんな様子を見ながら、いつもこれくらいなら良いのにな、とだけ思った。
*
作業BGM「Anemone」可不(REISAI)
主人公情報
名前:マシュー・クラーク
出身・居住:クラウンハイツ
元・仕事場:タイムズスクエア
年齢:シックスより九個上
身長:180くらい
メモ:基本的に器用で何でも出来る