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風が吹いたらまた明日


 わたしには兄弟姉妹がいる。姉と弟と妹、私を含めて四人の家族だ。とは言っても血が繋がっている訳でもないのだけれど。わたしは幼い頃、ストリートで生活していたのを孤児院に拾われた。其処ではこどもたちを幾人かでグループにして育てていて、それが今の家族、というかたちに進化した、というものだった。他のグループは他のグループでさまざまで、わたしたちみたいに家族としてやっているところもあれば、孤児院を出てから連絡を取っていないところも、連絡はとっているけれど家族とは呼ばないところもある。それなりに自立型だったんだなあ、と今になって振り返ると思うが、家族と呼ぶような関係になっていなかったら今のこの状況はなかったのだろうか、なんていう現実逃避くらいは許されるべきだった。
 わたしの家族はいろいろあって、結局全員がカーボナード・バリューの構成員になっていた。最初は、姉が下っ端の下っ端になったことだったのだと思う。わたしたちは姉のことが大好きだったから、彼女を助けようとして、そうしたら自然、全員が構成員として生き残ることが出来てしまった。いや、出来て〝しまった〟なんて言ったら悪いことのようだから言い直すが、別に今こうして生きて、家族としてやっていることは良いと思うのだ。ありふれた言葉を使うのだとしたら、幸せだと言ってしまっても間違いではない。にこ、と弟が笑う。身内の贔屓目かもしれないが弟の顔は結構良い方だと思うから、笑みなんて乗せた日にはそれは美術品か何かと見紛うような心地に陥る。まあ見慣れているから今更何を言うこともしないが。
「姉の籍が気付いたら変わっていたことについてご説明願いたく、代表として来ました」
笑顔で言うような台詞ではないんだよなあ、と思った。弟の前にはスリーさん、せめて此処にシックスでもいてくれたらな、とないものねだりを思ったが、シックスはスリーさんによって仕事を入れられていた。どうやら他のスートのカードと共同任務らしい。スリーさんが監視するだのなんだのの話だったと思うのだけれど、最近どうにも緩めになっていやしないか、と思った。わたしは別に上に意見出来るほど偉くはないので、何も言わないけれど。次に会った時大丈夫なのかどうかくらいの確認はしよう、と思っていたけれど。
「説明も何もそのままです。籍を入れました」
 というか、この来訪を予期しての配置なんだろうなあ、と思う。弟にとっては此処は完全アウェイであるから、恐らく此方に味方してくれそうなシックスは遠ざけたのだろう。スリーさんらしい厭な采配だ。本当にこういうところだけは頭が回る、というか、それをもっとしっかりシックスに適応していれば無駄なごたごたはなかったんじゃないか、と思いはするが。それは完全にスリーさんの問題なのでわたしが何を言うこともしない。
「勝手に、ですよね?」
「事後承諾は得ています」
「いや承諾した記憶ないです」
思わずツッコんだ。何当然のようにわたしがオーケーしたようなことを言うんだ。信じられない。わたしは今でもスリーさんとの関係を聞かれたら否定するし、指輪だとかそういう装身具の類もしていないし、名札だって今までどおりのものを使っているし、本当に表面上は何も変わっていないはずだった。でも免許証だとかそういうものの名前はいつの間にか変わっていたから、本当に書類は通されているらしい。気にしなかった、というよりかはまさか本気でそんな馬鹿なことをしているとは思っていなかったので確認していなかったのだ。現実を知った時のわたしの渾身の〝は?〟を想像してみて欲しい。話が逸れた。
「そろそろ承諾してくれても良いんじゃないですか?」
「いや絶対に無理ですけど」
「指輪が欲しいならそう言ってくれれば良いのに」
「要りません。死んでも要りません」
「あ、ところできみが勝手に出そうとした離婚届は止めておきましたから」
「………は?」
「残念ながらそのルートはもう抑えてあります」
「うそ、嘘ですよね!?」
「あ、そうそう、その顔が見たかったので頑張ったんですよ」
「さ、………さいてい…すぎる………」
 もう自分で言うのもなんだが、そういう漫才みたいにしか聞こえない。勿論わたしは本気でさっさと離婚でも何でもして出来るだけスリーさんとの関係を希薄なものにしておきたいのだが、どうにも二手三手先を抑えられているのが現状だ。わたしだってそんなに頭は悪い方ではないはずなのに、どうしてだろう。本当に困る。まあ、今のこの状況で一番困っているのはそんな遣り取りを見せられている弟だろうけれど。
「………随分、」
昔から笑ったまま怒るのが得意な子だったなあ、と思う。
「姉を甚振って楽しんでいるようですね」
「ええ、楽しいです」
「せめて否定してください」
「嘘を吐いても仕方ないでしょう」
はあ、とスリーさんはまるで聞き分けのないこどもを前にしたようなようすでため息を吐いてみせた。わたしからしたら、今この場で聞き分けがないのはスリーさんの方だと思う。
 スリーさんは弟に向き直って、それから笑ってみせた。わたしが言うのもなんだが、こんな状況で笑えるこの二人可笑しいんじゃないのか。
「ボクから何を言っても良いんですが、例えばこれが愛や恋の成れの果てだったとしたら貴方は納得するんですか?」
「しないでしょうね」
弟の返答は最初から用意していたもののように聞こえた。きっとあれこれの受け答えチャートが彼の頭の中にはあるのだろう、そういうのも得意な子だった。
「―――少なくとも、」
 そんな、子でも。
「ボクはボクなりに彼女を愛してあげていますし、今後も大切に扱うつもりではありますよ」
「その大切、という単語にはカーボナード・バリューのマフィアとしての遣り方で、という注釈がつきますよね」
「分かり切っていることを注釈にする必要がありますか?」
スリーさんの出方には遅れを取ってしまうのか。それはわたしにとってはもしかしたら絶望に近いのかもしれなかった。
 スリーさんはまた笑って、久しぶりの再会でしょう、と言った。わたしのシフトが急にズラされたのはこの来訪が分かっていたからなのだろう。これを流石に貸しにはされないだろう、と思って分かりました、と返事をしてから、わたしは弟を連れてスリーさんの部屋を出た。

 わたしの部屋は実は、スリーさんの部屋とはそこまで遠くない。とは言え、近いという訳でもないが。
 お茶を淹れて、それからソファに身体を投げ出したわたしに、弟は参ってるね、と言った。
「貴方が来たのも一因だけどね」
来て欲しくなかった、というと嘘になるが。だからと言って厄介事を身内に丸投げするのはやっぱり違うように思うのだ。
「俺で良かったじゃん」
わたしの考えていることは分かっているだろうに、弟は手がかかるなあ、とばかりに笑ってみせた。
「イザベラとエマが来たら話にならないだろ」
「………うん。それはそう…貴方がいちばん真面な会話出来るだろうのは分かる…」
一応、この子が一番年下のはずなのだけれど。結局一番しっかりしたように感じるのは、姉も妹も―――わたしも、どうにも価値観がズレたまま戻らなかったからなのだろうか。そんなことを考えていたら、久しぶりに家族に会いたくなった。最近は忙しくしているのもあって、全員で集まっていない。比較的動きやすい弟と妹は兎も角、わたしと姉はちょっと動きづらい場所にいるのだし、余計に。そんなふうに思い出していたら、よく妹がわたしの腰にくっついて泣いていたことを思い出した。
「でも、イザベラは兎も角として、エマは留守番に納得したの」
「そういえば、今回はやけに素直に引き下がって―――」
 ぱちり、と。
 弟の長い睫毛が瞬(しばたた)かれたのが分かった。
「ああ、もう、」
仕方ない、立ち上がる。これを貸しにされてはたまらない、わたしは困るし―――何よりこれで貸しになんてなってしまったら妹が気にするだろう。それは避けたかった。
「全員手がかかる…!」
「………姉さん、その全員にもしかしてスリーさんも入れてる?」
「あの人が最たる問題児でしょ」
「問題児ですましちゃうかあ…。いや、まあ、分かるけどさあ」
弟もついてきてくれるらしい。まあ、今回の起爆剤のような人間だから仕方ないのだろうが。あと、面倒見も良い方なのだし。
「此処、そんなんばっかだしね」
「貴方を含めてね」
 そんなだからだよ、姉さん、と言われたけれど、何がそんなだからなのかは全然分からなかった。



作業BGM「花めづる君」Layla(傘村トータ)



春の水面(みなも)に落ちるのは



 血は繋がっていないとは聞いていたから、顔が似ていないことはそう、気にならなかった。けれども、ああ、と思う。姉妹というだけあって―――仕草は似ている。もしかしたら似せているのかもしれないな、とも思った。彼女が家族と呼ぶ彼らは彼女のことを好いているから、いつかこうして抗議を受けるだろうと予想はついていたので、一通り調べてはある。全員カーボナード・バリューに所属しているので調べやすかったのもあったが。末端とは言えスリーが調べて出て来る程度のものであったのは、調べられることに対してある程度の予測があったのでは、と思うこともしたが。
 まあ、結果的にはどういう人となりをしているか程度は分かって良かった、と思う。こうやって対面してもそう驚くようなことはしない。一番厄介なのは妹だろう、という推測だって立てられていた。こう出られることだって、想定にあったからじっと見つめ返すだけで留めている。
 腕を抑えられている訳でもない。覆いかぶさられてはいるが、そこまで力を込められている訳でもなかった。でも、少しやりにくいな、と思うのは相手がそういうプロだからだろうか。
「お姉ちゃんが良い訳じゃあないんでしょう?」
似ても似つかないが、確かに憎悪を灯した瞳で妹が呟く。彼女をお手本にしたのだろうか、こういうところまで、よく似ている。似ているけれど―――やっぱり違うな、と思った。
「なら、私がお相手します。私、そういうの好きですから」
良いでしょう、とするり、指が耳から顎のラインをたどって首に。
「誰でも、同じでしょう」
やさしい声で、やわらかな声で。なのにその奥底には憎しみを燃え滾らせて。
「だから、私でも良いはずです」
ね? と、小首を傾げる動作まで美しいと、そうは思うのに。
 本当に誰でも良かったら。
 彼女のことなんてとうの昔に殺していたはずだった。
 足音が聞こえる。予想より早かったな、と思いながらさっき閉められた扉が音を立てて開くのを見ていた。
「エマ!!」
「ちょうど良かった。彼女、退かしてもらえますか。流石にエイトさんのお気に入りに投薬はしたくないので」
「エイトさんには打ったって聞いてますけど?」
「あれは緊急事態だったので」
悲鳴を上げるように妹の腕を引く彼女に、こんな人間らしい反応もするのだな、と正直に言えば驚いた。そういえば、自分に対する反応を見るばかりで、彼女が周囲に向ける反応はあまり見ていなかったな、とも。周囲が彼女に向ける反応についてはそれなりに見ている方だったと思うけれど。
「お姉ちゃん」
 彼女の腕の中に収められた妹は、不満げに口を尖らせた。さっきと同一人物とは思えないくらいに子供っぽい仕草だった。
「止めなくて良かったのに」
「そういう訳にもいかないでしょ…」
「こんなのにお姉ちゃんが好き勝手されてる方が嫌」
「エマ、」
流石に直属ではないとは言え上司に、〝こんなの〟発言はどうかと思ったのか彼女が嗜めるように呼ぶ。まあ、妹の方はまったくもって言葉を止めるつもりはないようだったが。
 腕の中にいるのを良いことに、そのまま身体を反転させて彼女に抱きついてみせる。ちら、とこちらを見た目端の色に、わざとだな、と思う。同じことを思ったのだろう、後ろからついてきていた弟の方がため息を吐いた。
「お姉ちゃんは、そういうことされて良い人じゃないのに」
「………」
彼女は何か言いたげだったが、妹を一撫でするだけに留めたようだった。彼女としては妹がああいう仕事をしているのは心配なのかもしれない。
 何はともあれ、と思ったのか、やっと彼女がスリーの方を向く。この上なく嫌そうな、その表情にひどく、安心した。彼女は基本的には外面が良いから、こんな顔を向けられるのはきっと、スリーだけだ。
「ええと、妹が失礼を…」
「そう思うなら、」
肩に力が入るのが分かる。何を吹っかけられるのか、と思ったのだろう。まあ吹っかけるつもりではあるのだが。
「ボクはきみ〝が〟良くてきみと付き合ったり籍を入れたりしたんだってちゃんと妹さんに伝えてくださいね」
「―――そ、」
丸い眼鏡の向こうで、その瞳が大きく見開かれたのを見届けてから立ち上がる。もう、この部屋に用はない。仕事に戻らなければ。シックスのことを言えなくなってしまう。
「その言い方は誤解しか生まないのでは!?」
「誤解も何もそうでしょう」
「誤解しかないと思いますが!?」
「誤解なんて一つもないですよ」
―――きみのことが世界でいちばん嫌いだから、
―――誰でもない、きみが良いんですよ。
そんな言葉は今更繰り返してやることもなかった。彼女の口から彼らに説明させれば良い。
 部屋を出る前にキスでもしようかと思ったけれど、思いの外妹が邪魔だったので今度にしよう、と諦めた。



作業BGM「アングレイデイズ」鏡音リン(ツミキ)



惨めたらしい貴方が羨ましい



 今日は機嫌が悪いなあ、というのくらいは流石に分かるようになってきた。何しろ、わたしの身の安全に直結するのだし。まあそれを言ったらわたしが見たことのあるスリーさんなんて大抵機嫌が悪いか気持ち悪いほど機嫌が良いかのどっちかだったように思えるので、あまり意味がないようにも思えるが。だってどっちにしても良くないことの前触れだ。前はぶちぶちといびられるくらいだったが今はそうとも言っていられないのだし。
 しかし、特にスリーさんがそんなふうになる理由に思い当たらない。いや、スリーさんは割合どうでも良いことで勝手に気分を害するので思い当たらなくても仕方ないのかもしれなかったが、やっぱりわたしとしてはそうも言っていられないのだった。でもここでどうかしたんですか、とでも聞いてみろ、更に不機嫌になって後に響く。それは阻止したかった。わたしだって暇ではないのだし、わたしのプライベートな時間はスリーさんのものではないのだ。スリーさんはどうにも勝手にそう思っているらしいが。
 まあどうであれ、何か文句があるのなら言ってくるだろう。今までのスリーさんの行動のトリガーを頭の中で指折り確認して、今回はそういうものはない、と結論付けた。うん、多分大丈夫だ。でも何かあった時のためにシックスに連絡を入れて適当な仕事をでっち上げてもらおう。この間の死体の貸しがあるのでやってくれるはずだ。
 と、そんなことを思っていたらやっと、スリーさんは喋る気になったようだった。わたしの手が止まったのを察しただけかもしれないが。データ処理も済んだので、確かに仕事は一段落した。
「スリーがいないんですけど」
「は?」
聞き間違えたかと思った。何言ってるんだこいつ。
「スリーさんならわたしの目の前にいるんですが………あ、中身が実はシックスとかそういう話ですか? いやでも中身がシックスだったら呼び方が違いますね。ならこれはわたしの早とちりということになりますが…ええと、」
「ボクはボクのままです。そういう意味で言ったんじゃあないです」
「じゃあどういう意味なんですか?」
スリーさん自分探しの旅にでも出るんですか? と問うてみたら気に入らなかったらしい。扱いに困る人だ。今だって別に用もないのにひとの部屋にやってきて勝手にくつろいでいるのだからやっていられない。なんというか、姑に目をつけられるという感覚ってこんななのだろうか、と思ってしまうほどだった。別にスリーさんがいたところで仕事に支障は出さないけれど、だからと言ってストレスがたまらないかと言うとそんなことはないのだ。わたしは出来るだけストレス源との接触を絶ちたいし、スリーさんにとっても絶対にそっちの方が良いと思うのだけれど、どうしてかスリーさんはそんなことになったらわたしに敗けるようで嫌なのか、さり気なく提案してみてもさらっと流されてしまう。わたし、可笑しいことを言っているだろうか。いないと思う。
「だから、ボクではなくて」
〝スリー〟というのがスリーさんのことではないのなら一体何なのだろう。わたしが黙っていると、スリーさんはぎゅっと唇を噛んでそれから言いたくなさそうに言葉を吐き出した。
「………あの植物のことです」
「ああ、マリモ」
それならそうと早く言えば良いのに。何を言い渋っていたのかさっぱり理解に苦しむ。そんなに嫌ならスリーなんてラベルはさっさと剥がしてくれても良かったのだ、わたしは勝手に剥がしたら何を言われるかと思ってそのままにしていたのだけれど、もしかして本気でわたしがマリモにスリーと名前をつけて可愛がっているとでも思っていたのだろうか。マリモ自体は大事にしているけれど、別に名前とかどうでも良いし、正直に言うなら今の今までそんな名前をつけたことすら忘れていた。
 つまりは、だ。
 仮にもプレゼントとして贈ったマリモが見当たらないからどうしたのかと、そういうことが聞きたかったのだ。それがどうしてこんな七面倒臭い遣り取りになるのか甚だ理解に苦しむが。
「暑くなってきたから冷蔵庫に避難させてるんです」
「冷蔵庫」
「もともと寒いところの植物ですから。暑さに弱いんですよ」
「………はあ」
「もしかして殺したと思っていました?」
「…植物なんですから、枯らした、が正しいんじゃないですか」
「思ってたんですね」
どっちでも良いけれど。わたしは一応、ちゃんと今まで育てていたのだと言ったはずなのだけれど。スリーさんのことだ、きっと右から入ったわたしの言葉なんて脳を素通りして左へ抜けて行ってしまうのだろう。そういうものだ。多分。
「殺して欲しいなら殺しますが」
「…きみが言ったんじゃないですか」
「何を」
「ボクが殺さないなら殺さない、って」
「ああ、言いましたね」
だと言うのにこうして、ちゃんと覚えているようなことも言うから困ってしまう。本当にこの人、何がしたいのだろう。
「だから、きみにそんなことを言うつもりはありません」
「そうですか」
「まあ、きみが失敗したらそれはそれで」
「わたし、マリモに関しては十年選手なのでそこは心配しないでください」
「心配はしていません」
「そうだと思いました」
どうせまた、貸しに出来るとかそういう話に繋がってしまうのだろう。ここらで会話(これを会話と言って良いのか不明だったし、わたしは嫌だったけれど!)を切り上げておくのが望ましい。
 とりあえず、と机から立ち上がる。
 冷蔵庫の開閉くらいの日照は必要なので、その世話のついでにスリーさんにもちゃんと〝スリー〟が生きていることを見せてやろう、と思った。



作業BGM「未来最終戦争」初音ミク(DIVELA)



境界線(私は貴方を殺すことが出来ます、)



 冷蔵庫の中には確かに彼女の言ったとおり、ちゃんとマリモが置かれていた。いや、彼女の言葉を借りるのであれば〝生きていた〟というべきなのだろうが。ていうかスリーにいちゃんはなんで此処にいんの、と問うてきたシックスに当然のように良いじゃないですか、と返す。
「別に、ボクが彼女の部屋にいて困ることはないでしょう」
「俺は困らないけどね? 嫌がられるんじゃないの? あ、ちなみに俺はちゃんと約束があって鍵預けられて此処にいるから。合鍵勝手に作ったどっかの誰かとは違うから」
「何の用事だったんですか」
「ちょっと治験の方の調整頼みたくて」
「…そんなこと、彼女じゃなくても出来るでしょう」
「一番楽だから頼んでる。スケジュール調整も上手いからね。誰かさんが邪魔しない限り」
「………」
流石にシックスの言いたいことが分かってしまったので、何を言うこともしなかった。
―――利益。
 よく、彼女が口にする言葉を思い出す。それがなければきっと、彼女はとっとと此処から逃げることが出来ていただろうことは分かっていた。分かった上で追い詰めたのは自分であるという自覚はあったけれど。
「シックス、」
ジュースとか出してくれるんじゃないんだ、と当て所もなく呟いた弟に呼びかける。冷蔵庫の扉は小さくしか開かなかった。中に何が入っているのか、シックスには見えなかっただろう。それでも問うてみたかった―――なんて言ったら笑われるだろうか。
「きみは、あれを生き物だと思いますか」
「思わないよ」
なんて、思っていたのに。
 シックスは何のことか分かりきっているとでも言うように答えた。驚いて目を見開いてみせたのだって予測していたかのように、マリモのことでしょ、と続けられる。
「植物でしょ」
「そう、ですよね」
「でも、分からなくもないけどね」
何も見なくても分かるとでも言いたげな口調に、何を思ったら良いのかも分からなかった。…彼女にとって、上手くやっていける相手がスリーに近ければ近いほど、何かがあったとしても遠くへ行くことはないと思っている。だから、シックスが彼女と上手くやっていることは素直に喜んでいた、はずなのに。
―――まるで、
スリーの知らない彼女を知っているかのようなふうに、言うから。
「俺たちは虫を踏み潰しても何とも思わないし、いちいちラットの生き死にに心を痛めたりしない。でもさあ、それってもう、慣れたからとか、必要だからとか、そういう割り切りでしょ」
「………きみの、それが。割り切りだとは思いませんでした」
「まあ、言葉の綾だよ」
 揚げ足取らないで、と言われてもそんなもの取ったつもりはないのに。
「でもさ、彼女は俺たちとは違うじゃん」
「違う、って。何が」
「彼女が必要としているのは死体で、死体になるべきもので、それは何かを活かすために使われていて。それを多分、そんなに誇っていないんじゃあないかな」
「はい?」
目が、瞬(しばたた)かれたのが分かった。
「あんなに利益を上げたと豪語しているのに?」
「それとこれとは違うんだよ」
どう言ったら良いのかな、とシックスが唸ってから、ただの俺の感想だけどね、と前置きをした。そんなこと、言われずとも分かっている。
「彼女は自分の仕事の所為で、利益の下で、ちゃんと生命が失われていることに自覚的なんだよ」
「………それ、は、」
「誰かを助けるためだって、そんなことも言えないくらい、ちゃんと気にしてるんだよ」
「………どうして」
「さあ」
 それは本人に聞いたら、とシックスが言う。
「だから〝生きている〟と定義したものには〝殺す〟って使うし、それ以外の選択肢はないんだよ」
どんなものでも、ね。
 シックスの言葉に、一体。
 何と返すのが正解だったのか。

 走ってくる足音がして、扉を開けた彼女がお待たせしました、とシックスに言ってからスリーを認めて、なんでいるんですか? などとのたまってきたので。なんだか腹が立ってキスでもしようとしたら仕事中です、と距離を取られた。そういうところだよ、と言いたげなシックスの視線には気付いていたけれど、それは仕事中でなければしても良いという言質にもなり得たのでこの場は引き下がっておくことにした。



作業BGM「8月32日」鏡音リン・レン(コウ)





 うわ、と思わず呟いてしまったのは仕方のないことだろうと思う。鏡の中のわたしの身体は痣だらけだった。マフィアなんてものをやっているのだ、生命が危険に晒されるようなことはそれなりにあった、慣れているとまでは行かずともここまでドン引きするようなことはなかったなあ、というのは最早遠い思考だ。幾ら怪我をしようと、まあ生命があれば儲けもの、わたしは今までそういう思考でどうにかやってきたのに、あの訳の分からない上司の所為ですべてがパアだ。いや、パアにさせてたまるか。どうして嫌いな人間の所為でわたしがわたしの人生に痂皮を負わなくてはならないのだ。納得がいかない。
 あまりにも毒々しい色になったそれを、押してみる気分にはなれなかった。まあ皮下出血として現れているのなら大丈夫なのだろう。多分。…多分。一応後頭部やら何やらも確認してみたが、たんこぶが出来ていた。流石に頭なので職権を乱用してでも検査をしようと思う。スリーさんが仕事でいないときを狙おう。検査というのは落ち着いた状態でやった方が良いのだ、血圧を上げて来るような人間がいるときにやるものではない。
「………湿布、」
貼るとか言っておいて結局何もしなかったな、というのを思い出しても言葉にしなかったのは、別にそこまでして欲しい訳ではなかったからだ。出来ることなら関わりたくないからだ。というか、あの状況で湿布って言ってましたよね、なんて言ってみろ。何を要求されるか分かったもんじゃない。いや分かってるだろ、みたいなツッコミは今は御免被りたかった。
 自分で言うのもなんだが、わたしはそこまで馬鹿ではないと思う。そうでなくては此処まで生き残って来れなかっただろうから、それは誰が何を言おうと譲らない。が、この状況はもう正直想定の範囲外も範囲外だ。誰がどうやったらこんなことを予想出来る。普通に無理だ、マフィアだろうと何だろうと無理だ。
―――けれど、
このまま負け続けてやる理由もない。とりえあずお気に入りのバスオイルを棚から出す。知らない家の知らないボディソープの匂いはさっさと消すに限った。
「…よし」
好きな香りに囲まれながら、頬をぺしん、と叩く。これからどうするにせよ、とりあえずシャワーを終えたらちゃんと湿布を貼ろう、と思った。