風切羽は切らない
こんな病院なので、という前置きは本当に嫌だが残念ながらこんな病院なので、よく他の組織からのスパイが送り込まれてくることがある。大抵そういうものの対処をするのはわたしたち下っ端であったし、まあ言ってしまえば慣れていた、というのはある。面倒ごとには変わりないし、仕事が増えるからお断り出来るのであればお断りしたいのだけれど。
何が一番面倒かと言えば、大抵そのスパイというのは二人組か何かで来ることが多いということだろう。まあ、片方が困ったときにもう片方が解決する、というのは効率が良いのだと理論としては分かるのだけれど。一人で潜入、なんていうのはそれこそ本当に鍛え上げられたスパイくらいなのだろう。そんなものはいて欲しくない。鍛え上げられたスパイの相手なんてしたくはない。
さて、大抵そういう訳なので、基本的な対処は二人を引き離して一人ずつ潰していくというものである。だから、あの手この手で二人を引き離そうとするのだけれど、今回はどうにも手強かった。まあ来るスパイ来るスパイ返り討ちにしていればその質が上がっていくのは仕方のないことだと言われたら言い返せないのだけれど、そういうものの対応を迫られるのは現場であることを上はもっと分かって欲しい、と思う。
と、いうのが前置きだった。
わたしは今、現場として紛れ込んだスパイをどうやって排除すべきかと頭を悩ませているところだった。まだ目的も推測の域を出ない上に何処の組織のものかのかもはっきりしていないから殺すに殺せない、というのもある。何事も加減が必要とされる時が一番大変なのだ。一思いに殺して良い時の方が楽なのに、そればかりではやっていけないのが現実だ。
「せーんせ、」
そんなふうに考えていると、ひょこり、と誰かが部屋に顔を出す。その件のスパイの片割れだった。一人だろうか、と思っているとその後ろからもう一人が出てくる。二人。後ろにいる方が静かに扉を閉めた。何ですか、と答えながらわたしは部屋の間取りを思い出す。わたしの立っているところは監視カメラの死角ではない。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ〜」
「聞きたい、こと?」
部屋からの逃亡は無理そうだが、監視カメラがあるのであれば誰かが気付く可能性にかけた方が良いだろう。じり、と後退りながら問い返す。一人はにこにこと人好きのするような表情で、もう一人は無表情で、わたしに近付いてくる。
二人一度に相手をするのは流石に無理だ。わたしも幾らか護身術の心得があるとは言え、本当にその程度なのだから。相手はどちらも体格が良くてわたしより大きな男性である。わたしがとんでもなく強いとかでなければ負け確定の試合であるし、わたしはとんでもなく強くなんてなかった。
「先生、逃げないでよ」
手が伸びてきて、わたしの腕を掴む。振り解くには力が足りない。
「はな、っせ…!」
「良いじゃん。楽しもうよ」
「先生、仕事しかしてなかったよね? こういうの嫌い?」
「触るな、って…ッ、」
確かに彼らが来てから忙しくなって、スリーさんがやって来ることもなかったけれど。いやそういう話じゃない。スリーさんが顔を出していたとしても、彼らに気付かれるような真似はしなかったはずだ。わたしだって彼らがスパイだと気付いたのだからスリーさんはもう少ししっかり分かっているはずだった。
何にせよ今は目の前の彼らへの対処が先決だ。こうして接触を図られたということは、目的を聞き出せるチャンスが巡ってきたということでもある。どうせ逃げる勝算も見えないのだ、わたしはわたしで戦うしかない。とは言っても、大した抵抗も出来ないのだったけれど。だって二人相手だ。一人がわたしを抱えてしまえばそれでわたしの抵抗は完封される。首筋に鼻を埋められるのが気持ち悪い。後ろから抱き締められるようにされれば、もう一人はわたしと向き合っても好き勝手出来る訳で。
「ゃ、だ…、」
「声掠れちゃってる。こわい?」
「怖くないよ。気持ち良いの、先生だって好きでしょ?」
「さわ、んないで…っ」
「力全然ないねー。かわいい」
「それで抵抗してるつもり?」
「これが抵抗とか、もうそれは合意じゃん」
何をクソみたいなことを言っているのか。ボタンが外されていく。胸を這う手は乱暴でただこちらを甚振る目的であるのが透けていた。
「ちょっと話がしたいだけなのに、先生は照れ屋なのかな」
「話すことなんか、なにも…」
どうにも可笑しい。
最初は臓器売買のルートなどを探りに来たのかと思っていたがそうでもなさそうだ。そちらへと接触を図る様子は見て取れなかった。じゃあ一体何が目的なのだろう。確かにこの病院には隠したいことなんて山ほどあるが、わたしをこうやって巻き込むのにはそれなりに、わたしが情報に近いからだと思っていたのだけれど。彼らがまだ具体的な質問を投げかけるようなことをしていないというのもあるだろうが、臓器売買のことでなければどうしてわたしに目をつけたのだろう。性的に甚振るというのは拷問ではよくある手段だ、わたしだってマフィアなのだ、悲しいかな、こんなことに巻き込まれるのは初めてではない。
「ううん、きっと知ってることだから先生に聞きにきたんだ」
にこにことした表情が肉食動物が獲物を見つけた時のような、鋭いものへとすげ変わる。下着をずらされ、指が肌を這い回る。わたしが大した反応もせずに睨め付けているだけなのが気に入らなかったのか、すぐに指は舌に変わった。ぐりぐり、と舌先で刺激される度に視界で金髪が揺れる。それを見て見慣れない、と思ってしまって自分を殴りたくなった。いや、今はそれどころではないのだけれど。
わたしを抱えている方―――無表情の赤毛は、そのままわたしごと机に座った。机に座るな。首筋を舌が這っていく感覚が気持ち悪い。でも、それだけだ。好き勝手に胸を揉みしだかれるのも、舌で押し潰されたり吸われたり、指先で痛いほどに摘まれたりしても、今更素直に喘いでやれるようには出来ていなかった。
「…何が目的」
「だから聞きたいことがあるんだって」
「聞くだけならこんなこと、する必要ないでしょう」
「先生のこと好きになっちゃった、って言ったら信じてくれる?」
「まさか」
「ええ、わりと本気なんだけどなあ」
これは、もしかしたら少しくらい反応してやった方が話が進むパターンなのだろうか。聞きたいことがあるというくせに、未だ質問らしい質問はないのだし。困ったな、と思う。そういうのはあまり得意じゃない。
そうやって考えていると、金髪は楽しそうに笑った。こっちは何も楽しくないのだが。
「強情だなあ」
それから何か取り出す。
「そういうのも俺は好きだけどさ、今はちょっと時間が惜しいんだよね」
「それ使っちゃうの?」
「時間ねーし」
「俺も挿れたいんだけどな」
「気持ちよくなったらまたチャンスあるだろ」
クソみたいな会話である。それを聞かされているわたしの身にもなって欲しい。
「と、いうことで、先生」
取り出されたのは錠剤だった。金髪がそれを舌の上に乗せる。わたしはそれから顔を背けようとして、
「―――っ、が、ァッ、!?」
衝撃に口を開けてしまった。その隙を逃さず金髪が舌を捻じ込む。少し溶けた錠剤は味がして良いはずなのに、それすら分からない。喉の奥へと追いやられ、鼻をつままれ。錠剤を飲み込まされるまでそう長い時間ではなかった。
げほ、と息をする。
「ごめんねえ、そいつ、乱暴で」
する、と撫でられるのは腹だった。わたしを抱えている赤毛が躊躇なく其処を殴って、それでわたしは口を開ける羽目になったらしかった。二人いるとこういうことが簡単に出来てしまうから困る。
「大丈夫だよ、先生」
薬が効くまでの時間稼ぎだろう。どろり、とした甘い声で金髪が言う。
「絶対気持ちよくしてあげるから」
背中に腕が回されて、下着の留め具が外された。そのまま胸の下へと押し込めるようにされると、自然、胸が強調されるようなかたちになる。そういう趣味は健全な発散方法でのみ発露させて欲しい。
「俺のことしか考えられなくしてあげる。はやく欲しいって言わせてあげる。だから―――早めに、喋って欲しいな」
「なに、を…」
「カードの弱点」
やっと目的が聞けたのに、想定してなかった内容に思わず目を瞬かせる。
「先生は知ってるでしょ?」
「しらな………ッ、ぁ、」
そもそもカードって何―――と、続けるはずだった言葉は途切れた。わたしの反応に気を良くしたように、重ねて問われる。
「知ってるよね?」
「ぁっ? ん、ぐ…ッ、ァ、…なに、?」
視界がぐらぐらと揺れている。否、光の処理が急に出来なくなったのだ。飲まされた薬は媚薬の類かと思っていたが、これは少し違うかもしれない。所謂ドラッグとかがこんな症状ではなかっただろうか。最近はドラッグの耐性を作っている暇もなかったので、流石にまずい。市場に出回るドラッグはすぐに配合が変わるから、それなりに解析して耐性を作るというのは裏社会の深部に足を突っ込んでいる以上、必要な防御策ではあったのに。
―――それを、怠った。
さあ、と血の気のひく音がする。
「早く教えてくれたら、最高に気持ちよくしてあげる。煩わしいこと全部忘れさせてあげるよ。約束する」
肌を跳ねる指が気持ち悪い。ぐ、っと唇を噛みしめる。その反応にちゃんと薬が効いていると分かったのだろう、笑みが深くなった、ような気がした。視界が覚束ないのでなんとなく、の気配でしか分からない。これもいつまで捉えていられるか、分からない。
「だから、教えて?」
「―――だれ、が」
それでも、わたしのやることは変わらない。何をされても、何を投与されても、わたしはカーボナード・バリューのマフィアで、スリーさんの部下だ。上司の弱点を売れ、と言われてそれが出来るほど落ちぶれてはいない。
「しらな、い、こと、なんて、…おしえ、らんない」
「………へえ」
彼らが何処まで把握しているのか、探らなくてはいけない。どうしてわたしに来たのか、単純にカードに接することが出来る人間だというだけの情報でこうなっているのか。それならばまだ良い、スリーさんがカードだと知られていると、後始末が増える。いや、裏社会であれば一定数スリーさんがカードであることを知っている人間もいるだろうが、それはそれ、これはこれだ。そもそもまだ何処の所属かも分かっていないのだし。それに、此処にはシックスもいるし、ついでに言うなら経理的な場所から―――キングを辿られると厄介だ。そうやってわたしが必死で頭を回していたのに、落ちたのはくだらない戯言だった。
「随分忠誠心が篤いねえ。羨ましいな、その男」
舌舐めずりの気配がする。眩しくて、目を開けているのだってやっとなのに。
「男でしょ? カードってそういうものだって聞いてるよ」
「だから、カード、なんて、しらな、い」
「ああ、もしかして、」
持っている情報は少なそうに聞こえるが、だからと言って油断して良い訳ではない。所属が割れていないのは事実なのだし。どうしてそんなことをわたしに聞くのか、くらいならば問い返せるだろう。そう思って、口を開こうとしたのに。
「その男にも気持ちよくしてもらったの?」
ぎ、と。
この状態でも目に力が入ったのが分かった。
「ふ、ざけ、」
「へー…そういう顔も出来るんだね」
声のトーンが変わったのは、こんな状態でも分かる。抵抗をしてみせると燃えるというようなタイプは残念ながら珍しくもなんともないが、これは何か少し違う、と思った。思考がどうしても少し遅れてくるので、瞬時に判断が下せないのがまどろっこしい。まあ、判断が下せたところでこうやって拘束されているのだから、やれることは少なかっただろうが。
「ねえ、先生」
やけに甘い声で呼ばれる。
「そんな男やめて俺にしない?」
さっきまでただの陵辱でしかなかったものが、やわらかな仕草へと変わっていく。まずい、と思った。でも、まずいからと言って此処から逃げ出せる訳もない。そっと頬を包まれてキスをされる。さっきまでの乱暴さは何処へ行ったと悪態をつきたくなるような所作だった。
「俺なら、先生のこと、ずーっと気持ちよくさせてあげるって約束出来るよ?」
「そん、な、の―――」
次にわたしが言おうとしてたのが何だったのか。聞き飽きている、なのか、それとも間に合っている、だったのか。回る視界では分からないで。
かくん、と。
目の前の男が不自然に揺れた。
「え?」
間抜けな音が背後からして、それでわたしは状況を掴む。振り返るようなことはしなかった。少しもがいてみせたら後ろの男は簡単に動いてくれて、そうして射線が通るようになる。
「あ―――」
使い物にならない視界でも、光の強弱はまだ分かる。きらり、といっとう強くきらめいたそれが何なのか、わたしは判断が出来る。
脳天に、メスが刺さっていた。
ぐら、と傾く身体から離れようとなんとかもがいて、やっと床に落ちることに成功する。邪魔だろうから落ちることが出来てよかった。それに、あのままだったら死体に巻き込まれて後ろに落下していただろうし。そのまま蹲る。視界も動悸も落ち着かない。が、殺してしまって良かったのか、というのは浮かんだ。浮かんだだけで、答えは出なかったけれど。視界が少しだけ暗くなって、上着を放り投げられたのだと知った。それがあとから整えられていく。出来れば眩しいので、頭から被せておいてくれた方が良かったのだが。
「す、みません…」
「何がですか」
「所属、割れませんでした」
「それはもう特定しました」
「そ、うですか…」
なら、別に殺してしまっても良いのか。やっと、息がつけたような気がした。未だ、眩しくて苦しくてたまらないけれど。
「………ぅ、」
せめて吐きそうになれれば良かったのに、感覚が狂っている状態ではそれも出来ない。
がやがや、と騒がしくなったのだけは感じた。もう聞いている、とか、そういうことも言えない。
―――それでも、
「診ますから、顔をあげてください」
わたしの身体は、こんな時でもスリーさんに備えてしまう。感覚がごちゃまぜになる中で、スリーさんの声だけがさっきのメスのように切り込んでくる。
「症状何がありますか」
「………眩しい、です。あと動悸、脈拍測れないんですけど速くなってると、思います。手足の、震え、思考は、まだ、出来てますけど…あと、喉が、渇いてます、ええと、あとは、…」
「分かりました。もう大丈夫です」
顔をあげられていたのかもよく分からなかった。また上着が頭に被せられて、多分、そのまま持ち上げられる。
「あとの処理は任せました」
いつもならば何か言うところだっただろうけれど、今のわたしにそんな余裕はなかった。
恐らく、スリーさんの部屋へと連れて行かれた、のだろうと思う。あの部屋には必要な器具はすべて揃っているだろうし。
「きみ、本当に厄介なことにばかり引っかかりますよね」
唇を噛む。スリーさんが触れるだけで、刺激が何倍にもなって身体中に響き渡る心地だった。アルコールの匂い、冷たさ、針の感覚。採血されているのであろうことは分かったけれど、少しでも口を開けばそんな医療行為を違うものへと変えてしまいそうで。必死で耐える。それだけに集中する。そんなことをしていたからか、ぷちぷち、とボタンが外されていくのに気付いたのは、半分以上が終わってからだった。
「す、りー…さん、?」
もともとあの男が勝手に外した分もあるから、そう時間はかからなかっただろうが。最後まで外されて、ワイシャツの前を開かれる。何か、まだ診ることがあっただろうか。光に侵された頭では大してものも考えられずに。
スリーさんが言葉を発するまで、その意図に気付けなかった。
「大変でしたね、で終わると思ってたんですか?」
「ひゃ…!?」
つつ、とスリーさんの指がさらけ出された肌を滑る。先程までの医療行為とは一線を画すそれに、抑えきれず悲鳴のような声が上がった。慌てて押しのけようとしたけれど、逆に絡め取られて動きを封じられる始末だ。今のわたしに封じるだけの動きが出来るかどうか怪しかったが。そのまま覆い被さるようにスリーさんがベッドに乗り上げてくる。それくらいは分かった。
「ゃ、っア、…すり、さ、………や、だ…っ」
「全然力入ってませんよ。ボク相手にこれで、男二人相手にどうするつもりだったんですか」
「…ぅ、ッ、」
スリーさんの舌が肌を這っていく。それだけで肩が跳ねる。鋭敏化された感覚が勝手に拾ったものを性感へと変換する。
「抵抗してるつもりですか?」
「は、………っ、して、ァ………ッ」
「何処がですか」
ちゅ、と腹の辺りで音がした瞬間。
身体が何処までも震えて頭が真っ白になる。呼吸が遠くへ行ってしまって戻って来ない。
「―――、?」
「キスマークつけられただけでイったんですか?」
スリーさんの言葉でやっと現実を認識した。いや、本当にそれが現実なのか分からないが。
「ぅ、うそ、………ゃ、だっ、ちが…ぅ…ッ」
「嘘じゃないし違いません。…本当、どうするつもりだったんですか」
さっきは何でもなかったのに。スリーさんの舌が胸を這って、時折思い出したように弾くだけでびくびくと身体が跳ねる。唇でやわらかく食まれるのも、普段はそうでもないのにそのまま軽い絶頂を呼んで仕方ない。
「片方が言ってたみたいに気持ちよくなって、もっとして欲しいとねだるつもりだったんですか?」
「そ、んな、こと…」
スリーさんが気にすべきはカードの弱点とかそういうものを探られていたことではないのか。わたしの問題なんてどうでも良いはずだろう。それとも、もうその問題は片付いたのだろうか。だから、スリーさんはわたしなんかにかかずらっているのだろうか。
「きみが、」
せめて片付いていると言ってくれ、と縋るように出た思考は、口にされる前に霧散した。スリーさんが指を滑らせる度に悲鳴が零れ出ている気がする。
「ボク以外で気持ちよくなることなんて、許すと思うんですか」
嬌声にもなれない感覚ならば、このまま痛みになってしまえば良かったのに。
「ここ、」
とん、とスリーさんの指が止まる。
「ぐちゃぐちゃに掻き回して死ぬほどイかせて、今日のこと後悔させてやりますから。今後はもう少し気をつけてくださいね」
そんなことばかり、この身体は拾って。もっと必要な情報はあるはずなのに、まったく言うことを聞いてくれなくて。
「途中で気を失っても起こしますから。それでも起きなかったら中に出すのでちゃんと起きてくださいね」
「………っ、」
「…さっきから、」
思考が千切れる音を聞いている。
それだけしか、今のわたしには出来ない。
「ボクの言葉聞いてるだけでイってますよね?」
「―――ッ」
かぷり、と耳で歯を立てられると同時に吹き込まれた疑問に、わたしが真面に答えられるはずなどなかった。
頭が可笑しくなりそうだった。
「も、………ゃだ、ぁ…ッ」
もう何度、許しを乞うたか分からない。いつもであれば絶対に言わないだろうに、今のわたしにはそんな余裕はなかった。実際、わたしの不手際であったことはそうなのだし、それは認めている。
「どら、…ぐの、たいせ、…ちゃんと、やり、ます、し、こんか…ぃの、は、ふてぎわ、だって、わ、…って、ます、」
「反省してますか」
「し、て…っる………!!」
この遣り取りだって何回目か分からない。ここから進まないのだ、スリーさんが進めない、というのもあるだろうが。進むほど時間が経ってないのかもしれなかった。薬の入っているわたしでは、時間の感覚もあやふやなのだから。
「だっ…から、ゃ…め…ッ!」
「言ったでしょう」
金属音はしたはずなのに、それも分からなかった。それでも熱が押し当てられるのは分かる。それに、わたしの身体がどんな反応を示したのかも。
「ここ、ぐちゃぐちゃに掻き回して死ぬほどイかせるって。気を失うことも許しませんし、起きなかったら起きなかったで中に出しますって」
ずるずると、熱が行き来する。それだけで身体は勝手に悦んでどうしようもない。頭は殆ど真っ白で、でもそれでもなんとか思考を掻き集めて。拷問に等しかった。首を振る。もう充分なはずだった、スリーさんが何をしたいのか分からないけれど、何に怒っているのか分からないけれど、わたしに罰を与えているつもりならそこまでする必要はないはずだ。
「―――まあ、」
欲しい、と身体が喚いている。暴力的に躾けられたことを忘れない馬鹿な身体は、わたしの言うことなんて聞いてはくれない。
「どうせ中に出すことになるんですから、最初から何もつけなくても良いですよね」
「まっ―――」
息が、止まる。焦らされ続けた身体がどんな反応をしたのか、感覚の狂っているままでも予想はついて。目の前がチカチカとする。視界なんてもうとっくに真面な仕事を放棄したのに、そういうことばかりはしっかりやってくれた。
「…すごい締め付け」
「―――ひ、ぅ………」
ゆるゆる、と動くスリーさんに、無理矢理に呼吸を取り戻させられたような気がする。もう、何がなんだかよく分からない。
「そんなに締め付けられるとすぐに出そうなんですけど」
「ぁ、や―――」
「でも、どうせまた勃ちますし、良いですかね」
「ゃ、やだ、っ、すり、さ…ぁ、あっ―――ふ、ぁんんっ、ゃああッ」
腰が捕まえられて、でもそんなことをされなくてもきっと、わたしは逃げられなくて。どくどく、と身体の奥へと注ぎ込まれる感覚。
「ひ、ぁ―――ッ」
「搾り取るつもりですか?」
「ちっ、が、ァ、ッ―――〜〜〜っ!!」
覚えてしまった身体は、従順にさせられてしまった身体は馬鹿の一つ覚えみたいに悦んで。
またわたしの中でスリーさんが硬度を取り戻す。その感覚だって響いて響いて仕方ない。
「…はっ、ぁ、んんっ、やぁっ」
「嫌というようには聞こえませんけどね」
ずちゅずちゅ、という音ばかりが拾えてしまって理性も意識も剥がれ落ちていく。
「………っ、す、りー…さ、」
「なんですか?」
その前に、と何とか睨みあげたはずなのに。
「だいき、らい、です」
「知ってます」
スリーさんが微笑んだような気がした。そんなはずがないのに。
「ボクは愛してますよ」
最後の一押しのようにスリーさんがまた奥を抉って、それでわたしの意識は完全に落ちた。
*
その連絡を見た時、まず頭に浮かんだのは頼むから間に合ってくれ、という願いだった。
光と影のあわいにて
まだ五分、されど五分だ、と思った。五分あれば事を始めるのに困ることはないだろうが、別にタイムアタックをしている訳でもないはずだ。だから、まだ、希望はある。
「ごめん! スリーにいちゃん! 緊急!!」
そんなことを思いながらドアを蹴破るようにして寝室に入ると、ものすごく渋面をした彼女と、その彼女の服に手をかけているスリーにいちゃんがいた。良かった、まだ始まってはいなかった。スリーにいちゃんは多分何かする前にいろいろ言って遊ぶんだろうと思っていたから、その予想が当たった、のかもしれない。何が悲しくて兄の性的趣味の予想を立てなきゃいけないんだろう。まあ、これもスリーにいちゃんが悪いのだけれど。俺だって普通だったらそんなに気にしないのだが、これについては別だった。流石に気にするというか俺よりも多分彼女が気にするのは確実なので、そうすると治験で数が集まらなかった時にやりくりしてもらうのがうまく行かなくなるかもしれない。それは困る。すごく困る。そうでなくても数を確保するのは結構大変なのに。スリーにいちゃんはそういう、スリーにいちゃんが彼女にいろいろすることによる俺への損害をまったく考えていないんだと思う。今度少し文句を言ってみても良いかもしれない。これは個人的、とかじゃあなくて、利益が絡んでくる話なのだし、つまり、仕事の話になるのだし。
まあ、でも、今はそれどころじゃあない。
「貸して!」
「緊急ってわたしの方ですか!?」
「ぐえっ」
俺の言葉に彼女は一瞬で喜色満面になってスリーにいちゃんを押し除けた。流石にそれは良いのかなあ、と思ったけれど彼女が良いなら良いのだろう。別に付き合ってる訳でもないのだし、そもそも未だに合意一つ取れていないようだし。あれだけ強姦だろうがセックスを重ねておいて、合意に出来ないのは彼女の頑固さもあるだろうけれど、単にもうスリーにいちゃんが下手なところもあるんじゃないか、と勘繰ってしまう。流石にそれは聞かないが。もし下手だったらどう慰めれば良いのか分からないし。
彼女がベッドから飛び降りて軽く衣服を整える。スリーにいちゃんから離れることが出来て嬉しそうだった。いろいろあったとは言え、直属の部下にこんな反応をされるのは本当にどうなのだろう、と思う。
「緊急なので仕方ないですね! いやあ、仕方ないですよね!!」
「………そうですね」
スリーにいちゃんは不機嫌そうだったけれど、引き止めることはしないようだった。
部屋を出て、用件を伝える。彼女は簡潔な説明だけで理解したようで、じゃあ病院戻った方が良いですよね、と言った。タクシー呼びますか、と問われたのでお願いする。こういう細かいところ、気が利くんだよなあ、と思った。流石にタクシーを家まで呼びつける訳にはいかないので、近くの公園に呼んだらしい。行きましょう、とさっさと家を出て行く彼女に、本当に仕事が出来るなあ、と今更なことを思った。
歩きながら部下に連絡をしていたらしい彼女が、あ、そうだ、とこちらを見遣る。
「お礼、って言ったら変ですけど、死体十体くらいまでは奢りますよ」
「三体でいいから生体にしてくれない?」
「引き受けました」
引き受けてもらえるんだな、と思う。まあ、こういうことは前もやっていたと言えばやっていたと思うけれど。
「というか、呼び出しておいてなんだけど、大丈夫だったの?」
「何がですか?」
「スリーにいちゃんのこと」
「ああ、別に。今回は取引とかじゃなかったので、逃げる口実出来て清々しい気分です」
ざまあみろって感じですよ、と言う彼女に、一体スリーにいちゃんは今度は何をしたんだ、と思った。まあ、でもどうせろくでもないことなんだろう。取引じゃない、ということは彼女にとって利益のない行為だったということだろうから、また嫉妬か何か、そういうものを爆発させたのだろうか。彼女の、不思議と厄介な人間を引っ掛ける体質は残念ながら変わっていないようだったし。
「あ、シックス、タクシー来ました」
「あ、うん」
―――素直に、
心配していると言ってみたら良いのに。
そう思ってから、いや多分彼女はスリーにいちゃんのそんな言葉信じないだろうな、と思ってしまった。俺が思うことじゃあなかっただろうけれど、日頃の行いというのは、多分、本当に大事なものなのだろう。
「シックス、乗らないと」
「ごめん、今乗る」
いつか、二人がちゃんと分かり合う日、というのは来るのだろうか。
そんなことを思ってみてから、多分世界が滅びる方が早そうだ、なんてその思考を片付けた。
*
多分、本当はわたしは分かっているのだ。
スリーさんがわたしを、こんな行為の最中にも終わった後にも殺すことはないということくらい。
並行に沿うユーフォリア
理性の剥がれていく音がする。それはわたしの意識の中での音であって、スリーさんには決して聞こえないはずなのにまるで分かっているように微笑まれるからやっていられない。
「イきっぱなしになってますよね」
「ぁ、あ―――〜〜〜ッ、」
「はは、こんなにされてもまだ抵抗するの、きみらしくて本当に惨めですね」
「ゃっ、ア、ゃだ、ぁ、あ、………」
わたしの腕が力なく、それでもスリーさんを押し返そうと揺れる。きっと、端から見たら縋り付いているようにしか見えないのだろうけれど。どうせ、これはわたしとスリーさんの問題なのだ、スリーさんに意図が伝わっていればそれで良かった。どんなに惨めでも、どんなに蔑まれても、わたしは諦めてなんかいないのだと、ちゃんとスリーさんを嫌いなままなのだと、そう、言っていなければわたしはかたちを保てないから。
「―――っ、ぅ………」
でも、困ったことにそれをやるとスリーさんはひどく喜ぶので、わたしの意識が持っていかれることも少なくはないのだ。
どれくらい、意識を失っていたのだろうか。
ぼんやり浮き上がった意識の中で、するすると髪で遊ばれているのが分かる。それから逃れようと身体の向きを変えようとしたら、ぐる、と嫌な音がした。
「………」
「あ、気付きましたか」
スリーさんが何か言っているけれど、無視した。記憶にある限りでは、今日は避妊具をちゃんと使っていたはずなのだけれど。わたしが意識を飛ばしたあとに外しでもしたのか。最悪だ。最低限のマナーがどうこうとか言っていたくせに、スリーさんは定期的にこうしてブチ破ってくるから信用されないのだ、ということをもっと自覚した方が良いと思う。逃げるようになんとか身体を動かしたけれど、当然のようにスリーさんはついてきた。ついてくるな。
「………おもい」
「そりゃあたくさん出したので」
出来るだけスリーさんの目に触れていたくなくてコンフォーターをなんとか引き上げる。そういう仕草ですらスリーさんは楽しみそうだったけれど、わたしだって長々と自分の身体を晒していたくはないのだ。
「勝手に意識飛ばしたんだからそうされても仕方ないと思いますが?」
意識のないきみの手の温度が徐々に戻っていくのもなかなか面白い感覚ですよ、と言われても困る。人を何だと思っているのだろう。一度聞いてみたいような、どうせ理解不能なことが返ってくるだろうから無駄なような、遣り場のない心地になった。どうせわたしにはスリーさんは理解出来ない、それはもう、嫌というほどに分かっているけれど。
する、とスリーさんが人の腰を撫でてくる。コンフォーター越しだったけれど、未だ余韻の残る身体が震えそうになったから叱咤するように丸まった。とりあえずスリーさんの気は済んでいるみたいだから、今日はこのまま帰って、それから薬を調達して―――そんなふうにスケジュールの調整を頭の中でやっていると、それを邪魔するようにスリーさんがくっついてくる。こどもが、じゃれるみたいに。やりにくいことこの上ない。わたしはこれがスリーさんだと分かっているのだから、さっさと振り払えば良いのに。
「前から言おうと思ってたんですけど、別にボクはこども嫌いじゃあないんで」
やわらかな声に、そんなことは知っている、と思う。スリーさんがこどもを嫌いじゃない、というかたいそう好きなことなんて、流石に分かっていた。嫌いだから興味を持たないでいられた頃とは違うのだ、必要以上に関わることを強いられている中で、情報を一つだって持たないでいることは難しい。それに、少しでも知っていないと逃げるのにも困るのだし。それも作戦だったら本当に最悪だな、とだけ思う。
「もし出来たら産ませますから」
そんなわたしの思考は、一瞬止まった。
「―――な、に言って…」
「籍も入ってるんですし今更では?」
「………は?」
何か今、この上なく可笑しな言葉が聞こえたような気がする。可笑しくて、信じたくないような言葉が。
「何言ってるんですか?」
「あれ、言ってませんでしたっけ。籍入れましたよ。きみ、今、ディア・イグレシアス・ブラウンローです」
「はあ!?」
「迷ったんですけどまあこっちの方が面倒が少ないですし、あと旧姓は残したので良いかな、と」
「いや、それ以前に何も聞いてませんが!?」
「きみ式とかしたくないタイプでしょう」
「そういう問題でもなくてですね!?」
聞いてない。初耳だ。というかこれも嘘なんじゃ―――思わず振り返ると、スリーさんと目が合ってしまった。
「っ、」
そのまま、手首を捕まえられてまたベッドに押し付けられる。
「………」
「…あの、」
「したくなりました」
「わたしは嫌ですが!?」
「きみだって流石にこども出来たら大人しくなりませんか? いえ、抵抗されるのは嬉しいんですがそれはそれとして、全体的に行動として大人しくなって欲しいんですよね。きみ、いつも面倒ごとに巻き込まれますし、こどもはちょうどいい楔なんじゃないですか?」
「そ、うやってこどもという存在を使うの良くないと思いますよ!!」
我ながら真面な言葉が出た。この火急の時によくやった、と思う。というか今の何がトリガーだったんだ、こういうところがあるから本当に怖い、と思う。
面倒事に巻き込まれたことなんて、それこそ指では足りないくらいにある。裏社会なんてそんなものだ、自分の身は自分で守らなくてはいけない。だからわたしには生き抜く力が備わっていったのだと思うし、それで上手くやっていた、と思うのだけれど。
―――スリーさんは、
その、今までのどれとも違った。以前、わたしはスリーさんとわたしでは追いかけっこの終着点が違うから、そのすり合わせが出来なくてこんなことになっている、と思ったが、それだけじゃあないのだ。何もかもが、わたしとスリーさんでは違う、から。終着点も、価値観も、何もかも。思考回路だって予測を立てて逃げても、逃げた端から崩される。
「きみは、」
じっと、スリーさんはわたしに視線を落としてくるのに、わたしは真っ直ぐにそれを見上げられるのに。何ひとつ、感情が読めるようなことはなくて。
「そう使われた訳ではないでしょう」
はく、と。
唇が震える。
「し―――、」
瞼の裏に蘇ったのは美しい女だった。血が繋がっているかも怪しい、美しい女。
―――マイ・ディア。
わたしをいつだってそう呼んだ、女。その先は何だったのだろう、名前に対してそう、こだわりはなかったけれど、疑問に思うことくらいはある。姓だって、その女のもとへとよく通っていた男が、ないと不便だろうと与えてくれたもので本当は何なのか、なんて分からない。女も男も、こんな淡い色の赤髪ではなかった。なら、どちらかか、どちらもが、わたしとは血が繋がっていないのだろう。でも、路地裏でそんな話が必要だろうか。寝る場所と食べ物、それなりに清潔さを保てる気力、身を守るための頭。それさえあれば充分なのに、それ以上を望むなんて、こと。
「知りませんよ…話なんて、してないんですから…」
スリーさんが何処まで知っているのかは分からない。わたしは自分の過去のことをそうペラペラと喋ったことはないけれど、だからと言って知らない人間がまったくもっていない、という訳ではない。探ろうと思えば探れるだろう。孤児院に拾われる前のことだって、記録に残っていないだけだ、それは―――分かっていた、けれど。寒気がして、話題を変えようと試みる。
「前から思ってたんですが」
「何ですか?」
「そもそも、カードの人たちって本当に生殖能力あるんですか?」
「詳しいことは個人、ですけど基本的にはありますよ。多分着床率ということを考えるとしにくいのかもしれませんが、それはナノマシンが母体側でウイルス判定を受けることによる問題の方が確か多かった気がするので無理じゃあないんですよ。だから回数こなせばそのうち出来ると思います。きみ、別に問題ないみたいですし。というか、それ聞くってことは腹括りました?」
「絶対嫌です! 絶対嫌です!! それだけは本当に嫌です!!」
舵取りの方向を間違えた。ぐっと距離を縮められたので慌てて顔ごと逸らす。本当は押し返してしまいたかったけれど、手首を掴まれていてはそうういことも出来ない。どうして、というような顔をされたが、そんな顔をされるとわたしは困るのだ。
「産休も育休も充実させたから大丈夫ですよ。復帰も出来ますし、ボクもちゃんと頑張りますし」
「そういう問題ではないし、それは表の話ですしそもそもマフィアに休みはないんですけど!?」
「そっちもどうにかしますよ」
「しなくて良いです…って言いたいところですけどイングラムがそういう話してたので必要な人にだけ適応してあげてください」
「きみは?」
「だから、さっきから言ってますけど、嫌です!!」
絶対に此処は乗り切らないといけない。兎に角、なにがなんでも、だ。もしスリーさんが引き下がらなかったら、わたしはきっとスリーさんを殺そうとするだろうし、それはスリーさんだって分かっているはずだ。今までのスリーさんの行動は並べ立ててみても分からないことばかりだが、わたしを本気で殺すつもりがないのであれば、そういう、確実にわたしが死ぬような手段≠セけは取らせないはずだった。今ばかりはスリーさんの意味の分からなさに賭けるしかない。いや、もしそうなってもそうなったでわたしは死を覚悟して抵抗するだろうが、だからと言って死にたい訳ではないのだから。
分からない、というような顔をまた、される。だからそんな顔をしている場面ではないというのに。
「そんなに嫌ですか」
「嫌ですけど」
「…そう言われると余計したくなりますが」
「そういうの今はちょっと置いておいてもらえますか」
「うーん………じゃあ同じくらい嫌なことやってもらうくらいしか…」
そもそも相手が嫌がっているから、という理由でこどもを作ろうとする、その思考回路がまったくもって理解出来ないのだけれど。幾らスリーさんがこども好きだとは言っても、嫌いな相手に産ませる、というのは流石に可笑しいだろう。いや、それを言ったら嫌いな相手に対してこんな欲情だとか、そういうことをしてしまえる思考回路だって可笑しい、と思うのだけれど。
「そうですね、きみがボクにお願い出来たらもう少しその話は考えます」
「お願いします、こどもは欲しくないです」
「そういうことじゃあなくてですね。というか、棒読みが過ぎませんか」
「人の必死な言葉を棒読みとか言わないでもらえます」
「まあ、どっちでも良いですよ。ボクがお願いして欲しいことをきみがちゃんと言えたら、とりあえず保留にしてあげます」
「一生保留のままついでに飽きてくれると嬉しいんですが」
「それはないですね」
「可能性はゼロじゃあないじゃないですか」
「きみ、本当に諦め悪いですよね」
はあ、と呆れたようにため息を吐かれるが、そうしたいのはわたしの方だ。なんで当然のようにスリーさんがやっているのだろう。解せない。
「で、お願いして欲しいことですが」
スリーさんが、そっと耳に唇を寄せてくる。その息のかかる感覚にだってわたしは、ぞっとして仕方がないのに。
「………スリーさん、」
「はい」
「何食べたらそんなえげつないこと思い付くんですか?」
「健康な食事しかしてませんよ」
知ってた。健康すぎて味が薄いと噂のスリーさんの食事を、わたしは食べたことはなかったけれど。それくらいは知っている。というか、シックスによく愚痴られている。いや、今はそんなことを考えている暇はないのだ。わたしの未来が懸かっている。
なんとか息を吸って、それからスリーさんを見上げる。距離が死ぬほど近いけれど、まあ、此処で顔を逸らしたままなのはだめだということくらい、わたしにも分かる。
「………わ、わたしが」
「はい」
「スリーさんをまだ独り占めしていたいので…こどものことは一旦忘れてください………」
「はは、」
やっと、手首を掴んでいた手の力が緩められた。だからと言って抜け出せる訳でもないのだけれど。
「嫌そうな顔」
「………」
言わせておいてそれはどうなんだ、と思うけれど流石にそれを口にすることは出来なかった。本当に、なんでこんなことになっているのだろう。わたしはスリーさんが嫌いで、スリーさんだってわたしのことが嫌いだろうに。
「まあ及第点ですかね」
「………それはドーモ」
「それはそれとして、もう一回だけしても良いですか」
「嫌です」
「対価はあとで考えるので」
「後払いは受け付けません」
「そう言わずに」
お願いします、と首筋に縋り付いてきたスリーさんはやっぱり何処かこどもみたいな仕草で、わたしは身体のだるさとこれまでの経験から、多分押し切られるのだろうな、と思いながらもとりあえずもう一度、嫌です、とちゃんと断った。それくらいはしておくべきだった。
*
作業BGM「花が落ちたので、」初音ミク(一二三)