造花の部屋
自分は元々キングの部下だったこともあって、時折キングに呼び出されることがある。それはキングから今の上司に譲渡された部下は大抵そうなようだったし(二回言うが譲渡、である)(なにせ、人材は物資なので)、まあ敵情視察ではないけれど、単純に今の環境が気になって呼び出すんだろうなあ、とだけ思っていた。難しいことは考えずに自分の生命だけ優先しておけ、というのは副室長からの命令だった。彼女に言わせれば命令でもなんでもない当然のこと、らしいのだけれど。自分にはそういう判断はまだ少し、難しかったから。彼女の言葉通りにしていればとりあえずは大丈夫、というのが分かっている。自分の書類上の保護者は彼女であるのだし。
さて。
問題は目の前のキングだった。元上司、というだけであるのだからそう配慮しなくてはいけないこともないのだけれど。元上司とは言っても今の上司の上司、だから今も上司、と言われたら反論は出来なかったが、正式な書類を作って離れた以上、そんなに気を遣わなくてもいいか、と思っている。出向扱いだったのならまだしも、完全に異動、という形を取っているのだし、自分における権限はすべて今の上司にあるべきだった。そうでないといざと言うときに指揮系統が混乱するだけだろうし。
「今日は顔色良いねえ」
「はあ」
そんなことを言われても、自分の顔色なんて気にしたことがないので分からない。まあ、キングがそうやって言うのなら、これからの話題に必要な要素、なのだろうけれど。そういうのは苦手だから、できれば副室長相手にやって欲しいものだが。というか、そういう交渉事は大抵副室長が取りまとめていたはずなのに、何か揺すぶりでもかけたいことが起きたのだろうか。足りない頭で考えていると、キングはそんな気を張らなくても良いのに、と笑ってみせた。こういう笑顔は何処か上司と似ているというか、多分上司が真似をしているところがありそうだけれど。
「最近シックスとすごーく仲が良くなったって聞いてるけど?」
「え、別にそんなことないと思うけど。あ、思いますけど」
「敬語別にいいよお」
「そう」
「で、すごーく仲が良くなったんでしょ?」
「だから、別にそういうことはない」
答えながら、なるほど、と思って。同時に、何故、とも思った。
上司と自分の距離がどういうものであったとしても、キングには関係がないはずだ。それに、今まで聞いて来なかったのだし。上司が薬を作ってくれて、随分仕事がやりやすくなった時だって、何を言ってくることはしなかったのに。何か理由でもあるのか、と思うのが普通だろう。キングが指を組んで、その上に顎を乗せて。それから自分を見上げてくる。
「シックスのところは楽しい?」
「多分」
「多分、なんだ」
「こういうの初めてだから。比較がない」
「なるほどね?」
何がなるほどなのだろう。分からない。余計なことは答えないように、という指導は受けているけれど、キングであれば些細な言葉からほしかった情報を取り上げてしまいそうで怖くなる。
―――シックスに、
不利益を与えるのだけは、嫌だった。
「まあ、楽しそうに見えるけどね!」
「そうなんだ」
「だから―――本当はもうちょっと込み入った話をするつもりだったんだけど、やめた!」
「そう」
「もう少し興味持ってくれてもよくない?」
「興味ないし…」
「ふうーん」
監視役としては。
期待なんてされてないはずだった。でもこの頭では出来ることがあるだろうから。最悪殺して脳を取り出せば欲しい情報は手に入るのだろう。だからキングは戻って来いとは言わない。戻って来させるよりも、説得したり褒美を用意したり、そんな手間をかけるよりも殺した方が手っ取り早いから。
「まあいいけど」
今日の話はこれで終わり! もう帰っていいよ、と手を振られて、それなら、と言葉に従う。本当になんだったんだろう、そう思ったのを見透かしたかのように、キングがそっと、呟いた。
「心臓のとこのチップ、」
動揺は、顔に出なかったはずだ。それくらいのことは出来る。自分だってマフィアなのだから、副室長に叩き込まれたのだから。
「取ってあげても良いよ」
「―――」
一拍置いて。
振り返った顔はいつものと同じものだったはずだ。
「別に、困ってない」
「ふうん?」
「困ったら、ちゃんとシックスに言える」
「それもそうだね!」
変なこと言ったね、とまた笑ってみせたキングの目だけがまったくもって笑っていないのを確認してから、じゃあ、もう帰る、と言って部屋を出た。
出来ることならもう二度と、あんなことを言われたくはなかった。
*
作業BGM「ブーゲンビリア」初音ミク(香椎モイミ)
毒の皿
キングのところからいつもの研究室に戻るのにそう時間はかからない。世界に誇るカーボナード・バリューの移動手段は割と選び放題、というところもあるが、単純にそう遠くないのもあった。
「おかえりなさい」
でも、時間がまったくもってかからないという訳でもないので。戻ると、研究室にはもう副室長しかいなかった。今はちょうど案件が片付いたばかりだし、居残りしてまで仕事を続ける人間は少ない。なんだかんだでみんな、睡眠を大事にしているようだったし。まあ、半分くらいは此処で倒れたら上司の義兄のところへと運び込まれるのが確実だから、絶対に倒れてなんかやらない、という意地があるのもあるらしい、けれど。自分には分からなかった。特に彼に対して思うことがないからかもしれない。
「どうでした? キング」
「いつもと同じ」
分かんない会話してて楽しいのかな、と呟くと、ああいう人ですよ、とだけ返された。副室長も自分と同じようにキングのところから此処へ譲渡された人間だったけれど、戸惑っているようなところを見たことがない。態度に出さないだけかもしれなかったけれど。まあ、別に副室長と同じようなことがしたいか、と問われると違うので別に何だって良かった。
疲れた、と机に突っ伏す。お茶でも飲みますか? と聞かれたので、こういう時は上司にそんなとこさせられません、だっけ? と返しておいた。喉は乾いていなかったので、実際要らなかったし。副室長もそれで分かったのか、そういう無駄なことは言わなくて良いんですよ、と言われた。キングとの会話が尾を引いているのかもしれない。
「………副室長は、キングのとこ、戻りたい?」
「いいえ。まったく」
間髪入れない答えだった。きっと、最初から決めてあったのだろうけれど。
「戻って来いとでも言われましたか」
「ううん、それはない」
これは、自分でもはっきり答えられた。
「でも、ジェラルドは戻らせるって」
「…ああ、そういえばそういう話でした」
「副室長のとこにだけ来てた話?」
「それで止めてた話です」
はあ、と副室長が大きくため息を吐く。
「キングも配置換えくらいは大人しくしておいて欲しいんですが」
「困ってる?」
「困ってはいませんし、貴方の手を借りるようなことはありません」
「副室長の手伝いならいつでもするのに」
「貴方はシックスの手伝いをしていた方が良いでしょう」
その言葉に。
どうして止まってしまったのか、分からない。でも副室長は分かったようだった。
「何か言われましたね」
「…何でもない」
「何でもないなら言ってしまった方が楽じゃあないですか」
そう言われてみるとそうかもしれない。どうせ、副室長には秘密なんてないのだし。
「………チップ、」
指が心臓のある場所に行くことはない。
「取ってあげるって言われた」
「は?」
「あ、えっと、正確には取ってあげても良いよって言われた」
「それは取る気ゼロでしょうね」
「うん」
キングの本音なんて今はどうでも良いのだ。取るつもりがないことなんて最初から分かっている。でも、どうしても気になってしまうのは。
はあ、とため息が落ちた。
「………言われて、やだなあって」
指の行き場がない。取られる、と思っていないのだから守る必要もなかった。でも、もやもやしたものが身体の中を渦巻いていて仕方ない。
「嫌なんですか」
「えっとね、分かる、けど。多分、普通嬉しがるとか、そういうこと、しなきゃなんだけど。やだなあ…って、思ったから」
それで、余計、疲れたんだと思う、と綴ると、副室長はそんなことですか、とだけ呟いた。
「まあ、貴方の場合は救命措置用の意味合いの方が大きいのはそうですが」
「うん」
「スイッチ一つで死ぬことが出来る、というのは変わらないんですよ」
「分かってる…」
生命の価値、というものが。
未だ自分にはよく、分からない。だって、今までそんなものがこの身にあったことなどなかったのだし。
「副室長も、チップ取った方が良いって思う?」
「思いませんよ。貴方が誘拐でもされた時困るじゃないですか」
「………うん」
「この間だって、それで送られてきたバイタルデータでシックスが間に合ったんですよ」
「それは、」
思い出すまでもない。あの時は上司に次の予定があったから間は空いたけれど、帰ってきてから数日、本当に離してもらえなかったのだから。まあ、それでも家まで上がりこんだり連れていかれたりしていない分、上司にも理性があったのだと思うけれど。
「怒ってたよね、シックス」
「怒ってはいなかったと思いますよ」
「手間かけさせちゃった」
「貴方が爆発すると思ってびっくりしたんですよ」
「するつもりだったもん」
「こちらとしてはして欲しくないんですよ」
―――それが、
自分には分からない。
「アシュレイ」
副室長が自分を見ている。この頭はどうしたって機密だらけで、だから死ぬ時には爆発くらいしか出来ることはないのに。その取り決めをしたのは副室長なのに、いざやろうとすると怒られるなんてよく分からない。
「貴方は貴方が思っている以上にこの研究室に貢献しています。だから、出来るだけミスは減らしなさい」
「………うん」
「薬のタイミングが合わないと最初から分かってるならちゃんと相談しなさい」
「それは………その、………うん」
「シックスが生きてる間は、」
やわらかい声なのに、ひどく、強い。副室長のこういう声には、どうにも逆らうことが出来なくなってしまう。
「死ねないと思って行動しなさい」
逆らいたい、なんて。思ったこともないけれど。
「貴方だって、シックスの役に立ちたいんでしょう?」
「―――うん」
不思議なくらいに、副室長はこのぐちゃぐちゃな心地に整理をくれる。
「シックスの役には立ちたい、でも………うまくいかないことも、あるし。先の利益とか、そういうのより、今の不利益とか、どうにかしなきゃって」
「貴方は馬鹿なんですから、そんなに難しいことを考えるものではないですよ」
もっと簡潔に言ってみなさい、と言われて思わず唸ってしまった。
簡潔に。
簡潔に、自分は、どうしたいのだろう。
―――そんなの、
「…シックスを、」
最初から決まっている。
「がっかりさせたくない」
「してないと思いますけどね」
「でも、」
「寧ろ貴方が爆発した方ががっかりすると思いますよ」
「そうかなあ?」
分かってないですね、と副室長は首を振った。でも呆れたようなものではなかった。副室長の、自分への態度はよく分からないことが多いけれど、決して悪いものではない、ということだけは分かっている。それだけ分かっていれば充分だった。副室長もシックスの役に立ちたいと思っていて、自分のそれだって尊重してくれて。これ以上を望むなんて、きっと―――言い方が分からないけれど、怖かった。今まで何もなかったのに、こんなにたくさんのことをさせてもらって、自分で良いのだろうか、と。そんな考えがふっと忍び寄ってくる。
「良いじゃないですか。シックスが死んだらその亡骸抱えて爆発して良いんですよ。ロマンチックでしょう」
「そうかなあ!?」
思わず大きな声が出た。副室長は時々、本当によく分からないことを言う。何処がロマンチックなんだろう。分からない。
「…でも、」
一つだけ、頷けるところはあった。
「でも?」
「シックスが、自分が死んだの知らないのは、ちょっとだけ、良いなって思う」
「そうですか」
「シックスには、そういうこと―――考えて欲しくない」
「なら死なないように努力することですね」
「う、………それは………」
死に方を自分に仕込んだのは副室長だった。確かに、これは最終手段だとも教えられたけれど。その最終手段をちゃんと使えることが証明されて、副室長は喜んだって良いのに。
「今日、」
頬だって膨れてしまう。分からないことばっかりだ。学校だとか、そういうところに行っていたら何か違ったのだろうか。こういう、分からないことだらけでも、困惑したりしなかったのだろうか。
「難しいことばっか言う」
「そりゃあ」
副室長の手がひらり、と部屋の奥をさして。
「シックスが聞いてますから」
「―――え?」
それを辿るように視線をやったら、物陰から上司が現れた。どうやらずっと聞いていたらしい。いや、聞かれて困るようなことは何一つなかったと思うのだけれど。
「では私は今日はもう帰りますね」
歩み寄ってくる上司を尻目に、副室長は帰り支度をさっさと済ませた。おつかれさまです、とだけなんとか言う。これくらいは言えるようなっていた。
「シックス」
「何」
「戸締まりはきちんと。あと研究室は他の用途に使わないように」
「………はい」
すれ違った二人がそんな会話をするのを聞きながら、今日は帰るのが遅くなりそうだなあ、とだけぼんやり思った。
*
作業BGM「Corruption」初音ミク(大沼パセリ)
罪なき世界
副室長が出ていってすぐ、シックスの手が伸びてきた。逃げる意味もなかったからそのまま待っていると、抱き締められる。自分でもそうだと分かるくらいに、やわらかい仕草だった。でも、その込められる力は反比例するようで。なんとか肩口から顔を出して呼吸を確保する。それでも尚、胸が押しつぶされるような圧迫感からは逃れられない。
「シックス、苦しい」
「………ごめん」
「謝るくらいなら手、緩めてよ」
「それは無理」
当然緩めてもらえるものと思っていたから、どうしようか、と思った。まあ、苦しいのだってつらいのだって耐えることは出来るけど。特に、今働きかけてきているのは上司なのだし、上司から受けるものであれば何だって良かった。何だって耐えられた。でも、それを言ったら怒られるのだろうなあ、というのは、流石の自分でもさっきの会話の流れから分かっている訳で。
故に、言うことがなくなってしまう。
どうしたものか、と黙っていると、やっと上司が唇を震わせた。
「ねえ、」
それはひどく切実な色をしていて、自分なんかが向けられて良いものなのだろうか、と思ってしまう。でも副室長が何も言わずに帰った、ということは良いのだろうか。だめであればきっと、彼女が何か言うだろうし。そういうところよ、と頭の中でコートニーが言うのが聞こえた気がするけれど、今まで当たり前だったものをそう簡単に変えてしまうことは出来ない。出来ないから、コートニーだってあれ以上言わないのだろうし。
「抱きたい」
するり、と背中にあった腕が腰へと回される。そんなことしなくても逃げないのになあ、と思いながら上司の言葉を聞いている。
「抱かせて」
―――上司の命令であれば、
何だってこなせた。
でもきっと、これはそういう話ではないのだ。
「………ごめん」
「なんで謝んの」
「きみがどうやって答えても、もう決めてるから」
「…あのさあ、」
自分が上司に向かってため息を落とすようなことは、珍しい出来事だと思っていたのだけれど。ついこの間もやったような気がするのに、一体どうしたのだろうな、と思う。
理解しろ、とは言わない。だってきっと、これは上司には重いのだろう。キングであればもしかしたら―――当然のように受け入れるのかもしれなかったが、今の上司はキングではないし、此処と其処で比べるのはやぱり何か、違った。足りない頭でもそれくらいは分かる。
「なんで良いよって普通に言うの考えてないわけ」
「…考えてるよ」
「なのに謝んの?」
「だって、俺はきみがそうやって言うって知ってる」
片手だけが腰に残されて、少し床から踵が浮いて。
「きみが無理してるとか、そういうんじゃないって分かってるけど。きみがそう言うって分かってて言うのは狡い…って、そうは思う」
「なにそれ」
頬に、手が添えられる。
「だって、きみは良いよって言うじゃん」
「うん。まあ」
「俺はそれ、知ってるもん」
「それはそうかもしれないけど」
それがどうやって狡い、になるのか分からない。分かっていることをちゃんと使って、何が悪いのだろう。
「アレックス、」
でも上司が気にしているのなら、きっと、自分は言葉を尽くすべきなのだろう。
「自分には、特技があるんだ」
「うん」
「その特技は結構雑なもので、多分、他のやつから見たら馬鹿だなって思われるものかもしれない」
「…うん?」
首が少し傾げられて、やっぱりうまく説明出来そうにないな、と思う。企画書やら何やらなら、もう書けるようになったのに。どうして口頭になった途端、話題が感情だとかそういうものになった瞬間、わやわやになってしまうのだろう。
「話したことなかったと思うけど、自分の出来ることはあんまり多くなくて、でもどうしてか気味悪がられて、その対処法も分からなくて。キングに拾われて、そのうち捨てられちゃうんだろうなって思ってたんだけど、シックスのとこに送ってもらって、敬語もいらなくて。シックスは、薬、作ってくれて。対処法を、作って、くれて。気味悪がらなくて、大したこと出来ないのに大事にしてくれて、ええと…何の話してたっけ?」
「特技の話だったはずだけど、なんか恥ずかしいこと言われてない? 俺」
「こういう時くらいは聞いてよ」
「うーん………分かった。聞くけど…」
手短にしてね、と言われる。幾ら上司の言葉とは言え、それは難しいように感じたけれども、まあ、頑張ってみよう。
「アレックス」
向き合う。今までずっと、真っ直ぐに見ていたつもりだったけれど、こうしてやってみるとそうでもなかったんだな、と思う。
「きみの部下になれて良かった」
キスだってしていたのに、近くに置いてもらっていたのに。爆発するのは嫌だって、思ってもらっていたのに。自分はきっと、それを一生理解出来ない。いや、断言するのは早いかもしれなかったけれど、望み薄だろう、とは思っていた。
「きみが、これを魔法にしてくれた」
だって、
「この呪いがなければきみには出会えなかったし、きみの役にも立てなかった」
それだけこの呪いは大きなものだったから。
「だから、きみがくれるものは―――全部、魔法に出来るって思った」
でも、今はもう、呪いじゃない。彼が全部、魔法にしてくれた。だから、これからも全部、魔法に出来る。ひどい理論だ、三段飛ばしですらない。だけど、それが自分の中での真実だった。今の自分のすべてだった。上司にどうしても今知っておいて欲しい解えだった。
「…馬鹿じゃないの」
そっと、目が伏せられて。
「俺がきみの魔法使いなんじゃなくて、きみが俺の魔法使いなのに」
キスが落とされる。今までで一番やわらかくて、心地好くて、泣きそうになるくらいのキス。
「…抱いたら、」
ふわり、と身体が浮く。踵は完全に床から離れた。
「もう逃してあげられないと思うけど?」
「―――それ、」
だからバランスを取るために上司の首に回したけれど。
「逃げるつもりないやつに言っても、意味ないでしょ」
自分でも分かった。
これは、抱えあげてから言う台詞ではないのだろう。
*
作業BGM「無辜のあなた」初音ミク・flower(いよわ)