天秤と水瓶


 そのラベルが貼り直されているのを見て、ああ、と思う。瓶の中のマリモはどうやら元気なようだったから何も言わないけれど。いや、マリモが元気かどうかはよく分からない。ちゃんとまるまるときれいに集まって、いい感じの緑で瓶の底を転がっているだけだ。そろそろ大きくなってきたし、上手くいっているのであれば分裂しても良い頃だろう。そうなったら流石にこの瓶では小さいな、と思う。ちまちまと水を替えるのは苦ではない。もしこれらがだめになったらまた、死んでいる、と表現するのだろうが、別にいきものだと思っている訳ではないのだし。世話をしている感覚はなかった。歯を磨くだとかシャワーを浴びる、食事を摂る、その中に差し込まれるのが水替えという作業なだけで。
 しかし、と思う。水槽にするのであれば濾過器が必要になるだろうし、そうなってくると本格的に世話≠ノなるような気がする。今までも瓶を増やしたことはあったのだし、その方向で行こう。そう思って端末を開いてから、既に瓶が複数注文されていることを知った。
「………」
流石に言葉を失う。ラベルが貼り直されている時点でこの部屋に来たのは分かっていたが、そこまでするだろうか。頭を抱えたいのをこらえて、いやいやありがとうございます、とメッセージを打つ。返信はすぐにあった。
『貸し一つです』
 確かに、これは利益だっただろうけれど。
 こんな小さな利益ではそう大したものは要求されないと、もう、分かっていた。


積み木は崩すものじゃない


 そういえば身体が小さい方なのだろうなあ、と今更なことを思った。スリーとてそう、大きな方だとは思わないが、実際彼女を抱えたり持ち上げたりするのに困ることはなかったし、そんな体格差があるからこそ、こんなことをしようと思ったのもあるだろうし。まあ、この体位はどうしたって協力が必要なので、幾つか貸しを作ってやる羽目になったにはなったのだったが。彼女の方から身体を代価に何かを求められることはない上に、この話が出てからは更に慎重さが増していたので、そこに貸しを捻じ込んでいくのもなかなか楽しかった。主に彼女が嫌そうな顔をするという点で。
 唸り声のようなものを無視して脚を広げさせてやれば、大きな鏡は余すことなくその姿を映し出す。
「ほら、」
目を瞑ったり目を逸らしたりするなと念押ししたからか、まっすぐではないがそれでも視線が逸らされることはなかった。
「よく見える」
いつも見ている、と言えばそうだったけれど、それはスリーだけの話だ。彼女からはなかなか見えないでいただろう結合部が、ともすれば意識から追い出していたかっただろう結合部が、その目にまざまざと映し出されるのは屈辱以外のなにものでもないだろう。指でなぞってやりながら、感想を待つ。呻くような声のあとで、やっと、ぽつりと言葉が落とされた。
「趣味が…悪過ぎる………」
まあ、想定内の言葉だった。面白みもなんともないが、嫌そうな音が心地好くて笑う。
「その悪趣味にきみはちゃんと適応してるみたいですけどね」
「生きるために仕方なくです」
「適応してることは認めるんですね」
「生に貪欲なので」
 鏡といういつもはないアイテムを使ったからか、言葉は跳ね返って来れど身体の方は大して動かない。抵抗をしない、という約束を取り付けたのもあるけれど、単にもう力が入らないのは分かりきっていた。それもあって、暫く休ませてやろうかと思ってそのままでいたのだけれど。
「興奮してますよね?」
「………してません」
「でも、きゅうってなった」
「気の所為です」
「はやく動いて欲しいならそう言えば良いのに」
「会話する気ないなら話しかけないでもらっても良いですか?」
優しく―――宣言したとおり、愛するようにしてやれば彼女だって人間だった、眠っている間の、スリーのことをまったく認識しない彼女はひどく素直でそれに苛立ったほど。
 は、と艶の乗る声が押し殺される。それでも目を逸らさないという約束を忠実に守ろうと必死になる彼女の、生き様だけは評価してやれた。でも、それと同時にそんな生き方をしているから手放すことが出来ないのだ、とも。
 スリーは。
 誰かを自分の、一番にしてやりたかった。誰かを愛することについて、必ず、一番であることを付随させてやりたかった。それはきっと我が侭のようなものだ。恋なんてものをした時に、随時話し合っていけば良い。今までの恋人たちとはろくでもない結末しか迎えられなかったけれど、すべてがそういった原因に基づいていた訳でもないのだ。
―――でも、
きっといつだって、スリーはシックスを最優先に置いてしまう。どうしたら良いのだろう、と考えていたところで視界に飛び込んで来たのが彼女だった。スケジュール管理が効かず、彼女の目の前でひっくり返ったスリーを見ても彼女は叫ぶことも驚くこともしなかった。普通心配くらいするだろう、と思うのだけれど。彼女は何も言わずにスリーの状態を確認してシックスに連絡を入れて、それから運ぶために担架を用意し、人を呼んだ。
 その、一連の動作の中で彼女の目がスリーに向けられることはなかったが。呆れ果てて冷たくなった、その表情にこれだ、と思ったのだ。
 これなら、互いに一番になれる、と。その時スリーは、初めて自分だけではなく、互いにとっての一番という立ち位置が欲しかったことに気付いた。天秤が釣り合っていないことが悲しくて、だからろくでもない結果に終わったのだと、やっと、気付いたのだ。…まあ、そんなことがあったなんて、どうせ覚えていないのだろうけれど。だってスリーは彼女の前で幾度ひっくり返っているのか知れないのだし。彼女だっていちいち数えていないだろう。
 あの頃とは随分出来ることが増えたとは思うけれど、大して変わらないでいてくれる彼女をきっと、これからも手放すことは出来ないだろう。幸い、身体の相性も良かったし。ずくずくと蹂躙される胎が、まるで喜んでいるかのように纏わりつく。これは紛れもなく合意のない行為であるのに、何度も何度も細かく達しているのが分かる。
 性感は、心というものを簡単に裏切る。だから彼女の手はいつまで経っても冷たいままなのだと分かっているけれど。
「―――………は、」
詰まるような息に察したのだろう、逃げるように視線が落とされた。それが気に食わなくて顎を掴んで無理矢理顔を上げさせる。
「目、逸らさないって約束でしたよね」
「ぁ、ア―――、ゃだ、っ、あ、…ッ」
「もう何回も自分のイくときの顔見たじゃないですか。今更でしょう?」
一緒にイけるんですから、ちゃんと見ててくださいよ。そう呟きながら耳を食めば、飼い慣らした身体は従順に震えた。その余韻のような締め付けに縋るように抱き締める。
 何にも隔てられなかった白濁が、彼女の奥を塗り潰していくのを鏡越しに眺めて。
「―――ぅ、…ひっ、………ん、」
「ああ、そういうことですか」
ぼろ、とこぼれた涙に、やっと合点がいった。
「中に出されてる時の顔、見たくなかったんですね?」
焦点の定まらないような心地の中から、必死に戻ってこようとする彼女の頬を掴む。啄むようなキスをする。蕩けた視線が少しでも戻るのが遅くなれば良いと、そしてそれに彼女がひどい自己嫌悪を抱けば良いと、そんなことを思う。
「まあ、いま見たとおり、きみは結構ふわふわとした表情してますよ」
かわいい、と言ったことはなかったけれど恐らくこういう状態のことをかわいい、と言うのだろう。スリーにされるがままにしかなれない彼女。賢い故に逃げ道がないことを察しているのに、それでも抗わずにはいられない彼女。
「ねえ、どんな気分ですか? 嫌いな相手に中に出されて、恍惚に近い表情晒してるって分かって」
くるくる、と指先でなぞるその下に自分のものが入っていて、思う存分精液をぶちまけてあるのだと、そう思うとずくずくと興奮が蔓延っていく。硬度を取り戻していくそれに、もう良いだろうと目を伏せて息をしている彼女をやわらかく抱き締め―――そのまま、再び突き上げた。
「………っ、ゃ、あ!? なん、…っで、」
「一回だけ、なんて一度も言ってませんよ」
未だ余韻を残す身体は面白いように反応する。これも、随分かけて適応させたことだったけれど。
「今日は時間気にしないで良いんですから」
「そ、んな、」
「絶対にきみ、勘違いしてると思ってましたけど。…ふふ、良い顔」
ほらちゃんと鏡見てください、と言えば約束≠思い出したのだろう。ゆるゆると顔が上げられる。嫌そうに。それが嬉しくて彼女のすきなところを外すように動けば、もどかしさでその表情が崩れていった。それでもはっ、と、戻ろうとする、その無駄な仕草がたまらない。
「仕事に戻らなくてはいけない時、ボクがどれくらい我慢してるかきみ、知らないでしょう」
「………は?」
「本当は毎回抱き潰したいんですけど、そうもいかないですし。制限があると、どうにもやりたいように出来ませんよね」
「…いや………まず、仕事中にそういうことしようとしないでください…」
「じゃあ仕事中じゃなきゃ良いんですか?」
「そういう問題でもないです」
何もかものしがらみを捨てて快楽を追いそうになる身体を、彼女は今夜、いつまで叱咤し続けるのだろう。揺れかけた腰が留められて、それでも視線からは険が抜けていって。
 けれど、その目がスリーを映している間は、決して手があたたかくなることはないのだ。
「―――、」
「はは、」
太腿を伝うそれに、先に気付いたのは彼女の方だった。
「出てきてる」
せっかく中で出したのに。こうやって続けていれば出てくるのも仕方ないというのは分かっているが。
「勿体ない」
掬い上げたものを口元へと押し付けると、幾らかの逡巡のあとに口が開かれた。何が彼女の中で天秤に乗ったのかは分からないが、まあ、素直に応えてくれるのであれば何を引き合いに出してくる必要もないので良かった。舌が指をきれいに舐めとったのを確認して引き抜く。自分でやらせておいてなんだが、きれいになった指先を見て勿体ない、と再び思った。だから、ねえ、と唇を寄せる。
「もしきみが薬を飲まなかったら、流石に出来ますかね」
「………嫌なので、飲みますが」
「例えば三日くらいきみを拘禁したら諦めてくれますか?」
「―――な、に、いって、」
僅かに見開かれた目に、まだ理解していないのだな、と思った。理解したくない、というのもあるのだろうが。
「別にボクだって、先のことを考えないで中に出してる訳じゃあないってことですよ」
「ならちゃんと避妊くらいしてくれませんか?」
「責任取りますって言ってるんですが」
「そんな責任取ってくれなくて良いのでというかそもそも責任を取るような事態にするのはどうかと」
「きみも注文が多いですよね」
「本来ならスリーさんに注文つけるようなことは仕事だけで充分なんですが」
会話になってない、というような顔を彼女がしたので、機嫌を取るようにキスをする。勿論、そんなもので機嫌が取れる訳がないことは分かっているけれど。
「大丈夫ですよ」
「………何がです」
「きみがボクから逃げ出さない限り、きみの同意がなければそういうことは保留にしておきますから」
「………そう、ですか」
顔に信用出来ない、と書いてあったが、頷いておくことにしたらしい。まあ、今は≠ニいう但し書きのつく言葉ではあるのだし、それは正しいと言えば正しいのだけれど。遣り取りが面倒だとでも思ったのだろう。頷けばとりあえず、会話は終わるから。
 その判断がまだいつものルールに従っているように感じられて、抱き締め直す。今日はどうせ時間があるのだ、抵抗がすっかりなくなるまで甚振る愉しみを、そう簡単に手放すのも面白みがない。耳を食みながら名前を呼ぶ。呼ばれたくない、とばかりに睨め付けられる。
「愛してますよ」
「―――そう、ですか」
それに嘘だ、と返して来ない賢さを、一生失わないで欲しかった。