お前なんか幸せになってしまえ
婚約が決まったんだよね、とまるで旅行の予定がしまったみたいに言う妹に言葉を失ってしまったのは仕方のないことだと思う。四半世紀以上一緒に暮らしてきて、そんな素振りは一度も見せなかった妹だ。毎日まいにち研究に明け暮れていることしか知らなかったのだから、突然婚約、だなんて言われたらそりゃあ驚くだろう。
「ええと、それは…」
「エイプリルフールではないよ」
「そうか…」
相手はどんなやつなのかとか、ちゃんとした話なのかとかを聞きたかったのだけれど。
「―――」
初めて見る、表情をしていたから。
前世の記憶というのを、自分も持っているというのを言ったことはなかった。妹のは見ていれば分かったが。そもそも前世でだって真面に家族をしていた訳でもなし、大して顔を合わせたことだってなかったのだけれど。満たされた人生だったのか、それすら分からなかったから。こんな平和な世界なのだ、トリガーも何もない、世界。ならばもう、妹が犠牲になることもないのだ。前世において、妹が犠牲になっていた自覚があるのか、それも分からなかったけれど。
こちらの価値観からすれば、犠牲、であっただろうから。
「おめでとう」
そう言って笑ったら、ありがとう、と返ってきた。
数日後、ベルティストン社の若社長の弟の婚約発表会見で、その弟の隣に座った妹の姿を見ることになって珈琲を吹くのはまた別の話。
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暗がりで死す @odai_bot_11
海底の奥底に眠るお姫様
前、の。
物言わなくなった顔を未だに覚えている。すぐにあの身体は回収されていったが、それでも忘れることは出来なかった。トラウマ、と言うと少し違うことは分かっていた。あれからどうやって何を殺そうとも、その遣り方に違和感を覚える程度で殺すこと自体には何も思わなかったし、死体を漁るのだって平気で出来た。
―――なのに、
同じ顔をしているというだけで。
分かっている、もうこの人は先生だけれど、先生とは違う人間で、だからキスもハグもセックスも結婚も出来て。分かって、いるのに。一人で勝手に不安になって、きっとこんなことを知られたら一緒に考えさせてよ、と言われるのだろうけれど。
死んでいるみたいに、先生は眠っている。それが、本当は正しいことなのだと知っている。先生、と唇だけで呟いた。起こしたくはない。
―――それでも。
キスをしたらこの人は起きてくれるのだろうか。そんなことは思うから。
ランバネインは静かにその寝顔を見つめるのだった。
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Alice @xxxxx_Alice
流されたことにしてやれば
ランバネインが連れてきた女の顔に、大して反応は見せなかったはずだけれど。実は見覚えがあった、と言ったら彼らは驚くだろうか。何にも興味を持たないとでも言ったような顔をしているハイレインが、目を見開きたいのをこらえていたのだと、言ったら。
色褪せた記憶。
今≠フハイレインのものではない記憶。
その中で鮮烈にハイレインを嘲った、その女の顔を。忘れるなんて出来なかっただろう、彼女は別に、嘲ったつもりもなかったのだろうが。
―――本当に良いんですか。
事務的な口調で言った女に真面な返答はしなかったはずだ。上司であろう男が諌めて、それだけ。
―――なら、あとで惜しいとは言わないでくださいね。
僕は僕の成果物を出すだけですよ、と白衣を翻した、その女が。
一体ランバネインの何を変えたのか、未だ聞くことをしないのは、それがハイレインの人生において重要ではないから、ただそれだけなのだ。
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水玉ドット @dot_dot__bot
幸せだと怖くなる
そんなことを先生が呟いたものだからランバネインはびっくりしてしまった。いや、そう思ってもらえていること自体は嬉しいのだ。だって前≠ナはそんなこと、気にしている余裕もなかったのだから。でも、やっぱりびっくりしたにはびっくりしたので。
抱き上げる。すると、どうしたんだい、ランバネインくん、といつもの顔で問われる。
「先生、今が幸せだと思っていたのか?」
「え、そこから?」
僕は結構分かりやすくしていたつもりだったんだけれど…と言われても、どうにもランバネインには分からないので。
「先生、」
「なあに」
「俺に、全部教えてくれ」
「うん。分からないことは言ってよ」
「ああ」
「でも、分からないこともあるかも」
「それは、俺も考えるから」
―――もう、
先にいくことはしないでくれ、とは言葉に出来なかった。
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箱庭006 @taitorubot